藤の夢

鈴葉

序章 出会い

 河越氏の館では下女達が主たちの食事を作っていた。

「おはよう、皆。忙しいところごめんなさい。誰か鈴を見なかった?」

「姫様!おはようございます。」

「鈴様なら、朝食を包まれていつもの所へお出かけになりました。」

「今日も!?御父上が亡くなってから毎日欠かさず・・・もうひと月だというのに」



 冬の寒さが残る早朝。

 サクッサクッと、砂利を踏む音に、お社で夜を明かした少年は警戒するように静かに目を開けた。そっと格子の隙間から外を覗けば、まだ年端もいかぬ少女が体の大きさに似使わない荷物を大切そうに抱えてこちらを見つめていた。

 少年は息を呑んだ。

(気が付かれたか?)

 しかし、少女はお社の中の少年には気づかず、ペコリとお辞儀をしたかと思うと、格子戸の前の階段にちょこんと座った。

 足音の正体が小さな女の子であった事に、少年はほんの少しだけ警戒心を解いた。そして、ふと浮かぶ疑問。

 ―――こんなに小さな子どもが、こんな時間になぜこんなところにいるのか。

 普段なら、人との接触は避けるために、少女が去るまでお社の中で息を潜めていた。それがなぜか、何かに背を押されるように格子戸を開け、少女に声をかけたのだ。

「ねぇ、どうしてこんな時間に一人でこんな所にいるの?」

 少女がビクリと肩を震わせて、振り向いた。同時に、声をかけた自分に少年自身も驚きの表情を浮かべた。

 二人の間に沈黙が流れる。それは不思議な感覚。少年は少女に確かに何かを感じた。

 そして少女も同じだった。沈黙を破ったのは少女であった。


「お兄ちゃん、もしかして天子様のいらっしゃる京都から来たの?」


 少女の声は鈴の音を転がすような愛らしい声、そして真っすぐな何にも穢れていない澄み渡った声音であり、少年はすっかり警戒心を解いた。


「そう。京から来たんだ。けど、旅の途中だから、夜が明けたらここを離れるよ」


 少年は少女を怖がらせないように優しく答えた。

 その返事を聞いた瞬間、少女の顔は満開の桜のようにパッと華やいだ。


「お兄ちゃんを待ってたよ!やっと会えた!とと様の言った通りだった!」


 ピョンと立ち上がり、少女は少年に持っていた荷物を「はい」と差し出した。

 わけのわからない少年は、どうしたものかと困惑していた。荷物を受け取ろうとしない少年に、少女の顔は見る間にしぼんでいく。


「お兄ちゃん、もらってくれないの?」


 その何とも悲しそうな顔をみた瞬間、少年は反射的に荷物に手を伸ばした。


「ありがとう。・・・けど、これは何かな?」


 少女は受け取ってもらえたことが嬉しかったようで、再び満開の笑顔を見せる。


「私のとと様が私にお願いしたの」そう言うと、少女は少し寂しそうな顔をしながら、とと様との約束を話し始めた。


『いいかい、もうじきとと様は死ぬ。それから少しした頃、京の都から旅人がくる。その人はお前にとってとても大切な人だ。そして、その人は今困っている。だから、旅の助けになるように、食事とそこにある荷物を渡してあげるんだ。』

『とと様は死ぬの?しんじゃ嫌だよ。とと様も一緒にその人を助けてあげようよ』

『ごめんな…出来る事なら私もその人に会ってみたかった。けど、無理だ…一人にしてごめんな。寂しい思いをさせる、だが忘れるな。その人との出逢いはお前にとってかけがえのないものになる。だから、必ず約束を果たしてくれ―――』


「御父上は亡くなったの?もしかして…母上もいないの?」

「…うん」

 少年はその場に膝をつき、少女の頭を優しく撫でた。

 なぜ自分がここに来ることが分かったのか、なぜ名も知らぬ旅人に施しをするのか、追われる身の自分がどうしたらこの少女の大切な人になるのか、疑問はたくさんあった。

 しかし「両親が先立った独りぼっちの少女」の寂しさに、自分の過去がほんの少し重なって見えて、疑問すべてに蓋をした。


「家族は?今困っていることはないの?」

「大丈夫。お館様がおそばに置いてくれたから!郷様も一緒にいてくれるから平気よ」少女は寂しそうに、それでもにっこりと笑って見せた。

 両親がいない拠り所のない寂しさは、きっと本人でなければわからない。けれど、この子は今、生きていく為の居場所はある。そのことに少年はホッとした。


 いつのまにか日が昇ってしまっていた。


「そろそろ出発しなければ―――ありがとう。これは有り難くいただくね。」

「うん!」

 立ち上がり、もう一度少女の頭を撫でた。

 長居はできない。いつ追ってに見つかるともわからない。

 少年は少女にもう一度お礼を言って、横を通り過ぎる。


「あっ!お兄ちゃん、お名前聞いてもいい?私はすずというの!」

 少女は思いついたように少年の背中に声をかける。

 少年は立ち止まり、静かに振り返る。ほんの少し、考えてから、静かに名乗った。


「俺は九郎だよ。すず、ありがとう。さようなら。」

「九郎お兄ちゃん・・・さようなら!」鈴は少年が見えなくなるまで手を振った。


 少年”九郎”は、今度こそ振り返ることなくその場を去っていった。

 その行き先は”奥州平泉”


 そして、鈴と九郎、二人が再会を果たすのはそれから10年あまり先の事。

 この時、確かに二人の縁は結ばれたのであった―――




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藤の夢 鈴葉 @suzunoha

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