最終話 The In-Between
「先に言っておくが、いくらエナジードレインで吸っても僕には勝てないよ」
肩で息をするハーゼル。
メイヴァーチルが攻撃を加えるまでもなく、放っておけば勝手に倒れそうな有り様だ。
異形との戦いで限界を越えた肉体は気力のみで立っている、しかしその気力すら尽き掛けている。
「とてもイイ感じだ……君の表情も精神も絶望の極致にある。心地好かっただろう?己の殺戮衝動のまま力を振るうのは」
メイヴァーチルは嗤う。
まさしく己の同類を得た歓喜に打ち震えたのだ。
「冒険者ギルドのシステム完成は僕の夢だったんだよ。愚劣なニンゲンどもを搾取、支配し、殺し合わせる。何百年やっても飽きない娯楽だ」
「貴様を殺す理由は……もう十分過ぎる」
満身創痍の死神は、殺気を滾らせ剣を構えた。
「やれやれ、その身体で僕に勝てるとでも」
メイヴァーチルは緩やかに徒手格闘の構えを取る。
*
メイヴァーチルが深く腰を落とし掌底を放った。予備動作こそあれ、掌底自体が目視すら出来なかった。ハーゼルはかわそうとしたが体がついて来ない。
メイヴァーチルはその無尽蔵の魔力が尽きぬ限りオートヒールによって常に全開のコンディションを維持する事ができる。彼女は常に最強、最高の攻撃を繰り出せるのだ。それどころか自身の攻撃による肉体への反動すら気を払う必要がない。
一方のハーゼルは無尽蔵に魔力を消耗する両義手を身に付けており、彼が本気で剣を振るうだけで義手は膨大な魔力を消費する。長期戦は加速度的に彼を死へ向かわせる。
大気が弾け飛ぶような破裂音と共にハーゼルの兜の中から血飛沫が飛び散った。
メイヴァーチルの殺人拳は装甲を通り抜けバーゼルの頭部で炸裂した。彼女の"かじった"モンクの拳法は、水や空気にさえ衝撃を伝える事を奥義とし、その当て身によって人体へ致命的な破壊を実行する。
"今の"で鼓膜や眼球、恐らくは脳にも直接衝撃を受け、弾け飛んだ。ハーゼルの世界は音を無くし、視界は真紅に染まる。
ハーゼルは顔から血飛沫を飛び散らしたたらを踏みながらも、自棄っぱちに途切れた詠唱を再開させ、エナジードレインを発動した。
カウンター気味にエナジードレインを受けたメイヴァーチルも口から血を吐き、彼女の生命力はハーゼルに吸い取られた。
しかし、如何なる攻撃もほぼ無尽蔵の魔力を自身へのオートヒールに充てている彼女へのダメージには成り得ない。
まさしく万事休すだった。
「……無駄だよ、大人しく降参しな。僕が温かいご飯を作ろう、ふかふかのベッドも用意する……幸せに暮らそう?ハーゼル」
その囁きは悪魔のもの、死神を誘うには甘過ぎた。
「黙り、やがれ……」
ハーゼルはせめてもの抵抗に唾を吐き掛けた。
「……分からない人だね、愚劣な人間どもは死すら許されず搾取され続けるがお似合いだ。君は僕と同じ搾取する側の生き物。こんな所で死ぬべきではない」
「何が搾取……俺はお前からケジメを取りに来ただけだ」
「……ケジメを付けてるのは僕の方。お前達ニンゲンが僕達エルフの故郷を滅ぼしたのだから」
「知ったことかッ!」
乾坤一擲、ハーゼルは勝負に出た。今にも燃え尽きそうな命を削った連続攻撃。その剣の一撃一撃にそのどす黒い魂の迸りを込め、絶対の殺意を込めてメイヴァーチルを斬り付けた。
それを避けることもしないメイヴァーチル。
何故だか、いつも彼女が浮かべている全てを嘲るような笑みが消えていた。そして彼女は両手剣で滅多斬りにされながら瞬き一つしない。
「キミだって、僕の可愛い部下(ドレイ)達から搾取して来たじゃないか。死霊魔法で、命そのものを」
メイヴァーチルのほぼ全身が妖しく発光する。治癒魔法によって筋肉の疲労を快復させるどころか、ドーピングに等しい。回復魔法を重ねがけして全開以上の状態にまで持ち上げたのだ。
「ニンゲンどもが僕に搾取されるのはな、全て、当然のッ!報いだッッ!!」
メイヴァーチルの機関砲のような拳の猛襲を、やはりバーゼルはかわすことすら出来ない。
初撃で容易く甲冑を粉砕され、次に側頭部を殴られたハーゼルは、まるで大型のハンマーを振り下ろされたような衝撃に意識を断ち切られそうになる。続く連撃は雨霰と止むことはない。
トドメの回し蹴りを腹に受け、ハーゼルは地面と全く平行に吹き飛ばされながら夥しい血を吐いた。
