第500話 戦場⑧
草原に陣を敷いた『親衛隊』の前に、バヴィエッダが姿を現した。
「フェーッ フェッ フェッ これはまた随分お若い騎士様さねぇ」
バヴィエッダは魔軍馬に跨った黒い騎士団と、その背後に整列する数千の豚鬼達を見渡し、大げさに笑って見せる。
「なんだ、あの老婆は?」
バヴィエッダの態度にジャレッド・スペンサーは眉をひそめ,手元の探知機をチラリと見る。『鍵』の位置を示す光点は以前の場所から動いていない。
「鍵は持っておらんようだな」
「投降する素振りもありません。魔術師のようですが、まさか我らを相手に一人で戦うつもりでしょうか?」
「我々『親衛隊』と豚鬼の軍勢の前であの態度。余程の自信があるのか、頭がおかしいかのどちらかだろう」
「見る限り痴呆の線もあるかと。魔術師が前衛も連れずに来るなど自殺行為ですからね」
「うむ。しかし、ボケているのでなければ舐められたものよ」
「閣下、我々の見た目は若造ですよ? お忘れですか?」
「そうであったな……まあよい、斥候の目を潜ってここに来たことは褒めてやろう。
「まったくです」
「……もういい、目障りだ。始末しろ」
「宜しいので?」
「この軍勢を前に一人で来るような頭のおかしな者に、尋問は時間の無駄だ」
「確かに。ではそのように」
スペンサーの隣にいた副官は、手を振り、騎士達に攻撃命令を出す。
副官の合図で、弓を持った十数人の騎士が矢を番え、一斉にバヴィエッダに矢を放った。
―『
短縮した詠唱で炎の壁を目の前に発生させたバヴィエッダ。放たれた矢は炎壁に触れた瞬間に燃え尽き、バヴィエッダに届くことは無かった。通常の『炎壁』はここまでの威力は無く、バヴィエッダが並の魔術師ではないことを示していた。
「短縮詠唱にあの威力……ボケているわけではないようだな」
「ですが『炎壁』とは悪手ですね」
「所詮は冒険者か」
轟々と燃え盛る炎によってお互いの視界が遮られ、それを見た六名の騎士が即座に魔軍馬を走らせた。『親衛隊』の騎士達は、ある程度自由に戦術を組み立て実行する権限を持っていた。それぞれが現役だった時代が異なり、また、個々に様々な得意分野を有する者達をスペンサーが普遍的な騎士団の型に当てはめることをしなかった為だ。
二人一組で三方向からバヴィエッダに迫る騎士達。
二人の内、一人は槍と盾を構えて突撃の体勢を取り、もう一人は呪文の詠唱をしながら突撃する騎士の背後を追走していた。
―『
騎士の発した魔法により、薄い光のベールが前衛の騎士を包み込む。魔法や魔力に対する防御幕を張り、炎を軽減させて突貫するつもりだ。
続けて攻撃呪文の詠唱に入る後衛の騎士。老婆一人に対し容赦しない。
炎の壁に阻まれ、お互いの姿は見えない。騎士が炎の対策を施して突撃する一方、バヴィエッダはどこから取り出したのか、特殊な杖で地面に大きな魔法陣を描いていた。
「いでよ、
バヴィエッダが描いた魔法陣に魔力を流すと、魔法陣から凄まじい勢いで炎の柱が吹き出した。発生した炎の中に、十メートル程の人影が現れる。
その人影に周囲の炎が集約していき、人影は徐々に禍々しい姿を露わにする。炭のような漆黒の体に、牡牛のように曲がった二本の角。体のあちこちに炎を纏ったその姿は、誰の目にも魔物とは一線を画す存在だと分かった。
「召喚獣だとっ!」
スペンサーは驚き目を見開く。他の騎士達は『召喚獣』という言葉を理解していないのか、答えを求めるようにスペンサーを見る。
「いかん! あ奴らを下がらせ――」
ゴウッ
イフリートが軽く腕を横薙ぎに振ると、バヴィエッダに突撃しようとした騎士の三人が魔軍馬ごと激しい炎に包まれた。それと同時に凄まじい力でバラバラに吹き飛ばされる。
「「「ひっ!」」」
まるで、脆くなった炭が砕け散るように粉々になった前衛の騎士を見て、後衛の騎士は呪文の詠唱を忘れ、慌てて手綱を引いて魔軍馬を制止する。しかし、既にイフリートの射程圏内に入っており、彼らも前衛の騎士達と同じ運命を辿った。
「おやおや、『魔封の魔導具』を起動したのかい? 無駄さね」
