第4話 お礼
「これどうしよう」
私は寮の自室で途方に暮れていた。
目の前にはエレナ先生から借りたカーディガンがある。この間、雨に降られた時に先生が貸してくれたもの。
私はそれを着たまま車を降りてしまって、しまったと思った時にはもう先生の車は遠くに去っていた。
「やっぱり洗って返すべきだよね」
ランドリールームに持っていこうとして、これだけ洗うのは無理なんじゃないかと気づく。だけど私の服と洗うのは失礼だし。
「クリーニングに出そう」
今日はもう遅いから明日学校から帰って、近くのクリーニング店に持ち込もう。プロにやってもらえば、少なくとも私が洗濯してアイロンかけるよりは綺麗になるし。
エレナ先生の授業は週に一回、毎週金曜日だから、その日に渡せるようにしよう。
あとただ返すだけじゃなくて何かお礼も必要かも。
「何がいいかな」
先生はパンケーキが好きってことは甘いものなら喜んでもらえるかも。けどチョコーレートやキャンディは今の暑い時期だと溶けてしまう。
「クッキー、マカロン、マシュマロ⋯⋯」
先生は何が好きなんだろう。渡した時に先生が嬉しいって思ってもらえるようなものがいい。
私の中に『ありがとう、
「私、なんか変かも」
こんなことを考えてないで、後で近くにいいお店がないか調べておかないと。
私はカーディガンをハンガーにかけて、クローゼットの中に吊るした。扉を閉めようとしたのに、後ろ髪を引かれるみたいに、私はカーディガンの裾をつまんだ。何だか離れがたいそんな気持ち。自分でもどうしてなのか分からない。
私は吊るしたばかりのカーディガンをもう一度手にして、そっと抱きしめた。
こんなことをしてしまう自分が理解できないけど、理屈じゃない。体が勝手に動いてる。
(だめだめ、皺になるから)
私はカーディガンをクローゼットに戻して、勢いよく扉を閉めた。
金曜日。
私はカーディガンとお店でプレゼント用にラッピングしてもらったクッキーを紙袋に入れて登校した。二つともロッカーにしまって、後は三時間目の英語の授業を待つばかり。
上手く渡せるかそればかり考えてしまう。何回も脳内でエレナ先生に渡す練習をするけど、ちゃんとできるかな。
少しだけ不安もあるけど、優しくしてくれた先生にちゃんとお礼がしたいから、緊張するけど頑張って渡そう。
一時間目の数学をうわの空のまま過ごして計算をミスしたり、ニ時間目の国語の授業では存在しない漢字を生成したりしつつも、何とか三時間目が訪れた。
英語の
(やっぱりすごくかっこいいな)
自然と視線がエレナ先生に釘付けになるし、夏に咲く向日葵みたいに明るい空気を纏っている。
じっと見ていたらエレナ先生に気づかれたみたいで目が合うと、ウィンクされた。
照れくさくてもう直視できない。恥ずかしい。でも羽でも生えたみたいにふわふわ夢心地。エレナ先生って不思議な魔力のような魅力があるのかも。
授業が始まる。エレナ先生が流暢なネイティブの英語で話した。
「 Hello, everybody!
The theme of today's speech is
"What do you want to do during the summer holidays?".
Tell us how you want to spend your summer holidays! 」
私はいつも上手く聞き取れなくて内容が掴めなかったけど、多分夏休みの話かな。
「今カワシマ先生からお話があったように、今日は夏休みにしたいことについて話してもらいます」
望月先生が訳してくれるので、今日のスピーチのお題が分かった。
(夏休みにしたいこと⋯)
考えても浮かばない。きっとクラスのみんなは友だちと遊びに行ったり、家族と旅行に出かけたりするんだろうな。
私はといえば友だちなんていないし、家族はみんな離れて暮らしている。寮でゴロゴロして、課題を片付けて、そんだけ。
我ながらなんて味気ない夏休みなんだろう。
まさかスピーチでそんなことを話すわけにはいかないし、何か考えないと。
私は何とか英語で夏休みにしたいことをノートに書き込んだ。
それから席順に一人一人英語で夏休みに何をしたいか答える。だいたいみんな似たような内容で、それなりに夏休みの楽しい予定があるのだと分かる。
そしていよいよ私の番になる。
「Hey Kana, what do you want to do during your summer holidays?(夏奈、君は夏休みに何をしたい?)」
エレナ先生が青い瞳を輝かせて私を見ている。
「えっと⋯⋯、I want to go to the sea. I want to see the sea!(私は海に行きたいです。海が見たいです!)」
「That's very nice! I love the sea too!
(それはすごくいいね!私も海が好きだよ!)」
エレナ先生がにかっと白い歯を見せて笑ってくれるから、何だかこそばゆい。けどきっと変な回答にはなってなかったみたいだから、ほっとする。
番が終わり、私は力が抜けたように席についた。
エレナ先生は好きだけど、英語で話すのは難しくて緊張する。もっと堂々と話せたら、先生との距離も縮まるのかな。
なんでそんなことまた考えちゃうんだろう。
授業が終わり、私は急いでロッカーから紙袋を取り出して、教室を出たエレナ先生を追いかけた。
廊下には他の生徒もいるので、どのタイミングで渡していいか分からずにいるうちに、先生は階段を降りていく。
「エレナ先生っ!」
人がいないのを確認して名前を呼ぶと、先生が踊り場で止まって、私のいる方を見上げる。
「夏奈、どうした?」
「先生に渡したいものがあって」
私は先生のところまで駆けて下りた。勢いがつきすぎて、うっかり先生にぶつかる。
「落ち着いて、夏奈」
「すみません。えっと、あの、この間借りたままのカーディガンを返そうと思って」
「ああ、あの時の。すっかり忘れてた」
私は紙袋を差し出す。
「ちゃんとクリーニングに出したので! あと一緒に入ってるのはお礼のお菓子です。先生の口に合わないかもしれないけど⋯」
「わざわざそこまでしなくてもよかったのに。夏奈は律儀だね。ありがとう」
先生が和やかに微笑んで受け取ってくれた。それで私もすごく安堵して、胸をなでおろす。
「風邪引いたりしなかったか?」
「はい、大丈夫です」
「うん、それならよかった。けっこう雨に濡れてたからね。心配だったんだよ」
先生がそっと私の頭を撫でる。先生に撫でられるの、二回目かも。
その感触にうっとりしてると、上から足音がして、何となく私たちは距離を取った。
「夏奈、ありがとうね」
「いえ、私もあの時は送ってくださってありがとうございました!」
「どういたしまして」
私は去っていく先生の姿が見えなくなっても、しばらくそこに佇んでいた。
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