27. 乱入者達

 バールの一撃をかわし、思い切って前に出るアイリス。

 ピエロのマスクと至近距離で目が合い、一瞬、たじろいでしまう。

 しかし、無機質な眼差しに負けることなく、肉体を押し込んだ。


 か細い指を必死に折り固めて、拳を作る。

 正しい形など分からない。

 ただがむしゃらに、本能的に、それを相手の胸へとまっすぐ叩きつけた。


 パンチというより、ただ“押した”という感じだ。

 だがそれでも、激昂したアイリスの怪力と超握力が、超常的な威力を生んだ。

 ずどっ、という鈍い音と共に、バールを持った男が吹き飛び、資材に叩きつけられた。


 少女の背後では、“雷帝”が三人を同時に相手取る。


 左右、そして背後。

 振り回される角材、警棒、金属バットの嵐の中心で視線を走らせ、ミハルは向かってくる猛攻をかわし、防ぎ続けている。


 角材を振り上げた男の膝を蹴り込み、制した。

 流れるように振り向き、警棒の一撃を避け、顔面を掌底で強打する。


 躊躇ちゅうちょした残り一人に大きく踏み込み、バットを持つ手を押さえ、える。


「どうした、随分となまぬるいじゃあないか、あぁ? これが鉄槌? これが? この程度がっ!?」


 肘を叩き込み、男を突き放し、これでもかと笑うミハル。


 互いの背を守るように、アイリスとミハルは奮闘していた。


 荒削りながら超常的な力を振るう少女と、猛り狂う“雷帝”。

 たった二人の女性を相手に、事実、襲撃者達はなにもできていない。


 武器を携え、待ち伏せで退路を断ち、完全に包囲しているにも関わらず、先程から一度たりと武器が命中することはない。


 ゼエゼエと呼吸を繰り返すアイリス。

 一方、ミハルは静かに息を整えつつ、伝わってきた感触に思考を巡らせる。


 もろすぎる――先程から襲撃者達の動きは、とにかく鈍い。


 身のこなしも武器の扱い方も、まるでずぶの素人である。

 ゆえに格闘技の備えを持たないアイリスにすら、押し負けてしまっている。


 何者だ、こいつら――正体を探るミハルの背後で、またもアイリスが向かってくる襲撃者を押し返していた。


 少女が振り下ろした握り拳を、慌ててかわす“大仏”のマスク。

 アイリスの一撃は勢いを殺さず、その背後に積み重ねられていた木板をえぐり、砕いてしまう。

 轟音と飛び散る破片、木屑に、襲撃者達がゾッとしてしまう。


 最初こそ数と武器の有利に気圧けおされていたが、いまやアイリスとミハルの二人が優勢になりつつある。


 このまま一気に押し切り、退路を掴まなくては。

 ミハルが策を考えていた、その時であった。


 いち早く少女が気付き、悲鳴をあげる。


「えっ……ッ!?」


 一拍遅れ、ミハルも察する。


 二人の真横に位置する大きな棚。

 資材を積み重ね収納しているそれが、ぐらりと傾き、倒れてくる。

 襲撃者の一人が裏に周り、押し倒していたのだ。


 少女の動きが、完全に止まる。

 咄嗟とっさに動いたのは“雷帝”を名乗る小説家だった。


 「アイリスさん、逃げて!!」


 間一髪、ミハルがアイリスを突き飛ばし、直撃を避けた。

 けたたましい音と共に地面が揺れ、たわむ。

 ほこりが舞い上がり、一瞬だが視界をぼやけさせた。


 き込みながらも、顔を上げるアイリス。

 へたり込んだまま、目の前に倒れた棚を見て、息を飲んだ。


「ッ!? ミハルさん!!」


 見れば、逃げ遅れたミハルが棚の下敷きになっている。

 なんとか抜け出そうともがいているが、腰から下が挟まり、思うようにいかない。


 歯を食いしばりもがく彼女に、すぐさま駆け寄った。


「ミハルさん、しっかりして!! 私のせいで……私……」

「だ、大丈夫。問題……ないですよ、これくらい……ッ!」


