第2話・厨2じみた厭世観

 

 眠気を呼ぶ、線路からの小さいながらも周期的な音と振動。

 加えて、駆動用モーターと空調用コンプレッサーの唸る音。

 独特の、シートや床・壁の素材から放たれるものと消臭剤が混ざった微かな臭い。

 そこは乗客もまばらな列車の車内。


 別に寝てしまっても構わなかった。


 東北新幹線なすの251号、那須塩原行き。

 朝7時ちょうど発のこの列車に乗るために、今朝は4時に起きて準備をしたのだ。

 昨夜寝たのは3時だ。眠いに決まってる。

 

 おまけに、自分が降りる駅と列車の終着駅が同一ときてる。

 だから仮に寝こけてても、乗り過ごしの心配は無い。

 この列車は折り返し運転になる筈だが、それまでには車掌さんか掃除の人、または親切な他の乗客が起こしてくれるだろう。


 だから安心していて良い。

 この世は、少なくとも現代の日本では、お互いが寄りかかりあいながら生きているのだから。

 つまり、暗黙の了解レベルで信用が成り立っているのだから。


 そう思う。それが世間一般の考え方だと。

 その考え方に馴染まないと、疲れるばかりでいいことはないぞと。

 いつもそう思って、自分に言い聞かせて、なんとか自分の厭世な性格を直したいと願っていた。


 だが、この列車はもう数分前に宇都宮を出ている。

 つまり、あと10分もかからない内に終着駅に到着するのだ。

 その間に寝過ごしを心配するほど深い睡眠に入るのは難しいし、仮に入れたとしてもすぐに起きる(起こされる?)のでは、逆に体に悪いのではないか?


 それに、俺の隣の隣の席に座ってる、この女性。

 俺はいま、自由席(確か6号車)車両の、進行方向最前列の右側窓際の席に座ってるのだが、この女性は、駅に着くたびに降りるだけで新たに人が乗ってこないこの車両内で、東京駅からずっと、その3人掛けの通路側の席から動こうとしないのだ。

 チラと周りを見た感じ、空席だらけで、下手するとこの車両には俺とこの女性しか乗っていないかもしれない。そんな状況で。


 もちろん面識はない。

 なのに、たまに俺の地味な仕事用のスーツを遠慮のない目でジロジロ見てくるし、何か用事かと思って目を合わせると、まるで野良犬にガンつけられたかのように露骨に視線を外したりしたのだ。

 しかも、聞こえるかどうかギリギリ音量で『フンッ』と鼻を鳴らしてみたり。


 こんなのが、こんな気分の悪い女が、寝てる俺を優しく起こしてくれるだろうか?

 (いや別に優しくはなくてもいいのだが、まあ常識の範囲内で)


 無理だな。不可能だ。有り得ない。


 つうか、増えたよな最近こんな女。

 ひざ丈スカートのシックな色使いのスーツ。スタイルまあまあ、緩くウェーブのかかった肩までの割ときれいな髪、化粧はきつめながらもまあ顔も悪くない。だが、トゲトゲしい警戒感を遠慮なく周囲にまき散らしてるせいで、近寄りがたい雰囲気を纏っている。


 どうせ、普段から通勤か何かで使ってるこの列車で、いつも自分が座ってる席に見慣れない男が座ってるから、それも終着までずっと座りっぱなしだから戸惑ってるんだろ。

 

 分からないでしょうけどね、そこ、ワタシの席なのよ。いい加減空気読んでどきなさいよ。まったく気が利かないわね、今までどういう教育受けてきたわけ???


 ……ってなとこなんだろうな。そう思ってるんだろうな。何となく想像がつく。

 しかし、仮にそうだとしても、いったい俺にどうしろと?

 最近、ネットのなんとか小町とかでよく見る質問そのものだ。

 どいてくれないんですよー、ヒドいと思いませんかー? とかってやつ。

 

 だが、気を使って、席を代わりましょうか? つったら、シートが温まってるのが気持ち悪いとか思って拒否するんだろ?


 ああ分かってる。理屈じゃないんだよな。

 ただ、自分に都合の悪いことは全て他人のせいなんだよ、この手の女は。

 だから俺が寝ちまってても、親切に起こしてあげようなんてことは一切考えないだろう。

 それどころか、何か思いもつかないような嫌がらせをしてくるかもしれない。痴漢呼ばわりとか。

 そんなだから、オチオチ寝てられないのは当然だ。

 

 いや、そもそも、何を厚かましく赤の他人に頼ってんだ? って話だ。

 甘えるな、いい加減にしろ俺。

 

 暗黙の了解? 当然の気づかい?

