第66話 凶兆

 銃を握った右手がいきなり斬り飛ばされ、中村の表情が驚愕に染まる。


 気配も何も感じなかった。それどころか、声がした位置はもっと離れていたはずだ。だが、広永は突然目の前に現れた。それに、いくら軍用ナイフでも一撃で手首を切断するのは無理がある。いずれも現実のこととは思えなかった。


 しかし、そんなことを考えている暇はない。


 今、広永は中村と田中の間に挟まれる位置にいる。中村は右腕の傷に構わず、左手に持ったナイフで広永を攻撃。それと同時に田中もナイフで広永の首を斬りつけた。お互いの距離は二メートルも無い超接近戦。


 広永は二人の攻撃に合わせて瞬時にしゃがみ、斬撃を躱すと同時に両腕を左右に振って二人の足を斬りつけた。そして、そのまま前転して一歩距離を置いて立ち上がる。まるで猫のようなしなやかな動きと素早さだ。


 二人の足の防護服が裂け、鮮血が舞う。


 それでも二人は構わず、田中が右手の拳銃を広永に向け発砲。


 だが、広永は頭を振って銃弾を躱すと、腕を振り上げナイフを投擲する。


「ぐっ」


 ナイフは田中の左手に深々と突き刺さり、拳銃が手から離れた。


 至近距離で銃弾を躱した広永に、二人はガスマスクの下で目を見開く。


(銃口を見て射線を読んだ?)

(銃弾を……よ、避けた……この距離で?)


 一瞬の攻防で広永の技量と度胸が尋常でないことが分かり、中村は田中の前に出て構えた。


「隊長……」


 田中はチラリと中村を見る。


 中村は右手の止血をする様子もなく、ガスマスクを取って素顔を露わにする。化学兵器や毒物を気にしてももう遅く、全力を出さねば広永には敵わないと悟ったのだ。


 中村は軍用ナイフを逆手に持ち、切断された右手を前に出す。


(ふぅーーー)


 右腕を振り、傷口から溢れる血を広永の顔目掛けて飛ばす。目つぶしのように浴びせた血を利用し、身体の荷重を抜いて一歩踏み込む。



 ――新宮流『瞬身』――



 瞬時に広永の眼前に迫ってみせた中村は、広永との距離を更に詰めた。



 ――新宮流『流水演舞』――



 広永の身体に纏わりつくように中村の斬撃が襲う。


 が……


 トン


 中村の肩に広永の手が置かれる。斬撃の起点を止められ、中村のナイフは広永に届かない。


(馬鹿……な)


 ゼロ距離からの流れるような動きを見切られた。それも、広永は顔についた血を拭いながらあっさりと。そんなことはあり得ない、そう思う間も無く、直後に中村の肩に衝撃が走る。


「がッ」


 身体が吹き飛ばされるほどの衝撃を受け、中村の体勢が崩れる。その隙を間髪入れずに蹴りが放たれ、中村が吹き飛んだ。


「うがっ ごほっ ごほっ……」

(な、なんだこの衝撃は? 何をした……?)



「今の動きは良かったですよぉ~ でも、まだまだですね」


 一瞬の攻防。中村の動きも広永の動きも、外から見ていた田中には把握しきれず、ただ呆然と見ていることしかできなかった。


 目にも止まらぬ攻防にも息一つ乱していない広永。中村と田中に前後を挟まれた形になるも、その様子からは微塵も不利とは思っていないのだろう。


「うふッ、私に攻撃できなかったのが信じられないって顔してますね~ 戦力外の部下を下がらせて「後は俺がやる!」的なことやらせて申し訳ないんですけど、世の中には上には上がいるんですよ。中村さん、少しはやるみたいですけど、じゃあ、私には勝てないですよ?」


