第2話 『見ること』『伝えること』『記録すること』


前回の記事で、人間の役割は大別して3種類あると書きました。

『見ること』『伝えること』『記録すること』の3つです。


この『見ること』というのは、発見することです。

よく見て、他との違いを発見して、そうしてそれが個であることを明言する。


例えば、道端に動物が居るとします。

それが蛇なのか、猫なのか。

人間は見ればわかります。


例えば、道端に昆虫が居るとします。

それがクモなのかアリなのか。

人間はよく見ればわかります。


例えば、道端にアリが居るとします。

それが、オオアリか、サムライアリか、

知識のある人間がよく見ればわかります。


ですが、知識がある人間が見ても、どの種か断定できない時があるかもしれません。

その時はどうするのか。一個人でわからないならば、その情報を他の知識のある所へ『伝達』し、記録と照合するなどして違いを特定するでしょう。

そのどれにも該当しないならば、これは新種のアリだ となる訳です。


それがまず、発見すること、となります。

しかしこれで終わりではありません。人類が須らく得ている『最強の魔法』があります。



それが  名 前  です。





言葉や文字は、名前を付けるためにあるといっても過言ではありません。


何故か。


それは、名前と言うものに秘められた力に関わります。


名前と言うものは、他の動物にはない最強の記憶媒体……もしくは記憶法です。

名前には、たった一言で全ての説明を省略して、それが何であるかを解らせる力があります。

赤い。丸い。植物。果物。バラ科。

と並べれば、私が意図するイメージが伝わるはずです。

そうしてそれを一言に省略できるものが名前です。

皆さんは リンゴ をイメージできたでしょうか。


あるいは、アニメ作品でもよくあると思いますが、一言でそれを説明する手法として、必殺技を叫ぶ、なんてものがあると思います。マジンガーZというアニメで実践されたそれですね。

『ロケットパンチ!』

この名前だけで、皆さんの脳裏には映像が浮かび上がりませんか?

それが、名前と言うものの力です。



つまり、新種のアリに、新しい名前を付けることで、それが他の個体とは違うのだという証明書になるわけですね。そして、それはすぐにでも新聞などの媒体で伝達され共通化されることと思います。


それは、アリにとっては、「やっと見つけてもらえた」ということなのです。

これはアリに限ったことではありません。

万物万象の法則、思想、理念・・・あらゆる全てです。

病気かもしれませんし、治療法かもしれません。

人間は見つけた物には必ず、名前を付けます。


だって、世界にある言葉に、『名詞』が無い言葉なんてあるでしょうか?


人間が言葉と文字を開発するというのは、必須の通過点だったのです。



『伝える』というのは情報を共有化するということです。

そのままですね。

これが行われないとどうなるかと言うと、違いが解らなったり、信憑性が低くなります。

例えば、目の前にリンゴがあって、私はそのリンゴが『赤い』と思っているとします。

それを誰かに伝えた時、「え? 緑ですよ?」って言うかもしれません。

そこで他の誰かにも伝えたとします。そうすると「私も赤いと思います」

と、回答が来るかもしれません。そうすることでリンゴは赤いという信憑性が増しますよね。

それが100人に尋ねて、一人だけが緑だと言っていたなら、そのリンゴが赤い確率が高いですし、緑だと言った人の視力、もしくは発言の信頼性を疑うことになります。

もしかしたら色弱かもしれませんし、嘘を言ってたのかもしれません。

そうやって、疑問に疑問をぶつけて行って、新しい発見(色弱と言う病があるということ)を導き出すためにも、情報を共有するというのはとても大事で、人間に課せられている役割の一つであると言えます。


さらに言えば、自分はここに居る。もしくは居たんだ。という主張にも関わります。

最たるものは、古代の人が残した壁画だと思います。

文字がまだ不十分に発達していない時、絵を描くことで自分たちの存在を伝えようとしたのかもしれません。


これは、次の『記録する』という事柄にも関わります。

記録するということは、歴史に残るということですね。

つまり、過去では消えてなくなっていても、現代で誰かがその記録を見つけることで、存在を証明されるということになります。



以上の、『見ること=発見すること』『記録すること=歴史を作ること』『伝達すること=過去を共有すること』

このすべてを使って何が起こるかと言うと、『教育』あるいは『勉学』『学習』という過程が発生します。過去の偉人たちが発見した数々の知識を、多くの人たちが活用し、新たな発見へと結び付けていくわけです。


他の動物に、これは出来ません。

一個体の中でなら可能だと思います。

否。本当は、動物もこの3種は行っているとは思います。

ただ、その学習や蓄積は最終的にDNA単位での物となっているのではないでしょうか。

一個体、一グループが、生きるうえで発見したことを、仲間に共有して、知識として活用することはたくさんあると思いますが、それをはるか過去にまで及ぼすことは難しいでしょう。

こと、記録に関しては、文字、書籍、絵画、等の遺物に勝るものはありません。


では動物と、人間の決定的な違いについて。

次で記そうと思います。

主に私がこの表題の件に関しての着想の元になった考えになると思います。

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