夏の光をつかまえて
砂鳥はと子
第1話 苺色
あれは今から四ヶ月前、まだ私が中等部一年生の時だ。ようやく冬が明けて暖かくなり始めた頃。私はパパとママに呼ばれてリビングに顔を出した。
向かいのソファに座る二人は神妙な顔をしていて、いつもはついたままのテレビも消えていた。
「何かあった?」
私はいつもの調子で声をかける。
テーブルに置かれた個包装の小さなチョコレートをつまみながら、二人の顔を交互に伺う。
「お兄ちゃんかお姉ちゃんが結婚でもするとか?」
「残念ながら、そういうおめでたい話じゃないのよね」
ママは少し困った顔をしながらお茶をすする。
「もう何なの二人とも。変だよ」
「隠すようなことでもないし、話すよ」
パパが咳払いをして居住まいを正したので、私もチョコレートに伸ばした手を止めた。
「実はな、パパ転勤することになったんだ」
「転勤!?」
思っていたより暗くはないけど、予想外の言葉が飛び出し、私の声は裏返った。
「そうなんだ。四月から福岡の方に行くことになってね」
私たちが住む東海地方からはかなり遠い場所だ。
「そっか。でも仕事なら仕方ないね。ずっと福岡で暮らすわけじゃないんでしょ?」
「うん。三年ほどでこっちには帰って来るよ」
「パパ一人で行くの? 単身赴任ってやつ?」
聞くと二人は顔を見合わせる。
「実はねママも付いて行こうと思って。ほら、パパ仕事はできるけどそれ以外はさっぱりでしょ」
うちのパパは仕事ではすごく有能で、会社からの評価も高いらしい。だけど、料理はあんま上手くないし、洗濯も下手くそだし、掃除も苦手だし、ママと結婚するまでどうやって生活してたのか、甚だ謎だった。
「それはそうだけど、私も行くってことだよね。福岡に」
「それなんだけど
ママはため息をつくけれど、正直学校に友だちなんていないし、私は転校したって構わないと思っている。だけど、友だちがいないなんて知ったら二人は悲しむから言えない。
「ほら、星花には学生寮があるじゃない。誰でも入寮できるみたいだし、私たちが転勤でいない間は夏奈に寮に入ってもらえば、ママもパパも安心だし」
「⋯⋯そうだね」
確かに私が通う星花女子学園には寮がある。どの生徒でも入寮できる
私は特別に成績がいいわけでもないし、何か才能があるわけでもないから、入寮するとしても桜花寮になる。
この二つの寮には大きな違いがあって、桜花寮は二人部屋、菊花寮は一人部屋になっていることだ。
(二人部屋か⋯。ルームメイトと仲良くなれるかな)
新しい世界、新しい生活をイメージする。上手くいくのか、いかないのか今の私には想像もつかない。
「夏奈、どう? 寮生活できそう?」
「⋯⋯私、もう中学生だよ。それくらいできるって」
本当は『私も連れて行ってほしい』なんて、何だか言えなかった。
「そうね、夏奈ももう小さい子供じゃないものね。よかった。これでお友だちと離れ離れになったりしないし、安心ね」
ママのほっとした笑顔を見たら、一緒に行くという選択肢を選ぶのははばかられた。
そうして私は、二年生から寮生になることが決まった。
クラスでまともに友だちもできなかったのに、ルームメイトと上手くいくか、私は不安だった。
それでも、もしかしたら寝食共にするような相手なら、一番の友だちになれたりするのかもしれない。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ期待した。
時間はあっという間に過ぎて、寮生になるための手続きも終わって、とうとう入寮日になった。
寮自体は学園の敷地内にあり、校舎の裏手に桜花寮、菊花寮それぞれ分かれて寮が建っている。更に中等部生用と高等部生用に建物は分かれ、計四棟六階建ての立派な寮を私は見上げる。
今日からここが私の住まいだ。
実家の方は人に貸し出してしまったので、パパとママがこちらに帰って来るまでは戻れない。
私は寮母さんに案内されて、三階の一室に案内された。
「今日からここが瓜田さんのお部屋になります」
中は特別広くはないけれど、掃除や手入れがよく行き届いていて、想像よりきれいだった。
