第9話 カエルとトンボと黒い髪


 そうして森と川との交わる場、魔力の吹き溜まりにふたりは陣どって、トンボとトカゲとホタルを呼び寄せるための術の仕掛けをつくりはじめたのが十分まえ。

 だけどざんねん、エㇽダの集中力はつづかない。もう作業に飽きてしまって、ひろった小石を川へ投げちゃったりなんかして。

「あー、心配だあっ。いまごろサンガどうしてるかなあ」

 石が水のうえを切っていく。そのあとゆっくりひろがる波紋が魔法陣に似てると思った。魔法陣をおぼえるのは苦手。いつもサンガの方がはやくおぼえるけれど、なのにたいした魔法はつかえなくって、かえって勉強ぎらいのエㇽダは本能でいろんな魔法をどんどんつかいこなした。


 水のうえをまた石が切っていく。五つ、六つ、波紋はかさなり複雑な文様になっていく。あれ? これちょっとおもしろいや、いくつ波紋ができるかな。

「あいつ、いったいいくつなんだろね? 力のつよい魔女ほどすっごい長生きだって聞くけどさ」

 また話が飛んだ、心配なサンガはどこに飛んでったんだ。そうこれがいつものエㇽダ。仕掛けつくらなきゃなんて話はもう空のうえの雲のむこうの、日のしずところのもっとさき、三千世界のはてのはて。


「十五年まえにはここにいたんだから……三十はとっくに越してるよな」

「えー。見た目はもっとぜんぜん若いよ? 肌なんかこう、ひかってるみたいでさ。うちの姉ちゃんたちとは大違い。めっちゃくちゃきれいだし」

 だから、それが魔女の力なんだろと言いかえそうとしてやめた。魔女は長生きってさっき自分で言ったのもどうせ忘れてる。それがエㇽダだ。

「意外と百歳ぐらいだったりして」

 当てずっぽの答えにぶぶっとエㇽダはおもわず吹いて、せっかくつくりかけてた仕掛けをはずみでほとんどこわしてしまった。

「なにすんのよ」

「おれのせいかよ」

「神殿のばあちゃんたちよりずっと上じゃん。よぉし、そういうことにしておこう」

 ざまあみろ、と心にうかんだ魔女に向かって言ってやった。なにがざまあみろなのかは自分で言っておいていまいちはっきりしないがそんなことどうだっていい、とにかくざまあみろなのだ。



 こわれた仕掛けはティッカがぶつくさ言いながら直して、しばらくエㇽダはぼおっと川の方をながめている。

 川の水はよどんで、ゆったりした流れからとどく思慮ぶかい水音はよほど耳をたてないと聞こえてこない。群生するホテイアオイが陸と水との境目をあいまいにしている。葉と花のあいだでジャングルの宝石のような肌の色したカエルたちが跳びはねるのが見えた。青、緑、山吹色、ねばっこく水をまとったあざやかな光沢がそこらをうごめいているのはちょっとグロテスクなほどに妖しくきれい。

 水場を飛び交う虫たちはかれらの恰好の餌だが、三ツ眼トンボだけはなかなかつかまらないのだった。三つある眼で全方位くまなくとらえて天敵をすばやく見つけるだけでなく、かれらがもつ予知能力のおかげで身にせまる危険をさとく感づくからだ。



 ふとそばに息づかいを感じてティッカがふりかえった、そしてそのまま固まってしまった。ふりかえったすぐ目のまえ、視界いっぱいにエㇽダの顔があったのだ。

「じっとして」

「エㇽダ……」

 なにが起こったのかわからない、でもとにかくじっと見つめる瞳のふかい黒に吸いこまれそうで、ごくっとつばを飲みこんだ。エㇽダが手を頭に伸ばしてくるのが見える、これは夢だと思った、夢じゃなきゃおかしい、だってほら魔法にかかったみたいに動けない。動けないティッカの頭にそっとちいさな指がふれて、汗に濡れた髪をまさぐった。黒い瞳はじっとティッカを見つめたままだ。

「エㇽダ……?」

 やたら胸がばくばくするのを無理に押さえつけようとするから心臓が破裂しそうだ。おそるおそる口をひらいたティッカに、少女は猫みたいな目を向けた。

「ちょいっとね」

 ぴんっ。

「いてっ」


 見ると三本、ろくに刈らないまま肩まで伸びていたながい髪がエㇽダの指のあいだに垂れさがっている。髪をつかんだエㇽダはとくい顔だ。

「うっわエㇽダてめえ、なにしやがんだ」

「もすこしほしいな」

 ティッカの抗議はまるきり無視して、エㇽダは顔をあげるとまた頭に手を伸ばした。それでティッカも思いだした、子供の髪は虫たちを呼ぶ魔法のためのだいじな材料なのだ。

「自分の髪があるじゃねえか」

 迫ってきた手をおさえつけてエㇽダの頭を指すけれど、

「やだよ、痛いもん」

 とエㇽダはティッカを犠牲に供することになんの疑問もない。


「いい根性だ――見てろよ」

 エㇽダがほそい両腕をふりまわすのを左手ひとつであっさりつかんで自由をうばうと、あいた右手をその黒髪へと伸ばした。

「いやだいやだ、ばかっ」


 言葉だけなら罵声だけれど、声の色は空にもとけそうなみず色だ。顔はわらって、やらかいからだをくねらせて。ティッカももう髪のことなんか忘れて、むかしみたいに無邪気に幼馴染とじゃれるのをたのしんでる。勢いついて、ふたりで草のうえにたおれこんでしまった。

 雨あがりの、新鮮な土のにおい。おもわず下に組み敷いてしまったエㇽダの、少女のにおいがそこに雑じって薫った。顔がちかい。息が頬にかかる。ほてった自分の顔から火が出そうだ。と思ったら、子供みたいにわらっていたエㇽダが急に口をつぐんでまじめな顔になった。


「あ……」

 濡れた唇からもれる声。おおきく見ひらいた黒い瞳が自分をじっと見つめている。それで少女の両手首がまだ自分の左手のなかにあるのに気づいた。

 ちがうんだ、おれはなにも――言い訳しようとしたけど喉がひりついてしまって声が出せない。

「動かないで」

 するどく、しずかにエㇽダは言った。

 動かねえよ、なにもわるさしないって。そう答えたいのにやっぱり言葉にならない、時といっしょに心臓まで止まったみたいだ。

「手、はなして。はやく」

 有無を言わせない、凛とした声。

「頭は動かさないでよ」

 ふだん見ることのない真剣な表情に気圧けおされ、ティッカは逆らえない。


 おそるおそる手の力をぬいた。直後、自由になった両手をエㇽダはびゅんっとまわして、ティッカの頭上でぱしんって音がした。いっしゅん目をつむったティッカがそおっと目をあけると――三ツ眼トンボが少女の掌のなかにあった。


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