第44話 『彼女』と夜を迎えたら
結果的に、この勉強合宿は、有意義なものになった。
俺はもちろん、結愛も試験を前に手応えを感じられたと思う。
夕食は手軽に済ませられるように、2人で分担してカレーを作り、食事のあとにまた少しだけ勉強して、無理をすることなく0時には寝ることにした。
だが、俺にとってはこの瞬間が今回の合宿で一番の懸念事項なのだ。
もう入浴している時点で気が気じゃなかったからな。日頃結愛が使っているバスルームに全裸でいる事情もあって、自分がどこを洗っているのかわからなくなるくらい緊張させられた。
「慎治~、はやくはやく」
ノリノリで俺に声を掛ける結愛は、ベッドの上でタイの仏像みたいな体勢で待ち構えていた。
Tシャツにスウェット生地のショートパンツという、以前ホラー映画合宿をした時と似たような格好を寝間着にしている結愛だが、違うのは、今回のTシャツはオーバーサイズ気味なことだ。サイズが合っていない感がある。
それもそのはずで、これは俺の私物だ。しかも、体育の際に使う校名と名前入りの白Tシャツである。
合宿を行う前に、『彼シャツみたいなのやってみたいんだよね~』と結愛が要望を出してきたのだ。普段の俺なら、恥ずかしいから、という理由を隠して断固として拒否していたところだが、結愛の機嫌を損ねれば勉強のモチベーション低下に繋がりそうだったので、黙って従ってしまった。
細身な俺が着ているTシャツだろうと、結愛が着ると少々持て余し気味になった。流石に女子と男子では骨格が違うからな。結愛も、一部以外は細身な方だから、余計にだ。
結愛に合わせたわけではないが、俺も体育の授業と同じ格好をしていた。Tシャツは違うが、ジャージのズボンにはしっかり俺の名前が刺繍されている。もちろん体育の授業で使ってから洗濯済みのものである。後日このまま学校へ持っていってロッカーに入れておけば、寝間着の分だけ荷物を減らせると思って選んだ。
「俺のTシャツを使うにしても、なんで、わざわざ体育用のやつにしたんだ?」
結愛のベッドを前にして、俺は訊ねる。
「慎治は、今日着たこれとそのジャージを、最低でも1回は体育で使うわけでしょ?」
俺は頷いた。モノや季節にもよるが、体育用のジャージを寝間着に1回使った程度で洗濯する気はなかった。
「私の匂いをさせた慎治が、みんながいる前で授業受けるんだよ? 想像したらめっちゃドキドキしない?」
シャツの首元を顎の下まで手繰り寄せながら、いいいたずらを思いついた、みたいな顔をした結愛が言う。
「マーキングみたいなこと考えるんだな……」
結愛はたまに性癖を小出しにしてくることがある。おかげで、女子に性欲なんてあるわけないでしょうが派の俺も宗旨変えせざるを得なくなってしまった。俺の純情を返して。
「だって、教室じゃしゃべってくれないし、瑠海とはどこでも仲良くしちゃうんだから、こうやって独占欲出しちゃってもしょうがないじゃん。『彼女』なんだし」
まあ、変態性からではなく、寂しさから来るのであれば、俺は何も言えない。
などと思っているうちに、結愛がベッドの端に体をずらす。はよ入ってこい、というサインか。
葛藤すればするほど睡眠時間が減り、試験本番で困ったことになるのは俺の方なので、意を決してベッドに潜り込む。
隣に立ったり座ったりすることはもう何度もあるのだが、横になった時の緊張感は未だに慣れない。結愛本人が隣にいるのに加えて、結愛が普段から使っているベッドと考えるから余計にそう思う。
1人で眠るには広すぎるくらいのベッドだったから、密着することは避けられた。嫌なわけではなく、そんなことになったら絶対眠れないだろうからな。
「このベッド、なんかデカっ、って思ったでしょ?」
こちらの顔を覗き込むように、横になって肘を立てながら、結愛が言った。
「お父さんが私に何も言わないで、このデカいの買ってきちゃったんだよね。1人で使うってわかってんのかなって思った。そういう変な見栄張っちゃう人なの」
結愛には悪いが、結愛の父親のおかげで、ある意味俺は助かっているということか。
「まあ、これで彼氏と一緒にイチャつきまくりなさい、って意味でこっち選んだなら、うちのお父さんにもちょっとは褒めるところもあるんだけどね」
「言い方よ」
不仲な父親のことを口にしてヒートアップしたのか、結愛は半ばヤケになったみたいな調子で言った。
「…………」
「なんだ、無言になって……」
急に黙るなよな。あと、俺をじっと見るな。俺は美人に見つめられると視線をどこへ向けていいやらわからなくなっちゃうんだからな。
「ねぇ、慎治」
ぽつりと結愛が言う。
「むらむらしてきたんだけど」
「真顔で言うことじゃないよな」
「なにもしないからさ、ちょっとだけ指でつつかせて」
「するな。抑えろ」
なにもしない、という割には触る気満々だし、結愛の手が向かう先が頬や腕みたいな穏やかな場所じゃない位置に伸びているように見えるのは俺の目の錯覚か?
