アトリエテラスの救い方

こましろますく

序章

自習室

 あの時違う選択をしていれば、結果は何か変わっていたのだろうか。



 細身の木製イーゼルに立てかけたカルトンに、目玉クリップで画用紙を貼っつけて。傍らの机には置き鏡と、硬さの違う鉛筆一式と消しゴム。

 置き鏡に写る自分の顔と見つめ合いながら、画用紙面に鉛筆を走らせて自画像を描く。

 十代男子特有の、程よい丸みを帯びながらも筋張った顔の骨格。そこから長く伸びる筋の浮いた首。

 滑らかな乳白色のミディアムヘアは、尖らせた鉛筆を立ててつむじから流れるような線と消しゴムで。一房だけ入れた銀朱色のメッシュは、少しだけ筆圧を強めて。

 吊り目がちの卵色の目は、瞳に写るまつ毛を描きつつ球体を意識して。頬は膨らみを表現するために、鉛筆を寝かせ優しく描く。センター分けの髪の影も乗せながら、顔面全体の凹凸を表現する。

 カリカリと鉛筆を走らせる音だけが無機質に続いた。

「はい、そこまで」

 静止の言葉をかけられてぱっと手を止めると、酒葉が後ろから絵を覗き込んだ。

 今は四月初旬、平日の昼過ぎ。絵画教室の自習室で、五樹いつき酒葉さかばに自画像を見てもらっている。他に生徒はおらず、室内は二人きりだ。

「うん、三時間でやったにしちゃよくかけてるな。鉛筆を動かすのに躊躇が無いから、トーンをガツガツのせて明暗が表現できてる。多少荒いが、絵全体にメリハリがだせるのは五樹のいいところだな」

「マジか、よっしゃ」

 褒められて、五樹は思わずガッツポーズで喜んだ。

「でも、似てはいないな。これは五樹の顔じゃない」

「俺の顔じゃないって、どういうこと?」

「五樹は、人間の顔を描くときの大事な部分はどこだと思う?」

 眉をひそめて唸りながら、五樹が言葉をひねり出す。「うーん、顔の形とか?」

「残念、顔面にあるもの全部だ。目も鼻も口も全部大事」

「引っ掛けかよ!」

 声をあげれば、酒葉は鏡越しにけらけらと笑い声をあげながら、五樹の後ろの席にどかっと腰をおろした。

「ひっかけじゃねぇよ。顔の形や耳の位置、目と鼻と口の形や高さや幅。それぞれが顔を作る重要なパーツだ。当たり前だが、人によって顔の形は違うよな。だけど、人の顔の違いはそれだけじゃないだろ?」

「確かに。吊り目か垂れ目かとかあるしね」

「五樹は大まかな骨格はよく描けてるが、細かいところがおざなりになりがちだ。目にも人それぞれ角度や大きさなんていう違いがある。そういう細かい要素一つ一つで顔はできてんだよ」

「なるほど。俺が急にぱっちり垂れ目でたらこ唇になったら、誰だお前って感じだしな」

「嗚呼。完成した絵がそんなだったら、お世辞にも似てるとは言えねぇだろ?」

「確かに」

「もっと描いてる相手の顔を見ろ。モデルが居るにしろ自画像にしろ、じっくり観察して描写するのを習慣づけていけ。そういう小さな技術の向上の積み重ねが、"才能"の向上にも繋がるんだ」

