第27話・斉一観その3

 

 信号は青の四つ角の交差点、その手前で車線が三つに増える。

 しかし俺は真ん中の直進の車線のままで。


「みぎにぃ……」


 横断歩道の少し手前、停止線。

 そのあたりに来たところでハンドルを右に切った。

 ハンドルだけを切った!


「まっが」


 時速■0キロで直進の最中に、ただ操舵。

 当然、前タイヤは悲鳴を上げて滑り始める。


「れえええ」


 と同時にクラッチを切ってギアを5速から3速にシフトダウンする。

 動きとしてはUの字を右から書く形だ。


「ええええええっ!」


 クラッチを切った瞬間、僅かに前タイヤがグリップを取り戻す。

 そしてシフトダウン後にクラッチを繋いだ瞬間、車体に右回りの力がかかった。

 よし曲がれる!


「!!!!!」


 アクセルを踏むと同時にクルマの後部からドガンという音と衝撃!

 それで後ろが滑ったと思う間もなく反射的にハンドルを戻す!

 右側の横断歩道を過ぎたあたりでタイヤが4輪全てグリップ、フル加速を開始!


 ここも栃木の郊外にありがちな広い交差点だった。

 だから、張り付いてるスーパーカーにオカマを掘らせないように、ノーブレーキで曲がってやる事も出来るんじゃないかと。

 そう思ったのは間違いじゃなかった、のだが……


「!!……うぇっ」


 またしても想像を超える加速力。

 遠くにある先行車の赤いテールランプが手繰り寄せられるように接近してくる!