だけど人が暮らしている気配がない。私の荷物は部屋の左側に積まれている。左側が私のスペースなのだろう。でも右側のスペースは片付いている、というより何も物がない。
「あの、ルームメイトはどんな人なんですか?」
「ごめんなさい、伝えるのを忘れていました。寮生の人数の関係でこの部屋は
「そうですか⋯⋯」
どうやら私は一人らしい。
寮母さんが去って、私はベッドに腰掛けた。
本当に今日から私は一人になってしまった。
パパとママは今頃福岡の空の下にいる。十二歳年上のお兄ちゃんは北海道にいるし、十歳年上のお姉ちゃんは広島。
家族みんな散り散りだ。
「まぁ羽を伸ばせると思えばいいか」
呟いても当然、一人だから何の反応もない。
私は荷物を片付けるために、ダンボール箱を開いた。一時間ほどで、取り敢えず生活していくのに不便がないよう整えられた。
生活空間が完成したところで、学園に来る途中で買って来た菓子パンの袋を開く。隣りの部屋から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。どうも壁はあまり厚くないらしい。時折、物音もする。
私はスマホのアプリでテレビ番組を見ることにした。この音も隣りに聞こえてしまうかもしれないので、イヤホンをつける。
バラエティ番組がやっていて、ガーリーカジュアル系の人気モデルが映し出される。目が冴えるような真っ赤な髪をしていた。
『その赤い髪すごいね。ロッカーにイメチェン?』
司会者がモデルに話を振った。
『違いますよ〜。これは苺色です。可愛くないですか? 友だちにも可愛いねって、よく褒められるんですよ〜』
目がくりっとして愛くるしい小動物みたいなモデルが「苺色」というと、なるほど赤い髪も何だか可愛く見えてくる。
「苺色かぁ⋯⋯」
私は適当に伸ばしていた自分の黒い髪をつまみ上げる。
(私も苺色にしたら友だち増えたりするのかな。誰かにいいねって言われたりするのかな)
突然、私も髪を染めたくなった。どうせなら伸ばしっぱなしの髪も切ってさっぱりしたい。
星花は髪を染めてはいけないという校則はない。
校内でも染めている人をたびたび見かける。
(新学期が始まる前に!)
一度こうと決めると、もう体がうずうずそわそわして、居ても立ってもいられない。善は急げだ。
私は菓子パンを食べて、出かける支度をする。
まだお昼を過ぎたばかりだ。今から美容院に駆込めば、門限前までに余裕で帰って来られる。
(私も苺色の髪にする)
パーカーを引っ掛けて、かばんを掴むと私は走って寮を出た。
新学期。新しいクラスメイトに、新しい教室。そして苺色の髪。長かった髪も肩の上まで切って、見た目もこざっぱりしたような気がする。
去年は友だちもいなくて、味気ない学園生活だったけれど、今年は違う。
そう思っていた。
思っていたのに、何だかクラスメイトから避けられるし、あんまり仲良くできそうな子もいなくて、私は去年と代わり映えしない日々を送っていた。
(こんなはずじゃなかったのに)
廊下の窓にうっすらと映る赤い髪の私。
お昼休みは逃げるように図書室にこもっていた。
だって教室にいても、クラスメイトたちは私と目も合わせてくれない。
居場所のなくなった私が唯一安心できるのが図書室だった。
広くて静かで、たくさんの本があって。
取り敢えずここにいれば落ち着くし、余計なことを考えないで済む。
私は適当に本棚と本棚の合間を歩きながら、面白そうな本を探す。
「誰にでも分かるいちごの育て方」という本に自然と手が伸びた。
取り出して見ると、表紙には赤く熟れた可愛い苺の写真が載っていた。
(やっぱり苺って可愛いと思うんだけどな。苺色の髪だっていけてると思うのに)
この先、学園生活が楽しくなるのかは分からない。また去年と同じ寂しい一年にならないようするにはどうすればいいのか。
私はため息をつきながら、本を持って読む場所を探した。
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