第502話 戦場⑩

 カシャコン


「ふーーー」


 リディーナはレミントンM700のボルトレバーを引き、再び押し込んで排莢と次弾の装填を完了すると、静かに息を吐いた。ゲンマの仇を討てたことに満足したのも一瞬、すぐに気を引き締め周辺の索敵に戻った。


 この世界に復讐や敵討ちを否定する者はいない。治安組織が未熟な上、法も公平公正では無いからだ。現行犯でなければ裁きは殆ど期待できず、身分差によっては理不尽な裁定もまかり通る。その為、犯人は半ば野放しになることが多く、新たな犠牲者が生まれ続けることも少なくない。そのような世界では、復讐や敵討ちはどの国でも法的には違法だが、一般の間では寧ろ推奨傾向にあった。


 無論、復讐者が必ずしも正しいとは限らない。逆恨みも当然あり、勘違いや思い違いも当然起こる。問題が無いわけでは決して無い。


 リディーナも自分が正義などとは思っておらず、親しい知人を殺され、犯人が許せない、野放しのままにしたくないという想いがあるだけだ。



(仇は討ったわよ、ゲンマ爺。それにしても、レイの言ってたとおりね……)


 レイがガーラとバヴィエッダに提供した『勇者リスト』。それには書いていない各勇者の対策は、レイの推測を元にリディーナとイヴにレクチャーされていた。


 勇者は完全無敵ではない。その特殊能力は脅威だが、意識して発動しなければ普通の人間と変わらないというのがレイの認識であり、勇者の共通事項だった。


 銃声よりも先に弾丸が到達する距離から狙撃されれば、普通の人間の反射速度では躱すことなど到底不可能である。


(この後のことは打ち合わせしてないけど、どうするのかしら?)


 当初、レイはバヴィエッダを見捨て、傍観する予定だった。しかし、スペンサーが『聖鎧』を纏うのを見て、急遽予定を変更した。聖鎧を纏った男は明らかに現地の人間であり、日本人ではない。殺しの標的ターゲットでない以上、手を出す必要は無かったものの、レイは男を通じて九条が見ていると予想し、誘き出すことにしたのだ。


 九条を殺せば仕事が終わるのだから試す価値は大いにあった。


 無論、賭けなどではなく、十分勝算あっての行動だ。リディーナの狙撃と爆薬の仕掛け以外にも、レイはいくつも策や罠を仕掛けていた。九条彰と川崎亜土夢、佐藤優子が同時に現れたとしても、今のレイには対処する術がいくつもある。


 それに、女神の依頼の最優先事項は九条彰であり、時間的制約があるのも九条だけだ。つまり、勇者が全員で現れたとしても九条を殺せれば十分であり、全員を相手にする必要は無いのだ。


 …


(コイツがなんで『勇者』の能力を使えるのかは気になるところだが、今回は時間が無いからな……)


 レイが方々に放った煙幕手榴弾スモークグレネードの煙が薄くなりはじめていた。スペンサーを尋問したかったレイだったが、九条が現れなかった以上、吉岡莉奈を含めてこの場に死体は残しておかなければならない。


「首だけあれば十分だろ」


 ―『聖炎』―


 レイは吉岡莉奈の身体を首から上を残して焼くと、吉岡のフルーレ剣を魔法の鞄に仕舞う。首を折られたスペンサーからは既に聖鎧が消えている。吉岡莉奈の頭とスペンサーの死体をそのままに、レイは倒れているバヴィエッダに向かった。


 バヴィエッダの腕を拾い、刻まれた魔法陣を興味深く見ると、切断箇所の接合に入る。


(神経と主要な血管を繋げとけば後は適当でいいな。この婆さんにはまだ死んでもらっちゃ困るからな)


