その1 創作活動

 私が創作活動をし始めたのは、いつ頃になるだろうか。


 幼稚園児くらいの頃から、私はテレビゲームで遊ぶことが趣味だったが、その時遊んでいたゲームのステージをスーパーのチラシの裏とかに書きまくっていた記憶がある。あれが創作活動というのなら、私は5~6歳の頃から何かしらの興味を創作活動に見出していたことになる。


 小学生になり、自由帳を親にねだって買ってもらうと、一日で最後のページまで真っ黒になるまで何かを書き、どんどん新しい自由帳を買って買ってとねだるものだから、しまいには親が怒って「1か月に1冊」という制限が出てしまった。


 しかし、制限が出て懲りる私ではない。鉛筆で書き殴って真っ黒にした自由帳を消しゴムで全部消し、再び1から何かを書くという事を繰り返していた。ゲームと創作活動が、私の原動力となっていたのだ。


 そんな私であったがゆえに、教科書のわずかな空白などはラクガキスペースにしか見えていなかった。先生から「教科書にラクガキしないように」と言われているにも関わらず書きまくり、唐突に始まる教科書チェックでラクガキがばれて怒られるというのを繰り返していた。歴史の偉人の肖像画など、小学生にしてみれば変顔にするための遊び道具であった。きっと今でもそうだろう。椅子に根が生えたように座って先生の退屈な授業を少しでも長く聞くためには、授業の合間合間に偉人の顔をいじくって遊ぶというリラクゼーションが必要なのだ。砂漠に存在するオアシスみたいなものである。


 そんな私であったが、実のところ文章を書くのには苦手意識があった。理数系か文系かと言われたら、私は理数系の頭脳だ。


 中でも国語と社会が苦手であった。中でも歴史になると脳みそがパンクする。覚えたらいいだけと皆は言うが、私は覚えることが苦手なのだ。何が悲しくて見知らぬ他人の過ぎ去った遠い過去を振り返らねばならないのか。縄文時代は現代社会を生きる私に縄文土器を作ってくれる技術を教えてくれるのか。そんなことよりも私は現代社会を円滑に過ごせる技術が欲しい。私は今と未来に生きているのだ。はっきりと言えるが、私は縄文時代から令和まで順番に言えるかと訊かれたら無理である。縄文弥生までが限界で、時代は過ぎ去り昭和平成令和となる。私にとってその間は空白の、なかったものとなっている。


 国語も漢字が苦手であった。テストの点数稼ぎと言えば記号を勘で正解を引き当てることだった。こんなところで無駄な運を私は消費していた。ここで消費した運をすべてなかったことにできるのなら、宝くじの1等とまでは言わなくとも3等くらいは当選していてもおかしくない。


 そんな私がこうして執筆活動をし始めたのは、小学6年生の頃である。


 当時、家庭に普及しつつあったパソコンとインターネットというものが、我が家にもやってきたのだ。


 今でこそ当たり前に存在するインターネットではあるが、当時は未知のフロンティアであり、なんか世界につながって色んなことができるらしいくらいの知識しか大人も子供も持ち合わせていなかった。


 大人がそんなだから、子供なんて余計にわからないものだ。しかし、わからないものではあるが興味がそそられるものではあった。初めは親ばかりがパソコンをいじっていたが、やがて私にも使う機会が与えられた。


 初めはパソコンに標準で入っているゲームを遊び、そこから遊びながら学べるタイピングゲームをし、そうしていくうちにアルファベットは読めずともローマ字での打ち込みはできるようになっていた。そのため、中学に上がった頃にあった学校でのタイピング速度を競うテストでは学年でも1位2位を争っていた。


 小学6年の頃に話を戻そう。そこそこ我流ながらタイピングができるようになっていた私は、インターネットへと足を踏み入れた。今でこそ危機管理が大人にはあり、子供が変なサイトにアクセスしないように対策を講じるわけなのだが、当時はそこまでとやかくと言われていなかった時代であった。インターネットに接続していても、親は何も言わなかったし、私も検索することと言えばゲームのサイトを覗くことくらいであった。


 ある日、とあるゲームのことを検索していたときと、ひとつの掲示板にたどり着いた。そこではそのゲーム事に関する攻略情報やペイントツールを使ってのラクガキ置き場、他のキャラになり切って他者との交流を行う通称「なりきりチャット」などがあった。


