3. 蠢く悪と、動き出す正義

 店の高い位置に置かれたテレビでは、昼過ぎのバラエティ番組が流れている。

 最近売れ出した若手のお笑い芸人が、会場を大いに盛り上げているようだが、あいにく音量が小さすぎていまいち伝わってこない。


 そんなテレビの微かな音と、奥の厨房から聞こえてくる調理の音が、渾然一体となって狭い店内を包み込んでいる。


 わずか七席しかないカウンターのその最奥で、ナデシコは必死に麺をすすっていた。


「いや、まじ助かったよ、姐さん。あそこで出会えなかったら、今頃、菓子パン一個の悲しいランチタイムだったね」


 ズバズバと豪快に麺をすすっては、荒々しく口を拭いている。

 ワンタン麺を無料で大盛りにした、いつものメニューにご満悦らしい。


 隣に座る女刑事・ユカリは、通常サイズの味噌ラーメンを静かに食している。

 ナデシコとは違い、箸の持ち方、扱い方、座る姿勢までとにかく優雅だ。

 その美しい風貌が、どうにもこのラーメン屋の粗野な空気の中で浮いてしまっている。


「あなたねぇ、そんな頻繁に金欠になるくらいなら、きちんと報酬もらうなりしなさいよ」


 ユカリが指摘しているのは、今朝、ナデシコが叩きのめした、ひったくりグループの件だ。

 見事、犯人一味を捕まえたにも関わらず、ナデシコは事もあろうに一切の見返りを受け取っていないのである。


 大量の麺を必死に咀嚼し、スープで流し込むナデシコ。

 冷水で喉を潤し、ため息混じりに返した。


「そんなの受け取れないよ。あのひったくりは、私が勝手に捕まえようとしたんだからさ。婆ちゃん達が困ってるっていうから、腹立ってね」

「呆れた。気に入らないから、ってだけの理由であそこまでやれないわよ、普通」

「あんなの楽勝楽勝。なっちゃいないね。弱いのが群れてるだけさ」


 なんとも不敵な言い回しと共に、がぶりとワンタンを片付ける。

 横で見ているユカリも、毎度毎度、ナデシコのその奔放さには、呆れを通り越して羨ましさすら覚える。

 ラーメンを食べ切り、口を拭きながら微笑む。


「たくましいわね、本当。お金はなくても、その拳法だけは衰えてないみたいね」


 だが、この一言にはナデシコが少し噛み付く。


「拳法じゃないよ、忍術!」

「あー、はいはい。そうだったわね」


 ナデシコはさらりとかわされたことが、どこか不服そうだったが、すぐさま丼に向き直る。

 一気に残った具とスープを平らげてしまった。


「まあ、拳法だろうが忍術だろうが、この街で生きていくには、あって損じゃないからね。どれだけ時代が安全になっても、ここは相変わらず、危険が渦巻いてるから」


 大都市・ワンドゥの発展は加速する一方で、大陸内でも有数の発展途上都市として注目を集め続けている。

 数年前に大手企業が新たな開拓地として多数乗り込んで来たことを皮切りに、あれよあれよと人が流れ込み、都市の拡大が進んだのである。


 周囲の田舎町からは一目置かれる存在だが、人が集まればそれだけ争いも増える。

 お世辞にもワンドゥの治安は良いとは言えず、ひったくりのような軽犯罪を始め、酷い時には開拓地を狙ってのマフィアの抗争が起こることさえある。


 この地において、厄介事とは切っても切れない職業――探偵と刑事が、こうしてここにいるのだ。

 ナデシコは水をおかわりしつつ、おもむろに問いかけた。


「姐さんは相変わらず忙しいの? なんか最近、パトカーの音、よく聞く気がするけどさ」


 その何気ない問いかけに、あきらかにユカリの表情が曇る。

 変化に気付いたナデシコも、少し目を丸くした。


「ええ、忙しいわよ。最近は特にね」

「へえ、なになに。凶悪犯罪者でも現れたの。それか、テロリストとか?」

「当たらずとも遠からず、ね」


 冗談交じりの問いかけが、思いのほか的を射てしまったことに、ナデシコも「まじで」と驚く。


 驚愕するナデシコの視線を受け止めたまま、ユカリはコップに残っていた水を飲み干す。

 冷たく、芯の熱い吐息と共に、カウンターに視線を落としたままゆっくり語りだした。


「つい、昨晩――惨殺死体が発見されたの。全身をめった刺しにされ絶命した死体が、路地裏に転がってたのよ」


 女刑事の口から語られた事実に、さすがのナデシコも能天気な笑みなど浮かべられない。

 真剣な眼差しで、ユカリの横顔に問いかけた。


「殺人…だね、そりゃあ。犯人は?」

「まだ逃げ続けてるわ。ただ、駆けつけた警官が、一瞬だけど姿を捉えてるの。その情報を元に、町中、大捜索が行われている状態よ」

 

 街の騒がしさに納得がいくと共に、事件の詳細がより一層気になってしまう。

 前のめりに、ナデシコは問いかけていく。


「めった刺しなんて、並みの奴がやる手口じゃあないものね。で、で、で? どんなやつだったの?」

「本当に一瞬の情報なんだけどね。どうやら『背の低い女の子』らしいわよ」

「女の子――若い奴がやってたってことか。嫌だねえ、そういうの。なんでまた…」

「犯人の身の上は分からないわ。まっ、捕まえて本人から聞くのが一番ね」


 そういうことね――ナデシコも現在の街の状況に納得する。


 ユカリ同様、ナデシコもまた視線をカウンターへと戻し、考え始める。

 テレビだけでなく、厨房の音色までもが薄く、遠くへと離れていった。

 

