第344話 密告
翌朝。
クリスは鍛錬場に来なかった。
「「「(マジかアイツ……)」」」
「情けないわね」
「男として恥ずかしくないのでしょうか?」
「……申し訳ない」
リディーナとイヴの呆れた声にアンジェリカが謝る。
「アナタの所為じゃないでしょ?」
「来ない奴は放っておけ。やる気の無い者に無理に教えても、お互い時間の無駄だ。……流石にないとは思うが、屋敷から逃げ出して無いかだけ一応確認しろ」
「わかった……」
そう言って、アンジェリカはクリスの部屋へと足を向ける。
「アンジェリカ」
「?」
「無理に連れて来なくていいからな」
「あ、ああ」
「さて、ここにいるのは三人だけだが、昨日の様子を見て来たんだから根性はあるようだな」
(まったく、聖女もいるのにこの家の連中、大丈夫か?)
「それと、ミケルも来たのか」
バッツ達『ホークアイ』のメンバーで一番若いミケルが唯一この場にいた。
「お、お手柔らかにお願いします……」
「今日は、あんまり魔法を使わないでね?」
「そのつもりだ。だから今日はコイツを使う」
「木剣? それで真剣の相手をするの?」
「ああ。これなら打撲で済むだろ? 一々怪我を治す必要もないだろう」
怪我は治して貰えると思っていた者達は、それを聞いてこの場に来たことを後悔した。それはミケルも同様だ。
(てっきり治して貰えると思ってたんだけどっ! ……ヤバい、しくじった! でも、こっちは剣だし、旦那は木剣……大丈夫だよね? ね?)
…
「クリスはどこに行った!」
クリスの自室に本人の姿はなかった。部屋を見ると、剣や鎧などの装備は勿論、着替えや私物も無くなっており、単に席を外しているだけではないと分かる。
アンジェリカは近くにいたメイドにクリスの行方を尋ねる。
「わ、私は存じません! 朝からクリス様のお姿は見ておりません!」
アンジェリカの剣幕に、メイドは怯えながら話す。
「くっ! あの馬鹿者が! あれ程、屋敷から出るなと言ってあったのに!」
…
……
………
――『教会本堂 神殿騎士団 寄宿舎』――
「あれ? クリスさん、こんなところに朝からどうしたんです?」
若い神殿騎士が、朝から大荷物を持って宿舎に来ていたクリスに声を掛ける。この宿舎は主に身分の低い独身者や、入団したての若い騎士が多く入寮しており、同じ区画に実家があり、新人でもない者が入るような場所ではない。
「ははっ、ちょっと実家が煩わしくなってね。暫くこっちで暮らそうと思ってさ」
「そんなんですね。良ければ荷物を運ぶのを手伝いますよ?」
「ああ、すまない。これから勤務だから急いでたんだ。助かるよ」
…
コンコン
「入れ」
「失礼します」
『第一大隊 隊長室』と書かれた部屋にクリスがノックをして入って行く。神殿騎士団は、大陸中に第一から第二十までの大隊が存在するが、神聖国セントアリアには第一大隊から第三大隊までの三つの大隊が存在する。但し、第一大隊については、教会本堂の警備が主な担当であり、三百人ほどの規模しかいない。
「話とはなんだ、クリス」
執務机に座っていたのは第一大隊の大隊長であるレナード・バンス。短い金髪と口髭は綺麗に整えられており、神経質そうな印象のある中年だ。朝から苛ついているのか、不機嫌そうな声を出してクリスを睨む。
「はっ、実は……その……」
「なんだ? 私は忙しいのだ! さっさと用件を言え!」
「は、はい。実は我が家に『聖女クレア』様が昨日いらっしゃいました」
「はあ? 貴様、寝ぼけているのか? クレア様は今もマネーベルで行方不明だ。お前の姉であるアンジェリカ・ローズ筆頭護衛騎士も同様にな! 冗談にしては笑えんぞ? いくらローズ家の人間でも聖女様の名を使うなど、冒涜に値する。厳罰は覚悟しておけ!」
「いえ、決して冗談などではありません! 私の姉も一緒です。二人は生きて我が家にいるのです!」
クリスの必死な様子に、冗談などではないと察したレナードは椅子に深く身体を預け、クリスに話の続きを促した。
