第7話

 親子は命を救ってくれた二人に大変感謝し、自宅が倒壊してしまったため、実家で礼をさせて欲しいと申し出てきた。二人も集落の事情について詳細を聞きたかったため、断る理由もなく、女の実家に向かうことにした。

 被害のあった家から、かなり離れた区画に女の実家はあった。女の両親は娘夫婦から話を聞くと、二人に深く頭を下げて感謝し、せめてもの礼に夕餉を御馳走したいと、二人を快く迎え入れてくれた。

 山の麓にある集落ということもあって、山菜料理が中心の食卓だった。焼いた川魚もあり、口にすると意外と臭みが少なく、あっさりとした淡白な味が好ましい。


「……して、術師様方はこの村の何についてお知りになりたいのでしょうか」


 不意に女の父親が問う。

 女は授乳のために離れに向かっていて、女の夫は幼い息子を風呂に入れるために近所の湯屋へ行ったところだったので、ちょうど居間には女の両親と彰比古達だけだった。

 二人は箸を置いて、慇懃に尋ねる。


「この集落が清水で繫栄していることは大変有名です。私の一族も、この地の清水を昔から贔屓にしてきました。けれど、ここ最近いきなり清水が枯れてしまったと耳にし、その解決をしに参った次第。……清水は簡単には枯れない。一体、この村で何が起こったのか、全て教えて下さい」

「清水が蘇れば、この村も元に戻る。必ず、村を再興させると約束しよう」


 女の父親は立ち上がり、窓から外の様子を少し見渡してから、また同じ場所に座り直して咳払いをした。


「はいはい。わかりましたよ。……術師様方、この村はね、柿も美味くて有名なんですよ。生のと干したやつ、両方持ってきますんで、その間お父ちゃんの話を聞いて待ってて下され」


 女の母親が家屋から出ていくと、女の父親が慎重に語り始めた。


「富士の清水は、この村を覆うように存在する山脈に水源がありましてな。山の中腹に水源と、祠があるんですよ」

「それは、山の神を祀る?」

「ええ。ですが、この山の神には水神としての性状もあるとのことで。神様がられるからこそ、富士の清水は存在したのです」

くだんの神に何が起こったのか、ご存知ですか」


 女の父親は深く溜息を吐いて、声を低めた。


「これは私の推測に過ぎませぬ。村人に他言はされぬよう」

「ええ」

「私は清水が失われた原因は、山神様の祟りと思っております」


 ***


 日が暮れてしまったことから泊まって行くように勧められたが、彰比古達は固辞して民家を後にした。


「柿、良い味でしたね。若様」

「ああ。……早く対処しなければ、あの味も失われかねない。今夜中に決着を付けるぞ」

「若様……」


 日没をとうに過ぎた時刻だというのに、二人は集落を出て山を登っていた。紅姫は式神であるため、闇夜でも真昼と同じように視覚を維持できる。だが、彰比古は目に暗視の術を掛けて山を突き進んでいた。

 紅姫は少しだけ先行し、彰比古が歩きやすい道を探していく。彰比古はそれに続いていたが、時折、手頃な岩や木の幹に手を置いて呼吸を整える様子が見られた。それを見た紅姫は彰比古の近くに戻り、その顔色を確かめる。

 紅姫の懸念通り、いつもよりも彰比古の顔は青白かった。


「若様、まだ霊力が回復されていないのでは」


 昼間の戦いの消耗が癒えていないことは明らかだった。普段の彰比古ならば、この程度の山道で疲れを見せることはない。むしろ、紅姫の身体能力に合わせて、木々を跳躍して移動することすら可能なはずだった。

 彰比古は気にするなと言いたげに手を緩く振ったが、その仕草こそ消耗の証だった。口を利く余裕もない状態で、これから挑むであろう修羅場に耐えられる訳がない。

 紅姫はキッと眦を釣り上げて、彰比古の腕を掴んだ。


「いけません。今夜はここで野営しましょう。一晩休んで、明日の早朝に移動を再開致するのです」


 彰比古は疲れを滲ませつつも微笑んで、掴まれていない方の腕で紅姫の頬に手を伸ばした。


「何だ……そんなに、俺が心配なのか?」

「当たり前でしょう。若様が生まれて二十年。一日たりとも、若様のことを案じなかった日は御座いませぬ」


 何せ、貴方は姫様が命を注いで産んだ御子おこなのですから。

 その言葉は口から出なかったものの、切ない表情は隠しきれていないと紅姫は自覚した。


「……紅姫は、本当に母上が大切だったんだな」

「……はい」

「そうか……」


 紅姫が彰比古の両親を喪って酷く消沈していた話は祖父から聞いている。だから、紅姫は祖父のめいがなくても彰比古を案じ、彰比古を構い、大切にしているのだと。

 彰比古としては、ここまで紅姫に想われ続ける両親に嫉妬すらしてしまいそうになるが、さすがにそれを言ったら、こっぴどく怒られるのは目に見えているので口にはしない。

 ただ、もっと紅姫に自分自身を見て欲しいと、彰比古は思ってしまう。


「……少しくらいは、いいだろう」

「え? 若様?」


 彰比古の呟きを聞き損ねた紅姫が怪訝そうにするも、彰比古はふっと苦笑を零して、紅姫に全身を預けた。

 紅姫は突然のことに慌てて彰比古を抱き留め、しゃんとしろと言わんばかりに、その身体を揺すった。


「ちょっ、若様!」

「お察しの通り、俺は消耗が激しい。……なら、今くらいは甘やかしてくれ」


 意地悪く笑っているようで、酷く切なげな目をする彰比古に、紅姫は思わず息を吞んだ。いつの間に、こんな大人びた顔が出来るようになったのか。いや、もう二十歳の青年ではあるのだが。

 いつもの調子とは全然違う湿った彰比古の雰囲気に紅姫は不覚ながら呑まれてしまっていた。手頃な木の根元に腰を下ろし、彰比古の体重を支える。

 深夜でも山中には生き物の気配が溢れている。夜風に当たりながら、紅姫は腕の中で浅く呼吸を繰り返す彰比古の頭を撫でた。

 彰比古は紅姫の胸に顔を埋めていたが、その胸元から鼓動が感じられないことに、胸が締め付けられる。どんなに、人間のような振る舞いができるようになっても、今のままでは紅姫はどこまでいっても造られた物に過ぎない。


「……こうしていると、嫌でもお前が生き物ではないことを思い知らされる」

「生きてはいませんから」

「お前のここに心ノ臓があったらと、何度思ったかわからん」

「どうして、若様は私に拘るのです」


 彰比古は苦笑を深めた。


「……お前以外の女を娶りたいとは思わない。それだけで、理由としては十分だろう」

「私は物です。……私には、若様が私に惹かれた理由が到底理解できませぬ」


 すると、彰比古は暫し口を噤んで何か思考しているようだった。そして、顔を上げると、紅姫の頬を両手で覆うように触れた。


「……お前は、いつも悲し気な目をしているから」

「え?」

「ずっと、昔から。お前は俺を見る時、どこか悲しそうだ。……だから、だな」


 俺のせいでお前がそんな顔をするのなら。

 いつか、俺がお前を笑わせたい。

 いつか、俺の手で幸せにしてやりたい。

 癒えることのないお前の傷を共に背負いたい、と。


「……若様は、本当に自分勝手です」

「ああ。……そうだな」


 だが、嫌ではないだろう?

 そんな問い掛けに、紅姫は緩い抱擁で応える。

 身を寄せ合っていれば、彰比古に紅姫の霊力が少しずつでも注がれていく。

 暫く、二人はそうやって座り込んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る