第499話 戦場⑦

「行って来る」


 休息を終えたガーラは、立ち上がってバヴィエッダを見る。傍には志摩恭子とエミューが意識を失ったまま横たわっていたが、気に掛ける様子は無い。


「くれぐれも……」


「例の『S等級』がいるかもしれない、戦おうとするな、だろ? 分かってる」


「分かってるならいいさね」


「ったく、心配性なババアだ」


 ガーラはそう言って、自分の影に身を落とした。


 影の空間を利用できるガーラは、影から影への移動は視認した距離か、予め印を刻んでなければできない。護衛メンバー全員にはバヴィエッダと同様、ガーラも印を刻んでおり、当然、護衛対象であるアイシャにも刻んである。


 その印を目指し、ガーラは闇の空間を飛んだ。


 …


 同時刻。


 オリビア達は騎士達が死んだ現場を離れて小休止をとっていた。


 ズズッ


「……え? お姉ちゃんっ!」


 アイシャの身体が自身の影に沈んでいく。それに慌ててオリビアを呼ぶアイシャだったが、オリビアが気付き手を伸ばした時には既にアイシャは影の中だった。


「アイシャーーー!」


「落ち着け、オリビア!」


 取り乱すオリビアをトマスが制する。


「何言ってんのよっ! アイシャが――」


「ガーラって女の仕業だ。それに、アイシャは死んでない」


「どうして分かんのよ!」


「アイシャだけが消えたんだ。護衛対象ってのが変わらない証拠だ。ギルドの依頼を放棄する気なら俺達も一緒に殺られてる……足元を見てみろ」


 オリビアはトマスに言われて視線を下に向ける。薄暗い森の中でも自分の影はしっかり見える。ガーラがその気ならいつでも自分達を影に引きずり込むことができるのだ。アイシャだけを殺す理由があるなら別だが、護衛対象を殺すなら目撃者の自分達はとっくに殺されててもおかしくなかった。


「くっ……」


「あの女にとって俺達は用済みってこった」


「アイシャを探すわ」


「この広い森をどうやって? 冷静になれ。それでもB等級か? 森には武装した豚鬼がうようよいる。魔軍馬に乗った謎の騎士もだ。闇雲に探してもアイシャを見つけるより、奴等に見つかる方が早いぞ」


「ちくしょう……」


「俺はさっきも話したとおり、王都近くにある仲間との合流地点に向かう。どの道、ガーラも王都へ行くはずだ。あの子が心配なら王都で探すんだな。今は俺と一緒に行動するのが賢明だぞ? まあ、一人で行動したいなら止めんがな」


「……一緒に行くわ」


 …

 ……

 ………


「ふむ。『鍵』は動いておらんな。森に入った者達が追い詰めたか?」


「作戦とは違いますが、そうであれば伝令が来るはずです。鍵の保持者が負傷でもしておるのでは?」


「……斥候を出せ。小鬼ゴブリンなどではなく、我が隊の精鋭をな」


「はっ」


 エミューの持つ『鍵』の進行方向を探知機で把握していた『親衛隊』の隊長、ジャレッド・スペンサーは、先回りして森の先にある草原に隊を移動させていた。


 魔軍馬に乗った『親衛隊』の騎士は百騎ほど。全員の見た目は二十代前半と若い者達だが、それぞれの実年齢は六十代から八十代の実戦経験豊富な老練の騎士だ。中でも隊長であるスペンサーは王族の血を引く公爵家に生まれながら、特別任務を行う遊撃騎士団の団長という特殊な経歴があり、実年齢は九十歳。騎士なら誰でも一度はその名を聞いたことがある程の、王国では伝説の騎士だった。


 そのスペンサーは言い様の無い違和感を覚え、それを確かめる為に斥候を放った。十名に満たない相手を追い詰める為に過剰過ぎる戦力を投入している。しかし、未だ捕虜は一人のみ。戦場ではしばしば突出した『個』により戦況が混乱することがあるが、スペンサーはその可能性を肌で感じていた。現に捉えた男は武装した豚鬼を百体以上も屠っている。仮に他の者も同等以上の戦力を保持しているのなら有象無象をいくら投入しても意味は無い。


 突出した『個』に対処するには、犠牲を顧みず圧倒的な数で攻め続けるか、強力な個人を複数ぶつけることが望ましい。しかし、任務を完遂しても、勝って当たり前の勝ち戦はその内容が最も問われ、前者が評価されることはない。スペンサーは迷わず後者を選び、豚鬼の軍勢を下がらせ『親衛隊』を前面に出した。


