第8話 警察署の避難民 2

沙生さきさん……?」


 俺の目の前に居るのは、知っている時の姿よりも大人になった彼女。これ以上の言葉は出ず、彼女と見つめ合ったままになってしまう。

 その沈黙を破ったのは沙生さんからだった。


「やっぱりそうだ。良かった暁門あきと君もここに避難できたんだね。でも騒動が起きてから今までどうしてたの?」


「あ、ああ。家の食糧で何とか食いつないでたんだ。でも食料が無くなって、それでネットで見かけたここの避難所の事を思い出して」


「……そうだったんだ。でも家からここまで良く無事でこれたね?外はゴブリンだらけって話だけど」


「な、何とか逃げ回りながらね。俺じゃゴブリンに勝てないから、もう必死だったよ」


 俺は沙生さんに嘘をついた。もしここで俺の『希望の力ホープ』の事を話せば、面倒な事になると思ったからだ。

 それに、どうしても夢の事が頭にチラつく。見た限りでは彼女があれ程の力を持っているとは思えない。それは分かっている。

 けれど、二人だけで一度話しておきたい。


「それでも暁門君は凄いよ。私なんてみんなが襲われてる中で、たまたま狙われずにここに辿り着いただけだから」


 沙生さんは浮かない顔で顔を俯かせる。

 ……これは話題を変えた方が良さそうだな。


「でも沙生さんが無事で良かった!俺なんて家族と連絡は取れないわ、連絡が取れた友人達は遠いわで、ずっと一人だったんだ。やっと知り合いに会えて嬉しいよ」


「……そうなんだ。私も両親とは連絡が付かなくて。純は家に居た筈なんだけど電話に出なかったの……」


 純というのは沙生さんの五歳下の弟。歳が離れているからか、沙生さんは純君を昔から可愛がっていた。

 

 実は、俺はコンビニを訪れた日に沙生さんの家を訪れていた。けれど、ドアを叩いても声を掛けても反応は無いし、玄関は鍵が掛かり窓を破られた様子は無かった。

 魔物が発生した日もし純君が家に居たのだとしたら、何らかの理由で外に出てしまった可能性が高い。


 だが、俺はそれを沙生さんに言うべきでは無いと思った。


「ごめん。俺が家を訪れておけば良かった」


「ううん。暁門君も自分の事で精一杯だっただろうし、気にしないで」


 沙生さんを元気付けたい所だが、うまく良い言葉が浮かばない。


「大丈夫だよ。きっとおじさん達も純君もどこかで生きてる」


「……そうだね。今はまず、自分の事を考えないと」


 ——感情の篭っていない声でそう呟いた沙生さんの顔は、とても儚く壊れてしまいそうだった。



 避難所からすぐに立ち去る予定だったが、沙生さんがいるのなら話は変わる。暫く様子を見ようと思う。

 俺はその間に沙生さんを説得して、二人でここから離れる事を目標に据えるのだった。



♦︎



 その後、沙生さんに警察署の中を簡単に説明してもらい、別れてから避難所を取り仕切る人へと挨拶をする事になった。

 その人は警察署の署長で、とても温厚そうな人らしい。避難して来た人達に決して無理強いはせず、不満を言われれば平謝りするそうだ。


 それだけ聞いて俺は不安を覚えた。今の状況でトップが下手に出るのは悪手だと思う。組織なんて全く詳しくない俺でも分かるような事だ。

 危険を冒している食糧の調達班は不満があるだろうし、不満を言う連中の要求はさらにエスカレートしていくと思う。

 現に警察の人達と、避難民の緊張感の差は大きい。


 そして、その先に有るのはきっと——。




 俺はドアをノックしてから、声を掛けて署長室へと入室する。


「失礼します」


「どうぞ」


 署長室の中に入ると、そこに居たのは優しそうで小太りの中年男性。目の下には隈があり疲れ切った様子があった。


「今日避難して来た灰間 暁門と言います。暫くの間、お世話になります」


「ああ。わざわざ挨拶ありがとう。私はこの警察署の署長をしている加藤かとうだ。ここは食糧も不足していて不便を掛けると思うが、私達警察が何とかする。すまないがそれまで耐えて欲しい」


 ここは出来る限り避難所を手伝ってくれ、くらい言っても良いんじゃないだろうか。

 俺は警察の義務なんて既に崩壊していると思っている。それを放棄しても、誰も咎める事なんて出来ないだろう。


「ええ、俺に出来る事なら雑用でも何でも手伝いますよ。戦いでは役に立つか自信有りませんけど」


「ありがとう。そう言って貰えると本当に助かるよ。……色々と人手不足でね」


「それならなんで——」


 俺は言い掛けた言葉を飲み込み、口を紡ぐ。きっと、加藤さんなりに何か理由が有るのだろう。俺のような素人が口を挟むべきじゃない。


「何かな?」


「いえ……失礼します」

 

 そうして不安を覚えつつ、署長室を後にした。

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