 はっ、有るかそんなもん。

 そんな世間は甘くない。

 そんなありもしないものに期待する前に、自分の頭の上のハエは自分で追え。


 俺が就職したと同時に離婚した両親とは連絡が取れず兄弟も居ない、30にして完全無欠の独り者。

 人生など、どうせ死ぬまでの暇つぶし。

 良いことなんて何も無いって、諦めといたほうが何かと楽になるから。

 そう、何かに期待してガッカリする前に諦めて……

 諦めて…………


 ………………


 ちっ、またコレだ。

 自分の胸の内に沸き起こった、真っ黒い負の感情に舌打ちをぶつける。

 それだけでは消えないのは承知の上で。


 いつになったら俺はこの中2臭い厭世観から逃れられるのか。


 もうウンザリだ、といつも通りに鬱の入り口をノックし始めたところへ、救いの車内アナウンスが。


『まもなく終点・那須塩原駅です。宇都宮線はお乗り換えです。足元にお気を……』


 いつの間にか自分の革靴を見つめていた顔を上げる。

 すると、ちょうど通路側の席の女が席を立ったところだった。

 デッキへ行くつもりだろう。


 見たくもねえや、と窓の方へ反らした視線の端に、デッキとの間のドアが開くのが見えた。

 と同時に、なにか一気に気が楽になった。

 心中では暗いことを考えて舌打ちをしながらも、実はけっこう緊張していたのか俺は。

 

 なんだよ、童貞じゃあるまいし。

 そう苦笑しながら、下ろしっぱなしだった窓の日よけを開ける。

 恐らくは広がっているであろう長閑な田園風景を見て、ささくれ立った気持ちを癒すために。

 

 だが、次の瞬間瞳孔に飛び込んできたのは、心和ませる北関東の田んぼの眺めなどではなく、2008年8月11日月曜日の、まだ角度の浅い朝の刺すような日光だった。


 …………


 ……


 完全に停車した車内。

 たっぷりと時間を使って棚からキャリーケースを下ろす。

 例の女との距離をとるためだ。

 

 ずっしりと重いキャリーケース。

 会社からの命令。出張仕事。1週間以上の連泊と言われた。

 荷物は故にそれなりの量になった。


 高いところにある、吹きさらしのホームに降り立つ。

 良く晴れた良い天気。

 ホームの北側からの、涼しい那須おろしが俺を歓待してくれた。


 …………


 改札を抜けて、ホールに出る。

 どうやら降りた乗客は俺が最後だったようで、俺が通過すると、改札の駅員は奥に入ってしまった。


 田舎の新幹線の駅、朝8時。

 ホールに人影はない。


 だが念には念を入れて、ホールの端にあるトイレに入った。

 それは、どうあってもあの女を見たくなかったからだ。

 我ながら変な意地を張ってるのは自覚してるが、あちらも嫌そうだったから、お互いの為だし、別に悪いことではあるまいと。

 そう思った。


 用を足し、洗面台で軽く手を洗う。

 何気なく見る鏡。その中には、前髪のほつれた幽鬼がいた。

 ふ、とこぼすため息まで同じタイミングで。


 …………


 とりあえず身なりを整えて、ホールから出た。

 目の前は階段。かなり広い。

 その下には歩道と車道、客待ちのタクシーが2台。その後ろに、10人は乗れそうな大きなワンボックスが1台。


 駅からはタクシーを使えとの指示だった。

 上着の内ポケットからケータイを取り出して開き、その住所が記された地図の画像を確認する。

 ……ううむ、総務が領収書を通してくれるのか不安になる距離だな、こりゃ。


「ケータイなんか見てないで、こっち見なさいよ」


 階段を下りるのに、取っ手を畳んだキャリーケースが重い。

 おまけにセカンドバッグも持っているので、持ちづらくて難儀だ。

 そんなわけだから、何かが聞こえてきたけど無視する。


「なにをモタモタしているの」


 そうしないと、列車内で別れてからこっちの苦労が水の泡だからだ。


「いいかげんにしなさいよ」


 階段を降り切った。

 そして、キャリーケースとかを抱えたまま、歩道に立ってるそいつの横を通り過ぎようとした瞬間。


加治屋かじや 九郎くろうくん!」


「……!?」


 反射的に女を見てしまう。

 ああ台無しだ。これじゃ、そうですって言ってるのと同じじゃないか!


「同じところに行くからね、乗せてってあげるって言ってんのよ」


 肩越しに後ろのワンボックスを指さしながら女が。

 しかし、何故俺の名前を?




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