曇天
庸平と斎藤はやけに白い部屋で男と向かい合っていた。
永井に負けず劣らずの大男だが、まだ若い。
庸平たちより5つほど上といったところか。
「武田だ。よろしく。
呼んだのは他でもない、お前たちの処遇が決まった」
「早かったな」
「こんな隅っこの部屋で発表?」
斎藤の言う通り、ここは官庁街の中心から離れた小さな役所の小さな一室だ。
「わかっちゃいるだろうがこの国は今人材不足なんだ。特に裏で動いてくれる人材がな」
「なるほどね。で?俺たちは…」
「俺"たち"じゃない」
二人は顔を見合わせた。
「斎藤、お前には政府軍の部隊を任せたい」
「どういうことだ?」
庸平は吸っていた煙草を口から離した。
橘家から千紗と帰ってきて以来、吸い出した。
斎藤には理由がわかっている。
血を抑える"代わり"なのだ。
「今回の一件で政府軍の腐敗がよくわかった。
そこでだ、斎藤には再建する政府軍に入ってもらい、桐野、お前には新設する王室軍を任せる」
「政府軍と王室軍で連携とらせようってわけか」
「そういうことだ」
「待ってくれ」
話を止めたのは、庸平。
「俺はあのチームに残る気は無いんだ」
これには斎藤も驚いた。そこまで、千紗のことを…。
「俺はあのチームではお荷物だ」
違う。千紗の、お荷物だと言いたいんだろ?自分が千紗の人生に関わってはいけないと。
「そんなことはないさ。俺はお前と、お前のチームに期待している」
庸平は二本目の煙草に火をつける。
「お前なら、あのチームを統制してくれると信じている。
それができなければ、王室も、あの宝も、この国も危ない」
役所を後にした二人は、近くのファミレスに立ち寄った。
「ほんとにやるのか?」
「ああ、やれるところまではな」
「大丈夫か?俺がいなくなって」
「そりゃ自意識過剰ってやつだ。大丈夫さ」
斎藤の心配を他所に、黙々と食事をとる。しかし以前のように流し込むわけではない。
「ゆっくり食べなよ。食事から楽しまないと」
そう言ったのは千紗だった。その言葉を律儀に守っているらしい。
そこが心配なのだ。こいつは千紗を頼る気もないだろう。
「ここまでは俺や伊藤がお前とあのチームを繋いできた。これからは誰が繋ぐんだ?」
「ま、自分でやるしかないだろうな」
「お前できんのか?あのチームで」
「ああ、できるところまでは、やってみるよ」
「どういうことだ?」
「長くはもたねぇだろうよ。チームも、俺も…」
庸平の表情は言葉と裏腹に飄々としている。
「お前…終わらせる気か?」
「言ったろ、やるだけはやる。
それでダメなら俺は別の組織を立ち上げる」
すると今度は庸平が身を乗り出した。
「そこでだ。お前が政府軍にいてくれれば何かと都合がいい。ゆくゆくは俺とお前でこの国の軍隊を握れるってわけだ」
斎藤は思わず笑った。
「なんだ?」
「いや、お前は現実主義者なんだか夢想家なんだかわからねぇな」
「俺は夢なんか言っちゃいねぇぞ」
庸平の表情はいたって真剣だった。
「いいか、俺が言ったのは夢でもなんでもない。
あるべき姿だ。
人間一度決めたゴールに向かって、走り続けにゃならねぇ。
実現可能かどうかなんか知らん。
ただそこへ向かう姿勢は、持ち続けなきゃならねぇ」
窓辺に雀がとまった。
二人は黙ってそちらに目を向ける。
「こいつは何だ?」
「何って、雀だろ」
「そう、雀。こいつはこれまでもこれからも雀だ。
俺は?俺はこれまでもこれからも桐野庸平でいなきゃならねぇ。どんなチームだろうと、どんな逆境だろうと」
またスイッチを入れてしまったらしい。
「要するにだ、剣を持って戦おうと、飯を食っていようと、お前と話していようと、そんなことは問題じゃねぇんだ。問題は、俺が、俺であることだ」
斎藤は目を細めたまま黙って聞いている。
「そしてその俺というものの尺度が、信念だ」
「その信念はどこにある?」
「信念に実存なんてものありゃしねえのさ」
「じゃあ何がその概念を作る?」
「憧れだ」
雀が街中へ羽ばたいた。
12時を回って人通りが増えてきている。
「俺はまだよくわかってないんだ」
「何を?」
「お前のその…信念ってやつだ。
あるいは美学か」
「それでいいんじゃないか」
庸平は眉をひそめる。
別にわかってもらおうなんて思っていない。
美学なんざ自分の胸のうちにしまっておけばいいんだ。
「でもその美学がお前なんだろ?」
「そうだな」
「だったらそれがわからねえと、俺も伊藤も、お前のことをわかるわけねえだろ」
これは少し痛かった。
「じゃあどこがわかんねえんだよ」
「お前の美学はまるで一昔前の、戦時の美学だ。
この戦争のない時代に、それが必要か?」
「知らねえよ。俺は理屈抜きに、そこに美を感じたんだ。
美しいものに戦時も糞も関係ねえよ。
これは人間が培ってきた感性というものだ」
「やっと見えてきたぞ。
お前は本当に何も考えちゃいないんだな」
「何が言いたい?」
庸平はさらに少し不機嫌になる。
「お前は感性という一種の本能に従い、それを遂行するためだけに頭を使い、理性を働かせているんだ」
不意に庸平は、驚いたような顔をした。
庸平自身、気がつかなかった答えを言い当てられたのかもしれない。
「確かに、それはそうかもしれないな。
だがそれは俺だけじゃねえ。人間ってものはそうなのさ。割合が違うだけで」
「そこだ。俺にも俺の、信念・流儀というものがある。お前の嫌いな高橋や加藤にも。
人間というものは皆それぞれ持っているだろう。お前は何が違う?」
「人間は時に、自分を正当化するために信念を作り出す。そうじゃなくても、お前らは先に自分があって、その自分に合った信念や流儀を打ち立てているんだ。
俺の場合、先に信念があって、それが俺を組み立てている」
斎藤は首をひねる。
「つまりだ、俺は自分というものを全て破壊し、信念を、美学を打ち立て、それを元に新たな自分を産み出したんだ」
庸平の原理はわかってもその思考回路がまた見えなくなってくる。
「結局お前はなんなんだ」
斎藤は笑うしかない。
基地の前に着いた二人はその巨大な門を見上げる。
奥の空は厚い雲に覆われ黒ずんでいる。
「このボロい寺ともお別れか」
「いつ発つんだ?」
「明日にでも出ようかな」
「そうか」
聞いて一瞬、庸平は柄にもなく寂しそうな顔をした。
「フッ、伊藤が笑うのもわかるぜ」
「どういうことだよ」
「そういうとこだよ。
ま、俺もお前と仕事すんのは楽しかったぜ。
またやろう」
「ああ」
階段を上り始めると、小雨がポツポツ落ちてきた。
急に斎藤の胸が不穏に動き出した。
この基地には、何より桐野には血の色が染み着きすぎている。
「こんなこと言うだけ野暮かもしれんが、お前、気をつけろよ」
「何を?」
「お前がお前でいる限り、このチームは一波乱あるだろう。
そのときに、お前がお前でいられるかだ」
庸平が足を止めた。
「何が言いたいんだよ」
「このチームにはお前の弱味がある」
庸平は黙って本堂を見つめた。
それから二人は言葉を交わすこともなく、それぞれの部屋へ帰っていった。
翌朝斎藤は、他の目覚めを待たずに基地を出た。
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