42. 月光と来訪者

 男がぐいとグラスを傾け、残ったウイスキーを喉に流し込む。

 すっかり水で薄まってはいたものの、吐息は熱を帯び、仄暗ほのぐらい室内の空気を微かにゆがめた。

 赤ら顔のまま彼は、対面に座る金髪の男に吐き捨てるように言う。


「本気なのかよ、街を出るって?」


 威圧的な態度を受け、金髪、中肉の男・ブランカはにらみ返した。

 二人の戦々恐々としたやり取りを、すぐ脇のもう一人がナッツを口にしながら見つめている。


「言ったろ? とにかく、色々とまずい状況になりつつあるんだ。組に俺らのことがばれつつある。このままじゃあ、気付かれるのも時間の問題なんだ」

「そうは言ったって、急すぎるぜ。それこそ、街を出て雲隠れなんかすりゃあ、すぐに怪しまれて追いつかれるぞ」

「分かってるよ、んなことは。けどこのままじゃあ、なにも変わらねえ。わずかでも可能性があるなら、逃げ切る方向に賭けてみるしかねえだろうが」


 むすっとしながら、再び酒を注ぐ男。

 対して、ナッツを頬張りながら、バンダナの男がけらけら笑う。


「最後の最後になって“賭け”かよぉ。綿密な計画ってのはどうしたんだぁ?」

「うるせえな。それもこれも、全部あの“お坊ちゃん”がきっかけだろうが。俺は抜かりなくやってきたんだ」


 お坊ちゃん――その単語に、グラスを荒々しく掴んだまま、男がなおもブランカを睨みつける。


「そもそも、その“お坊ちゃん”がばらしたってことじゃあねえのかよ?」

「分からねえ。けど、あれからとんと連絡がつかねえんだから、確認のしようもねえよ」

「はっ! だから、俺は最初から嫌だったんだ。あんな“向こう側”の人間を抱きかかえるのはよ」

「おい、いい加減にしろ! 最初にこの話を持ち掛けた時、ホイホイついてきたのはそっちだろうが!」


 かっとウイスキーを飲み干し、「なにい!」と激昂げっこうしようとする男。

 睨み合う二人を、バンダナの男が「落ち着けっての」となだめる。


 小さな倉庫の中――乱雑に運び込まれたテーブルや椅子で作られた即席の“秘密基地”は、先程からどうにも刺々しい空気が流れていた。


 三人の積み上げてきた“計画”が、大きく破綻し始めている。

 組織に対して反旗をひるがえすため、着実に蓄えてきた様々な布石が、想定外の方向に転がり瓦解しようとしているのだ。

 

 こんなところで言い合いをしていても、何も変わらないことは誰しもが理解している。

 だが、だからといって即決し、気持ちを切り替え動き出せるほど、少なくともここにいる三人は出来た大人ではないということだろう。


 不毛な言い合いに拍車がかかろうとした、その時だった。

 倉庫の出入り口である小さな扉を乱雑に叩く音と、女性の声が響く。


「すみませーん、お届け物ですー。どなたかいらっしゃいませんかー」


 どん、どん、どん、と無作法に繰り返されるノックの音に、眉をひそめる三人。

 最初こそ居留守を決め込もうとしていた男達だったが、なおも女性はねばる。


「もしもーし、こんばんはー。ブランカさんにお届け物ですー」


 容赦なく鳴り響くノックに、男達は顔を見合わせた。

 あまりにもしつこい女性に、ブランカはついに痺れを切らし、バンダナの男に顎で合図を送る。


「おいおいぃ、どうしろってのさぁ」

「知らねえよ。適当に凄んで追い返せ」


 納得はいっていないが、それでもバンダナの男は渋々立ち上がり、ドアへと向かう。

 鍵を開け、開くと同時に怒鳴りつけた。


「おい、やかましいぜぇ。大体、何時だと――」


 相手が誰であろうが、何人であろうが、凄んで押し切るつもりだった。

 そんな彼の言葉は、飛び込んできた光景に見事に断ち切られてしまう。


 ドアを開けた目の前には、女性がいた。

 両サイドで団子のようにまとめ上げた髪型が特徴的な、若い女性。

 なぜか全身、包帯や絆創膏まみれの姿で、彼女は意地悪な笑みを浮かべている。


 その背後にぞろりと、男達がいた。

 景色が黒一色なのは、夜が深まっているからではない。

 女性の背後を囲む黒服達の色で、景色が埋め尽くされているのである。


 絶句し固まる男の前で、“黒”が割れる。

 そして目も覚めるような“赤”が姿を現した。


「よお」


 歩み出た男が発したそんな短い一言に、バンダナの男の呼吸が止まる。

 見慣れたはずの“兄貴分”は、やはり女と同様、全身に治療の跡を残したまま、それでもいつもと変わらない鋭い眼光をこちらに向けていた。

 

