第23話 半裸の男女が徘徊している空間に俺が馴染めるわけがない その1
時は来た。
プールに行く日である。
区民プール的なモノを想像して気楽に構えていたのだが、高良井が提案したのは、テーマパークみたいに豪華な内装を堪能しながら一年中遊べるタイプのスパリゾートだった。
何が気が重いって、リア充や家族連れという、いかにも人生を楽しんでいそうな陽のオーラを出している人種が大挙して押し寄せそうな雰囲気だったからだ。
俺はもっとこう、公共の施設感がある地味で素朴なプールでよかったのだが……。
入場してしまった以上、もはや引き返すことはできない。
更衣室で着替えた俺は、女子組を待っていた。
左手側には、大腸みたいにうねった巨大ウォータースライダーがあり、正面には本物のビーチを模したプールがあって、人工的に波がやってくる仕掛けになっているらしい。もちろんというべきか、俺が知るオーソドックスなプールもあった。主にこどもや高齢者が使っているようだ。同年代や大学生がうろちょろしているスペースよりずっと落ち着く。
南国の島をモチーフにしているらしく、外国に行ったことのない俺は異国に迷い込んだような錯覚を受けるほどリアルな造りをしていた。水着でいるのが丁度いいくらいの室温調整がされていて、快適といえば快適だったのだが。
「人、多いな……」
日曜日に来れば、そりゃ混み合って当たり前か。
「シンにぃ~……」
心の中で人混みを大巨人が蹂躙する妄想をしていると、恨みがましい義妹の声が聞こえた。
「どうした?」
「やっぱりウソじゃん! みんな可愛い水着着てる! 結愛さんだって!」
「いや、紡希のだって十分可愛いだろ?」
「スクール水着なのに!?」
「そういうのでいいんだよ」
紡希の水着は、胸元に大きく手書きの名札が貼り付けてあるわけでも、水抜きがあるわけでもない、公立中学校の授業で使う地味なセパレートタイプの紺色水着だった。
この日が来るまでに、スクール水着以外の水着を持っていない紡希から、新しい水着が欲しい、と散々言われたのだが、俺は露出度の高い紡希を不特定多数の視線に晒したくないという保護者として当然の観点から、授業で使っている水着を着ていくように説得したのだった。
「……やっぱり、名雲くんの入れ知恵かぁ」
紡希の説得に執心していると、呆れたような高良井の声が飛んでくる。
「紡希ちゃんがかわいそうだよ。名雲くんは知らないだろうけど、更衣室に行くまではキラキラした目をしてたのに、周りの子が可愛い水着に着替えるたびにどんどん不安そうな顔になって、更衣室を出る時はがっくり肩落としちゃってたんだからね?」
なんだァ、他人の家庭に口出ししやがって……と、モンスターペアレントの生霊を憑依させた俺は不満を募らせながら高良井に視線を合わせるのだが。
首の筋を痛める勢いで、すぐに逸らすハメになった。
「……お前、何か勘違いしてないか?」
「えっ? 私何か悪いことした?」
「ここはあくまで泳いで楽しむための場所であって、好き放題露出を楽しむ場所じゃない。TPOをわきまえろ」
「持論ぶっこむなら目ぇ合わせなさいよ」
「そんな卑猥な格好をする人間と目線を同じくするほど、俺はお人好しじゃない」
「へえ~」
今にも弱者を蹂躙しそうな勝ち誇った声を出したので、俺は不安になった。
「ねぇ、名雲さぁん」
突如、さん付けでねっとりと俺を呼ぶ高良井が、ゲスな笑みを浮かべて迫ってくる。気配でわかる。
「もしかして、私の水着をガン見できないんじゃない?」
図星だ。
高良井は、上も下も露出の多いビキニタイプの白い水着を着ていた。いかにも遊んでいそうな高良井が真っ白な清楚カラーリングを選択したギャップで、俺の臓器はどうにかなりそうだった。
腰は細く、脚は長く、おまけに、思っていたよりずっと胸が大きかった。ちょっとつついただけで、ふよん、と躍動しそうだ。これは予想外の出来事にびっくりしてしまっただけで、水着の高良井にドキドキしてしまったわけではないと信じたい。
「何を言ってるんだ? 水着は泳ぐために着るものだ。じろじろ見られるために着るものじゃない。だから俺は見ないだけだ。水着の解釈を履き違えるなよな」
高良井の水着姿に動揺しているのがバレたら絶対にいじられまくるから、俺は必死だった。
「でもさぁ、見られるものでもあるから、いろんな見た目の水着があるんでしょ?」
高良井のくせに、ロジカルに反論してくる。
「私、名雲くんに見せたくてこの水着選んだんだけどなぁ」
ウソをつくんじゃない。
「いつもは黒い水着着てるんだけどー、今日はせっかくだし白の気分かなって」
そんな大一番の試合で黒パンから白パンに変えるようなことしなくていいのに。風にでもなってろ。
「俺に水着を見せたところでどうなるもんでもないだろ。それより、もっと周りを警戒したらどうだ」
「え、なんで?」
「高良井さんはナンパ遭遇率高いだろ、たぶん」
「あれー? なんすか、心配してくれてるんすか?」
口元を猫みたいにしてすり寄ってくる高良井。揺れた。ちょっと歩いただけなのに……?
