婚約破棄は計画的に。

秋月一花

前編

「アイリーン、貴様との婚約を――」

「破棄するのですね、かしこまりました。喜んで同意致します」


 パーティーで私の婚約者である第一王子、グレアムから婚約破棄を言われることは想定済み。グレアム殿下の隣には、ヒロインであるエミリアだ。

 以前から愛読していた恋愛小説に転生した私は、この時を来るのをずーっと待っていた。

 恋愛小説の悪役令嬢として生まれ変わった私、アイリーンは……この第一王子であるグレアムのことが嫌いだった。そして、ヒロインであるエミリアのことも。

 真実の愛? ただの略奪愛じゃない。それで盛り上がるのは本人同士だけ。周りからどんな目で見られているのかわからないものなのかしらね。

 もちろん、私は小説の中のアイリーンとは違い、エミリアに絡んでない。小説の中のアイリーンだって、エミリアを苛めたわけではないのに、グレアム殿下が追い出した。

 原作は悪役令嬢のアイリーンを追い出してハッピーエンド! って感じで終わったけど、悪役令嬢と言うにはアイリーンは弱い気がした。


「よ、喜んで、だと!?」


 自分で婚約破棄を宣言しようとしていたのに、何でプライドが傷ついたような顔をするのか。わけがわからん。……おっと、今の私は公爵令嬢。こんな言葉遣いじゃダメよね。


「はい、喜んで。私、一途な方が好みですので」

「何だと!」

「だって考えても見てください、グレアム殿下。かたや女遊びを繰り返すダメ男、かたや一人の女性のために愛を貫く男。どちらの方が女性にとって魅力的でしょうか?」


 私はもちろん後者である。


「……それに、婚約者の居る男性に近付いて、仲良くなろうと思うことっておかしくないですか? 奪うこと前提の行いですよね? いえ、誰とは言っていませんわよ、誰とは」


 にこりと微笑むと、エミリアが顔色を悪くする。悪いことって意識はあるのかな。……いや、このヒロインにそんな感情があるとは思えない。


「ど、どうしてそんなに怖い顔をするんですか、アイリーン様ぁ……」


 その猫撫で声やめろ。ぞわっと来たわ。それでも私は表情を変えずに言葉を続ける。


「私は私を一途に想ってくれる人が理想なので、婚約破棄は喜んでお受けします。あ、陛下とお父様へも先に伝えていましたので。もしもグレアム殿下が婚約破棄をこんなパーティーで口にした時には、徹底的にやるって!」

「て、徹底的?」

「はい。だってこんなデリケートな問題、わざわざ人前でします? 婚約破棄を宣言された私の今後を考えているなら、そんなこと出来ませんよね?」

「生意気だぞ! アイリーン!」

「で、殿下はアイリーン様のことも考えてますよぅ。そう、だって、アイリーン様の新しい婚約者を……」

「……勝手に私の婚約者を見繕った、と?」


 パーティー会場がざわめいた。そりゃあそうだろう。なんでわざわざグレアム殿下とエミリアが私の婚約者を見繕うのだ。


「それはもしかして、マルコム様のことでしょうか?」

「な、なぜそれを……!」


 私はわかりやすくはぁぁああ、と大きなため息を吐いた。そして、ぱちんと指を鳴らす。

 すると、パッと小型の録音機が出てきた。それを再生させる。


『アイリーン様にはマルコム様がぴったりですよぉ。ほら、マルコム様ならアイリーン様の引き立て役になりますしぃ……。エミリアは絶対イヤですけどぉ……』

『はは、確かに天使のように可愛いエミリアには似合わないな。悪魔のようなアイリーンならともかく』

『うふふ。マルコム様はぁ、ずぅっとアイリーン様と、そう言うことをしたかったって聞いてますよぉ。ああいうお堅い令嬢を、堕としたいんですってぇ!』

『ならばマルコムからたくさんの謝礼がもらえるかもしれないな。その金が手に入ったら、エミリアの髪飾りを買ってあげよう』

『きゃー、エミリアは幸せ者ですぅ!』


 流れてきたのはグレアム殿下とエミリアの会話だ。これを聞いた時、本気でぶん殴ろうかと思った。誰が悪魔だ、誰が! ちなみにマルコム様は腐敗しきった貴族中の貴族って感じだ。あと、物凄く女好き。マルコム様の屋敷に居るメイドたちはすべて彼の毒牙に掛かっているそうだ。