「普通……?」


「ええ。だって――」



 ――真・天剛流『水月』――



 次の瞬間、広永は田中の左腕を掴み、首にナイフを突き刺していた。


「私の動き、全然見えてないですよね?」


 ブシュッー


 ナイフを引き抜き、広永は返り血を浴びながらニヤリと笑う。


「か……かか」


 田中は首の動脈を斬り裂かれ、血を噴き出しながら崩れ落ちた。田中本人も何が起こったか全く理解できていない。


 中村は一瞬の出来事に戦慄する。広永の言うとおり、広永の挙動がまったく認識できなかったのだ。


(目の前で動いた人間の挙動が認識できない? ……まるで幸三先生の――)



「はっきり言いますね。中村さん…………あなた未熟です」



 直後、中村の意識がプツリと途絶えた。


 …

 ……

 ………


 習志野駐屯地、正面ゲート。 


「すいませーん、ここ開けてもらえますー?」


 封鎖されたゲートの前に濃緑色のジープを停め、窓を開けて警備の自衛官に話し掛ける広永。誰かから剥ぎ取ったであろう、自衛隊の迷彩服に身を包み、帽子を目深く被っている。


「ここは封鎖中だ! 誰も通すなと……」


「あっ、司令の許可は得てますよ」


「何?」


 ドスッ


 車の窓に近づいた警備は直後に顎下にナイフを突き立てられた。


「あ……が……」


「な~んてね」


 広永はピクピクと痙攣する警備を刺しながら、左手で持った拳銃を構えた。


 パァン パァン


 車内からP320で他の警備を笑顔で撃ち殺すと、広永は車から降りてゲートの詰所に向かう。


 ゲートを解放し、何食わぬ顔で車に乗り込み、ゆっくり駐屯地を出ていく。


「バイバ~イ」



 駐屯地を脱して一般道に入ると、広永はポケットから中村に渡したものとは別のスマホを取り出した。


「もしもし~ 私です~ バレちゃったんで合流しますね~ ちゃーんと、お土産も置いて来たんで大丈夫ですよぉ~ 種も蒔いときましたし……今ですか? 習志野にいます。ちょっと早いですけど色々あって来ちゃったんですよ。あっ、そうだ、榊原さんの仲間にSATとかSITの連中っています? いきなり襲われて危うく死ぬところだったんですけど。……え? 知らない? うーん、まあいいです。そっち行ったら詳しく話しますよ。じゃあまた~」


 通話を切り、続いて別の番号に電話を掛ける。


 今度は通話をせず、コール音が鳴ったと同時に終了ボタンを押してスマホを助手席に放り投げた。


「はい、これでO~K~っと。いやー 久しぶりに運動して楽しかったな~ ……それにしても、中村さんのあの顔! トドメ刺さなかった理由知ったらまた面白い顔してくれるかな~ うふふっ! 楽しみだな~ まあ、また会えるかどうかは微妙だけどね~」


 ご機嫌で運転する広永。


「あ、また山崎さんのこと忘れてた……ま、いっか」


 

 その後、習志野駐屯地の各所で火の手が上がった。それと時を同じくして、警視庁の至る所で爆発が起こった。自衛隊駐屯地内での大量殺人と警視庁の爆弾テロにより、首都圏の防衛、治安機能が大混乱に陥る。


 しかし、それはこれから起こる災厄のほんの序章に過ぎなかった。


 …

 ……

 ………


 新宿。


「……本日はどんなご用件でしょうか?」


 ZOD日本支社の応接室では、ジャネットが緊張した面持ちで正面に座る男を見ていた。早朝にも関わらず、また、昨夜の酒が完全に抜けてはいなかったが、目の前の男の来訪はそれらを吹き飛ばしていた。


 男はロバート・マグドネル。民間軍事会社『エクス・スピア』の社長。軍関係者や政府関係者に強い発言力を持ち、民間軍事会社だけでなく兵器開発会社など様々な軍需企業を所有している。その規模は小国の軍隊に勝るとも言われ、世界規模の影響力を持っていた。


 また、強引な手法と冷徹な性格で知られ、敵対した者はいずれも不幸な末路を辿っていると、業界では有名な男だ。


 そんな男が、アポ無しで突然来訪してきた。ジャネットはロバートを見かけたことがあるぐらいで話したことも無い。一体何の目的で来たのか予想もできず、ジャネットは内心戸惑っていた。


