第70話 それぞれの想い

 ドワーフの国「メルギド」に着いた夜。レイは一人、バルコニーで街の喧騒を眺めていた。他の街に比べ街灯の数も多く、ちょっとした夜景を作り出している。街の中ではあちこちでドワーフ達が酒盛りをして騒いでいた。


 街並みも人種も違うが、レイにはこの喧騒がひどく懐かしいものに思えた。前世では裏の仕事の傍ら、東京の繁華街でバーを経営していたレイは、この雰囲気が嫌いではない。


 (俺も酒が飲みたくなってきたな…… )


 酒を飲んでも酔わないこの体が恨めしい。どんなに旨い酒でもアルコールが効かなければその旨さも半減する。美味そうに酒を飲むドワーフ達を見てるとこちらも飲みたくなる。



 「どうしたの、レイ? また人間観察? 」


 リディーナがガウンを羽織り、部屋からバルコニーに出てくる。ここは山の斜面にある街で、標高が高く気温が平地に比べて低い。


 「まあな。リディーナこそどうした? 冷えるから風邪ひくぞ」


 リディーナは俺のそばに寄り添い、肩に頭を預けてレイと同じように外の夜景を見る。


 「遂に来ちゃったわね…… 」


 リディーナがそっと呟く。当初の予定では、リディーナにはこの街まで案内してもらい、武器を調達するまでという話だった。その後どうするかは話していない。いずれリディーナの妹の遺体が眠る場所を一緒に探す話はしたが、具体的なことは詰めていない。今後のことを考えているのだろう。


 (この街に来てから元気が無かったのはそういうことか……。今まではっきりさせなかった俺が悪いな)


 イヴが加わり、リディーナも勇者の一人を殺した。俺の冒険者の等級も「S等級」になり、どこでも自由に行ける。当初とは全く異なる状況だ。二人に稽古をつけてはいるものの、正直、俺も二人と今後どうするかは迷っていた。このまま巻き込んでいいのだろうか? いや、それが建前なのは分かっている……。リディーナの好意に色々理由をつけて逃げていただけだ。


 「私は……、レイと離れたくない」


 「リディーナ…… 」


 危険だぞ、そう言いかけて止めた。つい最近死にかけたのは俺の方だ。リディーナがいなければ死んでいただろう。俺が死ぬのは構わない。怖くもない。だが、この世界、勇者達や下種野郎のいる世界にリディーナを残して死にたくない。そう思うようになってしまった。


 横にいるリディーナを見る。


 透き通るような白い肌、黄金を散りばめたように光る金色の髪と、深く青いサファイヤのような瞳。その姿は幻想的で、今まで出会った誰よりも美しい。


 ―俺はリディーナのことが好きだ―



 「俺も……、リディーナと一緒にいたい」


 「レイ……」




 二人は互いに向き合い、唇を重ねた。




 …

 ……

 ………


 イヴは薄いカーテン越しにレイとリディーナを見ていた。二人に気づかれないように必死に気配を殺し、寝た振りをする。



 元々は孤児で、教会の裏の仕事をやらされていたイヴは、他種族との混血児ということや、『魔眼』という特異な能力もあって、教会の殆どの人間から忌み嫌われていた。生まれつき持っていた『鑑定の魔眼』により、幼い頃より出会う人物がどのような人物か視えてしまっていたイヴにとって、人は信じる対象ではなかった。


 魔力の制御を覚えるまでは、常に発動してしまっていた『鑑定の魔眼』。表向きの顔と裏の真実が視えてしまっていたイヴは、人を信じていない。それは教会の聖職者に対しても同じだ。マネーベルで、レイから盲目的に信じるのは危険だと言われた時には、信じていたものに裏切られたというより、ギルドの陰謀めいた思惑を見抜けなかった自分に不甲斐なさを感じただけだった。


 イヴは、人も教会も信じていないが、女神アリアの存在は信じている。『鑑定』により、人の作り出した物では無い『聖遺物』を視た時に、はじめて神への信仰が芽生えた。教会の教えではなく、女神そのものにだ。だからレイを視たときに迷わずついていこうと決めた。リディーナにしてもそうだ。彼女は『精霊』に愛されている、そう視えた。今までにエルフを『鑑定』したことは何度もある。しかし、その殆どは人と何ら変わらないものだった。中には精霊が視えた者もいたが、彼女と比べるまでも無いほど微かなものだった。『精霊』はイヴにとって女神アリアと同様に信じられるものだ。自分が信じられるものは、神や精霊のようなだけだ。

 