「隊の者が『鍵』を持ってくるなら良し。そうでなければ作戦どおり、逃げてきたところを我が隊ですり潰すのみ」


「はっ」


(フフッ、斥候の報告次第では儂自ら相手をしてやろう)


 スペンサーは己の騎乗する本物の魔軍馬を見て、密かに笑みを浮かべる。



 しかし、斥候が戻ることは無かった。


 …

 ……

 ………


「アイシャ!」


「センセーっ!」


 ガーラが連れてきたアイシャと目を覚ました志摩が抱きつく。お互いの無事に安堵したのも束の間。すぐにガーラの厳しい声が飛ぶ。


「さっさと移動するぞ!」


「ちょっと待ってよ! ジーク達を待ってなきゃ……」


「知るか。お前はオレ達と一緒に来るんだ」


「なんでよ!」


「お前は冒険者だろう? それも、A等級が護衛対象より仲間を優先するのか?『クルセイダー』がそんな連中だったとはな。A等級が聞いて呆れる」


「ち、違うわよ! けど……」


「ガーラさん、急ぐのは分かりますが、説明をお願いします。私達を拉致するような真似を含めてです。でなければ、信頼してついていくことはできません。それに、顔色が……」


 志摩恭子が意を決してガーラに物申す。大軍に追われている状況は分かっているが、ガーラの強引なやり方に説明を求めた。それに、ガーラの顔色の悪さも気になった。目が覚め、アイシャを連れて戻って来たガーラの顔は、血の気が引いているように真っ青だった。とても体調が良いようには見えない。


「オレのことはどうでもいい。足手まといは置いていく、それだけだ。お前とそのガキも、走れず担がれといてよくそんな口が聞ける……敵の、人間の捕虜になるのがどういうことか分かってるのか?」


「捕虜? ……人間?」


「相手が騎士だろうが、野盗だろうが、女が敵に捕まった後のことを言っている。志摩恭子、お前は連行されるだけで済むかも知れないが、そっちの金髪の女は死ぬまで犯される。奴らはケダモノだ。ガキだって例外じゃない。その可能性を高くしたいならいくらでもお喋りに付き合ってやる」


「そんな……」

「あう……」


 志摩に抱かれたアイシャが震える。


「エミューと言ったか? お前も仲間を探したきゃ好きにしろ。豚鬼に捕まればどうなるかは知ってるだろう。森にいるのは一匹や二匹じゃないんだ。死ぬより悲惨な目に遭う覚悟はあるんだろうな?」


「うっ」


 小鬼や豚鬼は好んで人間の女を犯す。人型の魔物は雌が生まれる割合が極端に低く、人間を利用して繁殖する為だ。それに加えて性欲も非常に強く、被害にあった者はまず正気ではいられない。冒険者、特に女なら知っていて当然のことだ。


「何十、何百の豚鬼に犯されるか、もしくは斬り伏せる自信があるのかと聞いている」


「そ、それは……」


「無いならオレの指示に黙って従ってればいいんだ」


 エミューは、とある理由で『クルセイダー』の一員になってはいるが、実力はA等級に及ばない。本人は所属する経緯や理由は知らずとも、自身の実力不足は自覚している。エミューに豚鬼の大軍や騎士達を躱しながらジーク達と合流できる自信は無かった。


「まあ、今は先に進むしかないさね」


「「「……」」」


 沈黙する三人を連れ、ガーラは森の先へ歩み出した。



 一行の最後尾で密かに魔力を練るバヴィエッダ。


(悪いねぇ)


 …

 ……

 ………


(ババアとガキ、それと若い女が二人。しかも黒髪と亜人……)


 森の奥から軽装の騎士が『双眼鏡』を片手にガーラ達を観察していた。


 ガーラ達の容姿と行動を確認し、腰にある『無線機』に手を伸ばす。


 無線機のスイッチに指を伸ばした瞬間……


「いいモン持ってるな」


「ッ!」


 ゴキッ


 騎士は首があらぬ方向に曲がり、その場に崩れ落ちた。


「双眼鏡に無線機。双眼鏡はビノキュラーM24に似てるが……レティクルが無いな。完全なコピーではなく、自作品か? 無線機もだな。半導体なんて作れ……ちっ、よく見たら背中に背負ってるのが本体か……なんだ、真空管かこれ? いつの時代のだ?」


