レディー/ファースト

「アタシより先に部屋に入るなんて、分かってねえな」


 線の細い男が振り向き、アタシを見下ろした。

 ……チッ、少しは屈んでアタシと目を合わせるくらいしろよ。


 他国に招かれたアタシの護衛役として選ばれた男らしいが、レディー・ファーストってものを知らないらしい。まずアタシを優先させるってのがマナーってもんだろ?


 部屋に入る時はお前が扉を開けて、先にアタシのことを中へ誘導する。


 移動をする時は車道側にお前が立つ――、食事もアタシが手をつけてからだ。


「……失礼しました、お嬢様」

「分かればいい。今後、気を付けろ」



 ……で。

 なんでこいつはアタシよりも先に部屋に入っているんだ?


 え、さっき言ったよな? 注意をしたし、あいつもアタシに向かってはっきりと『分かりました、以後、気を付けます』と言ったはずだ……アタシの聞き間違いか?


「おい、お前……」

「お嬢様、この料理、美味しいですよ」


「聞いてんのか!? あとなに勝手に食ってんだ! アタシのフォークで、おまっ、お前は口をつけたのか!? そしてそれをそのままアタシに使えと!?」


 男が自分のハンカチでフォークを拭い、


「これで大丈夫です」


「ハンカチで拭ったくらいで、アタシが抱いた精神的な嫌悪感は拭えないんだよッ!」


 一気に食欲がなくなった……、だが、招かれていながら出された食事に手をつけないのは失礼にあたるな……、仕方ない……。


「お前、それ食っていいぞ」

「お嬢様? 体調でも悪いのですか?」


「お前が口をつけたからだ! 他人の食べかけなんて食えるかッ! アタシは自分で買って食べるからいいよ。お前に任せるとまた口をつけそうだ……」


「では、私が作りましょうか?」

「冗談だろ? 毒でも入れるつもりかよ」


 最も身近な者が自分の命を狙っている、なんてありふれた話だ。

 アタシは最初からこの護衛の男を信用していない……、なぜあいつが選ばれたのか、不思議なのだ。護衛としての経験はほとんどないらしい。


 普通、こういう重大な任務には百戦錬磨の男をつけるべきじゃないのか? なのに新人どころか、護衛としての訓練も満足に受けていないと言う。

 そんなあいつが、なぜこの任務に選ばれたのか、理由がマジで分からない……。


 コネか? 人手不足でもないし……、まさかアタシの護衛だからって、テキトーな人材を選んだんじゃないだろうな、父上の野郎……。


 アタシはこれでも一国のお姫様だぞ?


「……めちゃくちゃ嫌われてるけどな」

「え、お気づきで?」

「お気づきで? と言ったかてめえ」


 護衛の男が、はっとして、両手で口を塞ぐが――遅ぇよ。


 あと、『そうなのかなー?』と思っただけで、ぼそっと呟いたらその反応がきたってことはだ……、本当に嫌われてるってことじゃないか。


 反応がリアルだし……。


 ……なんとなく周囲の反応で気づいてはいたが、それが確定されるような態度は取られたことがない。たぶん、アタシもみんなも、そこをはっきりさせないラインで押し合いをしていたのだ。なのに――、こいつがその均衡を破って、片側に寄せやがった。


 しかも、言ってしまったことに後悔しているでも、反省しているでもない。

 言ってしまった前と変わらない様子で、アタシが許可した料理に口をつけている……、なんでこいつが護衛なんだよ!


「ご馳走様でした、お嬢様」


「あっそ……もういい。部屋にいるから、話しかけてくんなよ」


「用事があれば呼びかけても?」


「言われないと分からないのか? …………、そうだよな、お前はちゃんと指示をしないと従ってくれないよなあ……分かったよ。重要な用事の時だけ、呼びかけを許可する」


「承知しました」


 言って、部屋から出ていく護衛の男……、食った後の皿、持っていけよ……。


 なんでアタシが皿を持って外に置いておかないといけないんだ……姫様なのに。



 扉を開けて、床に皿を置く。これでメイドか誰かが拾ってくれるだろう。


 ふう、使えない部下のせいでいつも以上にどっと疲れた……、今日はもう寝よう。


 この国に招かれた理由が、明日にある。

 もっと疲れるだろう明日のことを考えれば、もう寝てしまった方がいいだろう……。お腹は空いているが、意識するから気になるのだ。眠ってしまえば空腹なんてどうでもよくなる――。