 それがイヤで逃げ出す人たちも多いとか。……そりゃああんな人に抱かれるのはイヤだ。噂では人に見せつけるようにそう言う行為をするらしい。……そんな男が私にぴったりだと?


『ねーぇ、グレアム殿下。エミリアと一緒に生きてくれる?』

『当たり前だろう。その前に、アイリーンには消えてもらわないといけないな』

『きゃっ、消えてもらわないと、なんてグレアム殿下、頼もしいですぅ』


 甘えたようなエミリアの声。それから砂糖をどろどろに溶かしたような声のグレアム殿下の声。こんなのが国のトップに立って大丈夫なんだろうか。いや、大丈夫ではないだろう。


「……あなたたちがどんな会話をしようが、私には関係ありませんが……。勝手に婚約者を決めないでいただけます?」

「そ、そんなもの知らん! お前が仕組んだ罠だろう!」

「ええ、まぁ、仕組んだと言えば仕込みましたが。エミリア様に何度婚約者の居る相手に胸を押し付けるなとか、わざとらしく被害者ぶるなとか、きちんと忠告していたのにも関わらず、グレアム殿下とこうなったのですから……あなたたち、本当におめでたいですわね」


 心の声が漏れてしまった。だって本当に頭の中お花畑なんだもの。


「貴様! エミリアをいじめていたのか!」

「いじめ? 忠告して差し上げただけですわ。殿下は知らないかもしれませんが、エミリア様は婚約者の居る殿方だけを狙って、声を掛けていたのですから」


 私がそう言うと、エミリアに声を掛けられた殿方の婚約者たちが私の後ろに集まって来た。エミリアがむぅと唇を尖らせる。


「まぁ、中にはそんなエミリア様を嫌う殿方もいらっしゃるようですが……」


 ぽそりと呟く。前世でどうしてこの恋愛小説を読み続けていたのか――頭の中がお花畑の主人公とヒーローはどうでも良くて、そんな二人を冷めた目で見ている人を推していたからだ!


「なっ! エミリアを嫌う人間など、人間ではない!」

「……洗脳でもされているんですか?」


 エミリアを嫌う人間が居るはずないってどういう発想? 怖い。……小説の中の強制力ってやつなのかな。


「洗脳なんて酷いですぅ、アイリーン様ぁ!」

「語尾伸ばす話し方、辞めて頂きませんか? そもそも――あなた、本当にエミリア様ですか?」


 小説の中のエミリアはもう少し普通の話し方をしていたハズだ。私の問いかけにエミリアは顔を覆い隠してくすんくすんと泣き出した。それを庇うようにグレアム殿下がエミリアを抱きしめる。

 ……呆れてものも言えない。


「――いつまでこんな茶番を続けるつもりだ、グレアム」


 ――そんな声が、聞こえた。

 パーティー会場がざわめく。

 まさかここで登場するとは思わなかった。私の推し、グレアム殿下の兄!


「茶番とは何のことでしょうか、ルイス兄上」

「パーティーで婚約破棄を言いつけたり、見せつけるかのように婚約者以外を抱きしめることだ。大体、お前とアイリーン嬢の婚約は生まれる前から決められていたこと。それを破棄するには、きちんとした手順を踏むのが『人として』当たり前のことだろう」


 流石私の推し! 淡々とした口調でグレアム殿下へ鋭い視線を向けている。その視線に負けたのか、グレアム殿下は視線を逸らした。

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