第41話・人を誰かと間違えるのは基本的に失礼なことですよ?
「
祢宜さんから話を聞いた後、ショートコースへ行く前に大田原市内のスーパーに寄った。
祢宜さんお勧めの、お中元用ジュースセットを買うためだ。
「倍の音と書いてハイネなんて娘は知らないねえ」
ショートコースの丸木小屋に着いた。
応対してくれたのは、いつものおばさんだった。
「あの、この子なんですが」
そう言ってカウンターの上側の壁にかかっている大きな写真を指さした。
すると。
「あ、ああ
聞き間違いかねえ? と言っておばさんは快活に笑った。
あ、そうなのか? と一瞬ホッとしたのだが。
「でもこりゃ7年前の写真さね」
――7年前……ちょっとゾクッとする。
だが、実はここまでは祢宜さんの話と同じ内容だ。
かつて茶臼岳という苗字の女子中学生が那須に居て。
彼女はすごくゴルフが上手で、県北のゴルフ大会で優勝したこともあるのだとか。
美少女なルックスと相まって、一時はアイドル状態だったらしい。
だがゴルフ大会から1年たった頃には、祢宜さんは彼女の噂を聞かなくなったそうなのだが。
まさか……
「すっかりゴルフに飽きちまって、今じゃ東京で普通の大学生だよ」
……よ、よかった。
もし、既に亡くなっている、なんて言われてたら……
「そうですか、いやすみません俺の勘違いだったみたいで」
決して勘違いとかそういうレベルのことじゃなかったんだが。
たしかに後で見たケータイの写真は、練習場の単なる無人の打席だったし。
まあ、いわゆる幽霊の類いでなければそれでいいや。
ひと夏の不思議な経験でした、ってことで。
「え? いやいいよお、こんな高そうなもの」
またいつかプレイしに来てくれればそれで良いから、と言うおばさんに、少し強引にジュースセットを押し付けた。
「今度は一人じゃなく、仲間か身内と一緒に来ますよ」
「ああそれが良いねえ。一人じゃ寂しかったろうからねえ。またおいでな」
丸木小屋を出る。
何気なく練習場の方を見ると、客の居ないそこの端で黙々と球拾いをしている麦わら帽子の男性がいた。
片手を上げてきたので、頭を下げて挨拶した。
お邪魔しました、と。
あれが、おばさんの言ってた旦那さんだろう。
おばさんが一人でなくて良かったよ。
ま、俺が気にする事じゃないのだが。
と苦笑いしながらスタリオンに乗り込む。
発進させ、細い道を通ってT字の交差点で一旦停止。信号は無い。
走ってるクルマの合間を狙って、スタリオンを下り方向に乗せた。
行き先は大田原だ。
これで無事に神社に戻れば祢宜さんを安心させることが出来る。
ああ、適当な駐車場が有れば、そこからケータイで電話してもいいかもしれない。
いい知らせは早い方が良いからな。
と、思ったんだが……
「あ、祢宜さんですか? 加治屋です」
途中に適当な駐車場なんて都合の良いものは無く、結局山岳道路(屋敷へ行く道だ)との交差点まで降りてきてしまった。
その交差点の外側にコンビニの大きな駐車場があるのは知っていたので、そこに乗り入れてやっと祢宜さんに電話をかけられたのだが。
「ええはい、無事にお礼を渡し終えまして。それで……って……ええ?」
電話に出た祢宜さんは、俺を労いながらもその後に意外なことをリクエストして来た。
「…………」
それに加えて、倍音に関するコメントも。
「……分かりました。では出来るだけ早くに……はい、それでは失礼します」
金曜日の夕刻、観光地に至る四つ角の交差点はそれなりの混雑を見せていた。
その中、信号に従って山岳道路へとスタリオンを進ませる。
祢宜さんのリクエストは、館から忘れ物を持って来て欲しいというものだった。
「しかし正確に言うと物じゃなくて」
とか呟いたところで、さっきから感じていた後ろからのプレッシャーが一段と強くなったのに気づいた。
それでルームミラーをチラッと見たのだが……
「ああ、やっぱり」
ミラーには、紅白フルカウルの大型バイクとライダーがはみ出さんばかりに映っていた。
コイツはさっきのコンビニの駐車場にいた奴だ。
バイクの後ろには大きな荷物が括りつけられていて。
ライダー(少し小柄だ)は、フルフェイスのヘルメットにラフなブルゾンと暗い色のカーゴパンツ、ハイカットのスニーカー。
ツーリングの真っ最中でございますと言わんばかりの格好だった。
そいつは何故か、スタリオンにジロジロと遠慮の無い視線をぶつけて来ていた。
バイクのナンバーは品川だったが、ひょっとしてこのスタリオンは東京でも有名なのか?
