第十一話:皇女の信徒

前回のあらすじ!



俺たち全員で戦おう! 悲しみを怒りに変えろ! 軟弱な帝国軍は俺たちの手で倒す! 帝国はもう地に墜ちた! 正義は俺たちにある! 今こそ虐げられてきた俺たちの力を見せる時だ!!


――アルバートの演説原稿より抜粋 帝国暦98年ころ?



アルバートと出会ったことは……だったと思います。きっと……


――ランカスター軍士官アンナの手記 帝国暦98年12月8日より ※血で滲んでいる。



あの男は私達の女神に何をもたらすでしょうか? 血の匂いがする男。死の匂いのする男。


――シェアト・アルフェラッツの日記 帝国暦98年7月ころ



――帝国暦98年8月中旬



 和平以降、すっかり協力関係になったアルフェラッツは、ペルサキスに追随する形で紙幣を発行した。

 それぞれの紙幣はそれぞれの国でしか金銀との両替はできないが、紙幣同士の両替は誰でも行うことができると決められ、その基本レートが毎月頭に発表される。

 8月の暫定レートを経て、9月のレートを決めるために行われる会議にリブラ商会に太い繋がりを持つアレクシアは公平性を期すため参加しないと決めていて、比較的利害関係の薄い金融担当の官僚達が参加していた。

 第一回の会議はペルサキス城にて行われ、アレクシアとリブラ商会会長ヘルマンは応接室で茶を飲みながら話し合う。


「姫様、こういうのは自分でやりたいと思ってましたけど」

「卑怯な取引は商売人として失格でしょうに。売り手によし、買い手によし、世間によし。と商会の掟に書いたと思いますわ」


 アレクシアの商売哲学は前世から持ち越されたもの。自分が亡き後も永遠に帝国が豊かに続くよう込められたかつての願い。

 彼女は帝国経済を大きくするためには民を広く客として育て上げることが重要で、彼らの生活を豊かにすることこそが帝国の地力になると信じていた。

 最も今その願いは彼女を崇拝するペルサキスの民と、ついでに参入してきた連合国の一部、アルフェラッツに向けられていたが。

 

「……世間によしはたまに破ってません?」

「ヘルマンったら……南洋の果てにどんな商品があるのか、興味あるなんて」


 この間連合国に新薬を売りつけ、ランカスターからは今年分の収穫全てを買い付け予約したばかりのヘルマンが軽口を叩くと、アレクシアはにっこりと笑ってたしなめる。

 滅相もございません……と首をすくめた彼だったが、急に真剣な顔をして懐から包みを取り出し、慎重にそれを開く。


「……ところで姫様。念のため伝えておきたいのですが」

「なんですの?」

「連合国商人達も参加し始めたこの商会は大きくなりすぎました。私に万が一の事があればその時、代わりにスピロをお願いします」


 怪訝な顔をしたアレクシアに、世界を回ってくると豪語して旅立った男の快活な顔が思い出された。

 スピロ――ヘルマンと商会会長の座を賭けて争った元貴族の現在自称冒険者は、帝国西部に流れ着いたまだ見ぬ異国の船の残骸を手がかりに全財産と貴族としての権利すら売り飛ばし、昨年から遥か西の海に冒険の旅に出ていた。

 彼が発見した遥か遠い島国。後年のアレクシアは彼のスケッチに描かれたかの地の風景に大きな興味を持っていたという。


「……いつになく真剣ですわね。もちろん、その時はその時ですが……彼が帰ってくるにはあと二年は掛かるでしょうに」

「まぁそれまでに私が倒れたら姫様になんとかもらうとして……真剣にもなります。早朝、これが商会本部に投げ込まれました」


 珍しく誰も寝ていなかったので、幸い怪我人はいませんでしたが。と割れた瓶を見せるヘルマン。

 アレクシアはしげしげとその陶片を眺めると、その煤けた痕を指でなぞる。


「黒色火薬の痕……爆弾ね……」

「入れ物は帝国製の陶器です。別の破片を鑑定させましたが、色や質感からおそらく西側諸侯のもので……ウチでも取り扱っています」

「……噂は本当のようですわね。西部のどこかで黒色火薬の生産に成功した、と」


 ランカスターに出入りする商人たちから最近の領主エリザベスの動向を聞いていたアレクシアは確信を持つ。

 連合国で生産された黒色火薬は確かに流通しているがまだまだ高級品。リブラ商会の情報網に掛からずに取引するのは難しく、値段的にもランカスターでは到底買うことはできないはず。

