鬼の薬

群青

裏話

むかしむかし。


とある山奥に、小さな小さな村がありました。


そこに住む人々は、木を切り、小さな畑を耕し、とても平和に暮らしていました。




ある時、その村一美しい娘が山奥に入り、道に迷ってしまいました。


娘が山中で途方に暮れていたところ、一匹の鬼に出会いました。


鬼は麗しい青年にその姿を変え、村まで娘を送り返しました。




娘は鬼のその優しさに心を惹かれ、自分と共に暮らそうと鬼に言いました。


鬼は「自分が人間とともに暮らせば良くないことが起きる」と断りましたが、


娘の熱心さに心を打たれ、正体を隠して、ともに暮らすことにしました。


娘と鬼はしばらく慎ましやかに、幸せに暮らしていました。


次第に鬼は、娘とこの村で過ごすことに幸せを感じるようになっていきました。


山で暮らす生活はとても暗く、寂しいものだったからです。




ある時、娘はひどい病に倒れてしまいました。


鬼は山で取れる木の実やキノコから、病に効く薬を作り、娘に与えました。


娘の病はたちどころに治り、娘は鬼に大変感謝しました。


鬼は山のことならなんでも知っていました。


また、そこで取れるものを用いて様々な病に効く薬を作ることができました。


そのことを娘に話すと、娘はとても喜びました。


その村には度々流行り病が出て、たくさんの死人が出るからです。


娘は鬼に、彼の持つ知識を村人たちに授けてほしいとお願いしました。


そうすれば村は今までよりもずっと平和になると、娘は目を輝かせました。




鬼は、娘が言うならばと時折村人を集め、多くの薬の知識を教え始めました。


流行病に効く薬の作り方や、他の薬の知識もできるだけ丁寧に教えました。


青年の姿をした鬼の言うことに最初は半信半疑だった村人たちも


彼の言う通りに調合した薬で病人が治る様を見て彼を信用しました。


これまで誰にも感謝されたことがなかった鬼は、それをとても喜びました。




またある時、村一番のお金持ちだった庄屋の息子が病にかかりました。


息子は鬼に教えてもらった薬を飲みましたが、その分量を間違えてしまいました。


息子は数日にわたってもがき苦しみました。


鬼の青年が駆けつけて正しい薬を処方したことで、息子は一命を取り留めました。


しかし、息子は看病される折、青年が実は鬼であることを知ってしまいました。


息子は病が治った翌日から、村に触れ回りました。


青年は鬼だ。奴が処方する薬は、人間を美味しく食らうための味付けだったのだ。


そんな根も葉もないことを言って村中を周りました。


村一美人の娘が恐ろしい鬼と共に幸せにしていることが許せなかったのです。




噂は狭い村で瞬く間に広まりました。


青年が鬼であることを知った村人たちは、彼の言うことを何も信じなくなりました。


「薬を処方していたのは、自分たちを美味しく食べるためだったのか」


そう言い合って大いに怖がりました。鬼はそれほど恐れられる存在だったのです。


娘は必死で村人に鬼の心優しさを伝えましたが、村人は聞き入れませんでした。


そしてある夜、一人の村人が、皆が寝静まった頃、鬼と娘の家に火を放ちました。




ぐっすりと寝ていた鬼と娘は逃げ遅れました。


命からがら家の外に出た時、娘はその美しい顔に、ひどい火傷を負っていました。


燃え盛る家の傍で、鬼は自分の角の片方を力一杯ひきちぎりました。


痛みのあまり、鬼は恐ろしい声をあげました。


そして、娘に悲しそうな顔でその血に濡れた角を手渡しました。


「その角を煎じて食べれば顔の火傷はすぐに治る。こっそりと飲みなさい。」


そう言いながら、元の姿に戻った鬼は、悲しげに山の方に帰って行きました。




娘はその後、泣きながら、角を煎じて飲みました。


すると火傷は跡形もなく治りました。


しかし、娘がどれだけ嘆き悲しんでも、鬼が戻ってくることはありませんでした。




それからしばらくして、例の流行病が村を襲いました。


村人たちは、薬の調合方法を知っていたにも関わらず、大勢死んでいきました。


しかし、娘だけは鬼に教えてもらった薬を作り、病に冒されず生き残りました。


村人たちは病に罹らない娘を羨み、妬みました。


また、娘がかつて鬼と共に暮らしていたことで、彼女を疎み、恐れてもいました。


村人は娘を、流行病を鎮める生贄として、鬼のいた山に捨てました。




娘は捨てられた山で、数日かけて鬼を探しました。


そして、深い深い山奥で暮らす、片側の角を無くした鬼を見つけました。


鬼は娘の姿を認めると、驚いて青年の姿に変わり、娘を抱きとめました。


村での流行病のこと、それを鎮める生贄として自分が選ばれたこと。


その全てを娘は鬼に伝えました。




話を聞いた鬼は悲しそうに笑いながら、もう片側の角を引きちぎりました。


痛ましい咆哮が山の中に響きました。


「この角を燃やし、その灰を村の方に流すと良い。」


そう言って血に濡れた角を娘に渡しました。


娘は、自分と鬼をひどい目に合わせた村人など救う必要はないと泣きました。


ですが鬼は優しく首を振りました。


「全ての村人が悪いわけではないし、鬼を恐ろしいと思うのは当然のことだ。」


そして娘を再び抱きしめました。


「あなたのように、私の素性でなく、行いを見る人がもっと多ければ良かった。」


鬼は寂しそうに娘の頭を撫でました。


「いくら善くあろうとしたところで、鬼だから悪だと言われるのは寂しいものだ。」


そう悲しそうに言って、鬼はさめざめと涙を流しました。


「しかし、今の自分にできるのはただ、善きことを積み重ねることだけだ。」


そう言って鬼は娘にもう一度、自分の言う通りにするようお願いしました。


娘は泣きながら、鬼に言われた通りにしました。




その後、鬼の角で起こした灰のおかげで、その年の村の流行病は去りました。


村人たちは、これからも何度も来るであろう流行病に役立てるように


一部始終を"昔話"として後世まで残しておくことにしました。




一方、鬼と娘は、二人きりの人知れぬ暗い山奥で、


鬼の作る薬のおかげでどんな病にも冒されることなく、


いつまでもいつまでも末永く暮らしましたとさ。

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