「ふあぁ……、車に揺られて七時間も座っていたし……体もカチカチだぞ」


 ベッドに飛び乗って、うぅーん、と全身を伸ばしてまったりしていると、気づけばアタシの意識が、ゆっくりと落ちていっていた……。



 翌日、スッキリとした意識で、護衛の男に言い聞かせる。


 アタシより先に部屋に入るな、アタシよりも先に食事に口をつけるな(しかもアタシのために用意された、アタシの口に入るものだ)、車道側にアタシを立たせるな――、など。


 他にも色々と言いたいことはあるが、一気に言うとこいつは理解できないかもしれないから、最小限にとどめておく。


 とりあえずこれくらいならお前でも守れるだろ? ……護衛なのにレディー・ファーストができていないと、見ている側に悪いイメージを与えてしまう。


 お姫様なのに雑に扱われている、なんて思われるのは嫌だからな?


「しかしお嬢様」


「『しかし』も『でも』もねえよ。いいから従え、命令だ」


 あらためて言うことでもなく、最初からアタシは姫として命令をしていたのだ。それを無視して独断で動いていたこいつに、今更『命令だ』、と言ったところでおとなしく聞くのか?


「……分かりました。どうなっても知りませんからね」


「なんでアタシがわがままを言っているみたいになってんだ……、お前の独断専行が問題になっているだけだからな? お前がおとなしくすれば、なにも問題にはならないんだから」


 小さく頷いた男を、まだ信用できてはいないが……、

 いつまでも構っていたら約束の時間に遅れてしまう。


 招いてくれた他国の姫との顔合わせだ。

 国の代表としてきているのだから、遅れることはできない。

 当然、失礼な態度も同じように――。


 だからこいつの存在が、マジで気になるんだよなあ……。


「……はぁ。じゃあまあ、いくぞ」


 扉に手をかけて――ん、少し重いな? 

 ぐっと力を入れて押し、扉を開ける、と――、



 パァンッ!!


 と聞こえた時には既に、アタシの額に弾丸がめり込んで――――、



「――はっ!?」


「めり込んではいませんよ、お嬢様」



 護衛の男が指先で弾丸をつまんでいた。


 ……え、じゃあ今、アタシが体感した死の感覚は、幻、覚……?


「もし、私が先に扉を開けていたら、お嬢様は弾丸のことなど知らなかった……ですよね?」

「……は、あ、う……、」


「もしも私が先に料理に口をつけていなければ、お嬢様は毒に苦しめられていたはずです」

「…………」


「もしも私が車道側を歩いていれば、建物からお嬢様を狙うスナイパーに、あなたは頭を撃ち抜かれていたでしょうね」


「…………、あんた、は、守って、くれて……?」


「私の役目をお忘れですか? お嬢様の護衛ですよ」


「だから、レディー・ファーストを無視して……」

「お嬢様。レディー・ファーストとは元々、『女性を盾にする』考えなんですよ」


「え?」


「今でこそ、女性を立てるための言葉になってはいますが……、本来であれば女性が男性を守るための盾となるため、先に部屋へ入れる、先に口をつける、建物側を歩かせる――わけです。つまりお嬢様を狙う敵からすれば、レディー・ファーストは狩りやすい環境とも言えるわけです」


 護衛の男は、いじわるしたわけではないんですよ、と――。


 で、でもっ、じゃあ最初から「狙われている」って言えばいいじゃない!?


「お嬢様を守る以前に、怖がらせないことも仕事の内です。

 それに、狙われていますと伝えれば、お嬢様は隙を見せないじゃないですか」


「は?」


「敵に頭を出させるためにも、ある程度、お嬢様には餌として機能して頂かなければ困ります。もしも部屋にずっと引きこもられたら、敵も手を変えて、私が対応できなくなりますし……、毒や狙撃なら、まだ私でもなんとかできますから」


「おまっ、お前! アタシが嫌われてることを好機だと思って利用しやがったなッ!? 一歩間違えて死んだらどうする! お前からすればそれは願ったり叶ったりだって言うのかよォ!?」


「――まさか」


 ぷは、と噴き出した男が、へらへらした表情を収めて、真剣な目でアタシを見る。


「あなたを絶対に傷つけさせない。

 そういう覚悟と確信があるからこそできる技ですので」

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