第2巻「おかえり、キミを待ってたよ」

プロローグ

「ねーえ、紡希つむぎちゃん、これなんだと思う?」


 我が家のリビングにあるソファに腰掛けた結愛ゆあは、隣に座る紡希に問いかける。


「うちの鍵だよね」

「んふふ。そーなの。そーなんだよね」


 結愛は、頬に手を当ててにんまりとし、胸元から取り出した鍵をじゃらりと紡希に見せびらかした。


「この前慎治しんじからもらっちゃったやつ~」

「これで結愛さんもわたしたちの仲間入りだね」


 ご機嫌なのは紡希も同じで、結愛とハイタッチなんぞをする。


 名雲なぐも家の団らんに結愛が参加した時に渡した合鍵は、ネックレスにしか見えないチェーンを通した状態で結愛の首からぶら下がっていた。


 もちろん、俺と結愛の関係は学校の連中には秘密だから、学校にいる時は隠している。当初結愛は、まったく隠そうとしなかったので、俺が必死で止めてこうなった。


 結愛は、向かいの一人がけソファに座る俺の前までぴょんとひとっ飛びでやって来ると。


「これ、『俺の心のロックも解錠してくれよー』ってサインだよね?」

「やめろ。変な解釈した上に俺の胸に鍵を押し付けるな……」

「でも慎治、私がいないと寂しくなる体になっちゃったんでしょ?」


 にーやにやしながら、尚も鍵をグリグリしてくる結愛は、俺の膝にちょこんと腰掛ける。尻を膝に押し付けるの、やめろよな。しかも今、制服のスカートでしょうが。俺の心臓ちゃんが爆発する前にやめてくれ。


「違う、俺じゃない。紡希が寂しがるから……」

「あっ、シンにぃまたウソついてる!」


 向かいの紡希が、ぷくぅと頬を膨らませた。


「結愛さんが帰っちゃって寂しくなったシンにぃが、結愛さんの名前を呼びながら夜の町中を駆け抜けたこと、わたし知ってるんだからね!」


 そんな甘酸っぺー青春映画みたいなこと、したかなぁ……。


 結愛に名雲家の合鍵を渡したことを後悔していないけれど、困ったな、と思う時がある。


 名雲家の鍵を手にした結愛は、俺が想定していたよりも嬉しそうで、ことあるごとに鍵の存在を主張する。まあ、それはいいのだが、『俺が鍵を渡した』ことに必要以上の意味を付け加えていじってくるから、俺としてはとんでもないことをした気になって、恥ずかしくなることがある。


 俺と結愛は、付き合ってはいない。


 あくまで、紡希を安心させるために、紡希の前でだけ恋人同士を演じているだけだ。


 結愛だって、親切心で付き合ってくれているだけ。


 そう思っていたのだが、最近では、本当に俺のことを好きなんじゃないの? と思い上がってしまうことも増えた。


 ……まあ、ここに至るまでに色々あったわけで、その上で『え? 慎治のことはただの友達としか思ってないんだけど?』などと言われたら女性不信になりそうだけど。


「そうやって浮かれまくって注意力が散漫になるんなら、その鍵取り上げちゃうからな。うっかり道端に落として悪い奴に拾われでもしてみろ。我が家に侵入されて紡希が被害にあってしまうかもしれないんだぞ」


 俺は、未だに俺の左膝に座ったままの結愛に警告をする。


「大丈夫だよ。落とさないから。ちゃんとわかりやすいとこにしまってあるし」


 俺の顔を見上げる位置まで首を傾ける結愛は、金に近い栗色の髪を肩から零す。


「わかりやすいとこってお前……」


 それが問題なんだよな。


 胸が大きいことに定評がある結愛は、なんと鍵の部分を谷間に押し込んで隠していた。


 これじゃ『鬱陶しいことばっかりするからやっぱ没収な』なんて取り上げることもできやしない。


「慎治が鍵失くしちゃった時は、言ってくれればすぐ貸してあげるから!」


 満面の笑みで胸元に親指を向ける結愛だが、生憎そんな機会は一生訪れることはないだろう。結愛の胸の間から出てきた鍵なんて、恐れ多くて触れられないだろうから。


「そうだ、せっかくだから今、鍵取る時の練習しとく?」


 出た。にや~っ、としたこの顔。完全にからかいモードに入ってやがる。


「いい。やらない」

「なんで~。やろうよ~」

「俺は鍵を失くさないから、練習する必要もない」

「一緒に鍵を差し込んで回そうよ~」

「なに初めての共同作業感出そうとしてるんだよ……」

「もう、シンにぃったら、また照れてそういうこと言う!」


 いつの間にやら目の前にやってきた紡希が、何やら憤慨しながらも、ぬるりと俺の隣に滑り込む。一人がけのソファだから、義妹と偽彼女に挟み込まれる俺は二つの意味で肩身の狭い思いをすることになる。


「ダメだよ、そんなことばっかり言ってたら。結愛さんに嫌われちゃうんだから」


 相変わらずフグみたいな頬の紡希に、何度も肩をぶつけられてしまう。


「わたし、シンにぃにはもっともっと結愛さんと仲良くなって欲しいんだよね」


 突然、紡希は夢見心地な顔になる。


「シンにぃは、もっと結愛さんに素直にならなきゃ」


 紡希は、俺と結愛が付き合っていると勘違いしているし、今のところ、本当のことを明かす気はなかった。


 あくまで『彼女のフリ』だというのに、もはや単なるクラスメートとは呼べない関係性になったことに、舞い上がった気分になってしまうことがある。


「慎治、せっかくだし、今ここで『好き』って言ってくれていいんだよ?」

「やめろ。いじるな」

「シンにぃ、結愛さんがああ言ってるんだよ、ほら、今がチャンスだよ」

「俺にもタイミングってものがあってだな……」


 俺が渋ると、両サイドの美少女が物理的にも精神的にも圧を強めてくる。


「そういうのはホイホイかんたんに言っていいものじゃないんだよなぁ」


 俺は、美少女サンドイッチから逃げるようにソファを立ち上がり、キッチンへ飲み物を取りに行くフリをする。


 不満そうにする女子陣を背にして、俺は思う。


 別に俺は結愛を煙たがっているわけではなく、できることならもっと仲良くなりたいと思っている。

 結愛と仲良くして盤石の関係性を築くことは、紡希の幸せに繋がるからだ。


 だが、果たして俺は、今になっても「高良井結愛と仲良くしているのは、紡希のため」と言い切れるだろうか?


 もしかしたら俺は、紡希のことと関係なく結愛と一緒にいたい、と、そういう思いがあるのではないかと想像して、みっともないくらい頬に熱を感じてしまった。

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