第35話 夏の再会 その1
真昼の庭に、大きな声が響いた。
「おーっし、全員乗ったか?」
運転席に乗り込んだ親父が、後ろの席に声を掛ける。
俺は紡希と一緒に、後部座席に乗っていた。
後部座席といっても、この車はバンだから、隣同士で座っているわけではない。俺が中列で、紡希が最後列だ。
バンが親父の愛車だった。
親父の財力を考えれば、高級車だって買えるのだろうけれど、若手時代に海外を転戦していた時に現地の先輩レスラーに乗せてもらったバンを気に入って、同じ車種を探し出して乗り続けているそうな。まあ、親父は体がデカいから乗れる車も限られているのだろう。
俺たちはこの日、彩夏さんの墓参りをするために、紡希が以前住んでいた町へ行く予定だった。
「親父、ちょっと待ってくれ。結愛に用事あるから」
俺は車の窓を開ける。俺たちを見送ろうとしていた結愛が、そばに立っていた。
結愛もこの日、一旦実家へ戻る予定だったのだが、出発の時間は俺たちよりも少し後だったので、戸締まりを頼んでいた。ちょうど合鍵を持っていることだしな。
「どうしたの慎治? 寂しくなっちゃった?」
窓を開けた途端、やたらと嬉しそうにニヤニヤする結愛の顔と遭遇する。
「おーおー、マジか慎治! お別れのチューくらいしたっていいんだぜ?」
「いやそういうのいいから……」
茶化してくるデカいおっさんに一瞥をくれてやり、俺は結愛に向き直る。
「……本当に、大丈夫か?」
開けた車窓に身を乗り出す俺は、結愛にだけ聞こえるように言った。
結愛なりに覚悟があるのだろうが……俺の印象では、高良井家のイメージは、底冷えしそうな魔窟なので、どうしても心配になってしまう。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがと」
すぐそばまで寄ってくる結愛が、俺が渡した写真をひらひらさせる。
「悪魔祓いのお守りもあることだし?」
「効力のほどはそんな期待しないでくれよ」
俺の写真程度でどうこうなるものなのだろうか? という不安があるんだよな。必要としてくれているのはありがたいのだが。
「慎治ってば、相変わらず後ろ向きだよね」
むー、と頬を膨らませて結愛が視線を外すことなくこちらを見つめる。
「じゃ、もっとご利益があるように、追加でおねだりしちゃおっかなー」
スマホで写真でも撮るのかな、と、写真繋がりで『おねだり』とやらの内容を頭に浮かべていた。
こっちこっち、と指をちょいちょいした結愛に従い、上手くフレームに収まるように身を乗り出そうとしたその時。
頬に、柔らかく心地よい感触を得た。
遅れてやってきた甘い匂いのせいで、俺は、結愛から頬にキスされたのだとわかった。
「結愛さぁ……」
なんで結愛ってこう不意打ちばかりなんだろうな、と思うよりも先だった。
「オーサム!」
「うるせぇよ、親父……」
究極の野次馬こと親父が、無意味にクラクションを鳴らしやがる。
「いいじゃねぇか、いいもん見せてもらったぜ」
「よかないよ。親父が煽るからだぞ。結愛はこういうの本気でやるんだからな」
恥ずかしいなんてものじゃない。一般的な親子より距離が近かろうが、親は親なので、思春期真っ只中の身としては恥ずかしさで体が炎上しそうな気分だ。
親父は、『GL』の合間を縫って、彩夏さんの墓参りに行くことになったわけだが、開幕戦で前回王者の飯本選手を破ったことを皮切りに現在3連勝中でトップに立っていることから、やたらと上機嫌だった。
「結愛も、所構わずそういうのするのやめろよな……」
「なんで? いいじゃん、『彼女』なんだし。ちょっとでも別れるの寂しくなっちゃったからキスしたくなる私の気持ちわからないかなー」
唇に指先を当て、結愛にニヤニヤが止まらない。
「いいなー。シンにぃは結愛さんとちゅーできるんだもん」
いつの間にか背後にいた紡希が、俺の背中に寄りかかってきて、亀の親子みたいになっていた。
「じゃあ紡希もしたらいい……」
投げやりな気持ちになって俺は言うのだが、紡希の興味は別にあるようで。
「結愛さん! 約束通り、帰ってきたら結愛さんの家に泊めてね!」
紡希は、ふんふん鼻息を荒くしながら、結愛に向かってブンブンと手を振る。
「なんだ、その約束は?」
「2人で決めたんだよ」
結愛が答える。
「ねー、紡希ちゃん。帰ってきたら、私のマンションに来てくれるって約束したもんね」
「ねー」
「あ、慎治も一緒だから」
「何故?」
いや、紡希の保護者としては、一緒についていくこともやぶさかではないのだが。
「シンにぃ安心して。寝る時はわたし、どこか他の部屋行くから」
「俺からすれば不安にしかならない心遣いだな……」
「まーほら、とにかく私にも帰ってきたらめっちゃ楽しみなことがあるんだからさ、慎治は心配しないで行ってきてよ」
結愛が言った。
「……わかったよ」
俺が過度な心配をしなくても、結愛なりに覚悟は決めているのだ。
これ以上心配するのは、かえって結愛の決心を鈍らせることになってしまいかねない。
「じゃ、行ってくる」
「結愛さん、行ってくるねー」
結愛に向かって、俺は小さく、紡希は大きく手を振る。
「はいはーい、じゃーね! また後でねー」
俺たちに手を振り返しながら、結愛が後退していく。
親父が運転する車は、結愛を残して、名雲家の門を抜けた。
次に結愛と会う時、俺たちを見送ってくれたのと同じくらい元気でいてくれたら、と願わずにはいられなかった。
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