それを見ていた騎士達は、イフリートを魔法の類と判断し、『魔封の魔導具』を起動させて魔法を封じた。対魔術師戦ではセオリーを初期に行わなかったのは油断とも取れる判断だったが、魔法を封じられた魔術師は只の人になる。そのような状態で相手から勝利を収めても騎士としての格は上がらない。騎士として高みを目指してきた者達だからこそ、遅れた判断だった。
『魔封の魔導具』を起動させ、それによりバヴィエッダが放った『炎壁』は霧散した。しかしながら、イフリートが消えることはなかった。
「無駄だ! 既に実体化した召喚獣に魔封は効かぬ! 全隊後退! 豚共を前に出せ!」
スペンサーは、『親衛隊』に後退の指示を出し、隊を豚鬼の軍勢と入れ替える。
「「「閣下!」」」
側近達が盾を構えてスペンサーの護衛に入る。
「慌てるでない。どうせ長くは顕現出来ん……しかし、あの老婆、古の召喚魔法とはな。よくも今まで生き永らえてきたものよ」
「閣下はアレをご存じなのですか?」
「お前達が知らぬのも無理はない。アレは古くからアリア教会が異端とし、禁じている古代魔法の一つ……未だ使い手がおったとは驚きだ」
「古代魔法、ですか?」
「『魔術』のことだ」
「「「なっ!」」」
『魔術』は、女神アリアが禁じた行為の一つだ。『魔術』の使用者、または、それを研究、習得しようとする者は教会から異端認定され、処刑される。且つて、魔王の軍勢の一部が『魔術』を使用したと人々の間では伝えられているが、『魔術』の詳細を知る者は殆どおらず、言葉だけが残っているに過ぎない。スペンサーを除き、騎士達がそれを実際に目にしたのは初めてのことだった。
『魔術』を行使する者がいることに騎士達は驚くが、それを一目で看破したスペンサーにも驚いていた。なぜなら、『魔術』は、それを調べようとするだけで教会から嫌疑をかけられる為、スペンサーが知っていること自体、禁忌に触れているからだ。
「儂が王族なのを忘れたか? 禁忌の一つや二つ、教会に隠れて調べることなど造作も無い。実在するのならそれを手に入れる、できなければ対処を考えるのは当然だろう?」
「「「……御意に御座います」」」
騎士達はスペンサーの戦いに関する貪欲な姿勢に改めて畏敬の念を抱く。スペンサーは、公爵家に生まれながら権力争いには興味を示さず、大貴族の特権と金を戦いに関する技術と知識の集積に費やしていた。その姿勢は損得は勿論、物事の善悪や倫理を問わないものであり、それは最早、狂気の域だった。
ゴオアアアアァァァ
スペンサーが騎士達と話をしている間にも、イフリートは豚鬼の軍勢を屠っていた。腕の一振りで数十の豚鬼が消し炭となってバラバラになり、吐き出す業火の
その光景を目にしても、スペンサーの表情に焦りの色はない。
「閣下、このままでは――」
「凄まじいものよ。教会が禁忌としたのも頷ける。『龍』に勝るとも劣らぬ存在。それを自由に操れるのだからな。その技術が広まることを危惧するのは理解できる。人間が生身でアレを相手にするなど不可能だからな」
「如何致しますか?」
「殺すのは無しだ。あの老婆は生け捕りにする。勇者様への良い土産だ」
「は? し、しかし……」
「強力な召喚獣を異界から呼び、従わせるのは代償がいる。放っておいてもいずれ術者は力尽きる。豚共が全滅しようが、相手が召喚獣なら言い訳も立つだろう。当初はこれ程の大軍勢が必要なのかと思っておったが、流石は勇者様の御慧眼といったところか……まったく、恐れ入る」
「は、はあ」
騎士の目にはイフリートと老婆にそのような代償があるようには見えなかった。イフリートは疲れを知らず、手当たり次第に豚鬼を殲滅している。老婆も同様だ。外套のフードの下からニヤけた口元が離れた距離からでも伺え、平然としている。
放置すればイフリートが本陣のここまで迫る勢いだ。
騎士達はスペンサーが余裕の態度を崩さないことに感嘆する傍ら、禍々しいイフリートに内心恐れを抱き、当初とは一変、不穏な空気に包まれていた。
それに、ここにいる『親衛隊』の面々は全員が『勇者』によって若返ったものの、十代の若者であり、貴族や王族でもない異世界人に心の底から敬服している者は殆どいない。にも関わらず、スペンサーが勇者に心服している様子が不思議だった。