 リディーナの『鑑定』越しに視える精霊達の様子には心奪われた。まるでお祭りのように楽しそうに彼女の周りを飛び回っている。そんな彼女にも付き従いたいと思った。


 二人に付き従いたいが為に、強引に同行を申し入れたが、今までのように道具として利用されるのは当然だと思っていた。だが、二人は違った。教会やギルドの人間のように、イヴを道具として扱わない。混血児という忌み子のイヴにも差別をしない。『闇の属性魔法』も『魔眼』という異能も気味悪がることなく、失った目が魔眼と知っても治療して見えるようにして貰えた。体術や剣術、魔法の講義など、厳しくも優しく指導してもらえて、できないと思っていたことができるようになることが楽しいとはじめて思えた。教会での訓練とは違い、失敗しても罰が与えられることも無かった。疑問に思ったことを口にしてもレイは何でも答えてくれる。それが嬉しかった。


 (お二人の邪魔はしてはいけない……。嫌われたく……ない)


 シーツを頭から被り、寝た振りをしながら早く寝てしまおうと焦るイヴ。こんなことなら最初から別の部屋で寝るべきだったのだが、リディーナがそれを許してくれなかった。レイは男女で部屋を分けたがっていたが、それもリディーナに却下された。レイもイヴも資金提供者スポンサーには逆らえず、今までずっと同部屋の同じベッドで寝ている。親の顔も知らず、人の温もりなど知らないイヴは、はじめこそ緊張したものの、徐々にその温もりに抗えなくなっていた。


 自分に芽生えた新たな感情が何か分からないまま、イヴは黙って目を瞑る。


 …

 

 深夜。

 

 ベッドで横になっていたリディーナはチラリと横目で寝ているレイを見る。自分の唇に触れ、先ほどの感触を思い出す。リディーナにとって初めてのそれは、リディーナから眠気を奪っていた。


 ―レイが好き―


 リディーナが人を好きになるのは生まれて初めてだった。幼い頃からリディーナには他人からの干渉が多く、それが煩わしかった。同世代の子供から大人まで、大勢の男がリディーナの気を引きたくてあれこれ干渉してきた。エルフにとって恋愛に年齢は大した障害ではない。成人を迎えれば、数百年は見た目が変わらず年齢差を感じないからだ。だが、まだ幼い子供のリディーナに、大の大人が将来の伴侶として見初めてくることがリディーナには気持ち悪かった。同世代の子も気を引きたくて悪戯をしてくるのもウンザリした。それを見ていた女の子達は、彼女と仲良くなろうとはしなかった。


 他人と距離を置きたくて、一人で森にいることが多かった。精霊と交信できるリディーナにとって、精霊達との戯れが唯一、心が落ち着く時間だった。


 成人を迎えて故郷を飛び出してからも、それは変わらなかった。大人になり、美しさが一層増したリディーナに、人間達は欲望丸出しで絡んでくる。それを妬む女性からの風当たりも強かった。必然的に一人でいることが多く、その為には強さも必要だった。襲われたことは数えきれない。精霊のおかげで今まで生きてこれたし、キレイな体のままでいられた。


 ―ずっと一人で生きてきた―


 そのリディーナの前にレイが現れた。命を救われ、醜く傷ついた自分を治療したにもかかわらず、何も見返りを求めなかった。綺麗になった姿を見てもそれは変わらず、今まで出会った男達のように求めては来なかった。そんな男はレイが初めてだった。


 一人でいることが怖くなったのも、襲われて死にかけたことだけじゃなく、レイと離れることに喪失感を感じたからだ。レイと離れることが恐ろしかった。


 他人がいるといつも警戒していたリディーナが、レイと一緒にいても気負うことなく自然体でいられた。他愛もない会話や食事を楽しみ、鍛錬を共にし、知らない剣術や魔法を丁寧に教えてくれたり、この世界でレイの知らないことを教えるのも楽しかった。勇者を殺せる強さがあるのに、それを誇示せず、何でもない風景や食べ物、魔導書に子供のように夢中になる姿には愛おしさを感じる。


 精霊を従えるように傍に置き、強く、賢く、美しい彼と一緒にいたい、離れたくないと強く思うようになった。種族が違うとか異世界人だとかは関係なかった。


 レイが勇者に殺されかけた時、正確には彼がことが分かった時、リディーナは激しく動揺し、不安に襲われた。普段の言動からもレイが自分の生死に執着がないのは感じていた。でもリディーナはレイに死んでほしくない。失いたくない。生きて自分と一緒にいてほしい。


 (レイは私が守る…… )



 隣で眠るイヴにも目を向ける。


 (この子は私と同じ…… )


 一目見た時からイヴが自分と同じ、いやそれ以上に孤独に生きてきた子だと分かった。持って生まれた異能の所為でもあるのだろう、放っておけなかった。それに精霊がとても心配そうにこの子を見ていた。この子も精霊に愛されている。境遇を聞く限り、本人はそう見せないが、まともな扱いはされてこなかったはずだ。強引に風呂に連れて行った時に見た、イヴの背中の傷。何度も鞭で打たれた痕だ。レイに言えば治してくれるだろうが、まずは本人の気持ちを聞かないとならない。


 (大丈夫。私とレイがこの子のそばにいるから……精霊達あなたたちも心配しないで)


 リディーナはそっとイヴの頭を撫でながら、精霊達に呟く。


 

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