 それなのに贅沢に黒色火薬を用いて山を崩し道路工事を行っているなどの怪しい報告が来ていた。当然こんな商品が自分で作れるなら喜んで売りに来るはずだし、黙っているというのは怪しい。


「はい。ほぼ間違いありません。先程密偵を出しました」

「それで、犯人は?」


 ヘルマンはため息をついて首を横に振る。

 エリザベスを問い詰めても手がかりは出てこないだろう、とアレクシアは推測した。

 ランカスターには犯行は難しい。ペルサキスがいくら彼らに協力的とはいえ検問を通過できないし、そもそもリブラ商会に恨みを持っているはずがない。


「……内部犯の可能性も捨てきれませんから、これは内密に。ニキアスに治安維持を強化するよう伝えます」

「お願いします。私も護衛をつけるようにするので気軽に動けなくはなりますが……何かあればすぐ馳せ参じますので」


 頭を下げるヘルマン、会長として商会とペルサキスを案ずるその姿にアレクシアは少しだけ感心して笑いかけた。


「ふふっ、貴方もすっかり立派になったものですわね」

「アレクシア様程ではありません。……会議もそろそろ終わる頃でしょう。先に話を聞いておきます。では、また近いうちに」

「ええ、よろしく」


 再び深々と一礼すると退室するヘルマン。そして彼と入れ違いに入ってきたニキアス。何か喋ろうとする彼をアレクシアは一旦制し、無言で膨らんだカーテンを殴る。

 痛い! と叫び声がしてその豊かな胸を揺らしながら転がるように飛び出してきたのはシェアトだった。ニキアスは呆気にとられていたが、アレクシアは彼女を抱えあげて椅子に座らせる。

 急に抱え上げられて赤面するシェアト。アレクシアは自分と比べて無駄に重いのはその胸のせいかと少し苛ついたが、西側諸侯を尋ねていた彼女ならなにか手がかりを掴んでいるかもしれないと考えて静かに話を促した。