「あ……兄貴……なんで――」

「ここにいるんだろ、ブランカ。邪魔するぞ」


 その一言を契機に、集団は倉庫の中に一気になだれ込んだ。

 姿を現した男の群れ――そして、そこに混じっている三人の若い女の姿に、ブランカと赤ら顔の男が慌てて立ち上がる。


 慌てふためくブランカは目を丸くし、視線を必死に走らせながらえた。


「な、ななななんだぁ!? こ、こりゃあ、一体……」


 ブランカと男二人は、身を寄せ合うようにして周囲を見渡す。

 一切の逃げ場を断つように布陣した、ギャング「ベスティア・ファミリー」の男達。

 その輪の少し内側に立つ、探偵、少女、小説家、そしてマフィアの兄貴分。


 混乱を極めたブランカ達に、輪の外から「カッカッカッ!」という声が響く。

 その笑い声一つで、男達が総毛立つのが分かった。


「んっんー、良いアジトじゃあないか。なかなかにおもむきがある! こういう無骨な空間は、嫌いじゃあないぞぉ。夜通しボードゲームでもしたいものだなぁ。ただまぁ、そういう場合は酒よりも、チップスとコーラが欲しいものだなっ!」


 相も変わらず言いたいことを好きなだけ吐き出しながら、組織の頭領が登場する。

 杖を突きながら現れた姿に、ブランカら三人の顔色がどんどん青ざめていく。


「ボ……ボスまで……な、なんで……」

「夜分に失敬っ! いやぁ、そう硬くならんでくれたまえ。いやいや、ちょっと二、三、聞きたいことがあってな。テレフォンでも良かったんだが、じっくりと腰を据えて話をしたくてなぁ」


 大げさな身振り手振りを、すぐ隣でナデシコら三人も眺めていた。

 相変わらず、いちいち楽しそうに立ち振る舞うボス・ギヴルを見て、ため息をついてしまう。

 

 演劇役者か、あんた――まるでオペラのワンシーンのように振る舞うギヴルは、ぎらぎらした笑いを浮かべつつ、なおも語る。


「いやぁ、さっそくなんだが、お前達が取引をしている“製薬会社”についてなんだがなぁ。実はこちらのお嬢さん方が、その関係性について詳しく聞きたいそうなんだよ」


 その一言で男達が動揺したのが、ナデシコだけでなくアイリスとミハルにも、手に取るように理解できた。

 もはやそれを見て、彼らが無関係だなどとは思えない。

 この三人は確実に、製薬会社「ヤドリギ」の社員――例の殺人事件の被害者・シヴヤと関連している。


 じわり、じわりと空気の“質”が変わっていくのが分かった。

 笑顔こそ浮かべてはいるが、ギヴルの言葉に合わせ、倉庫の中の温度そのものが冷ややかに研ぎ澄まされていく。

 月光とランタンの灯りが溶け合う密室には、固まったままの男達と、なおも笑うギヴルの声が響いていた。

 

「まぁ、ちょっとした縁で、我々もできるかぎりこの三人に協力してやれれば、ということなんだよ。是非、丁寧に答えてやってはくれないだろうか」


 笑いながら、ギヴルはナデシコらに「さあさあ」とうながす。

 唐突にバトンを渡され困惑してしまったが、ナデシコが目で合図し、三人は男達に近付いた。

 

 すぐ目の前で動揺を隠せないくだんの男・ブランカに、ナデシコは率直に問いかける。


「本当、お楽しみの所ごめんなさいねぇ。まぁ、聞いたらすぐに帰るから、安心して。あたしら、シヴヤって男の人のことを調べてるんだ。何か知ってることがあれば――」


 肩の力を抜き、“事情聴取”を始めようとするナデシコ。

 だが彼女の声が、体を強張らせ、震えを押し殺していたブランカが動くきっかけとなった。


 恐らく彼は、分かっていたのだろう。

 いや、ブランカという男だけでなく、その脇で震えを隠すことのできない二人も悟っていたのだ。

 