 アイリスが不安に押しつぶされないよう、必死に笑顔を浮かべるミハル。

 だが、足に伝わる激痛に、脂汗を浮かべた。

 折れてこそないが、ヒビが入ったらしい。


 アイリスは棚を掴み、必死に持ち上げようと力を込める。

 だが、どれだけ少女の力が特異でも、三メートルを超える金属製の棚はびくともしなかった。


「ミハルさん、待ってて。すぐに……助ける……から……!!」


 指先に激痛が走ろうとも、腕が引きちぎれそうでも、とにかくアイリスは何度も力を込めた。

 力を振り絞る少女を前に、非情にも無機質な棚は動くそぶりを見せない。


 そんな二人に、さらなる“厄災”が迫る。

 気付いたミハルがうずくまったまま、叫んだ。


「アイリスさん……私のことは良いから……逃げて!!」


 アイリスは一瞬、「えっ」と目を見開く。

 しかし、振り返って事態を察した。


 襲撃者達は体勢を立て直し、ジリジリと二人に迫ってきていた。

 決して表情の変わらないマスクの群れが、なんとも不気味である。


 一瞬、アイリスはたじろいでしまった。

 だがすぐに、恐怖を怒りが押し返す。

 向かってくるマスク達を睨み、汗だくでも、在らん限りの力で吼えた。


「こっちに来ないで……ミハルさんから離れて!!」


 精一杯、拳を握り、構える。

 型もなにも整っていないそれに、襲撃者達は少しだけ警戒しつつも、着実に、ゆっくりと近寄ってきた。


 最前にいるピエロが、金属バットを振り上げる。

 持ち上げられた凶器を前に、アイリスは完全に身がすくんでしまった。


 戦わないと――だが、恐怖や不安は、都合よく立ち去ってなどくれない。

 少女の体をこれでもと縛り上げ、絡みつく。


 ミハルも歯を食いしばり、何度も抜け出そうともがく。

 だが、足から伝わる激痛以外、何一つ生まれない。


 振り下ろされるバットの軌道を見据えようとした。

 それでもここぞというときに、アイリスは動けない。

 防ぐことも、避けることも、抗うこともできない。


 受け止めようと、とにかく腕に力を込める。

 しかし、少女の腕二つでこの渾身の一撃を食い止められるイメージは、まるで湧いてこなかった。


 痛みは怖い。

 もし肉が潰れたら、もし骨が折れたら。


 そんな恐怖が一瞬で、少女の耳元でささやく。

 無駄だ、防げない――と。


 だがそれでも、アイリスは逃げない。

 ここで逃げてしまったら、背後にいるミハルは一人になってしまう。

 自分が退けば、男達は迷うことなく彼女を襲うだろう。


 自分が出来が悪いなんてことは分かっている。

 ただそれでも、ミハルは自分を信じ、ここまで一緒に来てくれた。


 そんな彼女を“一人”にだけはしない。

 それが弱々しい少女にできる、あまりにも虚しく、あまりにもささやかで、そして気高い抵抗だった。


 落ちてくる金属バット、持ち上がるアイリスの腕。

 歯を食いしばり、来るであろう痛みに備える。


 その視界の中に、真横からふわりと、どこか見覚えのある“玉”が紛れ込む。


「――えっ?」


 男は横から飛来する“それ”に気付かない。


 陶器でできた“玉”が男のマスクに直撃し、割れる。

 瞬間、あらん限りの白煙が周囲にまき散らされ、景色を一色に染めた。


 突然の事態に、誰も対応できない。


 煙を吸い込み、咳き込む襲撃者達。

 ミハルもうずくまったまま唖然としてしまい、言葉を失う。


 ただ一人、アイリスだけは煙から顔を覆いつつ、その玉と煙の正体に気付いていた。


 そして、少女が思い浮かべた“彼女”の声が、煙幕の中に響く。


「間一髪、間に合って良かった。よく頑張ったね――アイリス」


 顔を持ち上げ、「えっ」と声が漏れた。