 その中に、投稿掲示板があった。中を覗いてみると、ゲームのキャラを使った二次創作から一次創作まで、幅広いジャンルを扱った小説が置かれていた。


 私はろくに文章も書いたことがないというのに、何気なく短編をポンッとひとつ置いてみた。今にして考えると、小説と呼ぶにはあまりにも拙いものであったであろう。如何せん小学6年生の、文章もまともに書いたことのない子供の作品だ。読書感想文など、文章の9割を作品のあらすじで敷き詰め、最後に「おもしろかったです。」と内容などろくに読んでいないのにそうして締めくくるのだ。文字数稼ぎに「面白かったです。」ではなく「おもしろかったです。」と全部ひらがなにしているのも個人的にはポイントが高い。こんな姑息な知恵を働かせるクソガキであったのだ。


 誰にも見向きもされずにインターネットの闇に沈み込むような処女作のはずだった。しかしそれは、掲示板の管理人に発見され、感想がひとつ添えられた。


「面白かったですよ! これからもどんどん書いていってください!」


 今にして思えば、それが社交辞令だったのかもしれないなと思う。だけど、それでも処女作に初めて感想がもらえた、反応がもらえたというのが嬉しかったことは覚えている。


 その日からだろう。小説もろくに読まないくせに、小説を投稿し始めたのは。


 文章作法などなっていない。書きたいことを書いているだけ。……いや、それは今も変わらない。だけど当時はもっとすごかった。切り貼りした文章をペタペタと貼り付けているような感じの作品だらけだったが、それでも感想がもらえたことが嬉しくて書き続けた。


 やがて中学生になると、私は衝撃を受ける出会いをしてしまった。


 ライトノベル。今でこそ認知されているが、当時はライトノベルというものが出始めたばかりであり、さらに言うと同時期に流行していた携帯小説と同系列という認識がされていた。


 今まで小説と言えば「人間失格」や「こころ」や「舞姫」のように堅苦しい感じのTHE・BOOKSというイメージであったが、良い意味でライトノベルは私にとって読書の入り口にうってつけだった。ちなみに、初めて読んだライトノベルは、今も大事に本棚にしまっている。それだけ思い入れが深い。


 今まで漫画三昧ゲーム三昧だった私が小説を読み始めたという事態は、家族にとっても衝撃的だったらしい。小説が買いたいというと、親は何の抵抗もなしに財布のひもを緩め、私におこづかいを渡すのだ。ただ、両親たちが考えている読書内容と、私の実際の読書内容は乖離していただろうが……。


 ライトノベルを読み、その影響を受けまくった作品を初めのうちは書いていたが、人間やはり成長するもので、何度も反復練習をしていくとネタの引き出しが増えていくものらしい。同テーマを扱っても、パッと見では模倣となるような作品に仕上がらないように、あの手この手で試行錯誤していき、完成させていった。


 やがて私は、新人賞に応募したいという気持ちが湧いてきた。それは大学生の頃、うつ病で何にも手が付かなかった時期である。


 なんでもいいから何か書きたいと思ったのか、私はパソコンを立ち上げて執筆活動をしていた。とはいえ、何も手がつかない時期だった。パソコンを立ち上げて画面と8時間にらみ合って書いた文章が1~3行だけだなんてざらであった。


 それでも1年くらいかけて完成させた作品を、私はとある新人賞に応募した。


 本当になんとなしに応募しただけであったが、後日、出版社からの通知でその作品は1次審査を通過していたことがわかった。


 大なり小なり、その時の私の達成感はうつ病の改善に影響を与えただろう。何の取り柄もなく、何もできないと思っていた私であったが、1次審査を通過させられるだけの技量は認められたのだから。他人から何かを認められるというのは、それだけで嬉しいものだし、影響を与えるものだと私は思っている。


 その後、社会人となり多忙となった私は、一時期執筆活動から離れることになった。しかし、こうして再び戻ってきているのを考えると、私の創作活動の原初はここにあるのだろうと考えている。





 さて何を書こうかと思いながら、私は今日もコーヒーを片手にネタ探しを始めている。




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