「『そうがんきょう』とか『むせんき』とか、何言ってるの?」


 死んだ騎士の荷物をバラしながらブツブツ呟くレイに、近づいてきたリディーナがツッコむ。


「いや、随分魅力的なモンを持ってるなと思ったがダメだった」


「何が?」


無線機コレだ。嵩張るから携帯するには不便だし、そもそも予備のバッテリーが無い。コイツの受信機を持ってる奴のところにはあるかもしれんが、見る限り交信可能範囲は二~三百メートルってとこだろう。しかも屋内での通信は無理だな。森の中でも怪しいもんだ。この男、一体誰と通信するつもりだったんだ? 使い慣れちゃいないな……」


 レイの探知魔法では予想される無線機の通信範囲に人はガーラ達しかいない。騎士は咄嗟に無線機に手を伸ばしたものの、交信距離まで引き返すはめになっていたことだろう。そのことから察するに、支給されてからまだ日が浅く、十分な習熟訓練は行っていないことが伺える。


「んもう! 何を言ってるのか全然意味が分からないわ!」


「お二人とも、すみません! あちらの様子が!」


 レイとリディーナの間にジークが割り込む。ジークの視線の先では、バヴィエッダを残し、残りの者達が全員倒れていた。


「あのババア、何をした?」


「ごめん、ちょっと見てなかったわ」


「俺にも分かりません。というか、あまり見えません。立っているのはあの婆さんなんですか?」


 レイ達からガーラ達のいるところまで三百メートル以上は離れている。常人であり、視力の強化もしていないジークには、複数の人影が突然倒れたことしか分からなかった。


「あのガーラって女まで倒れてるな。仲間じゃなかったのか?」


「あっ、あのお婆ちゃん、歩いてっちゃったわよ?」


「騎士共が陣を敷いてる方向だな」


「投降でもするつもりかしら?」


「さあな」


 レイは探知機を取り出し、画面を起動させる。光点はガーラ達の位置から動いてはいない。


「申し訳ありません、使徒様。行って宜しいでしょうか?」


「……いいだろう。合流しろ。周囲に敵の姿は無い。森を抜けるなら真西か北周りに迂回して行け。お前の話は王都で聞く」


「はっ!」


 ジークはレイの元から急いで離れて行った。



「ジークってコ、私達についてくるなんて中々頑張ったわよね。結構いい歳だと思うけど」


「流石は異端審問官、いや、A等級冒険者ってところか? だが、オッサンのくせに少し青いな」


「あおい?」


「若造みたいってことだ」


「余程、エミューってコが心配なのね」


「異端審問官でも他の組織に潜入するような奴は感情を残してるってことか。逆にそうじゃなければ潜入なんてできんし、当たり前か」


「そうなの?」


「そりゃそうだ。感情の無い人間は円滑な人付き合いなんてできないからな。潜入する組織の信頼を得ないと潜り込んでも意味がないんだ。イヴが別人を演じて笑顔で活動出来ると思うか?」


「うーん、無理かも」


「だろ? 因みに俺も無理だ」


「レイなら何でも出来そうな気がするけど……」


「俺がムカつく奴にへらへら笑って愛想よくできると思うのか?」


「無理ね」


「そういうことだ」


「で、私達はこれからどうする?」


「ババアが何をする気か見に行くか」


「そうね」


 二人は強化した視力で、倒れた者の胸が微かに上下に動いているのを確認している。つまりはガーラ達は死んでいるのではなく、意識を失っているか、眠っているかのどちらかということだ。無力化した者達を殺さず、拘束もしていないのであれば、バヴィエッダが騎士達に投降するという線は酷く中途半端に思える。



「ジークには迂回しろとは言ったが、『鍵』を持ってるならあまり意味は無い。奴らは探知機も持ってるみたいだしな」


「あのお婆ちゃんは『鍵』のことは知らないんでしょう?」


「どうせ、占いとやらで騎士の存在は知ってたんじゃないのか? だが、そうだとしたら、それを回避するような行動をしていないのが気になるが……」


「悪い未来って必ず回避できるものなのかしら?」


「……そうか、そういうことか」


「何が?」


「リディーナはたまに核心をつくよな」


「たまに?」


「いや、なんでもない。しかし、そうだよな。悪いことが起こると知ったからといって、避けられるかどうかは別問題だ。病気になる未来が視えたからといって、病気によってはどうしようもないものもある。避けられないなら最悪を回避するしか手がないこともあり得るんだ」


「逃げちゃえばいいのに」


「忘れたか? あいつ等には奴隷の首輪があるんだ。それに、あの婆さんは『鍵』の存在を知らない。依頼は断れず、どんな選択をしても向こうに探知機があるなら同じ結果になる」


「じゃあ、あのお婆ちゃんは……」


「騎士共を一人で受け持つつもりだ」

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