月の輝く夜に、永遠の君を想う

ヴィルヘルミナ

第1話 月の輝く夜

 夜更けの宰相室に、ろうそくの灯りが揺らめいている。昔は庶民の夜を照らす必需品だったのに魔法灯ランプが普及した帝都では、ろうそくは逆に贅沢品になってしまった。


 ろうそくの赤い炎を見ながら、遥か昔の恋人シェンリュを思い出す。美しく長い銀髪に青い瞳。当時の左大臣の庶子であった彼女は、帝都の片隅で針子としてつつましく暮らしていた。


 当時の私は魔力を隠し文官として宮廷に勤めており、私の官位が上がった時に結婚しようと密かに約束を交わしていた。


『セイラン、魔力があるのに髪は伸ばさないの? 私、この色大好きなの』

 彼女はそう言って、私の白緑色の髪を褒めた。多くの民族が行き交う帝都でも珍しい髪色を私自身は好きになれなかった。


『髪を長くして魔力があるとバレたら、文官ではなく武官か医官にされてしまうだろ。俺は武官にも医官にも向いてない』

『そうかしら? どちらでも素敵だと思うわ』


『武官や医官には地方出張もあるから、こうしてシェンリュの所に来ることも減る。……俺はもっと君に会いたい』

『私もセイランと一緒にいたい』

 正直に言えば、武官や医官では上級官位が望めない。母親が亡くなり長年放置された庶子とはいえ、左大臣の娘である彼女に求婚するには身分が足りなかった。


 月の輝く夜には逢瀬を重ねていたが、最後まで清らかな関係だった。ろうそくの灯りの中、二人で肩を寄せ合い、窓の外に輝く夜空の月を見ているだけで未来の希望と夢が溢れる幸せな日々の思い出は、今でも私の心を温める。


 ささやかで幸せな日々は、唐突に終わりを告げた。左大臣の正室の娘が突然病死し、庶子の彼女が当時皇子だったリョウイの婚約者にされて私たちは引き離された。


 奪い返そうと左大臣の屋敷に侵入した時、すでに彼女はリョウイと契りを済ませていた。彼女は貴族の血を受けた自分には義務があると言い、涙を零して私に別れを告げた。


 自らの無力に絶望し文官を辞職した私は、魔術の研究の為に国中を放浪した。外国へ出ることがなかったのは、彼女に未練があったからだと認めなければならない。


 ろうそくの灯りが揺らめき、金髪に青い瞳の壮年の男が現れた。

『久しいな、セイラン。……お前は若いままで変わらないな』

 先代皇帝のリョウイは、死んだ後に時々こうして宰相室に現れるようになった。


「そろそろ冥府に降りたらどうです? 青月妃……シェンリュが待っているでしょう?」

『絶対に後を追うなと約束したのだがな。……生きて幸せになって欲しかった』


 リョウイは国中に広まった流行り病を抑える為に自分の命を犠牲にした。その葬儀を終えた後、皇后であり青月妃だった彼女は、皇帝廟の中で自ら命を絶った。


「私に彼女を押し付けるなと言っておいたはずですよ」

『すまない。……だが、シェンリュは……』

「まだ彼女の言葉を信じていないのですか? 二十五年前、彼女は貴方を選んだ。それは間違いありません。そして、最期も貴方を選んだ。それが彼女の本当の答えですよ」

『セイラン……』


 リョウイの葬儀の最中も、彼女は毅然とした態度を崩さなかった。皇帝は国を護る為に立派に務めたと歴史書に記述をさせ、石碑にも刻んだ。


 喪が明けた後、私は彼女を後宮から連れ出すつもりでいた。彼女に若返りの薬を使い、どこか静かな町で共に暮らす夢を見ていた。それが私の身勝手な夢だったと思い知らされたのは、彼女が自決した時だった。


 彼女はリョウイを愛していた。

 彼女はまだ私を愛している、やり直すことができるという期待は、私の妄想でしかなかった。


「前皇帝である貴方が心配しなくても、この蝶遊苑ジョウユエン国は異世界人のカズハのおかげで延命しました。再生したと言ってもいい程、地脈が活性化しています」

 地脈が枯れ、限界を迎えていたこの国は再生し、来年もしっかりとした実りが期待できるだろう。異世界人の力は神にも等しいものだった。


 異世界からの迷い人カズハは、新皇帝の正妃――青月妃として選ばれた。皇帝を信じて皇帝の為に大地を癒し、怪異を鎮め続けたが、皇帝の裏切りを知って私の侍女と逃げてしまった。


『お前の侍女、ユーエンが男だったとは知らなかった。歳が離れすぎているが、お前もようやく伴侶を見つけたのかと思っていた』

「私に男色の気は一切ありませんよ」


 堕ちた神々に狙われていた少年ユーエンを助ける為、女装をさせ侍女として後宮へ送り込んだ。ユーエンがカズハの侍女になるまで、夜は寝所を共にしていた。もちろん寝台は別だ。……確かに周囲には、男女の仲だと誤解させようとしていた。特に彼女に。


『お前が突然、宰相になることを承諾したのもユーエンを後宮へ隠す為だったのか』

「さあ。どうだったでしょうか。昔の話です」


 放浪する中、リョウイからは何度も宰相になるよう要請されていた。ユーエンを護る技量が自分に無かったことが、ここに戻って来た理由だった。代々の皇帝が残した奇跡の力で護られた後宮でしか、ユーエンを護ることはできなかった。


 もしも私にユーエンを護るだけの魔力があったなら、二度と戻ることはなかっただろう。昔も今も、私は無力だ。強大な力を持つ魔術師と言われても、本当に護りたい物を護れなかった。


「カズハとユーエンのことは全くの計算外でした。特にカズハは面白い。伝説の青月妃の一人として、広めるつもりです」


 新皇帝の御世は始まったばかりで不安定だ。人々の信頼を受けるようになるまではまだまだ時間が掛かる。それまでの繋ぎとして、国を救った青月妃の物語を広めて人々の心を掴まなければならない。


 新皇帝には二人の青月妃がいるという話が良いだろうか。それとも蝶の簪が女性に変化したという話が良いだろうか。構想は果てしなく広がっている。


「さて。私は執筆作業を始めます」

『そう追い立てるな』

 リョウイが昔のように苦笑する。私が文官だった頃にも、夜に抜け出して来てはこうして話をしていた。あの頃、私に恋人がいる事を教えていたら……彼女が恋人だと惚気話の一つでもしていたら、この結末は変わっていただろうか。


 魔法灯を点け、ろうそくを吹き消すとリョウイの姿が薄れた。魔法灯の光は、死者には眩しすぎるらしい。

『また来るぞ』

「この国は大丈夫ですから、早く冥府に降りなさい」


 苦笑して姿を消したリョウイは、まだ冥府に降りるつもりがないのだろう。私に遠慮はいらない。彼女を幸せにしてくれればそれでいい。


「……長生きしなければなりませんね」

 二人の邪魔をしないように。そして私が、まだ彼女を愛していることを知られないように。


「幸いにも、物語はいくらでも書くことができそうです」

 カズハとユーエンと過ごした日々は、短いながらも濃密な時間だった。思い返すだけで笑みが零れる。


 窓の外の夜空には輝く赤い月と緑の月。そして欠けた白い月。

 私は永遠に彼女を想いながら、月を見上げる。


 静かな夜は物語を執筆するのに都合がいい。私は筆に手を伸ばした。

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