「案ずるな。このまま放っておいてもよいが、儂が出よう。フフッ そう言えば、お前達にはまだ見せておらんかったな……儂が授かった『力』。アキラ様からはあまり人前では見せないようにと厳命されていたが、相手が召喚獣なら実戦で試す良い機会だ」
「「「……?」」」
スペンサーは外套とその下に着ていた上着を脱ぎ捨てた。外套の下は他の騎士のように魔鉄の鎧はおろか、防具は何一つ身に着けていない。騎士団の指揮官として戦場に赴く格好ではなかった。
その理由はすぐさま判明する。
―『聖鎧召喚』―
眩い光を放つ白金の鎧がスペンサーの体に現れた。誰もが普通の鎧ではないことが分かるそれは、且つての『勇者』桐生隼人が顕現させた鎧に酷似していた。
―『聖槍、聖盾召喚』―
続いて同じような盾と槍を顕現させたスペンサーは、踵で騎乗する魔軍馬の腹を蹴り、指示を出す。
「お前達はここで見ておれ」
スペンサーは騎士達にそう言い残し、その場から姿を消した。
…
尋常ではない速度で走る八本脚の
「フハハッ 素晴らしい速さだ! 生身では例え身体強化を施しても耐えられるものではないな! だが、この『聖鎧』を纏えばそれも可能! それにっ!」
豚鬼を蹴散らしながら一直線にイフリートに向かうスペンサー。
その迫るスペンサーに向かって、イフリートは業火の息吹を吐く。
鎧の隙間をカバーしながら、巧みに盾を使ってスペンサーは業火を逸らした。
「『聖鎧』と『聖盾』の前では炎など効かぬ! とはいえ、我が愛馬は別だからな。安全策を取らせてもらうぞ!」
―『
スペンサーは手に持つ『聖槍』をイフリートに向け、光の槍を発生させた。その光る槍は高速で打ち出され、イフリートの身体を貫通する。
オオオォォォォ……
ぽっかりと穴が開いたイフリートの胴体。動きの止まった相手に、スペンサーは続けて『聖なる槍』を放つ。
ゴアァァァーーー
スペンサーに向かって再度、業火の息吹を吐くイフリート。しかし、今度はそれを魔軍馬が素早く回避する。下半身だけで魔軍馬を操り、上半身は槍と盾を構えてイフリートと正対しているスペンサーは、尚も『聖なる槍』を放ち続けた。
巻き添えで業火に焼かれ、魔軍馬に踏み潰される豚鬼達。地獄のような光景が広がる中、神々しい光に包まれたスペンサーが巨大な魔人に立ち向かう姿は、見る者にお伽話の『勇者』を彷彿とさせた。
「勇者様だ……」
騎士の一人がそう呟く。
「勇者様……そうだ、閣下こそが真の勇者様だ!」
「『勇者スペンサー』!」
「スペンサー様万歳! 勇者様万歳!」
『親衛隊』の騎士達がスペンサーを賞賛する声を次々に発する。
…
一方、バヴィエッダはスペンサーがイフリートを圧倒している光景を見ながら、次の一手に入った。
「やはり、間違いなく『勇者』のようだね。しかし、アレは異世界人じゃあないみたいだねぇ。そのカラクリを確かめないことには死ぬに死ねないさね」
バヴィエッダは、どんな行動をしても同じ結果になる占いに、己の死期を悟っていた。ある時は街で、森で、草原で、行動を変えても同じ光景を視ていたのだ。バヴィエッダが唯一変えられた結果は、ガーラを巻き込まないことだけだった。
しかし、その中でもバヴィエッダに分からなかったのは、占いの中で騎士の姿が認識できたことだった。あの騎士は異世界人ではないのだ。あの光輝く武装は紛れもなく異世界人、『勇者』のものであり、この世界の人間が発現できる代物だとはバヴィエッダには思えなかった。
『勇者』の能力は、異界を跨いだ者に備わった特殊な力というのが、バヴィエッダの師である魔女マレフィムの仮説だった。それを知っているバヴィエッダは、目の前の謎を、魔導の研究者として自分の生死よりも確かめずにはいられなかった。
「とはいえ、骨が折れるねぇ。いや、少し違うさね」
バヴィエッダは外套の袖を捲り、細腕を露わにする。その褐色の肌の腕には入れ墨のような文様が描かれており、その一部をなぞるようにバヴィエッダは短剣で己の腕を傷つけた。
「魔術師が魔封対策をしてないわけないさね。それに、魔力を垂れ流すだけが魔術じゃない。まだまだこれからさね」
流れ出る血に反応して文様が薄っすらと光を帯びる。
「いでよ、ヒュドラ」
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