第487話 魔狼

「「「ッ!」」」


 ジーク一行に緊張が走る。


 遠吠えは狼系魔獣特有の行動だが、大気が震えるほどの咆哮は大狼ダイアウルフなどではない。この場にいる者達は、その主が遥かに巨大で強力な個体のものだと、即座に察した。


「総員、全周防御! 護衛対象を中心に四方を固めろ!」


 ジークがすぐさま指示を飛ばす。


 オリビアが志摩恭子とアイシャを引き寄せ、二人を守るように張り付く。その間にゲイルと『クルセイダー』の面々は三人を囲むようにして四方に展開し、全方位を警戒する。狼系の魔獣なら、その習性は群れでの行動がセオリーだ。相手が大狼でないにしろ、単独で襲って来るとは誰も考えていない。


 遠吠えのあった方向だけ警戒するのは臆した素人だけだ。



 しかし、遠吠えの主は、そんな冒険者達のセオリーを無視する。



 遠吠えがあった反対方向を警戒していた『クルセイダー』の一人、パウロは、森の木々の合間から現れた巨大な狼が視界に入り、驚きのあまり目を見開いた。


「フェッ――」


 カブッ


 A等級冒険者の反射速度を遥かに凌ぐ俊敏性と静粛性。


 パウロは最後まで言葉を紡ぐ間もなく、魔獣の姿を捉えた瞬間、刹那に移動してきたそれに、頭をもぎ取られた。


「「「えっ?」」」


 異変に気づいた一行は、頭を無くしたパウロを見て、一瞬時が止まった。


「「「パ、パウロぉぉぉーーー!」」」


 その魔獣は、パウロが倒れる前に再度噛みつき、その遺体を食い始めた。


「うそだ……ろ?」

「バカな? なんでこんなとこに……」

「ここは平地だぞっ!」


「「「なんで、魔狼フェンリルがいるんだっ!」」」


 周囲が森に囲まれているとはいえ、ここは平地だ。それに『魔の森』とは比べものにならない程、魔素が薄い。『魔狼』のような巨大で強力な魔獣が生息しているはずが無いのだ。


 あり得ない状況に、一行は暫し呆然としてしまう。


 目の前の魔狼フェンリルの体長はおよそ五メートル。大狼とは比較にならない巨大さだ。白銀の体毛と金色の瞳。その目は獰猛な光を放ち、パウロを貪り食いながらも視線はジーク達から離さず、一人も逃がさないとでも言っているかのようだ。


 そんな中で、魔狼の前に即座に飛び出した二人の男。


「まさか、魔狼とはな……本部の剥製でしか見たことねーが、本物かよ?」

「他に該当する魔獣がいるか? だが、こんな所で遭遇するなど有り得ん」


 ジークと『ドラッケン』唯一の生き残りゲイルだ。


 お互い軽口を叩いてはいるが、目は真剣だ。狼系魔獣の頂点と言われる魔狼は龍並に有名であり、遭遇するのが初めてであっても、その特徴や恐ろしさは冒険者に認知されている。ジークは『エクスカリバー』を惜しげもなく抜き、ゲイルも氷の魔法武器『氷魔槍ヘーガー』に魔力を流して全力の構えだ。


 グルルル……


 遠吠えの方向と距離からして、目の前の魔狼は別の個体だと普通は思う。しかし、他の狼系の魔獣と違い魔狼は単独行動を好み、群れを形成する習性がないことは冒険者ギルドの資料にもある。それが事実であるなら、あの遠吠えから即座に後方へ移動してきたということだ。そんな速度で移動できる魔獣相手では馬で逃げてもすぐに追いつかれ、背後から一方的な攻撃を受けただろう。馬より速い相手に、行動が制限される馬上にいたまま遭遇していれば、全滅していたかもしれない。


 セルゲイの妨害工作がなければ、ジーク達は走行中に襲われていた。そうなれば、体制を整える前に、半数は確実に殺られ、志摩恭子とアイシャを守れていたかは分からなかった。


 素早い魔物相手には、その速さに付き合わず、防御に専念しながら隙を見出すしかない。


 しかし、いくらA等級冒険者でも、魔狼は正攻法で勝てる相手ではない。長年の記録を集約した冒険者ギルドの資料が誇張したものでないのなら、魔狼は素早く巨大なだけではないからだ。その恐ろしさは……


 ボボボ……


 魔狼が口を開き、口元の景色が歪む。


「拙い! 火を吹く気だ!」

「ちっ、資料どおりだな!」


 魔狼は炎を操る。口から火球を吐き、その体毛はあらゆる火属性の魔法を弾く。


 ジーク達に高温の炎が吐かれようとしていたその時……



  ―『絶対防御アブソルートガード』―



 志摩恭子が能力を使って防御の結界を張った。


 直後に魔狼から炎が浴びせられる。


 周囲の木々が燃え上がり、結界の外にいた馬が瞬時に焼け死んだ。


 辺りが瞬く間に業火に包まれた。その範囲と威力は、個人の装備では到底防ぐことは出来そうにない。高難度と認定される魔物は、こうした特殊攻撃や性質によるところが大きい。魔物の真の怖さは、単純な身体能力の強弱だけではないことだ。如何に高等級の冒険者でも、事前に相対する魔物の情報とその対策をしなければ、あっさり全滅する。


