決着
男は一人、標的を探して歩き回っていた。
2日前の夜、宿街で庸平たちを襲った巨漢だ。
角を曲がって男は立ち止まった。
標的の女は一人、道の真ん中に立ち尽くしてこちらを見ていた。
「動くな。もう一人はどこだ」
千紗は男を睨んで口を開かない。
「まあいい。ブツをよこせ」
男はゆっくりと近づいてくる。
しかし千紗はその場を動かない。
いよいよ男の手が千紗へ届きそうになったとき、左の岩影から庸平が飛び出した。
ハッと顔を向けた男の顎を蹴り上げる。
仰け反った男の背後をとると、後ろ襟を掴み、右足で男の足を払う。
「う゛っ」
男は宙を回って地面へ叩きつけられた。
しかしすぐさま庸平の胴へ腕を巻き付けると、そのまま突進し岩壁へ桐野を叩きつけた。
「ぐおッ」
庸平の口から血が流れる。
「庸平!」
「離れてろ!」
庸平は背中へ何度も肘を打ち込むが、男はびくともしない。
男はさらに庸平の胴を締め上げた。
呻き声があがる。
しかし宙に浮いた足を後ろへ反らすと、男の金的へ思い切り振りかぶった。
たまらず男が庸平を離す。
その機を逃さず庸平は男の両耳を掴むと、その顔を自分の膝へ打ち付けた。
そのまま力の抜けた男の首を勢いよく捻る。
男は首から鈍い音を立てて倒れた。
庸平もその場に膝をついた。
千紗が駆け寄る。
そのとき、奥の道が天井から崩れ落ちた。
「急ぎましょ」
庸平は千紗の差し出した手に掴まって立ち上がった。
山内ら壬沓社は遺跡の右手に回っていた。
「黒田!出番だぞ!」
山内が呼ぶと、蒼龍隊から行方をくらましていた黒田が駆け寄った。
山内は不敵に笑う。
「わかってるな?」
コクッと黒田は頷いた。
庸平と千紗は狭い坑道を進む。
前方の横道から敵兵が飛び出した。
庸平は咄嗟に千紗の頭を押さえつけながら壁際へ身を寄せた。その頬を銃弾がかすめる。
と同時に、庸平の右手が抜いた拳銃が火を吹いた。
次の標的へ照準を合わせたとき、激しい銃声とともに男たちがバタバタと倒れていった。
庸平は拳銃を下ろさない。
用心深く目を凝らすと、死体の後ろから誰か来る。
その正体に、千紗は目を疑った。
「黒田くん?生きてたの?」
「ああ、生きてるよ」
驚く千紗に対し、庸平は何事もないかのように黒田と話している。
「山内は?」
「予想通りだ。二人を上手く誘導して奴らが待ち伏せしているところへ連れてこいとよ」
千紗はようやく状況を理解してきた。
「壬沓社にいたの?」
「ああ、いつかスパイに使えるかもと思ってな。俺たちから離れさせていた」
それを聞いて黒田は笑いながら千紗を見た。
「死んだことになってたのか」
「俺が殺したんだとよ」
庸平は悪い笑みを浮かべた。
「でも…私は庸平を信じてたよ」
「ああ、それも聞いたよ。
ありがとう」
千紗はわかってくれている。だが千紗はまだわかっていない。桐野という怪物を。
庸平が最も恐れているのは、桐野自身だった。
だからこの桐野を抑えてくれる千紗を必要としていた。
「まあいい、脱出を急ごう」
「そうだな。どこから出る?」
庸平は高橋から送られた遺跡の全体図を出すと、入り口から一番離れた穴を指さした。
「この、入り口に一番近い穴だ」
「了解」
千紗は首をひねる。言っている穴と指している穴が違うではないか。
すると庸平が黒田へ目配せをした。
黒田は頷くと、耳から何やら取り出して庸平に渡した。
「何それ?」
庸平は不思議そうにしている千紗へ向き直った。
「マイクだ。あえて奴らに聞かせてたのさ」
山内たちは早速動き出していた。
「急げ!奴らを先回りするぞ!」
庸平の言葉通り、入り口近くの穴で待ち構える。
先頭の男たちは穴へ向けゆっくりと銃を構えた。