「……!」


 ハイビームのまま3度パッシング。

 4速にシフトアップ。更に増速。

 対向車が無いのを確認して対向車線に出る。


「……うひいいいっ」


 強烈な加速に狭まる視界。

 冷たいものが下っ腹から胸・肩のあたりにまで這い上がってくる。

 が、それを恐怖と認識する前に、先行車(2台いた)が左横を吹っ飛んでいった。


「っっっ……」


 優しく慎重にハンドルを操作し、スタリオンを左の車線に戻す。

 ルームミラーを確認、ついてくるクルマは無い。

 そして5速にシフトアップ、アクセルを緩め、ゆっくりとスピードを落とす。


 中々落ちない速度の中、突然現れた対向車がクラクションを鳴らしながら通り過ぎていった。

 それで、やっとヘッドライトをロービームに戻す。


「こ、こええ……」


 しかし、それをするにはまだ速すぎた。

 狭い視界にビビりながら再びヘッドライトを上向きにして……


「んっ?」


 道路の左側に小さな看板があるのを発見。

 どうも、この先に観光客用の牧場があるようだ。


「これだ」


 スピードもかなり落ちてきた事もあって、ブレーキをかける。

 そして、程なくして左側の路側帯に駐車場の入り口らしいものが見えてきた。


 シフトダウン、5速→3速→2速。

 念の為にウィンカーを出さないまま、その真っ暗な砂利の駐車場にスタリオンを滑り込ませた。


 奥にある建物。月夜に浮かぶクラブハウスみたいな建物とサイロ状の設備。

 それらに明かりはついてなかった。


 道路との出入口は2か所あった。

 2速のまま、スタリオンを入ってきたのとは反対のほうの出入り口の近くへ移動させる。

 そして道路との境目の植え込みの陰に停めた。

 斜めに停めたので、これで道路を走るクルマを観察することが出来る。


 窓を降ろし、ライトを消してエンジンを止める。

 冷たい風が車内に入って来て、熱くなっていた頭を冷やしてくれた。


「ふうっ……」


 カーステレオも止めたんで、いきなり静かだ。

 その落差に耳が遠くキーンと鳴ってるのが分かる。

 改めて見回す周囲。

 斜めに差し込む月の光は思いのほか強く、植え込みや広い駐車場の砂利、それに目の前を通る連絡道路の路面を低露出に浮かび上がらせていた。


 そんな時間が止まったような眺めの中、耳鳴りの外側に、スタリオンのエンジンが冷えてキンキンいう音と、辛うじて虫の声がしてるのが分かった。

 しかしそれらも、さらに遠くからのクルマの音に掻き消される。


「え、もう来たのか」


 てっきり対向車線側のクルマだと思った。

 しかし実際には、自分が走って来た側を2台のクルマ(前がミニバンで後ろがハイブリッド専用車)だった。


 それはついさっき俺が追い越したクルマたちで。

 ヘッドライトの白とテールランプの赤の光の帯、それに軽やかな排気音を残して、目の前の林間直線道路を走り去って行った。


 後ろに張り付いてきた例のスーパーカー。

 それの追随を許さないための一連の行動だったわけだが。

 どうやら俺の自意識過剰だったようだ。


 しかし排気音がいつまで経っても消えない。

 まるで犬の遠吠えみたいに。


 まあきっとアレは、交差点を直進して塩原に向かったに違いない。

 最初から目的地は塩原の温泉か峠道で。

 目の前をチョロチョロする鬱陶しい先行車がいなくなって、今頃はせいせいして……


 っと思ったところで、いつまで経っても消えない排気音が逆に大きくなってきてるのに気づいた。

 それに加えて、俺が走って来た方から明るい光も。

 そしてそれは。


「うっひいいいっ!」


 物凄いスピードで豪快な排気音と風切り音を残して、目の前をカッ飛んでいった。

 無論、俺の行く先と同じ方向へ。

 真っ白い座布団!


「はえぇ……」


 あのスピード。

 あの迫力。

 あれはもう、捕まえそこねた獲物を追いかける肉食獣のそれで。


 それとも、おかしな運転しやがって逃がすかクソ野郎! ってなノリなんだろうか。

 いや、走り屋とかいう連中の考えることはよく分からんけどね。


 しかし大丈夫。あの座布団には、角度的にこの駐車場に停まってる俺は見えなかった筈。

 だから、もうしばらくここで時間を潰せば、再び行き会う事はないだろう。


 そう思いながらスタリオンの外に出る。

 座布団が連れて来たのか、ほど良い涼風が火照った体を撫ぜていった。


 今度こそ排気音は消えていき、エンジンのキンキンも無くなって、代わりに虫の声が場の主役に躍り出た。


「……いい月夜だな」


 満月の白い光に浮かび上がる那須の山を見て、白い龍の伝説を思い出す。


 確かに、さっきの座布団のようなスピードで峠道を駆け上ったら、それは龍の昇天のようにも思えるだろう。

 そしてその光景を、長くシャッターを開放して撮った写真なら、ヘッドライトの光であたかも白い龍が山を駆け上ってるように見えたかもしれん。


 しかし、それだとクルマのボディカラーは関係無い事になってしまう?


 うむ……ガソリンスタンドのおっちゃん(弟)の言い方だと、それはどうも大昔(それこそ江戸時代とか)からある言い伝えのようだったから。

 だから、白はたぶん雪のことなんだろう。

 冬の初めに、何かが裾野から山のてっぺんに登って行って、それが初雪を呼ぶのだとか?


 いやいや、山のてっぺんから降りてくるのならまだ分からんでもないけど。

 季節風とか。なんちゃら降ろしの風とか。

 しかし吹き上げるのなら暖かい風だよなあ。

 それが雪を呼ぶってのは……?


 山の北側から来る冷たい空気に、南側からの湿った空気がぶつかって雪になるとか?

