L-5:: 文明の墓標
すんでのところで、
この
スミノフは、まだわたしを探してくれているのだろうか。
あのあと何度か、
そんなことが何度か繰り返されるうち、やがてくじらは遠く見えなくなって、
わたしは、真っ暗な宇宙の中で、ひとりぼっちだった。
いや、正確には、わたしはひとりではない。まるでわたしをどこかへ導くかのように、サファイアの瞳の少女がブロンドの髪をたなびかせて、わたしの前方の宇宙空間をひらひらと飛んでいた。宇宙服なんかなく、着ているのは薄水色のワンピース一枚。
こいつは、人間ではない。
深淵から来た怪物だ。
くじらから出たことで、〈ウェブ〉へのアクセスは復活していた。しかし、この少女のことは、どうしてもスキャンできなかった。ここは辺境だし、くじらからも離れたから、〈ウェブ〉が薄すぎるのかもしれない。でも、それだけではない気がした。本当はそこには何もいないから、当然〈ウェブ〉にも認識されない。そんな気さえした。
やはり、すべてが、わたしの幻覚なのかもしれなかった。
あるいは、こいつは本当に実在しているのかもしれない。〈
すると少女がふいに振り返り、そのサファイアのような眼でわたしを見て、にっと笑った。
気味が悪い。
そうだ、わたしは、こいつに、殺される。こいつは、わたしをどこか、この世のものではない場所に連れ込もうとしている。
ピサロの方が、まだマシに思えた。あいつならまだ、交渉はできるだろう。見つかっても、すぐには殺されないはずだ。単にわたしを殺したいのではないからこそ、ドロイドをハックしたり、回りくどい手を使っていたのだろうから。
でも、このままでは、わたしは少女に取り込まれてしまうだろう。その先にあるのは、死。あるいは、死よりも恐ろしい何か――深淵。
怖い。
そう、怖い。
わたしは、怖い。
スミノフ。――助けて。
わたしは、意を決して、
これは
〈コンパニオン〉たちが味方なのかは、分からない。だからいずれにせよ、リスクはある。しかし、もし味方でなければ、撃ち殺してやればいい。あの完璧な肉体を、吹き飛ばしてやればいい――マーカスの、
そのうち、前方を飛んでいる少女の身体がぼんやりと青く光り始め、その光はやがて全身を包んでいった。そして、その青い光の球の中で、少女の実体が急速に失われているように見えた。
その青は、少女の瞳と同じくらい、気味の悪い色に思えた。
不吉な光の球に導かれながら、わたしは空虚な宇宙空間を飛び続けた。遠くで頼りなく輝く太陽を背にして、まるで太陽系の果てへと一直線に向かっているように。そのあいだ、周囲の宇宙空間は異様なほど静まり返っていた。一隻の宇宙船が通りかかることもなく、一つの宇宙港が見えることもなかった。宇宙の中にわたしひとりが、取り残されたみたいだった。
いつの間にか少女の身体は影も形もなくなっていて、わたしを先導しているのはただ青く光るだけの球体だった。
どれほどの時間、飛び続けたのだろう。やがて前方に、巨大な構造物のようなものが見え始めた。
なんだ、これは?