 なぜナデシコらが――「ベスティア・ファミリー」の面々が、直接ここにやってきたのか、を。

 その理由を理解しているからこそ、これから自分らの身になにが起こるのかを、いち早く悟ったはずだ。


 ナデシコらが思っていた以上に、彼らの肉体を縛る“絶望”の色は濃かった。

 だからこそ、肉体に蓄積された“黒”は一気に弾け、思考を加速させる。


 男達が選んだ道は、友好的な会話をすることでも、ましてや泣きわめいて謝ることでもない。

 この状況を突破し、逃亡するという道だった。


 そこにある、全てを使って――次の瞬間には、目で合図を交わした男達が一気に行動に出ていた。


「――ッ!?」


 全員が息をのむ中、ブランカはナデシコを突き飛ばす。

 そして同時に、バンダナ、赤ら顔の男がそれぞれ、アイリスとミハルに飛び掛かり、羽交い絞めにしてしまう。


 ナデシコがしりもちをつき顔を上げた時には、男達はテーブルの上の得物を手にして円陣を組んでいた。

 アイリスとミハルを“盾”にし、各々が警棒やサバイバルナイフを携え、敵意をむき出しにしている。


 男達の姿にマフィア達も動こうとするが、ブランカがいち早く怒号で制した。


「動くんじゃあねえ! 道を開けろ!! さもなきゃこの女ども、ぶっ殺すぞ!!」


 人質を得たことで、本性をあらわにするブランカ。

 なんとも分かりやすい――だがそれでいて見事なまでの連携に、ギヴルが呆れたように笑う。


「おっと、うまいことやったなぁ。仲が悪いように見えて、意外と良いトリオなんじゃあないのか?」

「やかましい!! こんな……こんなところで、終わってたまるかよ。おら、とっとと道開けろ!!」


 余裕な様子のギヴルに対し、ナデシコは真剣な眼差しで男達を睨みつけていた。

 羽交い絞めにされているアイリスとミハルは、自分達が置かれた状況に混乱してしまっている。

 男達は隙だらけではあるが、それでも人質を取られてしまった以上、うかつには動けない。


 ナデシコの横で、ジンもまたぎりりと歯を喰いしばり、ブランカを睨みつける。


「おい、やめろ! そいつらは関係ねえだろうが、放してやれ」

「うるせえ、うるせえうるせえうるせえ!! お前らの腹の中は分かってるんだ! 誰がみすみす、捕まってたまるかよぉ!」


 おびただしい量の汗を浮かべ、刃をぶんぶんと振り回すブランカ。

 もはや今の彼には、アイリスとミハルという人質を使って、この逆境を切り抜ける以外、生き残る道はないのだろう。

 ナイフを振るうその形相ぎょうそうに、彼の必死さが表れている。


 ナデシコはとにかく落ち着かせようと、立ち上がりながら彼を説得した。


「な、なあ、落ち着きなって。大丈夫。なにもそんな、どんぱちやりに来たんじゃあないんだって。ちょっと話を聞くだけで良いんだからさ」

「もう……もう終わりなんだ……全部ばれちまった……なら……どのみち俺らは、もう、おしまいなんだよぉ!!」


 その様子を見る限り、マフィア「ベスティア・ファミリー」にとって“掟”を破ることは、さぞ苛烈な罰が与えられるようだ。

 組織でご法度はっととなっていた“薬”に手を出しただけでなく、それらを隠して資金を蓄え、組織への反乱をくわだてていたとなればなおさらだろう。

 いわばブランカにとって、生死のかかった局面なのだ。


 いまだにニヤニヤと笑みを浮かべているギヴル。

 一方で、なんとかアイリスとミハルを救い出そうと思考を巡らせるナデシコ、ジン。


 そんな一同に向けて、少女の静かな声が投げかけられた。


「大丈夫……だよ」


 思わずナデシコは「えっ」と声を上げてしまった。

 全員の視線が、声の主――バンダナの男の腕の中にいる、アイリスに注がれる。


 羽交い絞めにされたアイリスは、自身を拘束する男の腕に手を添えていた。

 その瞳は震えているが、それでもどこか静かに燃える強さを内包している。


 彼女から伝わる気迫の理由が分からず、ナデシコは恐る恐る問いかけてしまう。


「アイリス……あんた、一体――」

「大丈夫……怖いけど……でも、ナデシコだって……戦ってくれたから」


