第38話 決断と――!?

「会いたかったよ……朝姫ちゃん」


 源の、快感を得たような笑みに、いきこんで出てきた朝姫も後退りした。


「……源先生」


 そして、それが誰なのか、彼女は理解したようだ。


「どうしてこんなこと……」

「愚問だね、朝姫ちゃん。これはね、罰なのだよ」

 

 朝姫の後ろから倉木さんが顔を出す。


「誰だ? 彼は」

「私の、元国語の先生です」

「邪魔が入らなければ、将来を約束された仲でした」


 源が補足する。あまりにも妄想に満ちた補足だったが、彼という人間を表すには十分だった。

 倉木さんも頷いている。


「なるほど。変態教師というわけか」

「倉木さん……! なんで朝姫を!」

「聞かなくてさ……それに、君1人で背負う必要はない、と思ってね」

「……すみれちゃんは?」


 俺はなんとか体を起こす。


「無事だよ。今はマリンたちに預かってもらっている。まったく、相変わらず無鉄砲なやつだな。君は」

「ありがとうございます」

「まあ、お礼を貰うにはまだ早すぎる状況みたいだけど」


 彼は傍の源を見た。そう、状況は何一つとして進展していない。

 彼の手にはまだ、ナイフが握られているのだから。


「源先生……! お願いだから、お兄ちゃんを解放して……」

「それはできない相談だよ、朝姫ちゃん。僕の人生はこの男によって狂わされた。殺さなければ、気が済まない」

「……どうすれば、どうすればいいんですか」


 すがるように朝姫が膝をつく。

 それを見た源は、少し黙り込んだ後、ふと笑った。


「ふふ……こういうのはどうだろう? 朝姫ちゃん。お兄さんは助けよう。だが、君はこれから、僕のものになる。僕と一緒に暮らし、僕の世話を――むろん、下の世話も――する。兄とは今後一切関わらず、一生を僕と共にするのだ」

「そんなこと……俺が認めるわけねえだろ!」

「黙れ!!」


 源の怒鳴り声と同時に、俺の頭が畳に叩きつけられる。


「お前に選ぶ権利はない。選ぶのは、朝姫ちゃんだ」

「……朝姫……よせ……俺のことならっ! 気にするな!」

「兄の死を回避する方法は1つだ」


 朝姫。だめだ!

 こいつがどんな男か、お前ならわかる!

 だから……!


「……分かりました」


 朝姫がゆっくりと近付いていく。


「あなたのものになります。だから、お兄ちゃんを解放してください」

「……朝姫っ!」

「いい子だ」

「朝姫くん、これでいいのか」


 倉木さんが引き留めてくれる。


「未来ある君の人生を、あんな男のために投げ捨てて……」

「でも、お兄ちゃんのためだから」


 朝姫は、また俺の――いや、源の方へ歩いていく。

 これしか方法がない。

 ないのか?

 

 分からない。

 全てを解決する方法が……。


 源の傍まで残り3歩程度まで来たところで、朝姫が立ち止まった。

 思いとどまった――わけではなさそうだった。


「先にナイフを渡してください。お兄ちゃんの解放を」

「…………」

「それができないなら……条件は飲めません」

「……愛してると言え」

「てめえ!」


 俺は暴れようとするが、うまく押さえられて動くことができない。

 この下種野郎が! 屑が! 救いようのない……!


「……愛しています」

「鉄平さん、愛しています。一生、傍にいることを誓います……言うのだ」

「て、……鉄平さん……愛しています。一生……っ、傍にいることを誓います……誓いますから……!」


 朝姫の目に涙がたまっている。

 声も震えている。


「ああ……」


 源が極上の快感を得たらしく、緩み切った笑みを浮かべる。

 ふざけやがって……!


「よし、誓いの証明だ。こいつの、顔を蹴れ」

「……っ!」


 朝姫の顔が強張った。


「それは……」

「できないなら、俺にキスをしろ」

「…………変態野郎……! 地獄に落ちろ……!」

「おやおや、先に死にたいのか? いいのだぞ? 僕は、別に、どっちでも――」


 ガンッ!

 と、鈍い音がして。

 俺の額から血が流れる。


 どうやら思い切り蹴られたらしい。

 頭にたまった血が、一気に流れていく。

 おかげで冷静になれた。


「これで、いいでしょ!」


 朝姫が手を出した。

 源は心底嬉しそうな表情で、ナイフを投げ捨てた。ナイフが、朝姫の足元に転がり落ちる。

 俺自身は、まだ解放してくれない。


 朝姫がナイフを拾い上げた。


 瞬間、すべてを理解した。

 朝姫がなにをするつもりなのか。

 つまりそれは、すべてに決着をつけようとしているのだ。

 なにもかも投げ売って。

 人生も、俺との思い出も、憎しみも恨みも、楽しかった記憶も全て地面に捨てる。


 代わりに――


 それだけは!


 瞬間、朝姫が凄まじい加速で一歩前に踏み出し、源の懐に入り込んだ。

 なにが起こったのか、おそらく理解したのだろう。源は慌てて後ろに下がり、尻餅をついた。

 あまりの展開に、流石の彼も動じたようだ。

 朝姫が更に前に出て、尻餅をつく源にナイフを向ける。


「うあああああああああ!!」


 誰の叫び声か。

 朝姫のものでもあり、彼のものでもあり。

 そしてあるいは、それは俺のものでもあった。


 血が――零れた。

 畳に赤黒い血が滲む。


「はあ……はあ……」


 朝姫がゆっくりと一歩下がる。

 それから、何が起こったのか理解したようで、顔を震わせていた。


「お兄ちゃん……!」


 俺の腹部に、血まみれのナイフが刺さっている。

 俺は……そう、源を守るようにして、朝姫の前に立ちふさがった。


「そんな……! そんな……!」

「違うんだ……朝姫。気に病むな……」


 口にたまった血を吐き出して、なんとか言葉を紡いでいく。

 汗が出る。止まらない。意識が朦朧とする。

 でも、伝えないと……。


「お前が……殺す必要なんてないんだ……。お前には、純粋でいてほしいから……大切だから……真っ白であってほしいから……俺は…………」


 うまく頭が回らない。

 後ろで見ていた倉木さんがなにやら叫んでいる気がした。

 でももう、聞こえない。


「朝姫……お前は――」


 俺を殺せて、嬉しいだろう?

 やっと果たせたじゃないか。

 そうだ。こんな屑を殺すんじゃなくて……俺にしておけばよかったんだ。

 もっと喜べよ。

 なに泣いてんだよ。

 ぐしゃぐしゃの顔でさ……大声出して。

 せっかくのかわいい顔がもったいない。


 ――ああ……大好きだぜ、朝姫。

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