 志摩の結界が無ければ全員焼け死んでいたのは間違いなかった。



「志摩センセー、助かったぜ」


「い、いえ、つ、つい、咄嗟に……」


 巨大な狼を前に足が震えている志摩恭子。危機に対する生存本能により能力を発動させただけで、志摩は殆ど無意識に発動していた。戦闘に慣れた者であれば、ジークの号令で即座に結界を張っていただろう。そうしていれば、パウロは死なずに済んだかも知れない。


 しかし、それは志摩が結界を張れると知っていて、それを指示しなかったジークの責任だ。護衛対象に自分達を守らせるなど、高位の冒険者ほど頭に浮かぶはずがない。熟練の冒険者故のミスとも言える。


「炎を防げたのは有難いが、ここからアレに攻撃する手段が無い。どうする?」


 ゲイルは魔狼から目を逸らさず、ジーク達に問う。結界の中から炎を跨いで攻撃する方法が自身に無く、他のメンバーに誰か出来ないか聞いているのだ。


「「「……」」」


 ゲイルの問いに答える者はいない。誰も打つ手が無いのだ。燃え盛る炎を掻い潜る術も、この場から魔狼を攻撃する手段も無かった。


「そんな手がありゃ、本部でグリフォンに苦戦しちゃいねーよ。第一、俺達は不死者アンデッド専門だぜ? ……ったく、しくじったぜ」


 ジークの脳裏に、全滅したA等級冒険者パーティー『アレイスター』が浮かぶ。この場には炎に対処できる魔術師がいないのだ。遠距離攻撃のできる者や、魔術師を補充をしなかったことが悔やまれた。しかし、今回の護衛はジークに主導権があるわけでもなく、ジークの所為とは言えない。



「ちっ、仕方ない……」


 ガーラは、舌打ちしながら自身の影に潜り、その場から姿を消すと、魔狼が自身の足元の影に徐々に沈んでいった。


 魔狼は自身に起こった異変にすぐに気づくも、影に沈んだ四肢は動かせず、何が起こっているのか分からぬまま、首を振って悶えることしか出来なかった。


 ガアアアアァァァーーー!


 ブツッ


 首から下が影に沈んだ魔狼は、ガーラが影の空間を閉じると同時に首が断ち切られ、あっけなく命を落とした。


「ふん、魔狼ごときで慌てるな。素人ども」


 再び元の場所に姿を現したガーラは、呆気にとられているジーク達に吐き捨てるように言う。


「「「……」」」


 魔法であれなんであれ、魔狼に起こったことは誰の目にも未知なるものだ。得体の知れない力を見せたガーラに、誰もが畏怖の念を抱く。


(((これが『S等級』の実力なのか……)))



「ガーラさんよ、そんな言い方はねーんじゃないか? いくら『S等級』っていったって、単独じゃ護衛依頼は無理なんだ。俺達が死ねば困るのはアンタ達だぜ? 魔狼を一瞬で殺れる力があるなら先に言ってくれよ。それと、婆さん。アンタもこのことは占いとかいうので知ってたんじゃないのか? アンタ達が協力的なら俺達の仲間は死なずに済んだかもしれないんだぞ?」


 皆が沈黙する中、ジークがガーラを責めるように口を開いた。


「「……」」


 ガーラとバヴィエッダはそれに何も答えない。二人の能力や魔法にはそれぞれ制限やリスクがあり、二人は冒険者同士の暗黙の了解に則っているだけだった。


 しかし、ガーラはジークの発言に女々しさを感じ、沈黙を破る。


「相手が『勇者』ってのを承知で手を上げたんだろ? オレ達に文句を言う前に、高額な報酬に目が眩んだ自分を恨め」


「勇者は関係ない。戦闘は任せる話だったはずだ」


「だから始末しただろ? 何が問題だ? 護衛対象に結界なんぞ張らせなくとも女とガキを守れたし、襲撃者の始末もする。それが依頼だからな。だが、依頼の中にお前等の護衛は含まれてない。それとも、オレ達に守って欲しかったのか? なら、はじめからそう言って別途依頼しろ。まあ、そんな舐めた依頼をする奴等ならいない方がマシだがな」


「このっ……」


 ガーラの嘲笑うかのような言い様に、流石のジークも苛立った。しかし、そんなやり取りの中、ゲイルは残された魔狼の頭を凝視していた。


「まさか……勇者なの……か?」


「ようやく気が付いたか」


 魔狼には、体毛に覆われて見え難かったが、首輪がはめられていた。それも、奴隷の首輪などではなく、手製のモノだ。まるで、可愛がっている飼い犬に着けるようなそれは、林香鈴が着けたものだった。