いや、まさかな……
「いくらなんでもそれは……って」
山岳道路、最初の内は直線の上り坂だ。
那須湯本に至る道ではないので対向車もほとんどなくて、常識的な速度で走ってるこのスタリオンを抜こうと思えばいつでも抜ける筈なのに。
だが、その如何にも速そうな大型バイクは、何故かスラロームを始め、ヘッドライトによるパッシングもしてきた。
「こ、こいつ……」
煽ってやがるのか?
「…………」
行く方向は同じのようだし先行車や対向車もほとんどいない。
だから相手してやるのも
スタリオンの加速力が速そうなバイクにどこまで通用するのかにも興味があるし。
だが……
「……っと、こっちも手漕ぎだったか」
ハンドルを左手に任せ、右手でドアのウィンドウレギュレータをクルクル回す。
そしてその右手を窓の外に出し、先に行けと振って見せた。
いくら峠道でそれっぽい車を走らせてるからと言っても、俺は一応仕事の最中なんだからな。
遊んでる場合じゃないんだよ。
「さあ、さっさと行っちまいな……」
右手を振りつつ、スタリオンをわずかに左に寄せてアクセルも緩めた。
すると同時にバイクが追い越しにかかり、あっという間にスタリオンの右斜め前方に位置する。
そしてこちらに一瞥をくれた後(スモークシールドなので目は見えなかったが)、スタリオンの前方に出た。
ライダーの小柄な体躯に似合わない大柄な車体。
排気管が後ろタイヤの両側に一つずつ、そしてテールランプの両側にまた一つずつの計4本。
それらを収める為なのか、白ベースに赤い四角ラインの派手なフルカウルは、ふくよかな形状になっている。
それがスムーズに車線変更するのを見て、今日の午前中の、祢宜さんの巫女舞を思い出した。
素直に綺麗だと思った。
加速するのだろうが、可能なら少しの間ついて行って眺めてようかと思ったほどに。
だがこの紅白バイクはそれ以上増速しなかった。
いやむしろ減速し始めてる……?
「なんだってんだ?」
ライダーは左の掌をこちらに向けて振ってきた。
止まれのゼスチャーだ。
まるで白バイ隊員が違反車両に対してそうするように。
しかし俺はそんな違反をしていないはずで。
「…………」
ちょっとムッとしたので、わざとキツめにブレーキをかけた。
もちろん後ろに他のクルマやバイクが来てないことを確認した後でだ。
もしコイツが覆面白バイ(有るのかそんなもん?)だとしても知った事か。
「……よし」
こちらは完全に停車した。
紅白バイクのライダーは、もっとゆっくり減速すると思っていたのか、バックミラーを覗き込んで慌ててブレーキをかけ直して止まった。
それで、彼我の距離は20メートルほどに開いた。
「よしよし」
少しの間ライダーは上体を捻ってこちらを見ていたが、諦めたかバイクを降りてこちらに向かって歩いてきた。
止まれのゼスチャーは堂に入ったものだったが、バイクを降りた途端に頼りなく見える。
こういうのってライダーあるあるなのか?
まあ、ともかく……
「バカじゃね?」
ヘルメットを被ったままのライダーが運転席側に来て中をのぞき込んだところで、辛辣な言葉を投げつけた。
そしてスタリオンを急発進させる。
のけぞるライダーの焦った様子が視界の端に残った。
「ごくろーさん」
停めてある紅白バイクを抜いてシフトアップ。例の強烈な加速が体を襲う。
が、構わず加速し続けた。
止まらせた後の対応のまずさから、少なくとも訓練を受けた人間や警察関係者でないのは分かった。
だから遠慮しなかった。
つーか、こんな怪しげな奴に止まらされて(多分)イチャモン付けられるのなんて冗談じゃねーっての!