 う~む、気象には詳しくないので何とも言えんとこだが……


「……そろそろいいかな」


 スタリオンのエンジンも、あまり冷やさない方が良いだろう。

 それに、もう十分時間も経ったしな。

 そう思って、再発進することにした。


 すっかり涼しくなった車内。

 再始動も再発進も、実にスムーズに行えた。

 目の前の林間直線道路に出て、3速→5速と加速していく。

 そして常識的な速度でクルージングを開始した。


「……そう言えば」


 ボンヤリとさっきの白竜の伝説の続きを考えていて、思い出すことがあった。

 那須の山には雪がてんこ盛りでも、裾野の町(黒磯とか)にはほとんどそれは無いと。

 最寄りの高速道路のインターにも無かったりするのだ。


 だから、先ほどの推測もそれほど外れではないのかもしれない。

 ただ、昔の人がその南風をどうして龍だと思ったのかは謎だが。


「そうだったな」


 インターに雪が無い事。

 それを見たのは、大学の卒業旅行(貧乏学生だったので、北関東のスキー場に2泊3日と地味なものだった)でだった。


 借り物の板やブーツとスキーウェア。

 未明の、都内のバスターミナルに集まったのは、同じく貧乏なサークルの面々。

 ほかのサークルもいて、行きのバスの中は盛り上がった。


 それが、那須のインターで高速を降りても、まだ周囲には雪が欠片も見えない。

 それでバス内の盛り上がりは悪い方向にヒートアップ。

 雪が無いんじゃスキーできないじゃん! って。


「くすっ」


 バスの運ちゃんの言う事も信じられなかった。

 しかし、道が上り坂になって間もなく、辺りは一面銀世界に。

 いや、遠くから山が白いのは見えてたから、特に心配する必要はなかったんだけどな。


「くすくすっ」


 いやもう、恥ずかし笑いしか出て来ない。

 しかし、その記憶を辿ろうと、館に行く交差点で曲がらずに、連絡道路を真っ直ぐに進んだ。

 確か、この北東に伸びる道は、那須のインターから那須の湯元に向かう道にぶつかる筈。

 だからこの道を道なりに進んで、ぶつかった後は看板の案内に従えば、那須の湯元の旅行の時に泊まった旅館に行けるだろう。


 いや懐かしい。


 懐かしいといえば、今日、製薬会社の社長から貰った資料。

 それにも懐かしい名前が書かれてあった。


 浅香あさか 純音すみね


 かつてこのスタリオンのオーナーだった人らの内の一人。

 苗字は違う。確か甘露あまつゆと言うんだったか。

 とにかく、その純音って娘が卒業旅行にいて。

 楽器演奏のサークルだという話だったな。

 可愛い娘だった。のだが……


「おおっと」


 先行車に追いついた。黒っぽい色のタクシーだ。

 気づけば、対向車の数も結構増えてる。

 その上、後ろからもクルマが来た。

 件の座布団ではなく、2トン積みくらいのトラックに見えた。


 もうだいぶ那須湯本への道路に近づいたのだろう。

 一瞬、先行車を抜こうかなとも思ったが、急ぐ必要も無いので、大人しく後を付いて行くことにした。


 ……で、その娘にも同じことを言われたのだ。

 大人しく後を付いて来て、と。


 たまにしか行かないゲレンデ、慣れない装備。

 いつまで経っても初心者レベルの滑り方では、純音でなくともそう言いたくなるだろう。


 学生しか乗ってなかったスキーバスの中で。

 席が隣り合った事から意気投合した俺たちは、スキー場でも仲良く滑ったのだ。

 ……いや、俺が純音からレクチャーされ続けたというのが正確か。


「……やっとか」


 停車中。

 遠くに見える交差点と信号。

 赤かったそれが青くなり、先行車が動き出すまでかなりの時間がかかった。

 この青信号で、交差点を通れるのか?


「うわうわ、ちょっと……」


 急ぐ必要は無い、と言いながらも、混雑する交差点は早く通過したくなるのは人の性か。

 信号黄色で突っ込むのは正直したくないんだが、如何せん、後ろのトラックが意地でも通るぞという気迫で迫って来てるのだ。

 だから俺が止まるわけにはいかん。


 ってな理由を考えながら、広い交差点を左折。

 (後ろのトラックも通過してついて来てる……完全に信号無視だろそれ)