「大丈夫ですか?」
「何が?」
「相手は殺しのプロだ」
「シッ、来たぞ…」
穴の中から足音が近づいてくる。
次の瞬間銃声が轟いたかと思うと、倒れたのは壬沓社の方だった。
穴の中から出てきたのは、銃を構えた斎藤たち蒼龍隊。
「皆殺しにされたくなければ武器を捨てな」
斎藤はゆっくりと山内の方へ歩いていく。
「どうして…ここが…?」
「俺も聞いていたんだよ」
トントンと自分の耳を叩いた。
「桐野、山内をおさえたぞ」
しばらく耳に手を当てて何かを聞いていた斎藤は、イヤホンを取り外した。
「ほれ、あんたにラブコールだ」
山内は恐る恐るそれを受け取る。
「俺たちを出し抜こうなんざ百年早えんだ」
無線からは薄気味悪い声が出てきた。
「人を信頼したいときはな、疑い続けておくことだ。
お前は裏切られる準備が足りなかったんだよ。
いいチームでありたきゃな、信用しないことだ」
隣の千紗の眉がピクリと動いたのに庸平は気づかなかった。
「頼む、命だけは…」
「そういや俺のことを肝心なときに何もできないって言ってくれたなぁ」
庸平はこれでけっこう根に持つ方らしい。
「肝心なときに役に立つところを見せてもらおうじゃねぇか」
無線を切ると庸平たちは穴の外に出た。
前には草原が広がり、その奥で海が日光を照り返している。
千紗が目を細める。
「久しぶりの日の光だったな」
愛おしそうに庸平が微笑みかける。
後ろから黒田も出てきた。
「黒田、お前は斎藤たちと合流しろ」
「いいのか?」
「ああ、行け」
千紗にはわかっていた。腹の底で庸平は黒田を信用していないのだ。
一方、遺跡入り口。
崩れ落ちる遺跡から出てきた敵軍は、庸平たちを捜している。
「いたぞ!こっちだ!」
その声を聞いた一団は一斉に海岸の方へ動き出す。
声の主は今井だった。
「やっぱり烏合の衆だな。敵も味方もわかっちゃいねぇ」
今井は蒼龍隊の隊服を着替え、口元を布で覆っていた。
後方の岩陰で斎藤と林が何か話している。
「奴らは何を追いかけている?」
「ああ、壬沓社が囮になっているんだ」
「奴らがよく了承したな」
「まあ、桐野のいつもの手だよ」
そこへ今井が走ってきた。
「順調か?」
「ああ、奴らみんな壬沓社を追って海岸の方へ行っている。地下道はまだ気づかれてない」
「よし林さん、俺たちが次の囮だ。
残った敵を地下道へ誘い込んで桐野たちから引き離す。
あんたらは先に行ってくれ。蒼龍隊が殿を引き受ける」
「わかった」
斎藤は耳の無線に手を当てた。
「桐野、俺たちは行くぞ。
基地で会おう」
「ああ、無事を祈る」
庸平たちは島の裏手の海を目指して草原を走っていた。
向こうに政府軍の車が2台停まっている。二人を探しに来たのだろう。
「これを着て」
庸平が渡したのは男物の軍服。
「あとこれで髪を隠すんだ」
千紗は長い髪を後ろに結ぶとそこにキャップを被せた。
軍服を着た二人は、車に近づく。
車には2人ずつ男が乗っていた。
一人で近づいてくる千紗に気づくと、男たちは車を降りて駆け寄った。
「誰だ?」
「応援に来た」
「おう、助かるぜ。こっちに女が逃げたかもしれないらしい。よく見張っておいてくれ」
待て、と一人が引き止めた。
「怪しいな。他の隊員は?」
「"俺"の部隊は後から来る」
「よく見りゃお前、女じゃないのか…?」
男たちがざわつきだしたとき、千紗は突然男たちの後ろを指差した。
「おい!あれを見ろ!」
男たちが振り返ると、車の陰から現れた庸平が機関銃を撃ち放った。
バタバタと男たちが倒れたところで、しゃがんでいた千紗が立ち上がって駆け寄る。
そこへ、遠くから数台のエンジン音が近づいてきた。