「横須賀にいる部隊を貸せ」


「え? ……なんのことでしょう?」


「とぼけるな。貴様のところの精鋭、傭兵特殊部隊の二チームが横須賀に待機中なのは知っている。それを寄こせと言っている」


「はい?」


 あまりに突拍子もない発言にジャネットは理解できずに固まる。その後ろにいたエディも口を半開きにして呆れていた。


 軍や他社との合同作戦で所属の違う傭兵部隊が協力することはある。だが、部隊を丸ごと移譲させるなど、本人たちの意思以外でやれるわけがない。傭兵は正規兵ではないのだ。多くの者は金が目的だが、優秀な傭兵はそれだけでは動かない。自社の部隊を売り渡すような真似は、傭兵達の信頼を裏切ることになり、断じて受け入れられるものではない。


 それに、豊富な人材を抱えているであろうロバートが、他社の部隊を必要とするのにも疑問だ。考えられるとしたら、人材の引き抜きだが、大企業の社長であるロバート自ら出張る案件とは思えない。


「申し訳ありませんが、そのような提案は――」


「提案ではない。これは命令だ」


 ロバートは足を組んで偉そうにソファに座りながら、ジャネットの前に人差し指を突き立て言い放つ。


「は?」


 ロバートのあまりに尊大な態度に、ジャネットの頬がヒクつく。エディも真顔になり警戒を強めた。ロバートは護衛も連れず、たった一人だが強者の圧を放っている。元海軍特殊部隊員のエディでも、勝てないと思わせる程の重圧プレッシャーだ。


「貴様に拒否権は無い。黙って部隊の指揮権を渡せ」


「そんなことできるわけないでしょう。一体何様のつもりですか?」


 ジャネットの目が据わり、前のめりになって拒否の姿勢を示す。理不尽な要求に屈するようでは傭兵会社の責任者は務まらない。


「ふん。ハリル上院議長の娘だからといって、強気だな? だが、議長だろうが大統領だろうが、俺の邪魔をするなら排除するまでだ」


「正気なの?」


 親のことを持ち出す気はないジャネットだが、比喩とはいえ、仮にも軍関係者が政府要人を排除するなど、口にしていい言葉ではない。


「ふっ、まあ、部隊を借りるのは建前だ。本題はダイスケ・ワタナベの身柄にある。ここにいるんだろう? 引き渡して貰おうか」


「「ッ!?」」


 突然、大輔の名前を出されて二人は戸惑う。大輔の名前もそうだが、ロバートとの関連がまったく見えなかったからだ。


「まさか、あの爆発で生きてるとは思わなかった。どうやったか知らんが、有象無象を派遣しても無駄だからな。この俺自ら始末しにきてやったというわけだ」


「爆発? な、なにを言って――」


「西新宿の防犯カメラでワタナベがこのビルに出入りしてるのは確認してる。お前が一緒にいたこともな」


(シット!)


 ジャネットは表情には出していないが、内心舌打ちする。昨夜飲みに行ったことを見られていたのだ。しかし、腑に落ちない。何故、ロバートが東京の防犯カメラをチェックしているのか、それをする理由も見れる権限もないはずだ。それに、大輔を始末するという理由も想像つかない。


「……ッ!?」


 インカムを着けているエディが、何か連絡を受けたのか、慌ててジャネットの側に寄り、小声で耳打ちする。


「(ジャネットさん、所属不明の部隊がビルに侵入してます。恐らく『エクス・スピア』の傭兵部隊です)」


「ッ!」


 それを聞いたジャネットは慌ててロバートを見た。


「こんな都心の真ん中で、と思ってるか?」


 ロバートは席を立ち、窓際に向かって外を見ながら言う。


「今朝、何者かに警視庁が爆破された。どこぞの警備会社の外国人がになろうと、構っていられないだろうな。必然的に、日本国内にいるZOD社の部隊は俺の指揮下に入ることになる……強制的にな」



 直後、ビル内に銃声が響き渡った。

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