2008年の悪夢~失われた相場譚2~

焼き鳥

第1話・プロローグ

 

 2015年・夏


 東日本大震災の傷がだいぶ癒えた頃、私(筆者)は東京証券取引所の前に立っていた。

 初めて会う人間との待ち合わせ。

 照りつけるキツい日差し。立秋を過ぎたとはいえ、足元の影は真夏のそれに等しく濃いものだった。


 約束は13時の待ち合わせ。

 それより30分早く着いた私は、とりあえず他所へ行くには中途半端なその時間を潰すために、ここに至る事由を思い返すことにした。



 全世界の株式市場を大暴落させた、リーマンショック。

 その頃は某地方都市に暮らしていた私には、口座を持っている地方の証券会社の店長から漏れてくる話を聞く以外に、東証や大証で実際に何が起こっていたのかを知る由は無かった。


 そして私は、自民党に政権が戻り、アベノミクスが始まって相場が上げ方向で安定し始めた頃に、昔のことの覚え書きを兼ねて前作『此岸にて~失われた相場譚~』を書き、小説家になろうへ投稿した。


 場立ちが居た頃の話や言い伝え等が書かれたものが、あまりにも少なかったからだ。

 それで、下手くそなのは承知の上で、クラウドか何かの足しにでもなればと投稿したのだが。


 人には欲があるもの。

 私もその素朴な規定から外れていなかったようで、完結直後から作中の登場人物のその後やアナログトレードの終焉を書き出したい欲求が、胸の奥から湧き上がってきていたのだ。


 物語には説得力が必要。

 筆力に乏しい私には、綿密な取材を行うことでしかそれを補うことは出来ない。

 それ故に、口座を持っている地方の証券会社の店長に頼み込んで、バブル崩壊後から(恐らくは近年で最も盛り上がったと思われる)リーマンショックあたりまでの相場の歴史に詳しい人物を紹介してもらったのだ。


 そんなことをして何になる?

 そう言いたげな表情を浮かべながらも店長は、自らの人脈を誇示するかのように、経験の豊かそうな人物を紹介してくれた。


 その年齢。羅列されたかつての肩書。

 実際に会うのは初めてだが、対面の際には確実に気圧されるだろうとの確信があった。


 その後、一人で東京へ行く事に対しての、家族の機嫌取りが始まり……

 と、妻の仏頂面あたりまで思い返したところで、右斜め前方から遠慮がちな声がかけられた。

 それは、やり取りしたメールにあった顔写真そのものの、店長から紹介された人物だった。


 予想通り、気圧された。

 しかしそれは、その人物が放つオーラによるものではなく(実際には予想通りに圧倒する雰囲気を纏ってはいたが)、単純に人数だったのだ。


 その人物からの最後のメールでは、相場の調査をやっていた人間も連れていく、とのことだった。

 だから一人ではないことは承知していたのだが。

 実際には、その人物を含めて4人居たのだ。

 私の趣味の為に、4人もの縁の無い人たちに時間を割かせたこと(2人でも相当だが)について自覚し、私は気圧されを通り越して恐縮してしまった。



 そして、私を含めて、5人のいい歳こいたおっさんたち(失礼! いや実際私と同い年なのは調査の人くらいで、ほか3人は私より数歳から十歳ほど年上に見えた)により、東証をバックに記念写真を撮った後、近くの飲食店(結構歩かされたが)へ移動した。


 案内された飲食店では、予め人物たちによって予約されていたのか、即座に奥の座敷へ通された。

 人を使う仕事が長かったのだろう、またはおのぼりさんの扱いに慣れているのか、ともかく手際の良さが感じられ、それが私の恐縮をいや増しにした。


 店の人に、優しくかつ無駄のない言葉づかいで注文内容の確認をした後、人物は他の三人を紹介してくれた。

 一人は事前に知らされていた調査の人で、証券会社のベテラン。

 その職業は予想通りだったのだが、他の二人が意外だった。


 量子コンピュータをご存知ですか?


 のっけの問いかけがそれだったのだ。

 しかも、もう一人も同じようなことを訊いてくる。


 人物に言われ、改めて私たちは自己紹介をした。

 それによると、彼らは知らない者はいない電機メーカーである、P社とS社の社員だというのだ。

 頂戴した名刺には、各々それなりに上の方らしい役職が書かれていた。


 証券の話に何故、電機メーカーのそれも設計部門の定年間際の社員たちが?


