第3話 勉強してる俺の頭の上で告白しないでほしいし隣にも寄らないでくれ その2

 さて、これで静かになったし勉強に没頭できるな、と思って再び腰を下ろすと新たなる邪魔が入った。


「あっ、名雲くんじゃん」


 高良井が、手すりから身を乗り出していた。


 軽快な足取りで階段を駆け下りてきて、俺のすぐ隣に座り始める。

 不意に、直前に見たパンチラの映像が頭をよぎる。忘れろ。勉強に集中できなくなる。


「今の、名雲くん?」

「頭のヤバそうなヤツが向こうに走り去って行ったから別人だろ」

「もしかして、聞いてた?」


 俺を無視して、ほんの少しだけ恥ずかしそうにしながら、そう訊ねてくる。


 ちなみに俺と高良井は、2年生になってからクラスメートになったばかりで、これまでまともに会話をしたことがなかった。落ちた消しゴムを拾ってくれたことくらいはあったかな。


「何も見てないし聞いてもいない。何ならここにいるのはただの石ころだ」


 勉強に集中したい俺は相手にしたくなかった。


 それに俺と高良井は水と油の存在だ。

 人気者の陽キャと、勉強しかしていないぼっちの陰キャが釣り合うはずもない。


「石?」


 石ならいいよね、とばかりに高良井が遠慮なくツンツンと肩を突いてくる。


「……石は石でも俺はお地蔵さんだからそれ以上触れるとバチが当たるぞ」

「盗み聞きの方がバチ当たりじゃない?」

「ここにいたのは俺の方が先だ。用事が終わったのなら早く教室へ戻れ」

「名雲くんは?」

「ここは俺のお勉強スポットなんだよ。昼休み中はここにいるんだ」


 なんなら教室よりここの方がずっと居心地がいいんだからな。


 だというのに、高良井は俺の隣に座ったまま動こうとしなかった。

 折り曲げられた白い脚が目に入って仕方がない。別に見ようとしているわけではなく、膝に乗った問題集に視線を向けると視界の端に入り込んでしまうのだ。


「なんか名雲くん、つめたーい」

「普通だ」


 俺が気にしないといけないのは、紡希だ。紡希の問題が何も解決されていない以上、それ以外のことにかまけている時間なんてない。


 ただでさえ最近の紡希は俺と一緒にリビングにいる時も会話に困っているようで、俺よりもスマホを見つめている時間の方が長いのだから。


 俺は不器用だから、複数のタスクを並行して行うことができないのだ。最優先するべきなのは紡希のことだ。


「名雲くんはさぁ」


 高良井は、本当にただなんとなくという感を出しながらこんなことを言った。


「私に告白しないの?」


 そんな疑問をぶつけること、ある?


 つまり『私を好きにならないの変じゃね?』と言っているも同然なわけで、自信過剰にもほどがある。そう言えるだけの見た目や被告白率を誇っているとはいえ……人は、そこまで自信を限界突破できるものだろうか?


「……普通は、高良井さんに告白する男子より、しない男子の方が多いものなんだけど?」

「…………え?」


 俺のじっと視線を向けていた高良井の目が見開かれ、白い頬がみるみる赤くなっていく。


「そう……だよね」


 あーっ、と小さくうめきながら、高良井は頭を抱えた。


「告白されすぎて完っ全にマヒしてた……」


 聞きようによっては嫌味にしか聞こえないが、高良井の声音には切実さが混じっていて、信じがたいことに本気で悩んでいるようだった。


 もちろん俺が、頭がおかしくなるほど告白されている人間のことを理解してやれるはずもなく。


「いっそ誰か付き合ってしまえば、告白されることもなくなるだろ」


 それだけ告白されているのなら、1人くらいはこれだと思える男子もいるだろう。


「さっきのヤツ、追いかけてきたら?」

「もう断っちゃったよ」

「それなら次に告白してきたヤツと付き合えばいい」


 高良井の恋愛事情になんて首を突っ込みたくない。俺には手に負えない領域のことだからな。


「じゃあ名雲くん、私と付き合ってよ」

「なんだ? 変化球のいじめか?」

「なんでよ。卑屈すぎでしょ。本気だよ。だって名雲くん、頭いいんだし頼りになるもん」


 高良井には嘲笑してやろうとする雰囲気はなかった。


 どうやら高良井は、一度も会話したことのないクラスメートを頼るくらい切羽詰まっているらしい。


 だからといって、俺の中の優先順位は変わらない。


「悪いが、俺は誰とも付き合う気はない」


 場合によっては、ぼっちのお前がなに言ってんだ、とばかりにカースト最上位リア充女子の高良井にキレられかねないセリフだったが、高良井がニ~マニマ笑みを浮かべていたものだから俺は驚愕した。未知の存在を前にして多少恐怖すらしていたかもしれない。