「そんな心配なら、ちゃんと『彼氏』が守ってくれるんだよね?」
試すような視線を向けてくる高良井。
紡希がいる手前、高良井を『彼女ではない』と否定するわけにもいかず、曖昧な返事をするしかなかった。
「……だからって、トラブルに巻き込まれに行くなよな」
「わかってるってー。ちゃんとそういうのの逃げ方はわかってるんだから」
ナンパされ慣れているのか、高良井は余裕そうだった。
だいたい、俺に魔除けの役割を求めるのは無謀というものだ。
弱っちい俺では、何の抑止力にもなりやしない。
俺を出し抜けたと思っているのか上機嫌な高良井は、紡希の手を握る。
「紡希ちゃんのために、水着のレンタルしようよ。このままじゃかわいそうでしょ」
「……紡希、スクール水着じゃ嫌か?」
紡希がつまらなそうにしているのを前にして、流石に俺も反省していた。
「うん。結愛さんみたいなのがいい」
「いや、高良井さんみたいなのは……」
もう少し大人になってからの方がいいんじゃないかなぁ。
「せっかくだし、紡希ちゃんの好きなようにさせてあげたら?」
高良井が、すすっと回り込んで俺の腕を取る。
「なにかあっても、名雲くんがいるから平気でしょ」
日頃隠された俺の半裸を目の当たりにしても、まだそんなことを言うか。
「わかった、紡希、もう好きなの選べ」
俺は折れることにした。
あまりダメダメ言ったら、紡希は抑圧を感じてグレてしまうかもしれない。
そして、これ以上高良井から接近されたら体がもたない。
「やった! シンにぃ好き!」
「俺も超がつくほど好きだぞ」
俺にがっしりと抱きついてきてくれる紡希。紡希の心が離れない決断をすることができてよかったよ。
「シンにぃ、ちゅき!」
「紡希の偽物を騙る輩は超がつくほど嫌いだぞ」
「扱い雑ぅ」
それでもなぜか高良井は笑顔を崩さなかった。……怖い。
「シンにぃ~、どうして結愛さんはシンにぃの『彼女』なのに冷たくするの?」
それまで上機嫌だった紡希の表情が急に険しくなる。
「仲良くなったからって、そういうことしてると結愛さんだってシンにぃのこと見放しちゃうんだからね」
精一杯背伸びをした紡希が、俺の耳をつねる。
「結愛さんに愛想つかされたら、もうシンにぃに彼女なんかできないんだから」
「そ、そんなにもか……?」
紡希には、俺がそこまでモテない男に見えているのだろうか? そりゃ女子から見てモテるような要素なんて俺にはないけどさ。
「安心して、紡希ちゃん」
高良井が、そっと俺の手を握る。
俺を離さないとするかのような安心感のある力加減で。
「名雲くんが私にちょっと冷たくするのはそういうプレイだから」
「おい」
お前、プレイだなんだと紡希の前で抜かすなよな……。
「時々ちょっと冷たいことを言われる方がね、『やっぱしゅき!』ってなっちゃうんだよ」
「そうなんだ。ごめんね、シンにぃ。わたし、そういうこと知らなくて」
「紡希~、知らなくていいんだぞ~」
俺は紡希に笑みを向けたまま、高良井と繋がっている左手に力を入れる。
余計なことを言うなよ、というサインである。
「ほら、名雲くんがこんなにはっきり私と手を繋ぎたいよ~って意思表示してくれてるでしょ?」
「ほんとだ。やっぱり結愛さんはなんでもわかってるんだね」
高良井が差し出した、俺と重なった両手を見つめて、紡希が瞳を輝かせる。
俺がどう抵抗しようが無駄な感じだな。
もう好きにしてくれ……。
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