 私の顔に?マークが付いていたのか、証券のベテランが彼らに関してかいつまんで紹介してくれた。

 曰く、P社の人は、大証にコンピュータを入れている会社の人間に知り合いがいると。

 また、S社の人は、証券のベテランの顧客だったとのこと。


 なるほど、一応は相場との関わりはあるようだ。

 しかし、量子コンピュータとは藪から棒にもほどがある。


 いまいち納得いかない私に、今度は例の人物が教えてくれた。

 つまり、証券業界内には、リーマンショックの衝撃的な大暴落は、誰かが作ってネットに接続した量子コンピュータによってその角度をより急峻ものにした、との噂があったのだそうな。


 そういえば、と、私にも思い当たることがあった。

 フラッシュクラッシュと言ったか、欧米のヘッジファンドどもが仕掛けた超高速回線上のアルゴリズムに、そんな極端な動きをするものが有ったという話を聞いた覚えが。


 しかし、量子コンピュータとはまた浮世離れしたものを担ぎ出してきたものだ。

 だが、人物は私のような呑気な考えは持たなかった。

 2009年春に日経平均の大底を確認した後に、ベテランに事の真偽を確認するように指示を出したというのだ。


 つまりこの2人は、そのベテランの調査に関わった人たちで、それもかなり事の次第に詳しいというのだ。


 気づけば座敷の部屋で立ち話をしていた私たち(名刺交換の流れでそうなってしまっていた)に、料理が来たとの声がかかる。


 座卓の上で湯気を上げる鰻重と肝吸い。5人分。

 苦笑いを交わしつつ、座布団の上に座る私たち。

 とりあえず頂きますを唱え、今日の天気や盆休の過ごし方などの暇ネタを話しつつ鰻重を食したが、その味は正直よく覚えていなかった。



 タクシーに分乗し、東京駅の近くのとある店に私たちは移動した。

 そこで私は、衝撃の事実を耳にする事となった。

 設計やコンピュータに明るい2人の社員は、数日間程度の動作保証でいいのなら、2008年時点の技術でも量子コンピュータと同等の動作をするPCを作ることは可能だったと。


 更に詳しい話を聞く私は、途中で立ったトイレの中で、念のために準備していた封筒に追加の2人分のお礼を財布から移動させながら、この程度の謝礼では追い付かないような話になる予感に満ちていた。


 私も、電機とは畑違いながら、かつては設計の場に身を置いていた者。

 それ故に2人の社員との話しには共感できることも多く、また、その2人も顔を合わせるのは数年ぶりとの事で、件に関わる話をお互いに興味深く聞く局面もあったりで、たいそう盛り上がった。

 もちろん、合いの手役のベテランや人物もその輪の中に居てくれて、前作のモデルとなった人たちのその後や、株の電子化の顛末などを熱く語ってくれたりもした。

 何年かぶり、いや、もっと久しぶりに口角泡を飛ばすというのを実感した午後だった。



 夕焼け空の下の東京駅の前で、私たちは別れた。

 再会を祈って。


 途中で振り向くと、駅の中に入っていくのは私だけで、他の4人は各々別のタクシーで帰るようだった。

 どうやら、田舎住まいなのは私だけだったようだ。


 コンコースを歩く私の、右手に持ったバッグの中で軽く揺れるノートPC。

 今日の話の、店の中で交わされたものの全てを録音してある。

 それを家に着いてから聞き返すのが待ち遠しくもあり、また、怖くもあった。

 何故なら、トイレの中での予感は的中したからだ。

 それもかなり足りてない方向で。


 2件目の店で、あまりにもヘビーな内容(人死にが関わってると思われる内容が多々有った為)に、何故初対面の私にこんな重要なことを教えてくれるのか、と聞いてしまっていた。

 すると、4人は一瞬目を見合わせながら、こう言ってくれた。

 つまり、この話は自分たちだけで持っているのは重い話だと。

 しかし、そのままズバリ公表しても、事実無根な内容や想像のみの事柄も多いため、まともに相手はしてもらえないのは分かっていると。

 そこで、フィクションの中に混ぜ込む形(つまり小説)で書いてくれる人がいたら、その人に任せてしまえばいいのではないかと。


 それは、考えてみれば無責任な話ではあった。

 しかし、私の前に、人物から物書きのプロたちへ話を持って行ったことがあるのだそうだ。

 返答は決まって、話が荒唐無稽すぎるとか経済小説は売れないなどの理由付きでの拒否だったそうだ。

 だから、書いてもいいという奴が出てくれば、それが例え素人の下手くそでも、小説投稿サイトが賑やかな昨今では任せても問題にならないだろうとする判断は、それほど分からないものでもなかった。



 別れ際、固辞する4人にとりあえず『あしつく』だからと、件の封筒を彼らのポケットに捻じ込んでおいた。

 これは単なるお礼であって、書くことを拒否するものではないと断って。


 正直に言って、期待されるのは悪い気分ではない。

 例えそれに、所詮は素人の書くものだと端から諦めが入っていたとしても。



 あれから6年。

 不人気な経済小説でもとりあえず追い出されなさそうなサイトを見つけた私は、前作の続きと新たなネタ(幻の世界初量子コンピュータ)を合体させる作業を開始するのだった。




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