 煙を突き破るように、真横から“彼女”が飛来する。

 アイリスに襲い掛かろうとしていた襲撃者目掛けて跳び、顔面を鮮やかに蹴り飛ばした。


 “彼女”が巻き起こした突風に白煙が払われ、景色があらわになる。


 その場にいた誰よりも先に、目の前に立つ“探偵”の名をアイリスが叫ぶ。


 恐怖に固まろうとしたその中で初めて、ほんの少しだけ、少女は笑みを浮かべた。


「ナデシコぉ!!」


 探偵は「おう」と笑いながら、腰に手を当てて笑う。

 見慣れた団子頭と革ジャン、ジーンズにスニーカー姿が、ひたすらに眩しく見える。


 突然の登場に混乱しつつ、急激な安心感にアイリスは涙を浮かべてしまった。

 震える声で目の前のナデシコに問いかける。


「ナデシコ……どうして、ここが……?」

「話はあとだ。まずはこの馬鹿たれどもに、眠ってもらうのが先さ。あんたはミハルについててあげな」


 すぐさまナデシコは、下敷きになってるミハルに問いかける。


「大丈夫かい? 足、折れちゃってる?」

「い、いえ、そこまでは……」

「オーケイ、日頃の行いってやつだね。ちょっと窮屈きゅうくつだけど、待ってな。必ず助け出す」


 力強い言葉だった。


 その自信の根拠は、まるで分からない。


 線が細く、目立った武器すら携えていない、華奢な女性に見える。

 明らかな援軍でこそあれ、三人を取り囲む襲撃者達はひるむことなく武器を構えなおす。


 たとえ舐められようとも、たとえ甘く見られようとも、“探偵”はあくまで前を向いて笑っていた。


 不敵に、そして意地悪に。


「水差して悪かったね、続きだ。ただしここから先は――“反撃”のお時間だけどね!」


 身構える襲撃者。

 彼らが何をしようが構うことなく、ナデシコは動く。


 自由に、ただ迅速に。


 ナデシコが素早く投擲とうてきした黒い影が、瞬く間に二人のマスクに命中し、のけぞらせる。

 あまりの早業に、アイリスとミハルも息を呑んでしまった。

 と同時に、襲撃者の顔に炸裂し、宙に跳ねている“それ”を見て驚く。


 なにやら“十字”の形をした、黒い鉄製の物体だ。

 くるくると回転し、見事に男の眉間を捉えていた。

 どこか見覚えのある道具の正体に、アイリスとミハルがほぼ同時に気付く。


 手裏剣――大昔、忍者が武器として活用したものである。


 命中したことに襲撃者が怯む中、白い歯を見せて探偵は笑った。


「安心しな、刃はついてない模造品さ。でも鉄製だから、なかなかに痛いっしょ! ああ、ぱくったりすんなよな、高いんだから?」


 調子付くナデシコに、横から角材を持った一人が突進する。


 しかし、これまたナデシコのほうが動くのは早い。

 懐から取り出した新たなる武器を、襲撃者の足元目掛けて投げつけた。


 襲撃者がナデシコにたどり着くよりも早く、“それ”は足首に絡みつく。

 抵抗する暇すら、ナデシコは与えない。


 足首に巻き付けた“それ”――先端に鉄爪の取り付けられた「鉤縄かぎなわ」を、あらん限りの力で引く。

 襲撃者はなすすべなく足を取られ、大きく仰向けに転んでしまった。


 煙幕、手裏剣、そして鉤縄。

 どれもこれも、近代的な武器ではない。

 なぜこんなものを彼女が持っているのか、まだ付き合いの浅いミハルは理解することができずにいた。


 ただ一人、探偵とわずかでも生活を共にし、彼女の趣味を理解しているアイリスには分かってしまう。


 忍者の闘う術――もう一つの“憧れ”を思う存分奮うナデシコに、なんだか心が震えた。


 そうこうしていると、ナデシコ自ら、呆気あっけに取られている一人にずかずかと近寄って見せる。

 両手に警棒を携えた狼のマスクが、二つの切っ先を振り回して威嚇いかくしていた。