あと、普通こういうのって男女逆じゃない? なんで俺が襲われる側なんだよ。
「ふーん、慎治って欲がないんだね。雰囲気に流されちゃおうとか考えないの? いい口実じゃん」
「俺は真面目で堅物なんだよ。なんなら決意表明としてこの場で手の甲にバッテン印を書いたっていいんだが?」
俺は両手を拳にして、胸の前で腕をクロスさせた。
「今日俺は、勉強をしに来たんだ。それ以外のことに同意してここにいるわけじゃない」
強気に言う俺だが、もちろん俺はこれから結愛が強行的な行動に出るのではないかとドキドキして待っていたわけ。
「慎治のそういうとこ好き」
うってかわって甘い顔をし始めた結愛は、俺と密着する位置にボフンと体を投げ出して横になった。明るい栗色の髪がふんわりと流れて、仰向けになっていた俺の胸の上に掛かった。脳が溶けそうな香りが遅れてやってくる。
寝転んできた位置的に結愛の唇が頬に当たりかねない気がする。
すると結愛が、すんすん鼻を鳴らし始めたと思ったら、ぐ~っ、と腹の底から魔物が叫ぶ音がした。
「ごめん、カレーの匂いがしたから……」
バツが悪そうに、結愛が言う。
「キッチンに放置しておくからだろ」
俺もさっきから気になってはいたのだ。
立派なマンションとはいえ、ほぼ一部屋で完結しているから、扉を開けっ放しにしていると、キッチンと地続きになっている隣室のこの場所までいい匂いが漂ってくるのである。俺から匂いがするわけじゃない。ちゃんと風呂に入ったし、頭にカレー皿を乗せてタッグ王座を獲ったこともないからな。
「お腹鳴らしちゃったら、雰囲気台無しだね」
照れくさそうに笑う結愛が、ごろんと仰向けになる。
「朝になったら、2人ともカレーくさくなってそう」
「朝食用に余分につくっておいたのは失敗だったかもな」
朝の食事を手早く済ませ、辛さによる刺激で頭と体を目覚めさせて万全の状態で試験に挑もうと考えてのことだったのだが。
まったく関わりのない存在として扱われている男子と女子が、仲良くカレーの匂いをさせながら登校してきたら、何も知らないクラスメートたちはどう思うだろう?
俺の命に関わりかねないので隠しておかないといけない重大な秘密だけれど、「高良井さんと、あのほら……あいつ、なんでカレーの匂い漂わせてるんだ?」などと混乱するクラスメートを想像すると恐れるより笑えてしまった。
まあ、桜咲あたりは勘付きそうだけど。なにせ結愛と同じシャンプーだったことを見破った女だ。
「起きたら一緒にシャワー浴びようね」
「そうだなー」
「お、流された」
「眠くて意識朦朧としてたから聞き流しただけだよ。おやすみ」
もともと夜ふかしをするタイプではない俺は、0時を過ぎれば眠くなるようにできているらしい。全身から力が抜けてきた。
安心して眠りにつくべく、俺は結愛の左腕を抱えるように掴まえる。
「慎治、めっちゃやる気じゃん~」
「……睡眠中に結愛の腕を自由にさせた時の恐ろしさを知ってるからだよ」
寝相の悪い結愛は、近くにいる者に逆水平チョップを放ってくることを、俺は知っていった。酔拳ならぬ睡眠拳の使い手な可能性すらある。そんな拳法存在するのか知らんけど。
「じゃあ、寝てる間はちゃんとつかまえててよ」
すぐ隣の結愛の声すら遠くに聞こえるくらい、眠気が強くなってきた。
「慎治から来てくれた時の方が、私もうれしいし」
なんか結愛が言ってるなぁ、くらいしか脳が働かなくなった俺は、まもなく眠りの世界へと入っていくのだった。
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