 彼女の中の「探偵」の部分に、火がついたことをユカリも察する。


「殺されたのは男?」

「ええ。いわゆる、一般的な会社員よ」

「そうか…なら恨み、復讐みたいなものなのかな。若い女がそこまでするなら、よほどの念がないとやらないでしょ」


 水をごくりと飲み干し、また思考を巡らす。


「いや、でも小さな女の子の手でそこまでやれるかな? 殺された男は、小柄?」

「いえ、そうとも言えないわね。昨日殺されたのは、身長189の男性。すらっとはしてても、大柄ね」

「ふぅん。刃物一つあったとして、そんな男を簡単にやれるかな…共犯者がいる可能性もある、か。そもそも、路地裏にそいつをどうやっておびき寄せたのか。知り合い、身内って線か――」


 様々な要素を自身の中で噛み砕き、組み合わせ、導き出していく。


 今までのような能天気な姿からは一変、真剣な眼差しでナデシコは自問自答を繰り返していった。

 その鬼気迫る表情に、カウンターの向こう側にいる店員もたじろいでいる。


 と、ここで唐突に彼女の顔が緩む。


「――って、そんなこと簡単に教えて良いの? 警察も調査中なんでしょ?」

「普通、最初に聞かない? そういうことは」


 やれやれ、とユカリもため息をつく。


「私が何の見返りもなしに、あなたにラーメンをおごったりする女かしら?」


 その一言で、またナデシコの表情がほころぶ。


「あー、はいはい。そういうことか。なるほど、いつも通りの『リーブアンドテイク』ってやつね」

「『ギブアンドテイク』よ。まぁ、そういうこと」


 この関係性は、なにも今に始まったことではない。


 警察という組織の中で事件を追いかけるユカリと、街の中で探偵として自由に動き回り厄介事を解決するナデシコ。

 ひょんなことから出会った二人にとって、お互いがライバルであり、そして同時にその「厄介事」を共有できる協力者でもあった。


 警察の国家組織の持つ情報力と組織力。

 そして探偵の持つフットワークの軽さと、数々のコネクションから生まれる独自の情報網。


 ユカリは自分達が持つ情報を、ナデシコに渡し「育てる」ことを狙っている。


 とはいえ、本来ならばこんなリークが許される立場でもない。

 ユカリのやっていることは限りなく黒に近いシビアな行為でもある。


 だがそれでも、ナデシコに情報を預けるだけの価値があると、このしたたかな女刑事は睨んでいるのだ。


 ユカリは足元に置いていた鞄から一枚の茶封筒を取り出し、ナデシコに手渡した。


「いつもどおり、最低限だけど事件の概要や被害者のデータをまとめておいたから。何度も言うけど――」

「ああ、了解了解。他人には漏らすな、ってことでしょ?」

「そういうこと。強制はしないわ、あくまで調べるも無視するも『探偵さん』次第ってこと」


 表情を変えずに言い放つその横顔を、ナデシコは「ふぅん」と見つめていた。


 やるかやらないかも分からないような不確かな存在に、ユカリは情報を渡したりなどしない。

 そんなリスクのみの相手に手の内を晒すほど、この女刑事は愚かでも世間知らずでもない。


 いわばこれは、彼女からの「依頼」だ。


 はっきりした言葉こそないが、事件解決に向けた協力要請なのである。

 受け取った茶封筒を眺めながら、彼女からの無言の依頼に答える。


「まっ、それじゃあこっちも『いつもどおり』だね。殺人なんて穏やかじゃあない。まあ、うまくいけば姐さん達の手間がいくつか減るかもね」

「別に楽したくてこうしてるわけじゃあないわ。私はただ――」


 すくと立ち上がるユカリを、ナデシコは目を丸くして見上げた。

 眼鏡をかけなおした女刑事の目は、どこか冷たささえ感じる鋭さを帯びている。


「許せないだけよ。この街に――――『悪』がいることが」


 それだけ告げ、ユカリは伝票を持って立ち去ってしまう。

 暖簾をくぐり見えなくなってしまう彼女の背中を、ナデシコはしばらく目で追っていた。

 しかし、再び手元のしわ一つない茶封筒を見つめ、思う。


 悪、か――――脳裏に浮かんでくる、街のどこかで起こった「殺人事件」の光景。


 少女の握った刃物で、何度も貫かれ、苦しみ絶命する男。

 暗闇の中でうごめくその姿が、いつしか「自分達」へとすり替わる。

 現在という空想の中に、自然と過去という現実がすり寄ってくる。


 頭を振り、思い出そうとする記憶をかき消した。

 くだらない記憶の残滓に、ストレスを覚える必要などない。


 私だって大っ嫌いさ――――突如沸き上がったいら立ちを振り払うように、ナデシコは残っていた水を飲み干し、立ち上がる。


 ラーメンを詰め込んだ肉体のその中心部で、彼女の持つ「正義」という炎が燃え上がっていた。

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