「聞いてましたわね、シェアト。西側諸侯はどうでしたか?」

「……酷いです……いきなり殴るなんて……」


 泣き真似をするシェアト。最初から気づいてはいたが、彼女もどうせ商会の一員なので放っておいたアレクシア。殴ったのは完全に八つ当たりだった。


「間者じゃなくて安心しましたのよ。この前の報告書の件は除いて、西側諸侯への旅行で見たものを話して頂けると」

「あそこはとても哀れな方々ばかりでした。皆ボロを纏い痩せていて……軍人が坑夫を虐めているだなんて……」


 そういう話じゃねぇんですわ……と呆れるがニキアスも一緒に聞く中、とりあえず話を続けてもらう事にした。

 大部分が民と彼女の言う背教者……いわゆる中央の不良軍人についての話だったが、何故か一つだけ気になった話があった。


「アルバートという方が貴族や民を集めて講演会をしていたと聞きました。残念ながら参加はできませんでしたが」

「講演会? なんでしょうか……ラングビの有名選手だから?」

「そこまでは。ただ皆様背教者を憎んでいるようで、あの方と奥様のアンナさんが背教者を倒して非常に喜んでいましたよ。お会いした貴族の方々もそのような感じでしたね」

「ふむ、ヘルマンからの報告と合わせて……ニキアス、どう思います?」


 アルバートが反帝国派で自分に対しテロを働くのは確かに自然だが、貴族でもないのにそんな扇動をできるのか? とアレクシアは訝しむ。

 どっちみちこの件に彼は無関係だろうが……なにか引っかる……と胸騒ぎを感じた彼女はニキアスに話を振った。


「とりあえずヘルマンの話を聞かせて欲しいんだが……」


 そういえばニキアスは聞いていないんだった、と思い出したアレクシアがヘルマンからの報告をかいつまんで説明すると、彼は顎に手を当てて考える素振りを見せる。


「ふむ……どうかな……彼ら西側諸侯の売り物はペルサキス商人達も取り扱っている。リブラ商会なんか屈指の顧客だ。喧嘩を売るとは思えないが」

「ですわよねぇ……アルバートの方は?」

「そうだねぇ……彼がスコルピウスで、リブラ商会への爆弾を指示したとか? ランカスター人だし……それに彼の人気は君といい勝負なんじゃないかな」

「彼の人気はさておき、その可能性はありますわね。でも今回ランカスターには動機がないんですのよ。金で繋がれた縁ではありますが」

「まぁ金が続く間は深い縁だしね。シェアト王女から僕らとは違った視点で……まぁ帝国の内情は難しいか」


 暫く黙っていたシェアトに話を促すニキアス。彼女は少し考えて口を開く。


「わたしたちとの和平もあなた方が主導したものでしょう? それにリブラ商会は帝国一の商人組合。神の力を失った現皇帝や他の商人組合に嫌われているのでは?」

「いやいやとんでもないこと言うね王女。現皇帝からなんて……いや、一理あるな。アレクシア……」


 笑い飛ばそうとしてもできなかったニキアスが目を向けると、アレクシアはシェアトの話に真剣に頷いていた。


「皇帝側から見たらシェアトは人質……和平自体には賛成だから連合国の仕業に見せかけずに西側諸侯のものを使った……なるほど。中央貴族の」


 完全にアレクシアの思考の外にあったが、中央貴族がペルサキスをよく思っていないだろう事は以前から勘付いていた。極力刺激しないようには動いていたつもりだったが。

 現皇帝はペルサキスに割かれていた莫大な軍事予算の削減を喜んでいるはずだが、同時にそれを中抜きしていた中央の貴族官僚達はこの地の急速な発展も踏まえて面白くは思っていないだろう。

 帝国の盾であった場所が今では経済の中心地。彼らは自分の利権にならないところの足を引っ張るのが自分の仕事だと思っているフシがある。


「まぁ陰湿さから見て……ソロンあたりだろうね。鎮痛剤の取引がバレたかな」

「ですわね。まぁこればかりは本人に問い詰めても駄目でしょうが」

「……密輸に関してはウチに非があるから藪蛇になるねぇ。とりあえず中央からの役人には監視をつけよう」


 二人を眺めていたシェアトが自信ありげに胸を張って再び口を開く。


「ではわたしが聞いてきましょうか。今は船で行けるようになりましたから、一週間も掛からないのでしょう?」

 

 以前、中央まで二週間も掛かっていた最大の理由が連合国との戦争であった。

 かつては大河から船を出すことができず、仮に海に抜けても北部周りの航路を連合国に封鎖されて安全な航海ができなかった為、内陸を進むしか無かった。

 内陸部を通ると首都までの間に立ちはだかる山脈を迂回しなければならず莫大な時間が掛かっていたが、和平を結んだ今では北部周りの航路で一週間もあればペルサキスから首都まで到着できる。

 更に郵便はプテラノドンを用いた部隊によりわずか三日で届くようになり、首都は以前と比べて非常に近いところになっている。

 

「えぇ……ソロンとかわたくしも会いたくないのに……ねぇ」

「僕もだが……」


 顔を見合わせて揃って嫌そうな顔をする二人の理由がよく分かっていなかった彼女は、商売の話を聞くにはわたしが適任でしょう。と自信満々に言い放つ。


「じゃあ頼もうかしら。9月には帰ってくるんですのよー」

「僕からも頼もう……ボレアス小隊を付けるよ。君の扱いは慣れていると聞いたしね」


 それなら……と言い出す二人。二人とも内心でシェアトに謝りながらも感謝していた。

 結局彼女は二人がソロンを嫌う理由を嫌というほど味わって帰ってくる羽目になるのだが。



――8月下旬



 帝国首都の短い夏が終わり、長い秋の始まりを告げる風が吹く。

 首都についた彼女たちはアレクシアの旧屋敷で一泊すると、中央貴族の首魁にして上級官僚の代表も務めるソロンへ訪問に向かう事になっていた。

 昨晩アレクシアの部屋で見つけた使いさしの香水を彼女が置いていった布団に振りかけ、一晩中香りを楽しんでいたシェアトは満ち足りた顔で朝食を摂り、少し離れたソロンの屋敷へ向かう。

 その頃彼の屋敷では連合国盟主の王女が来ると聞きつけた中央貴族や上級官僚たちが集まって我先に挨拶をしよう、できればリブラ商会に出し抜かれた貿易に一枚噛もうと待ち構えていた。