 その姿を「ふぅん」と見つめながら、ナデシコはすぐ脇にあった木箱を何故か両手で担ぎ上げる。

 彼女の行動の意味する所を、誰も理解できない。

 だが次の瞬間、ナデシコはそれを目の前の襲撃者目掛けて投げつけた。


 狼のマスクが「あっ」と声を上げるのが分かった。

 受け止めようにも、彼の両手は自身の武器でふさがっている。

 武器を手放すべきかどうかで躊躇ちゅうちょした瞬間、顔面に木箱が炸裂し、倒れていた。


 瞬く間に、四人が制圧されてしまう。


 残る一人に、これまたずかずかと遠慮なく近付くナデシコ。

 バールを振り上げようとした彼に、なんと今度は長い角材を持ち上げ、手渡した。


「はい、これ。どうぞ?」


 バールよりも長く堅牢な武器を差し出され、男は目に見えて戸惑っている。

 アイリスもミハルも、探偵がやろうとしていることをくみ取れずにいた。


 大仏のマスクは戸惑っていたものの、バールを手放し、両手でその長い角材を手に襲い掛かってくる。

 相手に塩を送るという行為に、場の誰もが混乱していた。


 だがすぐに探偵の――いや、“策士”の思惑に気付いてしまう。


 襲撃者が長い角材を振り回そうとしても、周囲に置かれた木箱や大道具のたぐいに阻まれ、うまく振りぬくことができない。

 何かに引っかかり、そのたびに慌てて武器を引き戻すマスクの人物。

 このような狭い場所で、こんな“槍”のような武器を満足に扱えるわけもない。


 受け取った武器を、人間は何も考えず使おうとしてしまう。

 そんな心理に付け込んだ、あまりにシンプルで、しかしあまりに効果的な作戦だった。


 あたふたしている襲撃者に少しだけ苦笑し、一気に加速するナデシコ。

 角材を持った男の顔面目掛けて跳び、高らかに顎を蹴りぬいた。


 どさり、と背中から倒れる襲撃者と、軽やかに着地して見せる探偵。

 彼女の手練手管によって、瞬く間に襲撃者達は沈黙してしまった。


 アイリスとミハルは、そのあまりにも鮮やかな手際に、ため息を漏らすことしかできない。

 手をぱんぱんとはたきながら、ナデシコは倒れたマスク達に言ってのける。


「武器なんかに頼らず、しっかりと鍛えたほうが身のためだよ。何よりそっちの方が、何倍もかっこいいじゃんか」


 肩の力を抜き、まるで闘争などなかったかのように、軽やかに歩いてくる。

 ナデシコは呆然としているアイリスの肩をポンと叩き、笑った。


「悪い、遅くなっちゃったね。全力で走ってきたんだけど、なんせ建物のほぼ反対側だったもんだから、焦ったよ」

「う、ううん、そんな……でも本当に、なんでこの場所が分かったの?」


 目を丸くして驚いているアイリスに、ナデシコは歯を見せて笑う。


「簡単さ。“地下駐車場”に行ってみれば、車とスタッフの人はいるのに、二人は来てないって言う。道中のスタッフも二人を見てないっていうなら、そもそも別の場所に行ったんじゃないかな、ってね? んで、一番名前の近い“地下搬入口”を見に来たら、ビンゴってところ」


 どうやら、ナデシコの“勘”に救われたらしい。

 相当に間一髪だった状況に、改めてアイリスはため息を漏らす。


 二人は足元の棚を協力して持ち上げ、下敷きになっていたミハルをすぐさま救い出した。

 足はひどく腫れあがっている。

 痛々しい傷に、なおもアイリスが頭を下げた。


「ごめんなさい、私のせいで……私をかばって……」


 憂うアイリスに対し、やはりミハルは責めることなどしない。

 床に座り込んだまま、ただただ痛快に笑う。


「大丈夫ですって! まぁ、ちょっと病院には行く必要ありますけど、これくらいどうってことないです。あの程度の奇襲に気付けなかった私も、まだまだ未熟ってことですねぇ」


