第22話 こうなったのも全部結愛のせい その1

 紡希を映画に連れて行くことになった。


 本当は百花ちゃんと一緒に行きたかったそうなのだが、どうやら百花ちゃんは紡希が好むホラー映画は苦手らしい。


「百花は趣味が偏ってるから」


 出かける前、玄関に立った紡希が言った。


「恋愛モノは恥ずかしいからってダメだし、コメディも興味ないみたいだし。アクションとかファンタジーは筋肉モリモリの人が出てくるヤツだけ好きみたいなんだよね」


 しょうがない子ね、とでも言いたげな顔で、紡希がため息をつく。


「マッチョが出ていればアリなのか?」

「百花のお父さんが、『木曜洋画◯場』大好きだったんだって」

「罪深いな」


 セガール神拳やヴァンダミングアクションの洗礼を受けているのなら、そうなるかもな。


 仲良しの百花ちゃんが行けないので、代打として俺に白羽の矢が立ったわけだが、正直なところ、俺はあまり気が進まなかった。


 だって紡希が観たがっているのは、篠宮恵歌が主演しているホラー映画なのだから。


 映画の番宣をしていた昼の情報番組に食いついていた時点で、こうなることは予想できたのだが……紡希の頼みを断るわけにもいかないからな。


 俺は、篠宮恵歌を良く思ってはいない。


 だが、紡希の前では、そんな態度を絶対に出したくなかった。


 俺の個人的な問題に紡希を巻き込みたくなかったし、それに、あんなヤツでも「母親」だ。彩夏さんという母親を失ってしまった紡希の前で、まだ生きている母親を否定すればどうなるか、わからない俺ではない。


「慎治、平気なの?」


 玄関の戸締まりをしていると、結愛が声をかけてきた。


「何がだ?」


 結愛の心配そうな口ぶりから、何を言いたいのかはわかる。


「あの映画でいいの?」

「大丈夫だ」


 紡希が、玄関から離れた門のあたりで待っているのを確認してから、俺は答えた。


 この日は、結愛のバイトが休みだったので、一緒に行くことになっていた。


「……これでも俺は、ヤツが主演しているドラマや映画は結構観てるから、多少の耐性はできているんだ」

「あれ? 前に、絶対観ないよ、みたいなこと言ってなかった?」

「いや、結愛の言う通りだったんだけど、最近は違うんだよ」


 俺は結愛と目を合わせずに続ける。


「試しにドラマとか映画とか色々観てみたら、案外平気だったんだ」

「へえ。いいことじゃん。楽しめることが1つ増えたね」


 結愛は俺に気を遣いながらも、嬉しそうにしていた。


 親と一悶着ある身なのは結愛も同じなのだが、だからこそ、少しでも関係改善のチャンスがあるのなら、失くしてほしくないのかもしれない。以前俺が、結愛に対してそう願ったのと同じように。


「他人事みたいに言ってるけど、結愛のおかげだからな?」

「えっ? 誰の?」

「なんで急に耳悪くなるんだよ。絶対聞こえてただろ」


 そんな満面の笑みを浮かべておいて……。


「聞こえてないよ~。誰のおかげか、もう1回言って、もう1回」


 ねだってくる結愛は、無事な方の俺の腕を掴んで、ゆらゆら揺すってくる。


 これは、言うまで離してくれないやつだ。……仕方がない。


「結愛のおかげで、変に篠宮恵歌のことを意識しないで済むようになったんだよ。フラットに作品を観られるようになったっていうか、素の篠宮恵歌じゃなくて、作品のキャラとして観れば嫌悪感もないんだ」

「そっかー」


 俺の答えに納得してくれたのか、結愛は満足そうに微笑んだ。


「私に愚痴れるようになったのが、よかったのかな?」


 そうかもしれない、と俺は思った。


 不満や嫌悪感を溜め込むことなく、結愛に不満を吐き出せるようになったからこそ、役者は役者、作品は作品、と割り切れる程度の余裕を持てたのだろう。


 いくら嫌っていようが、俺は篠宮恵歌を意識することから逃れられない。


 昔の記憶すぎて、俺には篠宮恵歌がどんな母親だったのか思い出せないし、親父の前で篠宮恵歌の話をできない以上、ドラマや映画のようなフィクションだけが、篠宮恵歌を知ることができる手がかりだった。


 だから、結愛のおかげで余裕ができたのは、まあいいことなのだろう。


 などと思っていると、結愛が急にこちらを受け止めるみたいに両腕を広げた。


「なんだ?」

「感激のあまり抱きしめちゃいたくなってるかと思って」

「俺にそんな欧米要素はない」

「Shinji……」

「発音それっぽくすればいいってもんじゃないだろ……」

「まあまあ、いいじゃん」


 結愛は、俺の左腕に差し障り無い程度、俺の体にそっと腕を回してきた。


 絶妙な力加減のせいか、照れを理由として振りほどくことすら忘れてしまう。


「前にも言ったけど、私は慎治のお母さんのイメージって慎治ほどは悪くないんだよね」


 俺は言葉を失いそうだったけれど、そういえばそうだった。


 結愛は、『篠宮恵歌が優しくて家族を大事にする役ばかりやるのは、離婚した後悔があるからだ』という荒唐無稽な説を唱えた一人だった。結愛の家で勉強合宿をした時に、そんなことを言っていた。


「慎治と離れたこと気にしちゃってる人だって思ってるし。お母さんのこと知れるヒントが増えたんなら、そのうち慎治が持ってるイメージだって変わっちゃうんじゃない?」

「……変わるはずないだろ」


 断言してみせるのだが、不思議と胸の内に頑なな気持ちはなく、もしもの可能性を受け入れてしまいそうなくらい柔らかくなっていることに戸惑ってしまう。


 いや、これは別に、俺が篠宮恵歌を許しているわけじゃない。結愛に抱きしめられてしまっているからだ。女子に触れられて、きゅんきゅんしちゃっているだけ。俺は女子への免疫が皆無に近いから。


「シンにぃ~、結愛さんとイチャつくのは映画館でもいいでしょ~?」


 門で待つ紡希にバッチリ見られていて、こちらに手を振って、早くせよ、と急かしてくる。


「ああ、今行く」


 俺は、右腕にくっついたままの結愛と一緒に、紡希の元へと向かった。

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