 少女はギュッと男の腕を掴み、前を向いている。

 か細い線が震えているが、それでもきゅっと口元を結び、なにかを決意していた。


 その理由は、彼女が放った力強い一言で明らかになる。


「私も、負けない……私だって――戦うから」


 瞬間、アイリスは覚悟を決め、一気に両手に力をこめる。

 めきり――と、空気が揺れた。

 バンダナの男の腕が、作り物のようにいとも簡単にへし曲げられる。


 なにが起こったのか、誰もが理解できない。

 だが腕を伝う激痛に、バンダナの男の痛々しい悲鳴がこだまする。


 男の拘束を振り払い、脱出するアイリス。

 唖然あぜんとし、動き出すことができない一同。


 次に我に返ったのは、同じように拘束されていた小説家だった。

 だがその声は、いつもの彼女の波長ではない。

 もっと狂暴で、もっと強く――もっと尊大な言葉が男達を叩く。


「ふぅむ、そうか。確かに確かに。探偵にだけ戦わせっぱなしというのも、どうにも悪い気がしてしまうなぁ。なにより――」


 男達が視線を走らせる前に、ミハルが一気に動く。

 自身を拘束していた男の足の甲を踏みつけ、緩んだ腕を一気に弾き、振りほどいた。

 彼女はそのまま身をひるがえし、背後の男のこめかみ目掛けて、肘を叩き込む。


 ごがっ、という鈍い音と共に吹き飛ぶ男。

 彼が地面に転がる前に、狂暴な笑みを浮かべてミハルが――“雷帝”が吠える。


「貴様らのような外道に利用されるなど、ごめんこうむりたいのでなッ!!」


 人質にしたはずの二人は、なんと自らの力で拘束を解いてしまう。

 ついでに二人を戦闘不能にしてしまったことに、ナデシコも開いた口が塞がらない。


 この予想外の事態に、完全に我を忘れるブランカ。

 一方で、思わぬ“サプライズ”にギヴルが「カーッカッカッ!!」と笑う。


 退避したアイリスとミハルの姿に唖然としていたが、ようやくブランカはナイフを両手で握り、叫び始めた。


「ふ――ざけやがって!! なんだ、なんなんだよ、お前ら! 一体――」


 だが、男の言葉を待たずに、最後の一人が動く。

 身構えようとしたナデシコのすぐ脇を、たぎる“熱”が通り抜け、迷うことなく進んだ。


 その“赤い”姿を、思わず目で追う探偵。

 気が付いた時には、すぐ隣にいたジンが堂々と、ブランカの射程圏内に踏み込んでいた。


 向かってくる兄貴分に刃を向けるブランカ。

 だがその肉厚の刃を、事もあろうにジンは直接、迷うことなく素手で掴んで見せる。


 予想外の展開に息をのむ男と、ナデシコら三人。

 ジンは構うことなく、滾る“熱”を頼りに肉体を走らせた。


「どこまで醜態しゅうたいさらすつもりだ。この――大馬鹿野郎がッ!」


 男が「えっ」と呆けた次の瞬間、その顔面がぐしゃりと歪んでいた。

 叩き込まれたジンの鉄拳が肉を潰し、骨を歪める。

 浮き上がったブランカの肉体ごと、迷うことなくジンは腕を振りぬいてみせた。


 机と椅子、そして酒やグラスを吹き飛ばし、地面に叩きつけられるブランカ。

 凄まじい一撃が突風を生み、一気に倉庫内の温度を上げたように錯覚してしまった。


 結局、何一つ動くことができぬまま、一連の攻防を見ていることしかできなかったナデシコ。

 喧噪けんそうの後、倉庫内に響き渡った拍手の音に、ようやく我に返ることができた。


 ギヴルが高らかに、白い歯を見せて笑う。


「いやぁ、素晴らしい! 連携には連携を――見事な逆転劇だったぞ、実に面白いッ!!」


 こんな状況ですら楽しんでいるギャングのボスに、肩の力が抜けてしまう。

 ナデシコは、すぐそばにいるアイリスとミハルに問いかけた。


「大丈夫だった? まさか、あんたが最初に動くとは――ヒヤッとしたよ」

「うん、大丈夫。もちろん、怖かったけど……でも、私も勇気を出さなきゃって思ったから……」


 アイリスの一言に、ミハルが元通りの波長で笑う。


「アイリスさんが気合見せたんだから、私もじっとしている場合じゃあないですからねぇ。アイリスさんのおっしゃる通り、ナデシコさんにばっかり体張らせるわけにはいきませんし!」


