第35話 真名と新たなる賑わい その2
「――
誰かを呼ぶような声が、門の向こうから飛んでくる。
まるでスポットライトが当たったみたいに、外灯に照らされた人影あった。
ピンク色の髪をした、見覚えのあるツインテールがそこにいて、びっくりした顔でこちらを見ている。
俺は何の驚きもないけどな。
やっぱりあいつか、って思っただけで。
「お姉ちゃん!」
喜びの色がふんだんに含まれた声を上げたのは、百花ちゃんだった。
なるほど、百花じゃなくて、萌花なのか。
「百花の本名は、桜咲萌花っていうのよ」
紡希が解答を教えてくれた。
「ていうか、名雲くんがなんでここにいるの?」
百花ちゃんが絵描きになった事情を聞いて想像した通り、百花ちゃんを迎えに来たのは、制服姿の桜咲瑠海だった。
今日は結愛と一緒に勉強会をしていたらしいから、その帰りで来たのだろう。
「俺の家だからだよ」
怪訝そうな顔で寄ってきた桜咲に、俺は言った。
「ふーん、そうなの。どうりでなんか聞いたことある名前の家だと思ったら」
「名字で俺の家だって気付かなかったのか?」
「だって、すごい方の名雲に、しょっぱい方の名雲くんっていう2人も『名雲』がいるんだもん。これなら別人の3人目もいたっておかしくないって思うでしょ」
「疑う余地なく正しい論理展開だ」
あえて俺は強く言い切ることにした。
桜咲がこの調子なら、俺が密かに危惧していた、『名雲家』という情報から俺が名雲弘樹の息子と推測されてしまう危険を避けられそうだからな。
「な、なんなの名雲くんのくせに。褒めたって別に何もしてあげないんだから」
別に褒めたつもりはないのだが。桜咲は、腕を組んでぷいっと顔をそらしてしまう。
「てか名雲くん家、でかっ! 1軒って言うには大きすぎるし、2軒っていったら辻褄が合わなくなるレベルじゃん!」
顔をそらした先にある俺の家を凝視する桜咲が言った。
「金の雨を降らせるために悪いことをしてるニオイがぷんぷんするぜ……!」
好き勝手言ってくれているが、否定はできなかった。親父は悪役として名を馳せた時期も長いからな。
「瑠海~、なんか急に名雲くんがカッコよく見えてきちゃった~」
「金のニオイに弱すぎだろ……」
あと猫なで声やめろ。女子が苦手で有名な名雲くんが困ってる。
女子中学生組も、「2人は知り合いなの?」とばかりに首を傾げていた。
「桜咲さんは俺のクラスメートなんだ。ちょっとだけ話すことがあるから、2人はあっちの方でもう少しだけお話しててくれない?」
桜咲は調子に乗ると、こちらの状況がマズくなりそうなことをぶっこんでくるからな。
俺は中学生組から引き離すように桜咲を玄関近くまで連れてくる。
「ここは俺じゃなくて親が建てた家だから。これを俺のステータスと思うなよな」
恥ずかしいことに、ほんの少しだけ、持ち家の存在が桜咲の査定に影響することを期待してしまっていた。
「真面目か」
見通しが甘いんだよ、とでも言いたげな顔で、桜咲から冷静にツッコまれてしまう。
「瑠海はお金目当てで男選びしないし。どっちかというと、体目当てかなぁ」
「180センチ超えで100キロ超えのヘビー級の男がいいのか?」
「ていうか、ぶっちゃけプロレスラーと付き合いてぇです……へへへ」
笑顔がゲスになる桜咲。こりゃいやらしいこと考えてんなぁ。
「難しいところに行こうとするな……プロレスラーなんてたいていは食えないんだぞ?」
うちの親父は大きな成功を収めたものの、朝日プロレスを始めとするいくつかのメジャー団体を除けば、たいていのプロレスラーはプロレス一本では食えないのが現状らしい。ていうか日本には専門誌でも把握しきれないレベルで数多のプロレス団体が存在するらしいから、そりゃプロレスラーでひとくくりにすれば食えない人の方が多いよなって話。
「知ってるし。でもほら、その時は瑠海が体で稼げばいいんだよ。なぁに、瑠海は可愛いからね、声にも自信あるし! どうにかなる!」
本気の顔で、バシン、と胸を叩いて誇らしげな桜咲。
彼氏を食わせるために夜の世界に飛び込もうとする価値観は、俺にとって未知の領域なわけで、びびってたじろいでしまったって仕方がないよな。
「桜咲さん、よく考えろよ、大変な世界と聞くからな、風ぞ「だから声優になろうかと思って!」
俺と桜咲の声が互いにぶつかり合って相殺された。
「今、なんて?」
「名雲くんこそ、なんて?」
お? なんて言った? お? などとお互いに言い合いながら、向かいから来る人を避けようとしたら同じ方向へ動いてしまった人同士みたいに左右にゆらゆら揺れ合う。
「……そこでどうして声優なんだ?」
俺は訊ねる。
「だって、プロレスラーは巡業で移動の最中とかオフ期間に体を休める時にゲームとかソシャゲとかアニメを楽しんじゃう人けっこういるじゃん?」
SNSでよりレスラー一人ひとりのプライベートを覗きやすくなっている昨今、強面揃いのヒールユニットに所属している選手でも、オタクコンテンツにどっぷり浸かっているところを投稿していたりするからな。うちの親父は古い人間で、その手のコンテンツにはあまり興味を示さないが、それでも特撮とキン◯マンは大好きで、保管庫にはその手のフィギュアだけを陳列するためのコーナーがあるくらいだ。
本気かどうか知らないが、桜咲が将来何になりたいのか、その一端が垣間見えた気がした。
これから桜咲が本気で養成所に通って事務所所属になって無事にデビューを果たして人気が出たとして、高校時代はギャルだったことがネット上でバレて騒ぎにならないことを祈るばかりだ。まあ桜咲の場合、その辺上手くやって、声優をやりつつプロレス好きが高じてリングに上がってしまうという斜め上の未来すらありえそうだが。
「ていうかー、名雲くんの家って学校からけっこう近いんじゃん」
悪巧みをしていそうな顔をしながら、桜咲が言った。
「なんだよ?」
「なんでも」
ニヤニヤした笑みを消さないまま、桜咲は背中を向ける。
「萌花~! 早く帰るよ! あんまり遅くなるとママがうるさいんだから」
桜咲は、門の近くで紡希と話していた百花ちゃんのところへさっさと向かってしまう。
「……これはマズいことになったのでは?」
自宅を知られてしまった。とても嫌な予感がする。
すっきりしないまま桜咲姉妹を見送った後、隣に立っていた紡希が俺を見上げた。
「シンにぃ、百花のお姉ちゃんと仲良かったんだね」
「ああ。席が隣だから、たまに話すだけだけどな」
「シンにぃ、女子が苦手なのに?」
「まあ、偶然共通する趣味があってな」
プロレス好きなことは黙っておこう。もしかしたら紡希も百花ちゃんを通して耳にしているのかもしれないが、俺からペラペラ話すようなことはしないぞ。俺のこういう義理堅い部分も査定にプラスしてくれるといいんだけど。
「ふーん、そーなんだ。ふーん」
「なんだよ?」
「べつにー」
紡希は俺の腰に抱きつくと、腕を引っ掛けたままぐるんぐるん俺の周りを回った。
「心配しなくても、紡希の
こりゃ寂しがっているな、と判断した俺は、調子に乗ってしまう。
「慎治兄さん、気持ちが悪いわ」
冗談っぽく聞こえないから、そっちモードで言うのはやめてくれねぇかな……。
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