 …

 ……

 ………


 リディーナの元に戻ったレイは、吉岡の所持していたフルーレ剣をリディーナに渡した。


「この仕事が終わったら、爺さんの墓にでも供えてやろう」


「そうね。……できればちゃんとこの手で止めを刺したかったけど」


「銃じゃ、剣に比べれば殺しの感覚が薄いからな」


「まあ、仕方ないわね。それよりあのお婆ちゃんは連れて来なかったの?」


「なんでだ?」


「だって助けたんでしょ? 豚鬼は殆どいなくなったけど、あの黒い騎士達はまだいるわよ?」


「あの『勇者もどき』の騎士と吉岡莉奈を殺した犯人になってもらうんで置いてきた。腕も繋げてやったしサービスはしといたぞ?」


「なんだか可哀想……」


「あんなバケモンを呼び出すようなババアに何言ってんだ。後は自力でなんとかするだろ」


「そう言えば、あの魔獣? 魔物? は見たことないんだけど一体何なのかしら?」


「さあな。腕にあった入れ墨はかなり複雑な魔法陣だったし、『魔物使いテイマー』とは違うようだ」


「魔法陣……ということは魔術の一種?」


「多分な。魔術に関してはあまり情報がない。魔法陣だけでも分かってるのは一部だけだしな」


「転移ってヤツ?」


「魔術は魔法より出来る範囲がかなり広いみたいだ。以前、俺が読んだ古代書にある単純な魔法陣でさえ複雑過ぎてやり方が分かっても真似できない。一つ、『魔封の結界』内でも使用できるのは気になるが、それは後でゆっくり聞くさ」


「後で、ねぇ~」


(問題は吉岡莉奈にも九条の監視が入っていた場合だが、例え俺だとバレたとしても、吉岡を殺した方法が分からなければ問題ない。俺以外の人間が銃を扱える、それも地球のスナイパー顔負けの腕とは夢にも思ってないだろうからな……)


 …

 ……

 ………


「はえ?」


 バヴィエッダは目を覚ますと、信じられない光景に戸惑いの声を上げた。


 先程まで過去の勇者を彷彿とさせるような圧倒的な強さを見せていた男が、首をねじ折られて目の前に横たわっていたのだ。


 それに、斬り飛ばされたはずの腕がくっ付いていた。薄らと残る切断跡と痛みにより、これが夢や幻ではないことを実感する。


「一体何が……まさか……」


 バヴィエッダの脳裏に浮かんだのは、同じS等級冒険者であり、あのトリスタンとゴルブが恐れる者のことだ。


しかし、そのことを考える暇は無かった。



「「「閣下ぁぁぁあああーーー!」」」



 煙の晴れ、親衛隊が目にしたのはジャレッド・スペンサーの無残な姿だった。そのスペンサーの前には老婆しかいない。誰がスペンサーをそのような姿にしたのか、疑う者は誰もいなかった。


 魔軍馬に乗った親衛隊百騎が、豚鬼の死骸を踏み潰しながら一直線にバヴィエッダに向かって来る。正確には横たわるスペンサーの死体にだ。


「やれやれ、そういうことかい……やはりアタシ達は囮か」


 バヴィエッダは何やら察して苦笑を漏らすも、血の跡が残る腕の入れ墨に短剣を再び刺した。


「いでよ、多頭竜ヒュドラ


 五つの頭を持つ巨大な竜が再度現れる。


「お行き」


 ギャオォォォオオオン


 五つの頭から一斉に雄叫びが上がり、ヒュドラは親衛隊に襲い掛かった。それぞれの首が様々な方向から騎士達に食いつき、牙で引き裂き、毒を撒き散らした。


 その巨大な咢と毒の吐息を防ぐ手立ては無く、騎士達の魔鉄製の剣もヒュドラの堅い鱗を貫くことはできない。騎士達が周囲の豚鬼に攻撃命令を出すも、為す術もなく蹂躙されていた。


 その状況に、隊の副官は止むを得ず撤退の判断を下す。


「撤退だ」


「「「しかしっ!」」」


「分かっている! だが、我らが全滅するのは閣下の望むところではない。この屈辱はいずれ晴らす! 総員、あの老婆の顔をしかと目に刻んでおけ!」


「「「承知!」」」


「殿は豚共に任せる。我らは退くぞ!」



 撤退する親衛隊が遠ざかり、『魔封の結界』も自然と解除された。放置された豚鬼の軍勢がまだ数百は残っており、親衛隊の追撃をさせないようヒュドラとの間で壁になっていた。