 なんともしたたかな返答に、改めて肩の力が抜けてしまう。

 しかし、思いがけない二人の活躍に、なんだか妙に緊張の糸がほぐれてしまった。


 ナデシコがリングの上で滾らせた“熱”は、着実にそれを見ていた二人にも燃え移っていたらしい。

 

 仲間達の奮闘に背中を押され、ナデシコは倒れているブランカの元へと近付く。

 ジンの一撃が相当きつかったようで、その顔面にはしっかりと拳の跡が刻まれていた。


「う~む、こりゃあ、聞き取りできるかな……なんとか意識はあるみたいだけど」


 この一言に、アイリスとミハルの背後にいたジンが、どこか驚いたような顔で「すまん」と返す。

 その馬鹿正直な姿に苦笑しつつ、ナデシコはアイリスに問いかけた。


「アイリス、何かそこらへんに、水でもない?」

「水……お酒の瓶ならあるけども」

「う~ん、もったいないなぁ、そりゃあ。まぁ、背に腹は代えられないか」


 仕方なくアイリスから酒瓶を受け取り、ナデシコはそれをブランカの顔にかけた。

 意識を取り戻したブランカは、まずは顔面の激痛と酒の異臭に「うぶう!?」と悲痛な声を上げる。


「おはようさん。惜しかったけど、うちらも色々と必死なんでね。悪いけど、このままお話、聞かせてもらうよ?」


 胸ぐらを掴み上げられ、ブランカはとうとう観念したらしい。

 がっくりとうなだれ、視線を落として座り込んだ。


 彼を取り囲み、ナデシコは単刀直入に問いかける。


「さて、と。率直に聞くけど、製薬会社『ヤドリギ』のシヴヤって男と、あんたらは繋がってた。そうだね?」

「ああ……そうだ」


 よし――ナデシコはアイリス、ミハルを見渡した後、更に問いかける。


「製薬会社なんかとあんたらギャングが、なんでまた?」

「簡単だよ……奴は俺らみたいな半端者に、“ヤク”を色々工面してくれていたんだ。頼めば製造法についても、設計図を横流ししてくれた」


 これにはミハルが腕を組み、眉をひそめた。


「じゃあ、あのシヴヤって人、予想通り腹の中は“真っ黒”だったってことですねぇ。そうやって製薬会社の機密情報を、ギャングに渡してたってわけですかぁ」

「みたいだね。人は見かけによらないなぁ、まったく」

 

 当初は誠実に製薬会社で活躍する一人の男性だったシヴヤだが、今となっては随分とその印象も違う。

 どうやら嫌な予想通り、彼は“白世界”に混じりながら、限りなく“黒い”生き方をしていた人物らしい。


「シヴヤはあんたら以外とも、そういうやり取りを?」

「詳しくは、なんとも……けど、随分と稼いでるみたいだったから、俺ら以外にも似たようなことをしていたようだぜ」


 この事実に、ナデシコは「ふむ」とうなってしまう。

 そうなると、シヴヤという男は思った以上に裏社会との繋がりが強い人物ということになる。

 アイリスもその事実に気付き、弱々しく呟く。


「じゃあ、やっぱり、誰かから恨まれたりもしてたのかな……」

「ありえるね。なにせ、やっていたことはほぼ犯罪だ。ばれたら困るやつも一杯いるだろうし、殺される理由は十分ってことだろうね」


 だが、このナデシコの一言に、驚いたようにブランカが顔を上げる。

 彼はすぐ目の前の探偵に、問いかけた。


「殺される……お、おい、待ってくれ。あいつ、死んだのか?」

「なんだ、あんたら知らなかったの?」

「あ、ああ……そうか、だから……あれから連絡がねえわけだ……」


 どこか肩を落とし、自嘲気味の笑みを浮かべるブランカ。

 この一言を逃さず、ナデシコが切り込む。


「あれから――シヴヤからは随分、連絡が途絶えてたってことかい?」

「ああ……妙だとは思ってたんだ。急に『取引はしばらく控えよう』って言いだしたからな……」

「ほお。向こうから、そんなことを?」

「そうさ……俺らも随分食い下がったが、まるで聞く耳を持たなかったよ……俺らはてっきり、見限られたんだと思ってよ。だから一週間前から、最悪の事態に備えて、逃げる準備を続けてたんだ……」


