その4 学校に行きたくない
学校に行きたくない。
そう思ったのは高校三年の頃、夏休みが終わろうとしていた時だった。
厳密にいえば、五月のゴールデンウィークを終えてから、ぼんやりと行きたくないとは感じていた。詳細は伏せる。ただ、嫌なことがあったのだ。いつか話すときもあるだろう。
高校三年の夏と言えば、皆が皆将来に向けて突き進もうとする時期だ。就職する者もいれば、大学や専門学校などへ進学をする者もいる。
将来を見越したうえでも、重要な時期だ。
私もそれを理解していた。ここで学校へ行きたくないと親に言うとどうなるか……。当時、私は学年でも上位に入るほどの成績を持っていたので、親の期待もあったが、学校に対してのプレッシャーも感じていた。
私は、私の気持ちを飲み込んだ。若かりしの苦労は買ってでもするべきだという言葉をどこかで聞き、それを真に受けて自分の気持ちを押し殺したのだ。
結果が、現在というわけだ。うつ病となり、健全な心身を喪った。それはもう、二度と戻ってこないものだ。
私は思う。――あのとき、学校に行かなければどんな人生が待っていただろうかと。
今とは違う人生だ。想像するしかない。想像した結果、苦労する姿がちらつくが、今も苦労しているには変わりないのだからどちらにせよといった具合か……。
時々夢想する「もしも」の世界に耽ることがある。だけどそれらは、自分にとってはもう二度と手に入らないものが大半だ。夢想に耽っているときは気分はいいが、現実に戻された時の反動が大きい。
そんな私には、何ができるのか。
過去の記憶を「もしも」という仮定の話で振り返ることで自分を傷つけ、慰めることくらいしかできなくなった私には、何ができるのか。
幸いなことに、私は曲がりなりにも拙くも文を連ねることができるようだ。ならば、それを扱えばいいと思った。
このエッセイを読んでくれている方の中には、学生の方もいるだろう。その学生に向けて、私は今回、文を書き起こしている。とあるひとりの男のボヤキだと思って、聞いてもらって結構だ。
学校に行きたくない。
人にはそれぞれの苦悩があるだろう。なんとなくに一過性で学校に行きたくないと思う人もいれば、身が裂けそうなくらいに辛くて二度と行きたくない、当分行きたくないという人もいるだろう。
そういうときは、私は学校に行かなくてもいいのではないかと思ってしまう。
親からすれば、自身の子供が不登校になるのは驚くこともあるだろうし、それなりにショックだろう。だけど、「みんなも行っているだろ」とか「我慢しろ」という言葉で子供のSOSを押さえつけるのは、親のエゴだと思っている。
私はうつ病となっている身だ。
私の親は、私のうつ病を認めようとせず、長いこと根性や気合でどうにかなるものだと思っていたようだ。そんな親に、私の主治医は言った。
「何を謝る必要があるんですか。子供は被害者ですよ。責めるあなた方も同じです」
私はこの言葉に、どれだけ救われたことだろうか。
そう。被害者なのだ。私も失念するところだったが、病に侵されるほどに被害を受けたのだ。
学校に行きたくない。行くことで病に侵されたり、最悪、自殺してしまうよりかは遠回りしてもいいと思っている。周りに迷惑をかけるのは承知だ。だが、その迷惑は自分がある程度回復したら少しずつ返済していけばいい。
前にも言ったが、逃げることは恥ではないし役に立つ。生きることが大事だ。生きるために必要と感じるならば、学校を休むくらい些細なことだ。少しくらい回り道することくらい大したことはない。
8月も下旬に差し掛かろうとするこの時期、私は自分の苦い学生時代を思い返し、ふとそんなことを思うのだ。
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