第15話・相関となる壮観

 

 衣料品店は町中にあった(街ではなく町だ)。

 クルマを近くの共用っぽい駐車場に停め、店内に入る。


 相手をしてくれたのは白髪交じりの細身な女性だった。

 優しい面持ちで、頼まれたものは出来上がっていると言う。

 しかし俺の体を舐めるように見て、一度試着してみては如何と提案をしてきた。


 頼まれものは、予想通り館で俺が着る衣装だった。


 いわゆるチェーン店ではない、昔ながらの衣料品店といった風のこじんまりした店内。その奥にある四畳半の座敷の間に通され着替えをする。


 タキシードの正装は決まり事が多い。

 胸にひだのあるシャツに黒い蝶ネクタイ、その上に黒い腹帯、上着の胸には白いポケットチーフ。

 足には、靴ひもの無い黒のエナメルシューズだ。


 蝶ネクタイの結び方が分からない、と正直に打ち明けると、苦笑と共に簡易式(ベルクロでとめる)のを出してくれた。


 座敷から降り、靴を履いて、目の前に出された姿見を見る。

 腹帯のせいもあるだろうが、それ以前に服やシャツが素材もよく、体にピッタリの寸法なせいで着るだけで背筋が伸びる感じだ。

 

 仕上がりの良さに感嘆した旨を告げる。こんな完璧なテーラーメイドは初めてだと。

 するとその女性は、謙遜交じりな身振りと微笑みを返してきた。

 つまりこの女性が縫製したということだ。

 こんな田舎の(失礼!)年齢のいった(超失礼!!)女の人が。

 二度目の感嘆を覚えるには充分な事実だった。


 そりゃあこんなにピッタリの服を作れるだけの体の情報を何処から持ってきたのか、気にならないと言えば嘘になる。

 しかし服は既に出来上がってるのだ(しかも昼用・夜用の各々2着ずつで、計4着)。

 180センチ72キロの体に合わせきったこの服、他の誰かに売れるはずもない。

 なので、断るのを諦め貰って帰ろうと、服をいったん脱ごうとした。


 しかしそれは店の女性によって止められた。

 曰く、着ていたスーツが濡れているので、こちらでクリーニングしますという申し出だったのだ。

 それも業者任せではなく、その店主が手ずからの無償で。


 いくらなんでもそこまでは。

 クリーニング自体も手間だが、それが終わったらまた取りに来る、若しくは送ってもらう手間も発生する。

 だからそれは丁重に遠慮し、ではせめてと掛けてくれたハンガーごと貰って帰ることにした。

 タキシードの着心地の良さから、濡れたスーツをもう一度着る気にはならなくなったのだ。


 …………


 衣料品店を出て、駐車場に向かう。

 町中の道路は細く、そこをミニバンや軽トラが途切れ途切れに走っている。

 気温は30度弱というところだろうか。湿度も低そうで、涼しくはないが決して不快ではない。


 店の古ぼけた時計の針は、午後4時を少し過ぎたあたりだったか。

 そう思いながら見上げた、青さを増した空を眺めながら、ふと我に返った。


 仕事場のある関内なら、夏のこの時間に外に居て、ボヤッとなんてしていられない。

 なんせ暑いし湿度も高いしで、不快指数100パー越えが当たり前だからだ。

 オマケに人も多い。

 それも、不快な外に居る時間を一秒でも短縮しようと早足で歩いてる奴ばかりだ。


 そんな中で空を見上げて突っ立ってたら、間違いなく邪魔者扱いされる。

 叱られるか、それはなくとも、何やってんだって冷たい目線くらいは浴びせられるだろう。


 しかしいま俺は、それ何のコスプレですか? ってな恰好で、ぼんやりと空を眺め、よく分からないスポーツカーに乗ろうとしてる。

 しかもそれを奇異の目で見る視線すら無いのだ。


 クルマの助手席に着ていたスーツなどを置き、運転席に滑り込む。

 先に左足を奥深く入れ、右足を入れながらハンドルを抱きかかえるようにして腰を下ろせば、うまく座れるようだ。


 なんだか笑えてくる。

 知り合いが一人も居ない北関東のこの田舎町で。

 俺にとっては異世界に等しいこの場所で、バケットシートの座り方をマスターして。

 お使いの合間に和んでいるのだ。


 シートベルトを締め、エンジンをかけ、クラッチを踏んで(予想したよりもずっと軽かった)ギアを1速に入れる。

 周囲を確認し、ゆっくりとクラッチを合わせ、駐車場の出入り口へクルマを誘う。

 タイヤが駐車場の砂利を噛む音とエンジンの音が同じくらいの大きさだ。


 タキシードは当然濡れていないので、ここでクルマのエアコンを入れる。

 最弱のはずなのに効きすぎなくらいの冷風が出てきた。


 駐車場の端につく。

 左右を確認し衣料品店前の道路に出る。

 これから、来た道を通らず国道400号線に乗るのだ。


 カーナビが無ければ大変でしょうと、衣料品店の女性がチラシの裏にマジックで描いてくれた地図。

 法帖のお屋敷に戻られるのなら、こちらの道の方が遠回りですが早く着くはずですからと。


 町中の道をしずしずと走り、地図にあるボーリング場の交差点を右折。