 男らとシヴヤの関係性を聞き出し、思考を巡らせるアイリスやミハル。

 ジンも男を睨みつけたまま、ジッと黙して考えているようだ。


 だが唯一、ナデシコだけは目を見開き、声を上げた。


「今、なんて言った?」

「だから……俺らは逃げる準備を――」

「違う、その前!」


 ナデシコの思いがけない大声に、ブランカだけでなく仲間達も彼女を見つめた。

 ナデシコは真剣な眼差しを男に向けている。


「あんた、今――『一週間前』って言った? それ、確か?」

「あ……ああ……間違いねえよ。先週の金曜日――夜に奴から、連絡があったんだ」


 どこか鬼気迫るナデシコの姿に、たまらずアイリスが問いかける。


「ねえ、どうしたの? なにか、おかしなことがあるの?」

「アイリス。あんたが私と出会ってからもう――大体、一ヶ月くらい経つよね」

「うん、そうだね……あ――」


 時間差で、今度はミハルが気付く。

 彼女はネタ帳に使っている手帳を取り出し、慌ててめくる。


「そんな……変ですよッ! 確か、アイリスさんとナデシコさんが出会ったのは約一か月前。ならそれより前に、シヴヤさんは殺されているはずですッ! 一週間前に、連絡なんてできるわけが……」


 何かが決定的に食い違っている。

 アイリスが事件に巻き込まれた時間と、シヴヤが男らに連絡した時間。

 二つの時間軸がどこかで狂い、まるで交わってくれない。


 ナデシコはさらに真剣な色のまま、ブランカを問い詰める。


「なあ。その時、シヴヤはなんか、変わったことなかった? なんでもいいんだ、どんなことでもいいから!」

「変わったこと……まぁ、そういや、なんとなくだが……話し方に妙な“癖”があるような気がしたな。声は間違いなく、やつだったんだが……」

「癖、か……」

「それに、なんだか妙なことも言っていたよ……なんでも“接ぎ木”がどうとか――」


 接ぎ木――まるで意味の分からない単語の登場に、眉をひそめる一同。


 さらに一言、ナデシコはその先に待つ“核心”に触れるべく、斬りこもうと男を見つめた。

 だが、ナデシコの吐き出そうとした言葉は、“パァン”という乾いた音にさえぎられ、止まってしまう。


 一瞬、時が止まったかのように錯覚した。

 その場にいた誰もが動きを止め、思考を強制的に縛り付けられてしまう。


 乾いた大気の揺れに合わせ、ブランカの額に穴が開いた。

 後頭部から血が吹き上がり、男の体が背後にぐらりと傾く。


 月光が差し込む無音の倉庫の中に、ブランカが倒れる音が響いた。

 ナデシコらだけでなく、ジンやギヴル、マフィアの男達までが男を見つめる。


「――えっ?」


 倒れたブランカは、目を見開いたまま動かない。

 その傷跡からどくどくと血が溢れ、地面に広がっていく。


 最初に悲鳴を上げたのは、彼の仲間だった男達であった。

 拘束されたまま、倒れ込む仲間の姿に錯乱する。


 ブランカは死んでいた。

 額を穿うがったその傷によって、一瞬で命を奪われ、断ち切られている。


 その独特の傷跡と、あの“音”。

 それらに気付いた全員が、反射的に背後を振り向く。


 倉庫の二階。

 窓が並ぶ壁際に設置された連絡通路の上に、“奴”はいた。


 月光をバックにすると、その黒いシルエットがより濃く、世界の中に浮かび上がる。


 黒いフードを目深にかぶった、誰か。

 その手には拳銃が握られており、銃口からは白煙が立ち昇っているのがしっかりと見えた。

 

 撃たれた――止まっていた時が一気に加速し、動き出す。


 そこら中から上がる怒号と悲鳴。

 戸惑い、たじろぐアイリスとミハル。

 一方で、謎の影を追うために一気に動き出すマフィア達。


 ナデシコが見つめる前で、黒い影は開け放たれた窓の外へと躊躇ちゅうちょすることなく飛翔して消えてしまう。

 その身のこなしと、世界に浮き上がる“漆黒”に見覚えがある。


 かつてナデシコらを襲った、あの黒いフードの人物。

 その“奴”が再び現れ、ブランカを銃撃し、逃走していた。


 飛び交う怒号、足音、振動。

 それらを感じてもなお、ナデシコはまるで動けずにいた。


 ようやく辛うじて視線を動かし、足元にいる男の姿を見つめる。

 男の頭から流れ出た血がスニーカーを濡らし、浸食していく。


 黙したままの男は、もう動かない。

 たった一発の弾丸によって生まれた死体を、満月の光はおぞましいほど白く、美しく照らし出していた。

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