「ふぃーーー」


 バヴィエッダは一先ずの脅威が去ったことで、疲れを見せて草原に腰を下ろした。


 自分は本来、あの騎士に殺されていたはずだ。そう思ったバヴィエッダは、これまでの占いの結果を反芻する。魔法を封じられ、打てる手は限られていたが、魔力を封じられずに全力を出せても拘束されて死ぬ未来しかバヴィエッダには視えなかった。勇者の纏う『聖鎧』や『聖盾』はあらゆる魔法が効かず、物理攻撃の召喚獣を使役しても『聖剣』には敵わない。何度、行動を変えても勝機は全く無かったのだ。


「さて、これからどうなるか……」


 バヴィエッダは傷の治療を後回しに黒い球体を取り出し、未知なる今後を占おうとしたその時……



「そいつで今度は何を占うんだ?」



「はうっ!」


 突然背後から掛けられ声に、バヴィエッダは心臓が飛び出る程に驚いた。気を抜いていたとはいえ、草原のど真ん中で背後を取られるなど経験したことなどない。それに、『占い』と自身の秘密をも口にされ、驚かない訳が無かった。


「婆さん、お前にはいくつか聞きたいことがある。その前に……煩いな」


 レイは光学迷彩を解除し、ヒュドラと豚鬼の戦闘を指差してリディーナに合図を出した。


 暫くすると、上空に黒雲が覆い、強風が吹きはじめる。


「ま、まさか……」


 黒雲からいくつも雷が発生し、轟音と眩い光が草原を照らす。激しい嵐によって、豚鬼は落雷の衝撃で爆散し、強風の風圧で引き千切られていく。


 豚鬼の軍勢が一瞬で全滅した一方、ヒュドラはそれに耐えていた。


「お、中々頑張るな」


 耐えていると言っても、落雷で首がいくつか吹き飛び、真空の刃で体中がズタズタに切り刻まれている。立っているのが不思議なぐらいだ。


『幻界の生物は魔核を砕かないと中々死なないでありんす』


 レイの腰元からクヅリが声を発する。


「魔核?」


『魔石のことでありんすぇ。まあ、こちらの生き物とはその質は違いんすけど』


「あの騎士が一撃であの黒い巨人をやったのはそういうことか」


『恐らくそうでありんす。聖剣であろうと、炎の魔人イフリートを一突きで殺すなどできんせん』


「ふ~ん。じゃあ、アレの魔核の位置は?」


『真ん中の首の根元でありんす。感じんせんか?』


「感じるわけねーだろ」


 レイは傷ついたヒュドラに歩み出し、腰の『魔刃メルギドクヅリ』を抜く。


「とりあえず邪魔だ」


 魔鉄の鎧を纏ったままのレイを親衛隊の騎士と判断したヒュドラは、無事な頭をレイに向け、毒性のある『酸の吐息アシッドブレス』を放った。


 レイは吐息の射角を瞬時に判断し、素早く潜るようにしてヒュドラの懐に飛び込む。酸が撒き散らす毒ガスも女神の作ったレイの体には効かず、行動は制限されない。


 懐に飛び込んだレイは黒刀でクヅリの言っていた箇所を斬り裂くと、刃先に僅かに触れた硬い部分を魔核と捉える。


 すかさず、返す刀でその箇所に突き刺し、魔核を貫いた。


 魔核を破壊されたヒュドラは崩れ去るように消えていく。


「死体は残らないのか……まさにファンタジーだな」


「分からない現象を『ふぁんたじー』で片付けるのは悪いクセでありんす』


「うるさい」



 レイがあっさりヒュドラを倒す様を呆然と見ていたバヴィエッダ。


「な、なぜヒュドラの魔核の位置が……それに毒を吸って平気なのか? ヒュドラを直接攻撃であんなにあっさり……あの黒い刀は一体……いや、その前にあの嵐は『暴嵐』? 複合精霊魔法なんてエルフ族でもそう簡単に発動は……まさか、古のハイエルフ?」


 様々な憶測が脳裏をよぎるバヴィエッダに、レイが振り向き声を掛ける。



「さて、これでゆっくり話ができるな。色々聞かせてもらおうか?」

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