 国道400号線に乗る。


「こ、これは……」


 衣料品店の女性が、早く着くと言った意味が分かった。

 中央分離帯付きの片側2車線。広くてオマケにまっすぐだ。

 信号もほとんど無く車も少なく、これで歩道が無ければ、そこらの田舎高速と同じだ。


「……あ、そうか」


 ガソリンスタンドの、おっさんの顔が脳裏をよぎる。

 『矢板スコールってのは(笑)』

 それで色々腑に落ちた。


 俺は今まで、初対面の人や物事はまず疑ってかかってた。

 どうかしたら馴染みの相手にさえもそうだった。

 それが当たり前だと思ってたし、狭いところにギュウ詰めで生きる者たちにとっては、そういう姿勢こそがマナーであり常識だと肌で感じていたのだ。


 しかしこの北関東は違う。

 ここは広いから物理的な人の間も遠いのだ。

 だから心の距離は短くしようとするのだろう。

 いちいち疑ってかかってたら今日のようなことは出来ない。

 心を近くし信用を大前提に持ってくるからこそ、色々省略出来て仕事も早くなる。


 商売は信用第一。

 だが今日の俺に言わせれば全てが信用第一だ。


 東京から来たはずの黒衣装組たちも、きっと染まったのだろう。

 だから祢宜さんを疑った俺を非難した。


 目の前に伸びるまっすぐな道。その遥か向こうには那須の山。

 あんな遠くで暮らす人たちともやりとりをするのだ、ここら辺の人は。

 そりゃ、お互いに信用があるという前提が無ければ、やってられんわな。


 こうして実際にその場所を走り回って初めて分かる。実感できる。

 そこで働き暮らす人たちの考え方が。


 郷に入らば郷に従え。

 今なら祢宜さんを疑いはしない。

 だから俺も皆に疑われないようにしよう。

 そして信用を勝ち取って、仕事をうまく仕上げて見せよう。


 道はいつしか片側1車線になったが、それでもまだ暫くは真っすぐだった。

 それも終わり、今度は横断道路と呼ばれる、那須野が原を東西に貫く道に乗る。

 女性の地図に従い、東行きだ。


 それは林間のまっすぐな道だと思ってたら、カーブの多い山道風になったりで、なかなか退屈させない道路だった。

 それでもギアは5速に入れっぱなしでよかった。

 信号がほとんど無いってのもあるが、このクルマのエンジンは恐ろしく力があるようで、回転数が1000回転を割り込んでも、アクセルをジワッと踏んでやるだけで普通に加速していくのだ。

 途中でATと勘違いして、信号で止まる際にエンストしたほどだった。


「あ、ここは……」


 板室温泉の横をなめて山道に入る。

 しばらく行くと、行きでカーナビを疑った四つ角に差し掛かった。

 逆方向から見ても、やはり単なるカーブにしか見えない。

 (ここで戸惑ったのが数日前の出来事のような気がした)


 ここからは山岳道路、峠のキツい上りだ。


 5速でカーブを回った。

 シフトダウンかなと思ったが、クルマは(ゆっくりとではあるが)そのまま加速を始めた。


 唖然としながら、ガソリンスタンドのお兄さんの方が弟さんに言った言葉を思い出す。

 『那須の山を登れるヤツな!』


「くっ……くくく」


 登れる、どころじゃないですよこのクルマ。

 つか、上り坂をナメてんじゃないすかね?

 機械のクセに、物理を。


「…………」


 4速にシフトダウン。エアコンもいい加減寒くなってきたので切る。

 クルマは回転数を得て、スムーズな加速を開始。

 ナメてんのは俺の方だった。


 しかし、ここまで気を使われると、もはや戦慄を覚えるほどだ。

 こんな凄いクルマを貸してくれて。

 しかもタキシード4着のオマケ付き。


 とか考えていると、ガラ空きの道はキツい上りが終わり、大きく右に曲がって、その後緩やかな下り坂になった。

 そしてしばらく行くと、道は平坦になった。


 ああ、確かここらだなと道の左側を注視する。

 すると、来るときに見た覚えのある、他の保養所や別荘を示す青と白の看板が見えた。


 それがある交差点を左折。

 ここからは私道。

 いくつもの交差点を曲がってまっすぐ行って。


 …………


 何度もつばを飲み込んで、やっと館が見えるところまで戻ってきた。

 館を外から眺めるのは二度目だが、なかなかの壮観だ。


 ふうやれやれ、なんとか日の高いうちに戻ってこれたか。

 なんて安堵を漏らして前を見ると、館の門の前に何やら人だかりができている……?


 もっと近づいてみると、それは館の住人ほぼ全員だった。

 車いすに乗った法帖老までいる。


 その人たちの前にクルマを止めて素早く降り、何事かあったのかと訊こうとする。

 しかしそれは、駆け寄ってきた双子たちの声によって遮られた。


「「おかあさんのクルマだー!」」



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