ライダーが走りにくそうなブーツで駆けてるとこがルームミラーに映ったが、バイクに跨った頃にはこっちはとっくに地平線の彼方さ。
ざまあ。
と思った時、直線だった道路はキツそうな右カーブに変わろうとしていた。
3速にシフトアップしようかと思っていた左手が戸惑う。
が、ギアはそのままで行くことにする。回転計の針がレッドゾーンに入ってもいいだろうと。
ある程度は本気で走らないと簡単に追いつかれそうな気がしたからだ。
そういう雰囲気を持ってたからな、あの紅白バイクは。
「いけっ!」
カーブの入り口、アクセルを半分ほど戻し、同時にハンドルを軽く切り込む。
得意のバッタコーナリングだ。
スタリオンは意を酌んでくれたか、再度踏み込んだアクセルにも忠実な反応を示して半分グリップ・半分滑りの状態でコーナリングしてくれた。
「よっし」
カーブの出口に続くは、またしても長めの直線。
ハンドルとアクセルを戻し、クラッチを切って3速にシフトアップ。
強烈な加速に目がくらみながらも、ルームミラーで後ろを確認。
当然ながら、まだ紅白バイクはその中に映ってはいなかった。
「ぶっちぎりだ」
このスタリオンだって、加速力だけならなかなかのものの筈だ。
だからいくら大型のバイクといえど、この差はそう簡単に詰められはしまい。
と、次の緩めの左カーブをアクセルを緩めただけでクリアしながら考えた。
あのライダーが何を目的にしてたのか知らんが、これで諦めてくれればいいのだが……
………………
…………
「まあ、ここまで来ればもう大丈夫だろう」
走り続ける山岳道路。
道は上りの直線主体から、アップダウンが少なくカーブが多いものに変わっていた。
そこでとうとう先行車に追いついた。
ブラインドカーブが多いので、安全の為に先行車(家族連れっぽいミニバンだ)の後を大人しくついて行くことにした。
あれから十数分。もう諦めてるだろいくらなんでも。
そして俺も、諦めた方が良いのかもしれん。
実は少し期待していたのだ。
幽霊疑惑を懸念して、祢宜さんが同行してくることを。
そして何らかのお祓いみたいな処置を施してくれるという事を。
だが、実際にショートコースに行ったのは俺一人だったわけで。
それでもまだ期待していた。
超自然的な体験をしたことに対する率直な感想を。
しかし、先ほどの電話ではそんなことは欠片も無く。
それどころか、そんな幽霊や妖怪や神様なんてこの世には存在しませんよ、という浮かれた俺に冷や水を浴びせる様な白けたコメントを頂戴したのだ。
つまり祢宜さんたちは、あくまでも金儲けの手段として今の仕事をしてるのだと。
そんな少年少女が信じるような夢物語は端から否定してますよと。
そんな普通に考えれば当たり前な仕事観を開陳されて。
少し(いや実はかなり)失望していたのだ。
まあ、俺が勝手に先走りしていたのは確かだ。
超常的な体験をして、直後に霊験あらたかそうな神社の家族と仲良くなる。
何やらノベルタイプのエロゲみたいな展開に、これから先どうなっていくのか、なんて。
でも彼女らは実際にはサラリーマン的な人たちだったと。
超常的な(エロゲ的な)展開なんてあるはずないですよと。
と一人で勝手にガッカリしていたところへ見知らぬ紅白バイクが絡んできたので、半ば八つ当たり的に冷たい対応をしてしまったのだが。
「おいおいマジかよ」
何か嫌な感じがして見たルームミラー。
そこには今まさにさっき通ったばかりのカーブを立ち上がってくる紅白バイクの艶やかな姿が。
こ、これは万事休すか?
「だがしかし」
右隣に並びかけてくる紅白バイク。
しかし完全に追い越すことは出来ないでいた。
それは当然。
俺がスタリオンと先行車の車間を極端に詰めてやったからだ。
そこへ丁度やって来た対向車。
已む無くといった感じでスタリオンの後ろに戻る紅白バイク。
すれちがう対向車を見送って、さてどうしたもんか、と思ったところで紅白バイクのライダーが意外な行動に出た。
ビッビーと、クラクションを鳴らしてきたのだ。
「……うへぇ」
ご丁寧にパッシングまで追加で。
そして、それで初めて後方を確認したのか、先行のミニバンがハザードを出して道の端に寄って減速した。
俺らに邪魔者扱いされたと思ったんだろう。
ちょうど長めの直線。対向車も来てない。
一緒に停まるわけにもいかず、渋々と対向車線に出てミニバンを抜いた。
当然紅白バイクもついてきた。
「っく」
車線に戻って2速に落としアクセルベタ踏み。
強烈な加速が体をシートに食い込ませる。
前に出させるわけにはいかんからな。
だが、驚くことにそんな加速の中でも紅白バイクが右隣に並んできた!
「チキンレースしようってのか!?」
道は狭いながらもほぼ平らの直線、300メートルほど向こうにカーブ。
そこまでどっちが速く行きつけるかの勝負だと?
「怖すぎるううううううっ!!」
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