それは、わたしが見たこともないくらい大きな、人工物のようだった。暗闇の中でぼんやりとしていて、はっきりとは分からない。とてつもなく細長い、四角い柱のようなものが横倒しになり、ずっと向こうまで続いているように見えた。
あまりの巨大さに、しばらく距離感を失っていた。しかしやがて、その構造物の輪郭が暗闇の中でかすかに浮かび上がりはじめた。
柱のように見えたものは、実際は二枚の細長い板を縦に並べたような形で、板の間にはずっと奥まで続いている暗い間隙があった。青い光は、わたしをその間隙へと
ふいに、球体がひときわ大きな光を放った。
視界が輝く青で満たされ、構造物の姿がはっきりと見えた。
それは、果てしなく続く、巨像の列だった。
人の形を模した、巨大な彫像。山のように巨大なものも、人間くらいの大きさのものもあった。それらは雑然と配置されて二列に並び、その狭間の空間は、長い長い通路のようになっていた。
わたしは、少女だった光の球に導かれて、その暗い通路へと入りこんだ。そして巨像の列の間をゆっくりと進んでいった。
左右にそそり立つこの巨像たちは、視界の果てまで途切れることなく立ち並び、どこまで続いているのか見当もつかない。前方から巨像たちが現れ、近づいてきたかと思うと、後方へと過ぎ去って行く。その像の形は様々で、立っているものも、座っているものも、横になっているものもあった。
とくに大きな像は、身長が千メートルもあるようにさえ見えた。あまりの大きさに、頭も足もよく見えなかった。その巨像が差し出した掌の上に、小さな像が乗っていることもあった。よく見ると、その小さな像が差し出した掌の上に、また小さな像が乗っていた。その一番小さな像ですら、人間よりも大きかった。別の大きな像の瞳の中には、小さな像が彫り込まれていた。その小さな像の瞳の中にも、もっと小さな像が彫り込まれていた。その瞳の中にまた小さな像があって、それは無限に続いているのではないかと思われた。
光の球に照らし出された巨像たちはそうして入れ子になり、乱れ、現れながら消え、消えながら現れていった。
いったい、どれだけの数の像があるというのだろう。何千か、何万か。ひょっとしたら、何億かもしれなかった。
とうてい、現実の光景とは思えなかった。
誰が、いつ、何のために、こんなものを作ったのか。
ふいにわたしは、その巨像たちの姿に見覚えがあることに気が付いた。特徴ある目と鼻と、耳。奇妙なポーズ。写実的な人間の形ではない。何か古い文化の、象徴的な意味合いをもつ像のようだ。
わたしはこれを、写真で見たことがある。おそらく、地球の古い宗教――たしか、仏教、という宗教に由来する像だ。そうだ、これは、仏像と呼ばれるものなのだ。
無限に思えるほどの数の、大小様々な仏像が、密集し、果てしなく二列に並んでいる。まるで、太陽系のずっと向こうまで続いているように。
――おかしい。
わたしはふいに我に返った。太陽系の中に、しかもくじらがあった宙域からそれほど遠くない場所に、こんな巨大で奇妙な構造物があれば、とっくに誰もが知っているはずだ。それに、こんなものを作れる財力や技術のある宗教など存在するはずがない。そもそもこれは、人類の能力を超えた構造物ではないか。
やはり、すべては、わたしの幻覚なのだ。
あのときクマが言ったことが正しかった。わたしは、気が狂ってしまったのだ。
「これは、すべて、実在しているの。少なくとも、お姉ちゃんと同じくらいはね」
ふいに、どこからか、またあの声が聞こえた。宇宙を切り裂いてしまうような、よそよそしく、冷たい声。
まるで、わたしの心を読まれたかのようだった。
これは、あの少女が発した声なのだろうか? 光の球は相変わらずわたしを先導して飛び続けている。
「ここには、世界の終わりが閉じ込められているの」
声は続けた。
「世界の終わり?」
わたしは、独り言のように言った。しかしそれはちゃんと、相手に届いたようだった。どうやって伝わったのかは、分からない。
「見たい?」
「だから、何を」
わたしは、その声と会話を始めてしまった自分に、少しいらだっていた。こんな声を相手にすべきではない。これは、わたしの心が生んだ声なのだ。わたしは、気が狂ってしまったのだ。
「世界の終わりよ。たくさんの、世界の終わり」
再び声が響く。
「そう」
わたしは、とりあえずそう答えた。
「見てほしいの。お姉ちゃんの世界が、終わってしまう前に」
また声がした。わたしはもう、何も答えなかった。
巨像の大伽藍の果ては、まだ見えない。
声はそれっきり、しなくなった。
わたしは巨像たちの列に挟まれた暗い間隙を、奥へ奥へと進み続けている。ずっと同じような光景が続いている。巨像たちが、わたしを導く光に照らされては浮かび上がり、そして後方に消えていく。
わたしはどうにも眠くなってきて、飛びながら、少しうつら、うつらし始める。
そして、やがて、深い眠りに落ちていった。
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