花守の願い

千羽はる

花守の願い

私は「花守」と呼ばれる仕事をしている。


私はおそらくこのために生まれ、この仕事のために生き、この仕事をしたまま死ぬだろう。


ここがどういうところなのか、私にはわからない。


広大な空間、果てが見えないほどに高い天井。空間の果てはごつごつとしているから、辛うじてここが恐ろしく広い洞窟なのだとわかる。


人の頭ぐらいの位置に、熱を発さず、永遠に点り続ける蝋燭があるから全体が見渡せるほどには明るさが保たれている。


柔らかな薄暗さと揺らめく光源が、見るものの心を癒してくれる。


ここはどこなのか、と見習いの私が尋ねた時、先代の花守は言った。


ここは世界のどこでもない、と。


しかし、世界に住む人々にとって何よりも大切な場所であり、どんな黄金や宝石よりも貴重なものを、我々は守るのだ。


我々が守るもの――それは「花」


ここには、色とりどりの花が咲く。


それはとても不思議な花で、一つとして同じ花はないという。


美しい艶やかなものもあれば、小さく可憐なものもあれば、おぞましく毒々しいものもある。恐ろしく大きなものもあれば、他の花に紛れてわからない程小さな花もある。


種はなく、たった数分で地面から顔を出し、水や日光を必要とすることなく、周囲に仄かな輝きを散らしながら咲き、人の一生に近い時間を花弁を開いたまま咲き続ける。


これらは観賞用の花ではないから、この洞窟に来るものは誰もいない、はずだった。先代が亡くなってからは、酷く長い時間を一人で過ごし、花を守ってきた。


ある日、私が一人の少女を見つけるまでは。


・・・


その少女は、とても幼かった。


簡素な白いワンピースから覗く手足は短く、まだ大人たちに守られなければならないような年齢に見える。


しかし、不思議とその横顔は、老年を迎えた先代の浮かべていた表情によく似ていた。


どうしたんだい? と、声をかけると、少女は水晶の内側に波紋が広がっていくような透明さを秘める壊れ物のような悲しい声で答えた。


「私の花を探しているの」


幾万、幾億の花を見ながら、少女は微かに落胆した様子だ。


「こんなにあるとは、思わなかったの」


しかし、そう呟く少女の手には一輪のユリに似た花が握られている。


見覚えがないのでここで咲いたものではなく、おそらく彼女自身が持ってきた花なのだろう。


素敵な花だね、というと、少女は幼さに見合わない、絶望の時間を過ごしすぎた大人のように、暗い影をその顔に落とした。


「この花は、要らないの」


「これは私の花じゃない。みんながそういう。あの花に似ている、この花に似ている、だからお前のじゃないんだって、皆が言う」


少女の手に握られた花に視線を落とす。


たしかに、よく似た花はあるだろうが、花弁に走る一本の黄色の濃淡や、真珠に似た虹色を放つ白など、様々な花を見てきた花守をもってしても、決して同じものがあるとは思えなかった。


花守がそう告げる前に、少女は痛みを吐き出すように言葉をつづけた。


「私だけのものだったはずなのに。私が積み重ねてきたものから生まれてきてくれたもののはずなのに……! たくさんよく似た花がありすぎて、全然派手な花じゃないから、誰にも見つけてもらえないの……!」


彼女の叫びと同時に、手の中にある花が萎れていく。白い花弁は端から茶色に変色し、その輝きは失せていく。


私は花守だ。その想いが、少女の手に強く握られて枯れていく花を守ろうと、私の体を動かした。


手を添える。小さくか弱く、壊れそうな彼女の手に。


「失わないで」


喉から零れた声は、我ながら驚くほど泣きだしそうな弱々しさ。


―――これは、花の声。私自身は、発するべき声を持たないから。


「誇れとは言わない。けど、失わないで。君の中に積み重ねられた人々の想いと、君を育んだ世界と、君の強い思いが生み出した【物語】を。君は物語が溢れる裕福な時代に生きているから、決して「まったく違う物語」を書くことはできない。でも、物語は積み重なって、熟成して、君だけが生み出せる物語がある。そこから生まれた花を、枯らさないで」


「誰にも知られない物語が、ここにはたくさんある。そのまま枯れることもあるし、脚光を浴びてここから持ち出される花もある。けど、ここにある花は宝石よりも美しく、黄金よりも貴重で、誰かの世界すべてが一輪ずつに宿っているんだ」


それは、花守に受け継がれる言葉。花を通じて、初めて人に話した瞬間。


あぁ、言葉とは、なんて美しいんだろう。


私は花を守る代わりに、言葉を、物語を心に生み出すことはできないから、その美しさが眩しく、ちょっとだけ羨ましい。


「その花を手に持つ君は、きっと誰よりも素晴らしくて、誰より美しい花を咲かせ、保つことができる。だから―――失わないで」


それは彼女の持つ花—―彼女の持つ物語が発した言葉のはずなのに、顔のない花守が持つ願いでもあった。


幾万、幾億の花に伝わればいい。何よりも、この少女に伝わればいい。


私の口から零れ出た言葉たちを、少女は目を閉じて聞いていた。拒絶ではなく、心に沁み込んでくる水をたった一滴として逃すまいとするように。


花は、枯れるのをやめた。輝きが戻ることはもうないだろうが、それでも。


この枯れかけてもなお美しい花は、彼女だけの【物語の花】であり続ける。


そうあるために生まれ、そうあるために咲き誇る花だから。


「……ありがとう。花守さん」


少女の姿が消え、彼女がいた場所には、ユリに似た美しい花が揺れていた。


・・・


私は、花守と呼ばれている。


ここは世界のどこでもなく、そしてすべての人々の心が繋がる場所。


幾億、幾万の花が咲き誇るが、決して他の花と同じものはない。


私は、それを羨ましく思う。私は、それを誇らしく思う。


遥か遠い昔、人々から神と呼ばれた私は、いつまでも【物語の花】を守り続けるだろう。

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花守の願い 千羽はる @capella92

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