「もう追っ手が来たらしい。
車に乗ってろ。
……運転は?」
「得意よ」
「よし、俺が敵を止めておく。
先に行け」
「わかった」
車のドアにかけた千紗の手が止まった。
「ちゃんと来てね」
念を押すと千紗を乗せた車は走り去った。
それを見送ると、庸平も反対方向へ走り出す。
奥から車が2台、バイクが1台向かってきている。
1ヵ所、草原が岩の上に突き出ているところがある。
庸平は停まっていた車からロケット砲を取り出すと、岩に背中をつけて身を潜めた。
次第にエンジン音が迫る。
庸平が拳銃の撃鉄を引いたとき、その頭上からバイクが飛び出した。
瞬間、庸平は地面へ仰向けに飛び込むと、バイクの男を撃ち落とした。
その左右を車が走り抜ける。
一台はそのまま千紗を追うも、もう一台は急転回すると庸平めがけてアクセルを踏みきった。
庸平がロケット砲を拾って向けると、車は急ハンドルを切った。しかしその横っ腹へ、すかさずロケット砲が撃ち込まれる。
横転する車を尻目に、庸平は機関銃を肩にかけ、バイクを起こして走り出した。
敵の車は前を走る千紗の車の姿を捕らえた。
助手席の窓が開くと、サングラスの男が身を乗り出して千紗めがけて銃を乱射する。
そのとき、数発の銃弾がサングラス共々男の顔を貫いた。
意表をつかれた車の横に、機関銃を構えた庸平のバイクが並ぶ。
後部の窓が開き、慌てて銃を構えた男が出てくる。
そこへ庸平から、手榴弾が投げ込まれた。
車内が混乱する間に手榴弾が爆発し、コントロールを失った車はそのまま前方の岩へ激突した。
庸平が追いつくと、千紗も車を停めた。
後ろを見ると、さらに数台車が追ってきている。
まだ海は遠い。
「もうちょっとだな」
庸平は千紗のもとへ行くと、運転席のドアを引きはずした。
「どうするの?」
庸平は千紗に作戦を伝えると、荷台に飛び乗った。
「よし、出せ!」
車が発進すると、迫る敵軍へ庸平が機関銃を放つ。
そうして敵軍との距離を引き離すうちに、海が近づいてきた。目前には崖が迫る。
「庸平!」
庸平はすかさず立ち上がり運転席へ手を伸ばす。
千紗はその手をとった。
「よし!行くぞ!」
合図とともに二人は車から飛び出した。
空中で千紗を抱き止めると、庸平は背中から着地し二人は抱き合ったまま転がった。
「痛てて…」
「大丈夫?」
「ああ、下が草でよかったよ…」
二人を残して車は真っ逆さまに海へ落ちていった。
千紗が庸平に肩を貸し、二人は窪みに身を潜める。
ほどなくやって来た敵の兵士は、車の落ちたところを覗きこんでいた。
二人はそっとその場を離れ、少し先の岬へ。
岬から下を覗くと、永井組の組員がボートで待機している。
ロープで崖下へ下りた二人を乗せると、ボートは島を離れた。
庸平はその場にぐったりと倒れる。
隣で千紗も横になる。
「庸平…」
「ん…?」
「やったね」
二人は顔を合わせて笑い合った。
波は穏やかに、二人のボートを岸へ運ぶ。
話は飛んで3か月後、暗い一室で二人の男が対峙していた。
桐野庸平の形をした“それ”は重たい口を開く。
「任務完了。邪魔は消した」
向かいの武田と名乗る男は口元の微笑を絶やさない。
「お前も、死にたいか」
「死ぬことは、許されない。
生きることも」
顔色一つ変わらない、生気のない“それ”から出てくる音は、低く、感情のない、それでいてなお力強く胆を響かせる。
「じゃあお前はなんなんだ」
「美学を遂げる。それだけのためのものだ」
「なぜ、そうまでして?」
「…」
「…」
「償いだ」
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