 痛みを負ってもなお、彼女の底にある輝きはブレない。

 ミハルは続いて、ナデシコを見つめた。


「それにしても、驚きました。本当に――私が思っていた何倍も、強いんですねっ!」

「道具使ってるんだから、これくらい当たり前だよ。まぁ、今回は向こうも数が多いし、おあいこってことね。念のためと仕込んでおいてよかった」


 おそらく、あらかじめジャンパーの内側や、ポケットの中などに武器を携帯していたのだろう。

 そのもしもの備えが、しっかりと二人の窮地きゅうちを救ってくれていた。


 ひとまず安全を確保したことで、ようやく冷静になれた。


 三人は近くで倒れている覆面の一人を見つめる。

 アイリスが不安げな眼差しを向けていた。


「こ、この人達が……“雷帝の管理者”なのかな? ストーカーは、大勢いたってこと?」

「さあねえ。まぁその辺は、このふざけたマスクを外してみりゃあ分かるよ。答え合わせってことだ」


 ナデシコは一人に歩み寄り、おもむろにマスクに手を伸ばす。

 あらわになるであろう正体に、思わず緊張した。


 だが、すんでの所でナデシコは手を止め、そして目を見開く。


「――ッ!?」


 何かに驚き、振り向くナデシコ。

 アイリス、そしてミハルもすぐに、その同様の“殺気”を感じ取り、視線を走らせた。


 地下搬入口の入り口に、真っ黒な影が立っている。

 よく見ればそれは、黒いレインコートをすっぽりとかぶった人物であった。


 顔は見えない。

 手袋やブーツで入念に露出を抑えているため、まさに頭から爪先までが“黒一色”なのである。


「まだいたのか。あんまりしつこいと嫌われるよ? それとも、痛い目見ないと分かんない、頑固者ってこと?」


 皮肉交じりに体を持ち上げ、対峙するナデシコ。


 今や“探偵”が襲撃者に手こずるというイメージは湧かない。

 先程までの五人のように、鮮やかに打倒してしまう。

 アイリスとミハルは、どこかそんな期待すら抱いていた。


 一同の緩み切った緊張の糸が、“しゃおん”という音で再び張り詰める。


 黒フードの人物の両手に、巨大な“バタフライナイフ”が握られていた。

 わずかな照明を受け、ギラリと光るそれを二丁握りしめたまま、黒フードは静止している。


 空気の温度が、確かに変わった。

 何か冷たく、おぞましいものが、大気を伝って流れ込んでくる。

 冷凍庫の中に放り込まれたような、寒く、まるで温度を感じない鋭さが、肉体を支配していく。


 全員が悪寒を感じたと同時に、黒フードは床を蹴って跳びだす。


 突然の事態に身構えるナデシコ。

 瞬く間に二人の距離が詰まり、向かってくる刃の切っ先を見据える。


 なんだ、こいつ――警戒した構えのまま、その素早い動きに汗が噴き出していた。


 だが、黒フードは床を蹴り、資材を足場に高く跳んだ。

 軽やかに、鮮やかに、黒い影が探偵の頭上を飛び越してしまう。


「なんだって?」


 思わず反応が遅れた。


 黒フードが落ちていく先にいるのは、同様に全身を黒いドレスに包んだ少女だ。


 異常な事態に、ミハルも気付く。

 最も遅く、アイリスが恐怖を感じ取った。


 黒フードは着地し、さらに床を蹴って加速する。

 ナイフを持ち上げ、目の前の少女目掛けて薙ぎ払った。


 探偵がたまらず、叫ぶ。


「逃げろ、アイリスッ!!」


 弾かれるように、少女は床を蹴って跳んだ。

 黒く長い髪の端が逃げ遅れ、黒フードの二刀に断裁され、宙を舞う。


 アイリスは尻もちをつき、目の前にいる黒い影を見上げた。


 ゆっくりと、こちらを振り向く襲撃者。

 近くのミハルになど目もくれず、漆黒の影は刃をだらりと下ろし、少女に迫る。


 一歩、距離が詰まっただけで、息苦しさを覚えた。

 と同時に、アイリスは目の前にいるこの謎の影が放つ強烈な“気”に、覚えがある。


 どこで出会ったのか、一体どこで見たのか。

 彼女がそれを思い出すよりも早く、襲撃者は動く。


 大きく踏み込み、迷うことなく、へたり込む少女目掛けて襲い掛かってきた。


 探偵が、小説家が、乱入者に戦慄する。

 なにが目的なのか、まるで分からない。

 だがこの襲撃者は、先程の数名とはまるで違う。


 二つの刃が狙うのはミハルではなく、アイリスだ。


 真っ黒な影が、漆黒のドレスへと走る。


 向かってくる凍てつくような殺意に、アイリスは呼吸を止めそうになった。

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