「連合盟主の王女……こちら側に抱き込みたいものですな」

「アレクシアには及ばないまでも相当な美女だそうだ。ウチの息子を婿に贈るのもアリだな。帝国の大貴族である我々と縁を結べるのは向こうも喜ぶであろう」

「なんならワシが抱いてやりたいわ。連合国の蛮族共は女の抱き方も雑だろうからな。丁寧に扱ってやろう」


 下世話な話で盛り上がり笑い合う老貴族たちの無礼な大声を窓の外に隠れて聞きながら、シェアトは静かに爪を噛んでいた。

 聞こえていないとでも思うのかこの老人たちは。耳が遠くなったお前たちの無駄な大声は神経を逆なでする。アレクシアを追い出したのは本当はお前たちなのだろう。

 今までの人生で覚えたことのない強い怒りと失望を覚えながら、彼女は伏魔殿に足を踏み入れた。年老いた人波が割れて彼女の道を開け、にこやかに笑うソロンが奥に見える。


「……アルフェラッツ王女、シェアトにございます。この度のご歓迎に感謝いたします」

「おお、シェアト王女! ソロンと申します。私にお会い頂けるとは光栄にございます」


 無礼にもシェアトの手を取りしつこく握るソロンの脂っぽい禿頭をジロジロと眺めて、シェアトは表情を崩さぬように自分を律した。

 背筋に鳥肌が立ってはいるのだが、不快さが溢れてしまえばアレクシアの使いを遂げることはできない。崇拝する女神の顔を思い出して耐えていた。

 必死に抑えた氷のような声で、彼女は禿頭の大貴族に話しかけた。


「単刀直入に申しますが、ランカスターと呼ばれる彼らのことをどう思いですか?」

「どう? ふむ。王女はこの国の歴史に疎いと見えますな。あちらにお座り下さい。ゆっくりお教え致しましょう」


 彼の語る歴史は、アレクシアの下で学んだ物と大きく違った。

 いかに帝国になる前の民が彼らに苦しめられてきたか、そして帝国の傘下に入ったランカスターの民が何度も反乱を起こしその度にどれだけ血が流れたか。

 誇張がだいぶ入っているな、と感じたシェアトは話半分に聞いていた。


「……皇女殿下からは彼らと帝国の戦争はあくまで宗教的なもので、反乱も帝国の重税と弾圧が原因と聞きましたが」

「まさか皇女殿下がそのようなことをおっしゃるとは! まぁ皇女殿下はリブラの連中とつるんでランカスターで勝手に商売していますからな……ここだけの話、あまり信用されないほうがよろしいかと」


 やはり密輸について知っているのか、というかそもそも自らの信じる神である皇帝の娘に無礼が過ぎる。この貴族たちは背教者ではないか。とシェアトは感じた。


「……教えていただいてありがとうございます。リブラ商会は我々連合も取引をしているのですが、彼らは信用できないと?」

「えぇ……大きな声では言えないのですが……彼らの本部に爆弾が投げ込まれたようで……彼らも一枚岩ではありませんからなぁ。王女にとっては危険でしょう」


 立ち上がり、急に近づいたソロンに耳元で囁かれたシェアトは嫌悪感に眉をひそめるが、白を切って彼に話を続けさせることにした。


「そうなのですか? 初耳ですね。他には彼らについてなにか知っていらっしゃいますか?」

「勿論、我々もそれなりに情報網がありますからな。此処から先は我々と商売をしていただかない事には申し上げられませんが」


 流石にこれ以上は話さないか……とシェアトは心の中で舌打ちをした。

 しかし、やはりこいつらに目をつけたアレクシアは間違っていなかった。確実に犯人はこいつらの手の者だろう。リブラ商会に加わり連合国側の商人をまとめる立場にもある彼女はそう断定して、この不快な集まりを出ていこうと立ち上がる。


「…………善処します。それと最後に聞きたいのですが、皇帝所有の鉱山を見に行ったのです」

「ご贔屓に。……鉱山がなんでしょう?」

「軍人が坑夫達を虐めていましたが、帝国ではそれが普通のことなのですか?」

「ふぅむ……我々の帝国では働かぬ者には権利はありませんからな。きっと不良坑夫だったのでしょう。よくあることでは」

「……分かりました。それでは」


 ソロンの発言を聞き、拳を握りしめたシェアト。彼女にとって、貴族と同じく帝国の神である皇帝の子の民を侮辱するような不快極まりない発言は許せなかった。

 我々『の』帝国! 皇帝を差し置いてなんと傲慢な! そして民を虐げる事がよくあること!? そう頭に血がのぼるシェアト。信じられないとばかりに怒りに震えて席を立つ。

 他の貴族たちの挨拶もそこそこに、体調が悪いとだけ伝えて彼女は足早に去っていった。 



 従者達の待機室でいつシェアトがいつもの癇癪を起こすかハラハラしながら聞き耳を立てていたボレアスはよく彼女が耐えられたと安堵して、帰りの馬車で盛大に癇癪を起こす彼女を宥めていた。

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