「だよね~、断っちゃうんだよね~」


 とりあえず怒ってはいないようなのだが、これは笑いながら怒っているパターンも考えられるので、一応フォローの言葉を入れておくことにした。


「俺は今、とある1人の女の子のことしか考えていない。他の女子に構ってはいられないんだ」


 それがたとえモテ女高良井だろうが、紡希の前では足元にも及ばないのだ。

 生まれた時から知っている、大事な人だからな。

 高良井なら、俺が手助けしなくても平気で生きていけるだろうし。


「えっ、名雲くん彼女いるの? マジで? どんな子!? 写真ある!?」


 高良井はやたらと瞳をキラキラさせて俺に迫ってくる。目がデカいわ澄んでいるわ、接近したことでもう一つのデカいのが迫るわで俺はまともな思考回路を失いそうだった。


「違う、そういうのじゃない」


 俺は慌てて否定する。

 紡希のことは好きだが、あくまで『妹』にしていとこである。


「……でも、大事な人という意味では彼女に近いか」


 冷静さを欠く中でも、どうにかそれだけは言えた。

 紡希と面識のない高良井が相手だろうと、紡希を大事にしていることを表明したい意地のようなものがあった。自分に言い聞かせるためでもある。


「そっかー。なんかフクザツっぽいけど、名雲くんって大事にしてる子いるんだね。いいなー」

「うらやむほどか?」

「だってそういうの口に出して言えることって、そんなないでしょ?」


 俺の気のせいだろうが、高良井の視線にはどことなく敬意めいたものが混じっているように感じた。


「んー、じゃあこういうのは?」


 高良井は立ち上がって、腰に手を当てながらこちらを見下ろす。


 スカートが短いせいで風が吹けばとんでもないことになりそうなのだが……ここ、わりと強い風来るけど大丈夫か?


「私の彼氏にならなくていいから、告白するために昼休みに呼び出す人の役やってよ。毎日」


 なんだかとんでもないことを言い出した。


「やたらと面倒な注文してきたと思ったら……それ、どういう意味があるんだ?」

「私、ここ最近は昼休みのたびに告白に呼び出されてて――」


 高良井が言ったのは、こんなことだった。


 モテ女高良井は、毎日のように告白されていて、特に時間が空く昼休みになると、告白の呼び出しのせいで校内の至るところへ赴くハメになっているらしい。おかげで友達とお昼のひとときを満足に過ごすことができず、とうとう購買やコンビニで買うパンやおにぎりのように手早く食べられる昼食しか摂れなくなってしまったので、いい加減にしてほしいそうだ。


「だったら、呼び出しの時点で断ったらいいだろ」

「話も聞かずに断るわけにはいかないでしょ」


 変なところで律儀な高良井だった。そのビッチな見た目は飾りか。案外押しが弱いのかもしれない。気が強そうな顔しているように見えるんだけどな。


「それに、いい加減断りっぱなしなのもこっちのメンタルヤバくなるんだよね」


 告白は断られる方だけではなく断る側も傷ついてるんだよ、とかいう話は俺も聞いたことがある。俺からすれば強者の理屈でしかないけどな。


「だから、相手が名雲くんってことは言わないで『呼び出されてるからー』ってここに来ることにすれば、私は『先に約束があるから昼休みの時はごめんね』ってウソつかずに断れるし、告白で昼休みが潰れることもなくなるし、いいことづくめかなって」


 俺で告白の予約枠を埋めておくことで、見知らぬ男子から昼休みの時間を奪われることを避けようということか。

 なんというか、そこに俺の都合がまったく考えられていないあたり、スクールカースト上位者の差別意識が出ているよな。


「昼休みのほとんどをここで過ごすってことか?」

「うん。誰も来ないし、いい感じの隠れ家になりそうだから」


 あたりを見回す高良井。秘密基地を見つけた男児みたいに興奮している様子だった。


 もちろん俺としては、せっかく見つけた勉強スポットを失いたくなかった。いつものように一人で勉強できる空間を維持し続けたかった。


 だが……そんな俺の姿勢がダメなのではないか? と気づく。


 俺はぼっちである。クラスメートと交流はない。学校にいる間勉強に専念したことに後悔はないが、人付き合いを疎かにした負い目はある。

 高良井は思ったより話しやすいし、これを機に女子と交流する練習ができれば、紡希のことを理解できるようになれるかもしれない。そう思えば、多少勉強時間を削ることになっても高良井と関わるメリットはある。


「……俺の気が散らないようにしてくれるならいいけど」

「マジで!? いいよいいよ、絶対邪魔しないから!」


 言うやいなや、俺の肩にぴったり密着するレベルでくっついてくる高良井。


「だからそれをやめろと言ってるんだよ」

「なんで?」

「高良井さんみたいな女子の常識は俺の世界では非常識なんだよ。俺は非常識を食らうと勉強に集中できなくなるから、それ、やめろ」

「なんすか、よくわかんないけど、照れてるってことでいいんすか?」


 高良井は、にーやにやしてとてもいやらしい顔をしていた。


「照れてないわ」

「えー。ほんとにー?」


 などと言いながら、高良井はいっそう俺との距離を詰めてきた。


 ブレザー越しとはいえ、高良井の感触とか温度とかやたらと生々しい情報が伝わってきてくる。


「とにかく、俺の勉強の邪魔だけはしないでくれよ」


 やたら体が熱を持っていて、高良井にまで伝わってしまわないか心配だった。


「はいはい」


 わかっているんだかいないんだかの返事をされたところで、予鈴が鳴った。


「あ、どうする? 一緒に教室戻ったらなんか誤解されちゃわない?」

「大丈夫だろ。俺と高良井さんではヒューマンステージが違いすぎる。疑われる余地すらない。気にせず戻れ」

「それさー、自分で言ってて悲しくならないの?」

「これくらいで悲しいと感じてたら俺はとっくに登校拒否してるよ」

「ほら、私はもう友達だから……」

「同情されるほどキツいことはないな。それ、トドメか?」


 明日俺の席は空席になっているかもな。まあ、紡希を心配させたくないから、何があろうと登校するんだが。

 

 そんなこんなで、今まで一切付き合いがなかった高良井と、昼休みの間だけとはいえ秘密の場所を共有する仲になってしまったのだった。

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