第26話 束の間の幸せ 3

 俺達の願いも虚しく、翌日も雨が降っていた。バケツをひっくり返したような大雨で、外の景色が見え難い程だ。

 昼過ぎまで様子を見ていたが、一向に止む気配は無い。


「これじゃ動けないね。今日も家で大人しくしてようか」


 食糧は今日くらいは持つ。けれど、明日は雨でも行かないとだめだな……。


「暁門君。あのさ……」


 沙生さんが何故か言いにくそうにしながら口を開く。


「どうしたの?」


「私、自分の家に帰ってみても良いかな……?」


 俺はそれを聞いて黙り込んでしまう。それが着替えを取りに行くだけなら、初日でも昨日でも気軽に行っていた。だが、それを避けていたのは……沙生さんの弟、純君の事が有ったからだ。


 純君は体が弱く、沙生さんが常に気にかけていたのを知っている。その絆は普通の姉弟よりも深いものだと俺は感じていた。


 そして純君は騒動が起きた時、家に居たそうだ。だが、沙生さんが心配して連絡を取ろうとしても……電話は繋がらなかったそうだ。

 俺の思い違いかもしれないが、恐らく純君は家で……。そして沙生さんもその可能性を考えていたからこそ、自宅に帰るのを躊躇っていたんじゃ無いだろうか。


 今、沙生さんが帰るといったという事は、落ち着いたお陰で向き合う覚悟が出来たのかもしれない。それなら……俺はその背中を押してあげようと思う。


「分かった。沙生さんの家に行ってみよう」


 そうして、俺達は雨の中外へと出る事に決めた。




 沙生さんの家は道路を挟んで向かいの家の隣だ。ゴブリンも居らず、ほんの十秒程でついてしまった。

 玄関の鍵は閉まっており、沙生さんは鍵を取り出し開けようとする。だがその手は震え、うまく鍵がささらないでいた。


「俺がやるよ」


 俺は沙生さんから鍵を貰い、代わりに鍵を開けて玄関のドアを開く。二人共玄関に入ると鍵を閉め、俺は雨具のフードを下ろしながらこう言った。


「……俺はここで待ってるよ」


 何故そう言ったのかは分からない。だが、そうするべきだと何故か思ってしまった。


「……うん。行ってくるね」


 そう言って、沙生さんは家の中へと足を踏み入れた。


 それから、何回かドアを開く音がした。沙生さんが家中を見て回っているのだろう。そして、二階のドアの開く音がしてから……暫く、音が聞こえなくなった。


 それから暫くして、階段から降りてくる足音がした。そして、沙生さんが服を着替えた状態で姿を表す。


「……待たせてごめんね。純、家には居なかったみたい。でも、着替えに時間が掛かっちゃって……」


 俺は沙生さんの赤く充血した目を見ただけで全てを察した。


「……そっか。取り敢えず俺の家に戻ろう」


 そして俺達は沙生さんの家を後にした。




 家について玄関を開ける。だが、沙生さんが中に入ろうとしない。しかも雨具のフードを下ろしたままで、頭が雨に打たれていた。


「沙生さん……濡れてるよ」


 俺の言葉で沙生さんがハッとしたような表情をし、慌てて玄関に入っていく。沙生さんの動揺は大きい。こんな時……俺はどうすれば良いんだろうか。


「タオル持ってくるね」


「うん、ごめんね。ぼーっとしちゃってて……」


 どう対応していいか分からず、悩みながらバスタオルを取ってくる。


「はい、沙生さん。風邪引くからすぐに——」



 バスタオルを差し出した、その時——俺は突然沙生さんに押し倒された。俺はそのまま床に仰向けになり、その上には沙生さんが居る。


 見上げた沙生さんは……髪から胸の辺りまで濡れていて、潤んだ瞳をしていた。それは、普段とは違い妙に艶めいて見えた。


「沙生さ——」


 俺が止めようと口を開いた瞬間、その唇に柔らかいものが触れる。


 目を閉じた沙生さんの顔が、近い。

 そしてどこからか香水のような甘い香りがして、それは俺の頭から冷静さを奪っていく。

 

 俺は気がついたら沙生さんを抱きしめていた。

 そして沙生さんもそれに応じて体を預けてくる。



 そして——そのまま、俺達は何かを忘れようと互いを求めあった。

 



♦︎




 日が傾き始めた頃、沙生は眠る暁門の横でその顔を見つめていた。そして、沙生は暁門の頬にそっと口付けをし、その場から立ち上がる。

 服を直し、暁門の銃を手に取る沙生。



「……暁門君ごめんね。一緒に桜……見れないや」



 沙生はそう言い残して、部屋を出ていった。

 暁門は……それに気付く事は出来なかった。



 そして、二人の別れを告げるかのように——玄関のドアが閉じる音だけが聞こえた。

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