第43話 乙女はシャワーを譲れない


「カーテンみたいにさあ……シャワーもなんとかなんないの?」

 魔女の家でつかえるシャワーは三日にいちど。まいにち降るスコールの雨水をかき集めて屋根のうえの樽に溜めても、ふたり分となるとそれがせいぜいなのだ。どうでもいいことに魔力をむだづかいするエリーなのに料理や掃除や洗濯や、そんな家事にはけして魔法をつかおうとしない。

「だって家事がなきゃ、日々のいとなみを感じられないじゃない。ささいな労働……人間ぽくって好きだわ」

「話がちがーう」

 サラは納得いかない。レベッカおばさんのときは魔法でカーテンをきれいにさせたくせに。

「じゃ、自分でやってみる? 魔法でシャワー。むずかしくなんかないわ、きれいな水をとり寄せればいいだけなんだから」

 ううむとサラはうなった。

 エリーばあちゃんなら朝飯前かもしれないけど、たっぷり水をよぶってのは口で言うほど簡単じゃあない。手でつかむイメージで持ちあげられる石なんかとちがって、水だとつかんだ先からぜんぶこぼれ落ちてしまう。桶かなにかの容器にいれて運べばいいのか。それにしたって口をずっと上にむけていないとやっぱりこぼれてしまうし、だいいちどこから運んでくればいいんだろう。目のまえの川の泥水は問題外。森をぬけたところまで行けばきれいな泉もあるにはあるけど、そこから運ぶって考えただけで気がとおくなる。


「それが修行になるってんじゃない?」

 けっきょくシャワーはあきらめ寝室にもどったあとのこと。たしなめるように言うカラは、他人事だ。ことし三歳になる黒猫のカラは生まれて半年でサラの使い魔になった。ずっと話しかけてるうち、とつぜんカラは言葉を口にしはじめたのだ。サラは有頂天で母にも父にも、姉たちにも報告して、魔女になるんだってそのとき心にきめた。

「修行っていうか、精神修養よね。そんなのごめんだわ」

 家では末っ子、世間では名家のお嬢さまとしてあまやかされて育ったおかげで、サラは忍耐心というものをまるきり欠いているのだった。おまけにとびきり美少女なもんだから学校でもお姫さまみたいにちやほやされて、いよいよひとから尽くしてもらうことに慣れてしまった。それでも(さほど)わがまま驕慢にならなかったのはかのじょの美徳といちおう言ってもよいだろう。


 自慢の美貌もいまは見せる相手がいないとはいえ、やっぱりお肌や髪のケアには気をつかうしいつもきれいでいたいのだ。たとえ人が見てなくたって自分が見ている、天が見ている――とサラは言う。それってふつうは外見の美じゃなく内面の美を磨くための箴言だったりするんだけどね。


「スコールのとき庭に出たらシャワーがわりになるわよ」

 さらりとエリーは言うけど、それはつまり、そとではだかになるってことで、つまり乙女のやわはだをかくさずあまさずさらけ出すってことで、こんな森の奥でだれにのぞかれる心配もないんだろけどやっぱり十六歳の乙女にはちょっとばかりハードルがたかいのだ。よわいウン百年のエリーばあちゃんとはちがうのだよ。

「……いま、私のわるぐち言ったね?」

 うたぐりぶかい目でエリーがじろっと見た。

 なんでわかっちゃうかな。ほんとに油断ならない大魔女だ。




 だが乙女のシャワー問題は、乙女と呼ぶには躊躇を感じないでもない野生のエㇽダによって解決のいとぐちが見えたのだった。サンガとティッカと、四人いっしょに湿原へオオトカゲに会いに行ったときのことだ。


 センビランとの戦い以来、エㇽダが湿原に行って呼びかけるとオオトカゲはたいてい顔を見せてくれるようになっていた。すっかり仲よくなってもうだ、とエㇽダは思っているのだが――。


「トカたん。トカたあん!」

 いつものように森じゅう轟くぐらいの大声で呼ぶと、その名がなんども樹々のあいだにこだました。

 湿原をおおう葦の草のかげでオオトカゲはめいわく顔だ。その呼び方をやめろ。ちいさなことにはこだわらないつもりだが、小娘の呼びかけはあまりに湿原の王に相応しからぬのではなかろうか。もちろんオオトカゲの異議はエㇽダに通じない。

「トカたん、どこお? ねえねえトカたあんっ」

 ええいすかたん娘め、顔を出すまで呼びかけをやめないつもりか。

 とうとう根負けしてオオトカゲはのっそりすがたをあらわすのだった。エㇽダにはそんな計算なんてかけらもないんだけどさ。無垢って、ときに最強の武器だ。



 オオトカゲのふきげんな顔をまったく気にせずエㇽダはその首をぎゅうっと抱きしめた。使い魔だってエㇽダは言うけど、サラの見るところオオトカゲにその気はなさそうだ。むろん恋なんかもしていない。というか考えるまでもないよね、恋なんてことあるわけないのに、なのにティッカもなにをいているんだか。

 そんなことより湿原を歩いたおかげで爪にも髪にもこまかい泥がみっちり入りこんでしまって、今夜はシャワーを浴びられない日なのにどうしよう。でも庭でスコールに身をさらすのも、家のまえをゆったり流れる川の泥水で洗うってのも断固拒否。そこんとこは譲れないのである。途方に暮れていたらエㇽダが言ったのだ。

「ふうん。じゃ、いいとこ連れてってあげるよ」


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