ハムスターだけど、君を愛してる

aoiaoi

もちろんまたハムスターで!

 俺は今、天界で休養中だ。

 この前まで、キュートな三毛のゴールデンハムスターだった。 


 俺の中には、ハムスターだった記憶と、その前のセミの記憶と、そのまた前のアリの記憶が残っている。と言ってもセミとアリ時代の記憶はかなりうっすらと曖昧で、卵から孵り、幼虫から成虫になって子孫を残したというあらすじが残っているだけだが。

 セミからハムスターに生まれ変わった俺は、愛情深い主人に飼われ、たくさんの喜びを経験した。そしてつい最近、2年ちょっとの幸せな寿命を終えて天界へ戻って来たのだ。


 こっちへ戻ってからは、毎日ふわふわと夢のように柔らかく心地よい部屋で美味な食事を好きなだけ食べ、好きなだけのんびりしてたっぷり眠って暮らしている。あの回し車を嫌という程回さなきゃならない仕事から解放されたことは至極快適と言える。

 今朝、いつものように庭へ出て朝の日差しを浴びながらあくびをしていたら、美しい天使が舞い降りてきて微笑んだ。大きな白い翼と柔らかそうな金髪が眩しい。服装はクラシックな執事風だが、上から下まで目の覚めるような純白だ。

「局長がお呼びです。参りましょう」

 局長……って、誰だっけ。

 朧な記憶がしっかりと出てこないまま、俺は彼の翼の後ろについて空へ飛び立った。


 天使と一緒に、広く明るい雲の上をしばらく緩やかに飛ぶ。

 ひときわ高い雲の上に降り立った彼にいざなわれ、俺は真っ白く輝くトンネルをくぐり、トンネルを出た先にある銀色に眩しい扉から明るい部屋へと入った。


「やあ、来たね」

 部屋の奥、大きな窓を背にした銀の机と椅子から、渋み溢れるロマンスグレーの男が立ち上がった。

 純白のスリーピーススーツに銀のネクタイ。すらりとした長身が、大股に俺へ歩み寄る。

 なんとも品のいい爺さんだ。無造作かつダンディに整えた髪は今こそ銀色だが、明るい空を思わせる淡い青の瞳は歳を感じさせない瑞々しさを湛えている。若い頃は相当にイケメンだったろう。

「ガブリエル、これを後で書庫へ戻してくれ」

 俺を導いてくれた天使へ分厚いファイルを渡しながら、彼は優しく微笑んだ。

「お疲れ様。こっちに戻って来て、少し休養は取れたかい?」

「ええ、はい。お陰さまで」

「私は、ここの局長だ。正確には転生事務局長というやつだな。

 今日君にここへ来てもらったのは他でもない。下界へ降りる体力気力が回復していれば、君を新しい命として送り出そうと思っているのだが。どうだろう?」


 そのグッドニュースに、俺は飛び上がらんばかりに歓喜した。

「え……ほんとですか……!?

 はい、今すぐにでも転生希望です! ありがとうございます!!」


「前世での君は、どうやら多くの幸せを生んだようだな。やる気があっていいという採点員の高評価が早期の転生を叶えた。

 高評価取得者には次回生まれ変わる際に本人の希望を考慮できることになっていてな。

 君としては、次はどの生物として生きるのが希望だ?」

 彼の優しい問いかけに、俺は思わず素直に即答した。

「はい、もちろんまたハムスターで!!!」


「…………は?」

「ですから、またぜひハムスターで。可能ならば前回と同じ飼い主さんのところが希望です、というか絶対にそれでお願いします」


「…………」

 ダンディ爺さんの眉間が、ぐいっと引き攣った。


「ありえない……なんだこれは。一体どういうことだ!?

 ガブリエル!? 今、この者とちゃんと『トンネル』をくぐり抜けて来たんだろうな!?」

「は、はい、それはもちろん……」


「…………そんな。

 寿命を終えて戻って来た魂があのトンネルで記憶をリセットされないなんて重大なバグ、これまで一例もなかったじゃないか!?」

「い、いえ局長。ごく稀にリセットできない欠陥を持った魂が出現することが報告されています。……失礼ですが、更新情報毎日ちゃんとチェックされてます?」

「とっ当然だ!! 私が局長になってからは一度もなかったんだ! この300年間一度もな!!」


 彼らのどこか間の抜けた言い合いを、俺は呆然と聞いていた

 俺って、そんな重大な欠陥を持ってたのか……。今の今まで知らなかった。自分のこの記憶がバグだったなんて……。 

 局長の険しい視線が、再びぐるっとこっちを向いた。

「君。今までも何度か転生をしているはずだが、これまで一度も引っかからなかったのは一体なぜだ!?」

「え、ええっと……多分、局長の質問にぼんやり答えてたせいじゃないかと……蟻とセミをやった記憶が微かに残ってますが、前世がどうだったとかそういう詳しい話は誰にも一切しなかったと思うんで」

「……ああ、そういうことか……」

「局長、如何致しますか? もうこの者を転生させるための準備は概ね整ってしまっているのですが……」

「うむむ……」


 俺は、黙って俯き、ぐっと唇を噛む。

 この記憶は、消したくない。

 この記憶が残っているからこそ、俺は一刻も早く下界に降りたいんだ。

 もう一度、彼女に会いたい。今すぐに。


 局長はフロアをせわしなく右往左往しながら銀の髪をわしゃわしゃと掻き乱す。

「参ったな……ガブリエル、このバグの修正方法はあるのか?」

「いえ、現段階では。原因不明の大変難しいバグです」

「うーん……」


 はあっと額を押さえてため息をひとつついてから、所長は気持ちを切り替えたようにすっと俺へ顔を向けた。

「——仕方ない。このまま転生させる以外方法はなさそうだ」


 その言葉に、俯いていた俺の顔が喜びでぐわっと持ち上がった。

「ほ、本当ですか! 是非このままでお願いします!」

「ただし、条件がある。前世の記憶は下界では決して口にしてはならない。約束できるか?」

「はい! お約束します!!」

「万一、一言でも前世の記憶を周囲に漏らせば、下界タイムは即終了だ。いいね?」

「了解です」

 俺は深く、強く頷く。


「——よし。では君を信じよう。

 で、君がまたハムスターとして前の飼い主のところへ戻りたいことには、何か特別な理由があるのか?」

「彼女を、守りたいんです。全力で。

 彼女を守れるのは、俺だけです」


 局長は、じっと俺を見つめ、やがて小さく微笑んだ。

「そうか。わかった。

 ここまで具体的な本人の希望に応じるのは些か規則違反だが、そんな目で見つめられては仕方ない。

 君の望み通りにしよう。その人の為に、力一杯やってこい」


「————ありがとうございます、局長」


 嬉しさに、思わず声が詰まりそうになる。

 俺は局長を見上げ、深い感謝を伝えた。


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