第25話 こんな俺でもやる時はやる その1
施設内にあるフードコートで、遅めの昼食を摂ることにした。
水着のままでも飲食できるとあって、多くの利用客がいる。
混雑する中、どうにか座席を確保したあと、高良井がトイレに立った。
注文は高良井が帰ってきてからの方がいいだろう、と俺と紡希は、施設内のどこで一番エキサイトしたか話し合って時間を潰していたのだが。
高良井はなかなか戻ってこなかった。
「結愛さん、ナンパされちゃってるんじゃない?」
紡希がぽつりとそんなことを言った。
「まあ、あんな格好をしていれば声を掛ける男はいるだろう。こんなに客が大勢いるわけだし」
「シンにぃは、それでいいの?」
「何が?」
「シンにぃ、結愛さんが知らない男の人から声かけられて、嫉妬とかしないの?」
試しに、高良井が知らない男に言い寄られている姿を想像してみた。
高良井が異性から告白されている姿は何度も目にしたことがあるから、別に嫉妬なんかしない。
ただ、高良井は……断る時に甘さがあるというか、『もっと押せばいけんじゃね?』みたいな期待を抱かせてしまうところがあるから、ナンパされていた場合を考えると、ちょっと心配になる。比較的おとなしくて良心的な生徒が在籍している学校内と違って、ここにはどんなヤバいヤツがいるとも限らない。
「……ちょっと、様子を見に行ってくる」
俺は、席を立った。
「わ。流石シンにぃ。やっぱり優しいんだよね」
「まーこのままじゃ、紡希がごはんにありつけないからね!」
紡希に褒められたことで、俺の表情筋は緩みまくりだった。
「紡希は、絶対ナンパなんかされないでね? もし男から声を掛けられたら、いいからね、殺っちゃって。正当防衛成立するからな?」
「シンにぃってば過激なんだ。大丈夫だよ、もしシンにぃ以外の男の人から声かけられても無視しちゃうから」
紡希が不埒な輩に声を掛けられる前に、高良井を救いに行かなければ。
まあ、ナイトプールみたいにリア充や闇社会のヤバイヤツが大集合する地獄の宴(偏見)と違って、ここは家族連れやお年寄りもいっぱいなピースなプールだし、ナンパなどという下心丸見えな恥ずかしい行為をする輩はいないだろう――
と、高をくくっていたのだが。
トイレ近くの出入り口の端で、目立つ髪色に目立つ水着に目立つ胸の高良井を見つけたものの、高良井はチャラそうな男のグループに囲まれていた。
高良井に怯えは見えないのだが、つまらなさそうに俯いて、ナンパ男の口上を聞き流している。
見たところ高良井を囲んでいるのは大学生っぽくて、特別デカくはないのだが、それでも年上相手となると躊躇だってしようというもの。
俺はぼっちの陰キャである。その属性を考えれば、こういう時、見知らぬ年上に対して恐れをなして逃げ出すか、足がすくんで傍観するだけ、という展開になるのも自然なことだろう。
「高良井さん、何してるんだよ、遅いから心配しちゃっただろうが」
特に迷うことなく、俺は高良井の前に立つことができた。
「な、名雲くん!?」
戸惑いと安堵が入り混じったような声を上げる高良井。
当然、ナンパ男たちは、「誰だ?」という反応で穏やかではない空気になるのだが、俺に動揺はなかった。
自分よりも年上でちょっと背が高い相手だろうが、別になんとも思わない。
幼い頃、親父のプロレスラー仲間が頻繁に出入りする環境だった都合上、『顔が怖い』『声がデカい』『体がデカい』という、目の前にすると萎縮してしまいそうな属性を持った男には慣れきっている。スクワット1000回を準備運動代わりにこなせない程度の体格の一般大学生なんて、恐れる理由にならない。
だからといって、長居をするわけにもいかない。別に俺自身が強いわけではないし、面倒事は避けるに限る。
「ほらほら、紡希も待ってるし早く行くぞ」
俺はさっさと退散するべく、高良井の手を取る。手というか、手首。俺から手を掴むのはまだまだ恥ずかしかった。
「ごめんなさい、『彼氏』が来ちゃったんで~」
やたらと弾んだ声で、高良井がナンパ男に向かって言い放つ。『彼氏』の部分をやたらと強調していた。
挑発に聞こえそうなことはやめてほしいと思うだのが、まあこの場は、そう言っておいた方がナンパ男も諦めがつくかもしれない。
だが、珍しく俺がイキり散らせるのもここまでだった。
「実は私たち、今日が初デートで」
何故高良井はこの期に及んで余計なことを喋ろうとするんだ?
「まだ付き合ったばかりなんですけどー、慎治とはめっちゃ仲いいんですよね。頼もしいし」
なんで俺を名前で呼ぶの。今まで一度たりとも呼んだことないでしょ。おまけに俺の腰に腕を回しやがる。今にもバックドロップを放ちそうな姿勢だが、俺の体の前面に高良井の感触があって恥ずかしすぎる。
「ちょ、高良井、今はそういうのいいから……」
「なんで? だって付き合ってるんだから、いつくっついたっていいじゃん」
「今はそういうことしてる場合じゃないんだよ」
着衣の密着なら、以前もあった。
けれど今は、俺も高良井もお互いに水着だ。俺からすれば全裸で抱き合っているに等しい。
ナンパ男の前へ飛び出した時は十分冷静だった頭が、ここにきて一気にパニック状態になっていた。
「しょうがないなー。じゃあ手を繋ぐくらいならいいでしょ?」
「そうしてくれ……そっちの方が気が楽だ」
だが、知らない男たちの前でする恋人繋ぎは、耐性のない俺にとってキスを公開するくらい恥ずかしかった。
「もういいか? いいよな?」
額と背中から汗がだらだら流れるのを感じる俺は、腕を振って振り切ろうとするのだが。
「やだー。離したくなーい」
えへへ、ととろけ切った顔をする高良井がそれを許さず、お互いの手は未だ繋がったままだった。
「私、慎治とくっついてる時が一番好き」
なんだなんだ、今日の高良井は普段よりずっと頭が悪そうだぞ。
そんな茶番みたいな光景を前にしたナンパ男たちに異変が起きる。
「やべ……なんかオレの方が照れくさくなってきた」
「女とくっつくだけでこれかよ。この初々しさ……なんか忘れてたよ……」
「あの頃のおれ、こんなゲーム感覚で女の子と仲良くなろうだなんて考えてなかったよなぁ……」
ナンパ男たちが勝手に悔い改め始めたと思ったら、すごすごと退散していく。
おそらく俺の姿に、自分たちが童貞だった頃を幻視でもしたのだろう。半分バカにされているようであまり納得がいかないが、無事に済んだのなら良しとするしかない。
めちゃくちゃ恥ずかしかったけれど、こうなることを予想していた高良井なりの作戦……だったのだろうか?
「高良井さん、高良井さん、もういなくなったから……」
「なにが?」
「なにが、って。高良井さんをナンパしてた人たちだよ」
「そんな人、いたっけ?」
高良井は、ひなたぼっこをする猫みたいな顔で俺にくっつきっぱなしだった。
これは無理にでも引っ張っていかないとずっとこんな調子だろうな。
「行こう。紡希が腹を空かせてる」
「あ、そうだ。紡希ちゃん。なんか待たせちゃってごめんね」
紡希、と聞いて我に返った高良井を前にして、高良井なりに紡希のことを大事にしているのだ、とわかり、俺は安堵した。
これで紡希のことまで無視して自分の世界に入るようだったら、どうなっていたかわからないもんな。
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