 この魔狼は、勇者の一人が且つて使役テイムしていた魔獣なのだ。


「ムカつく野郎の情報にあった『魔物使い』だ。魔狼は勇者の一人が飼っていた魔獣ってことだ。その『魔物使い』、ハヤシカリンとタカハシケントは死んでるらしいから支配は解かれているだろうが、魔の森から捕獲して連れてきたなら、魔素の薄いこの辺りにいても別に不思議じゃない」


「こんな危ない魔獣が野放しなら、国境の街で噂ぐらい流れててもおかしくなかったはず……」


「遭遇した者が生き延びていたならそうだろう。しかし、強力な魔物が現れても、それが発覚するのは多くの犠牲が出た後だ。それも、生き残りがいて初めて認知される。農村の一つや二つ食いつくされたって、生き残りや偶々通りかかった行商人にでも見つからなきゃ誰も気づかん。魔狼のような知能がそこそこある魔獣なら尚更発覚は遅くなる。そんなことも知らんのか?」


「くっ」


 ガーラの指摘は、この世界の住人なら誰でも知っていることだ。


 この世界では通信機器が無い。冒険者ギルドの魔導具や、灰色鳥による手紙のやり取りは一部の者だけの限られた手段だ。一般的には人伝手による口伝や手紙の配送でしか距離の離れた者との交信はできない。ある日突然、田舎の村が滅んでも、それを外部に伝える者がいない限り、すぐには発覚しない。運が良ければ数日。悪ければ数か月間、誰にも気づいてもらえないこともあり得る世界なのだ。


 それに、魔狼のような知能が高いことで知られる魔獣は、食い散らかして死体を残したり、生き残りを許したりして痕跡を残すことを嫌う。そのような知恵が働く魔物が人々に認知されるのは、大勢の犠牲者や行方不明者が出た後だ。



 ジーク達は国境の街で情報の収集はしたが、魔狼の情報は噂すら無かった。振り返れば、武装した豚鬼オークの話が聞こえてこなかったことに対し、疑問を持つべきだったのだ。冒険者ギルドが機能してないなら、魔物に関する情報を隠蔽することは難しくない。この国の支配者にとって都合の悪い情報が遮断されていたのだ。


 自分達の常識が通用しない事態に、ジーク達は戸惑いを隠せない。『勇者』という強力な個を意識してはいたが、その影響力は想像を超えていた。『魔の森』の強力な魔獣を捕獲し、放逐しているなど夢にも思わず、その情報も隠蔽しているなら、相手は国そのものだったのだ。


『勇者』との戦争を体験しているガーラとバヴィエッダは、それを知らないジーク達とは認識が違った。いくら口頭で勇者の非常識さを伝えたところで、実際に体験していない者に実感を持たせるのは難しい。なにより、ガーラ達にとっても、今回の勇者達は未知の能力者が多い。勇者は佐藤優子のような直接的な戦闘者だけではないのだが、多種多様な未知なる能力を説明などできはしなかった。


 例え、それを説明できたとしても、今の状況を未然に防げたとはガーラは思っていない。バヴィエッダも勇者のような異世界人は占えない。そのことを話したところで結果は何も変わらない。そう考えるガーラは、ジーク達を捨て駒ぐらいにしか思っておらず、敵に捕まり、自分達の力が漏れる可能性がある以上、実力を隠すのは当たり前だった。


「この魔狼は『勇者』の影響によるものだが、別に使役されてた訳じゃない。もし、使役された魔獣なら数段厄介だっただろう。『魔物使い』は使役する魔物を強化できるからな。『魔の森』に棲む魔獣ぐらいで騒ぐな。自分達の実力不足をオレ達の所為にするのは筋違いってもんだ」


「しかし、そのことと協力しないってこととは話しが違うぜ」



「お前さんの言い分も一理ある。しかし、アタシらは冒険者の暗黙の了解ってやつに従ってるだけさね。お前さんも皆に話してない隠し事があるだろう? 自分を棚に上げるのは良くないねぇ」


「何を言ってるかわからねーな」


 バヴィエッダの発言にジークが惚ける。


 高位の冒険者なら誰でも隠し玉の一つや二つは持っている。自分の切り札を他人に全て晒すような高位冒険者はいない。しかし、ジークが隠してるのは切り札どころか重要な機密ばかりだ。


 この場の誰もがジークには皆に話していない魔法や特技があるのだと察するが、当の本人にとっては違う。


(このババア、占いとやらで知ったのか? どこまでバレてる? いや、なんにせよ、迂闊だった。俺自身のことは構わんが、それ以外の事は拙い)


 この瞬間、バヴィエッダはジークの暗殺リストに載った。


「アタシを殺すかい? そりゃあ、からすれば、アタシ達は異端だろう。に関しての口封じを兼ねて殺したいだろうねぇ~ フェーッ フェッ フェッ」


「「「なっ!」」」

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