「詳しく話せ」
…
……
………
――『教会本堂 神殿騎士団 総団長室』――
「……では、その『レイ』と名乗る『女神の使徒』が連れて来たというのか。しかも、エルフにドワーフ、混血児まで連れてるだと? 亜人共に助けられたとでも言うのか? マネーベルに派遣したのは混成とはいえ、一個大隊の人員がいたのだぞ? それに頼らず、馬車を使ってラーク経由でこの国に戻ったと……」
「はっ、我が隊所属のクリス・ローズの話では、教会本堂に信を置いておらぬようです」
「ふざけるなっ!」
パリンッ
神殿騎士団、総団長のユーグ・アマンドは手にした紅茶のカップを床に叩きつけた。教会内では常に静寂と平静が求められる。自室とはいえ、団長のそのような感情に任せた行為は珍しいことだ。それ程の怒りがユーグに込み上げていた。
「如何致しますか?」
「至急、人を送って、その話が事実か確かめろ」
「しかし、相手はローズ家ですが?」
「そこにいる息子を使え。息子が家に帰るのだ、問題なかろう」
「えっ!」
壁際で気配を殺していたクリスが、急に話を振られて驚く。恥をかいて実家から逃げ出してきたのに、戻れというユーグの言葉に顔を青くする。
「レイと言う男は、以前いきなり現れた『聖騎士』だ。自らを神の遣いとのたまい、すぐに聖女様と教皇からの認定を受けたが、どうも胡散臭い男だった。そもそもマネーベルへ行くこともその男の発言からだ。一個大隊の大部隊を要求したのも奴だぞ? その大半を失っておきながら信用ならん? ふざけおって! 多くの殉教者を出した責を何故、ワシが負わねばならんのだっ!」
ユーグは机に拳を打ちつけながら怒りを露わにする。
「「ッ!」」
その様子に、レナードとクリスは黙るしかない。
「『聖騎士レイ』の顔を知る者を連れて、さっさと確認して参れ。ワシはオブライオンの遠征や昨夜の神敵のことで忙しい。……仮に、偽りだった場合は分かっているのだろうな?」
ゴクリッ
レナードとクリスが揃って息を呑む。
「虚偽の報告だった場合は、いくら名家の生まれだろうが、異端送りにしてやる。分かったら行け」
「「はっ!」」
…
総団長室を足早に立ち去ったレナードとクリス。
「本当に大丈夫なのだろうな?」
「は、はい。そのはずです。少なくとも聖女様は本物です……多分」
「多分だと? 貴様、分かっているのか? 異端送りになれば無事では済まんのだぞ? 第一、あのケネス内務大臣からそのような報告がないのがおかしい。貴様の言い様だと、完全にレイという男を信じているようだが、教会に報告を上げないのはどういうつもりなんだ? まさか、貴様、本当に騙しているのではないだろうな?」
「ま、まさかっ! そのようなことは決してありません!」
「しかし、何故、そんなにそわそわして落ち着きがないのだ? 実家に調査に行くのがそんなに拙いのか? 貴様やはり……」
「いえっ! 違います! ただ、父上にこのことは秘密にしろと言われましたので……」
「なんだと? それは教会を偽る行為だぞ? ……まあいい、これから行けばわかるのだからな。今日はマルセル枢機卿との打ち合わせがあるので私は行けんが、必ず良い報告を持ってこい!」
「は、はい……」
クリスは内心、とんでもないことになったと後悔したが、すぐに父と姉が悪いと思考を逸らした。
(父上と姉さんが悪いんだ。なんでウチで匿うようなことをするんだ? 聖女様に敵がいる? あんな子供のどこが信用できるんだ! そうだ、ボクは間違ってない! 教会を信じてない父上と姉さんが間違ってるんだ! あのレイって子供や亜人に騙されてる! もしかしたらあのエルフが父上を誑かしてるかもしれない…… 姉さんだって何か弱みを握られてるんだ…… そうだ、そうに違いない……)
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