 これで那須湯本に行く道に乗った筈。

 道路の案内にもそう書いてある。

 道も上りになった。

 あとは道なりに……


 ………………


 …………


「あー、ちょっとなあ」


 泊まった旅館の近くに来た。

 古い宿屋や新しい建物が混在してる。見覚えがある。このあたりに違いない。

 しかし。

 周囲に他のクルマや人出が多すぎて、思い出に浸るという雰囲気ではないのだ。

 流石は避暑もありのリゾートだ、といったところか。


「それじゃ、足を延ばして」


 スキー場に行ってみることにした。

 道順は案内の標識が教えてくれるだろう。

 それに、旅行の時も宿屋のバスで2往復してるので、何となく道を思い出し始めてるし。


 そう、思い出したのだ。

 純音の、最初のうちの戸惑ったような笑顔を。

 それが2か目には底抜けの明るいそれに変わったのを。


 純音はスキーが上手だった。

 貧乏学生はそんなに沢山スキー場には来れないのが普通。

 それなのに、純音は明らかに滑り慣れていて。

 どう見ても、どこかいいとこのお嬢さんにしか見えなかった。


 見た目と言えば、スキー場では女の子の可愛さは2倍になるとか。

 だが純音の場合は、スキー用の服やメイクでなくとも、通常の3倍は可愛らしい娘だった。

 何故それが分かるかと言うと……


「っと、ここを右ね」


 上り坂に現れた三叉路。

 そこを案内に従って右折する。

 スキー場はこの先だ。


「おおっとぉ」


 いきなり居なくなる他のクルマたち。

 道路も峠道風になって、きついアップダウンにヘアピンカーブが連続する。

 慎重にブレーキングし、シフトダウン。

 スタリオンならエンジンブレーキだけで走れるのは学習済みだ。


「こんな荒れた道だったっけ?」


 時刻も違うし、雪の有無がでかい。

 まるで初めて通る道のようだ。

 しかし別に俺の記憶通りでないからといって、何か問題がある筈もない。

 なんせこの道は、多分俺が生まれるずっと前から此処にあるんだろうから。


 と自分に言い聞かせてスキー場を目指す。

 それからも道路は変化に富んだところを見せ、俺にシフトチェンジやハンドルの回し方なんかを再度勉強させてくれた。


 しかし、そのレクチャーも終わり。

 スキー場を示す看板が目に入ったのだ。


「おお……」


 雪の無いスキー場。

 道路の右側に駐車場。物凄く広い。

 しかし、俺は道路の左側にあるゲレンデの方を見た。


「観光客用なのかな」


 そこは何故か門が開いており、普通にクルマで入る事が出来そうだった。


「折角だからな」


 スタリオンを突っ込む。

 ダートを少し走って、大きなレストハウスの前で停めた。

 横にはリフトの乗降口が。

 開門は月見の観光客用かと思ったが、意外に他のクルマは居なかった。


「ふうっ……」


 エンジンを止め、車外に出る。

 気温は法帖の館の外よりも更に低い感じだ。

 白々とした月の明かりもあって、うすら寒い。


「缶コーヒーでも買ってくれば良かったな」


 旅行の最終日。

 このゲレンデの、まさにこの辺りで純音が少し寂しそうに、レクチャーは終わり、と呟いたのだ。


 東京へ帰るバスは、午後1時に駐車場を出る。

 その前に昼食をと純音を誘ったのだが。

 その返事は、あの寂しそうな言葉で。


 それに対し、俺は奢るから昼飯食おうぜ、とか言ったんだったか。

 缶コーヒーも付けるぜ、なんて豪気な事も言ったような。


 あーどうだったかな、と思いながらゲレンデを眺めていると。


「……!?」


 背後から笛の音が。

 いや、これはフルートか。

 優しく素朴な音が、何度も聞いたことのある曲を紡ぎ始めた。


「?……」


 後ろを振り向く。そこはレストハウスだ。

 はたして、その2階の通路に、フルートを吹く人の姿があった。


「き、きみは……」


 肩を出してる長いドレス。

 伏し目がちに、月光に輝くフルートを演奏するその女性は……


「まさか、純音か!?」



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