「了解」

 五樹はボディバッグからメモ帳を取り出して、酒葉の言葉を書き記し、ふとその手を止めた。

「俺、いつになったら"才能"手に入れられんのかな」

 鏡に写った酒葉は一瞬目を見開いて、誤魔化すように笑みを浮かべた。

「急にどうしたんだ?」

「俺、一向に手に入れられそうに無いじゃん」

「焦る必要はねぇよ。お前まだ十六だろ?」

「いや、もう十七。先週誕生日だったよ」

「そうか、すまねぇ。祝ってやれてなかったな、おめでとう」

「ありがとう」

「話を戻すが、慌てることはねぇよ。才能が発現すんのは、たいてい十八から二十五歳だ。天才は十二歳とかで発現するけどな」

「現時点で俺より歳下が才能持ってる可能性もあるじゃん、そんなの焦るに決まってるよ」

「才能才能って言うが、お前はそれがどんなものか理解してんのか?」

「わかってるよ。自分の実力と世界観の結晶、でしょ? いつも酒葉さんが言ってくるから覚えたよ」

 美術、音楽、文芸、演劇。その他様々な芸術を扱う人々は、特別な"才能"を手にすることがある。

 人は、そのような力を持つ者を表現者と呼んだ。

 炎や水を生み出して操ったり、絵に描いた物を現実に生成したり、作曲者の感情や思考を音に乗せて聴衆へ伝えたり。

 才能を扱うには、固有の世界観と実力が必要だ。

 だから表現者は作品を作り、実力を磨くと同時に自分の世界観を掘り下げる。

──そして世界観が確立し、様々な技術を有している人間なら、複数の才能を得ることもある。

 その特性ゆえに、才能を発現したての頃は、出力調整ができずに人を傷つけたり、無自覚に使用して問題を起こすことがあるらしい。

「表現者ってさ、ぶっちゃけ何人ぐらいいるの?」

「細けぇ数字はわかんねぇが、日本の総人口が一億人として、芸術分野の人口が大人子供ひっくるめて百万人ぐらい。ん表現者は五十万人いるかどうかってとこだな」

「やばいね、大量じゃん」

 才能の発現は、早くて自己が確立し始める十歳以降という調査結果が出ているが、平均としては二十歳前後。ここ二年ほどは平均年齢が下がり始めており、中高生の発現が増加傾向にある。

「どうやったら、俺も才能を手にいれられるのかな。父さんみたいな、強い才能」

 五樹がぽつりと呟くと、酒葉は困ったように顎を擦り顔をしかめた。

「お前が父親に憧れる気持ちはわかるけど、焦ったって何も変わんねぇよ。そもそも才能は攻撃の道具じゃくて一つの作品だ。強い弱いなんて尺度は存在しねぇよ」

「わかってるって」

『才能は攻撃の道具ではなく、感情と自由の象徴』というのが一般的な認識だ。

 事実として才能は、曲や絵画のような娯楽の一つとして楽しまれている部分が多い。

──しかし、才能は攻撃の道具ではないと酒葉は言うが、才能の悪用による事件は後を絶たない。

創生管理局そうせいかんりきょく】がそれらに対応しなければ、この国は才能犯罪者であふれかえるだろう。

 管理局は行政機関の一つであり、才能に関する全てを担っている。才能による事件の対応を始め、囚人の管理から才能の研究、果ては創生塾の運営まで。

 管理局には才能を使えない一般人も在籍しており、多くは事務などをしているらしい。酒葉もその一人と聞いた。

「それに、結局は使い方だよ使い方。使い方一つで正義でも悪にもなる」

「うん……わかってるよ」

 才能を正しく扱う正義の人も、誤った扱い方をする悪人も、苦しくなるほどよく知っている。

 五樹が表情を曇らせて俯くと、酒葉は一つ嘆息して、五樹の頭をくしゃくしゃと撫でつけた。

「ただ描いてるだけ、歌ってるだけじゃ才能なんて得られない。努力を怠らない人間だけが──って、努力って点でお前は心配いらねぇな。そんな顔しなくても、いつかは才能を得られるさ。心配すんな」

 撫でられたのが小っ恥ずかしくて、それでも少し嬉しくて。誤魔化すように手を払いのけて、手ぐしで髪を整える。

「そうだな、お前も一回は見知らぬ人を描く練習をしたほうがいいか。よし! 五樹、次会うまでに街でクロッキーしてこい」

「クロッキー?」と、五樹は首を傾げた。クロッキー自体は知っている。短時間で簡潔に物を描くことだ。長時間で対象を描くデッサンとは違って、対象を細部まで描き込むことはなく、専用の道具も必要ない。紙と鉛筆さえあれば野外でもできる、絵の練習方法だ。

「赤の他人を三人、男女は問わない。時間は最低でも五分だな。立ち止まってる人をこそっと描くのでもいいけど、折角だから声かけて描かせてもらえよ」

「うへぇ、声かけなきゃだめ? やだなぁ」

「お前、人見知りするタイプだったか? どっちかっていうと、初対面でもぐいぐいいける方だろ。陽気で愛想も良いし、積極性もあるしな」

「褒めてくれてありがと。いや人見知りはしないけどさ。人の顔ジロジロ見て描いた挙げ句に上手く描けなかったら、ちょっと恥ずかしくない?」

「そこは慣れるか諦めろ」

 五樹は肩をすくめながら、身の回りの荷物を大きめのボディバッグに詰めて立ち上がる。自画像を挟んだカルトンを閉じて棚に仕舞い、イーゼルを壁に立て掛けた。

「勝手にジロジロ見て描いてるってんだと、不審者扱いされる可能性もあるからな。理解のある人なら、課題で出てるって言えば快く受けてくれるぞ」

「了解。酒葉さんがひっくり返るぐらいの絵、描けるように頑張るわ」

「おう、マット用意して待ってるからな」

 酒葉へ向けて親指を立てつつ、入り口扉へ手を伸ばす。

「五樹」

「ん、なに?」

 声をかけられて振り向けば、酒葉は何故か少し困ったような笑みを浮かべていた。

「最近、調子はどうだ?」

「ご覧の通り、元気いっぱい」

 力こぶを作っておどけて見せれば、酒葉は気が抜けたように笑い声をもらして、五樹を見送るように手を振る。

「そうか。何かあったら相談にのるからな、真っ先に俺に言ってくれよ」

「うん、ありがと」

 軽く手を振り返し、五樹は自習室を後にした。

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