この街に舞い戻って連戦連闘、都合十度以上に渡る死黒掌の発動により、彼の体は筋肉はおろか内臓、指先の毛細血管に至るまでズタズタであり、最早立っているのが不思議な有り様だ。そこにメイヴァーチルの殺人拳を受けてまだ絶命しないことが冗談染みていた。
「かつて……お前達ニンゲンはな、僕の故郷を焼き尽くし、エルフを奴隷にしたんだ……!」
メイヴァーチルの連打は止むことはない。降り頻る雨よりもなお激しく、岩をも穿つように鋭くハーゼルの身体を削いだ。彼女の拳は速過ぎて、かまいたちによる切り傷が生じてからハーゼルに打撃を与えてさえいる。
ハーゼルは、必死に両手剣を振りかざし直撃を避けようとする。しかしメイヴァーチルの攻撃は吸い込まれるようにハーゼルの急所を捉え続ける。
そして、メイヴァーチルの全体重を乗せた正拳突きがほぼ剥き出しの胸部へ直撃する。本来なら胸骨や肋骨が衝撃から肺や心臓を守る筈だが……
「が……ふッ……」
胸骨を粉砕された激痛で、完全にハーゼルの動きが止まった。更にメイヴァーチルは身体を捻りながらステップインし、全身をしならせ掌底を叩き込んだ。
所謂バーストと呼ばれる渾身の一撃である、普通なら大振り過ぎてまず当たらない。
しかし……
粉砕された肋骨群が肺に叩き込まれた。ハーゼルは夥しい血を吐き、呼吸すら出来ない。即ち魔法の詠唱が封じられた。このダメージでも自分が剣を取り落とさないのが、ハーゼルは不思議だった。
ハーゼルの肉体は死という終焉へ急降下している。朦朧とする意識が苦痛でのみ繋ぎ止められ、その視界は赤く濁り一足先に地獄の景色を映し出していた。
あと、少しでいい。
動いてくれ、闘わせてくれ。
なあ、アイリーン……
ぎし、と両手の義手が命の残滓を吸って僅かに軋む。
幾度と無くメイヴァーチルの籠手の直撃を受けてもハーゼルは倒れなかった。その両手剣を杖に倒れないのがようやくと言った有り様だったが、赤黒い眼光を放つ視線が、今確かにメイヴァーチルを牽制する。
「この死に損ないが……」
ハーゼルは今生最期、命の灯火がにわかに燃え上がった。緩慢な動作で剣を構える。メイヴァーチルの拳に切り裂かれた肩から血が吹き出した。
彼の肉体は最早死んでいる、ただメイヴァーチルを葬るためだけに立っていた。
彼は今ここに正真正銘。その身も、魂までも死神となった。真に死の運び手と成り果てたのだ。
「何故死なない、ドレインの残りカスか?」
ハーゼルに返答するだけの余力は無い。
「……どうしても僕のモノにならないなら、仕方ないよね。君の死体を標本にするとしよう」
メイヴァーチルは必殺のルーティンを見せ、稲妻のような速度でハーゼルに襲い掛かった。人ならぬ敏捷は百戦錬磨のハーゼルにも視認すら許さない。
ハーゼルの今生最期の剣は、突貫するメイヴァーチルに死神の鎌を思わせた。その剣が語るのは絶対の死、刀身は刹那すら置き去りにして虚の時を走った。
ハーゼルは拳を放つメイヴァーチルの籠手を弾き返し、六連斬りを見舞う……筈だった。
二太刀までは確かにメイヴァーチルの頸部と胸を切り裂いた。常人ならば即死で当然だったがそれほどの深手でさえ、彼女を最強足らしめるオートヒールの肉体再生を上回る事はなかった。
ハーゼルが三度剣を振りかぶった時点でメイヴァーチルに太刀筋を見切られ、籠手に弾き返された両手剣が砕け散る。
ハーゼルは折られた剣を手放さず、勝利を確信したメイヴァーチルの腹へ相討ち気味に突き刺した。
メイヴァーチルの右拳に顔を潰されながら、左義手でメイヴァーチルの顔を鷲掴みにする。
死神の左手がとうとう討つべき仇を捕らえたのだ。
「先に地獄で待ってろ……!」
ありったけの殺意を込めてハーゼルが嘯くが早いか、破損した左義手にどす黒い魔力エネルギーが集中していく。
一体どこにこんな力が。
メイヴァーチルは驚愕した。顔を潰され、まさに歩く死体のような有り様のハーゼルだが、引き剥がすどころかどれだけ殴打しても彼はびくともしなかった。
「罪を償え……メイヴァーチル」
ハーゼルは冷たくなっていく身体に残存するありったけを、左手の義手から解き放つ。
「や、やめろッ!忌々しいニンゲンが!」
しかしハーゼルの左義手はほんの一瞬だけ閃くに留まった。魔術刻印は最早用を為さないのか、彼にはもう何も残ってはいなかったのか。全身凶器のメイヴァーチルを前に、ハーゼルは最早丸腰同然だ。
「……はっ、はぁッ……はぁッ……びっくりさせやがって!死ねッ!さっさと死にやがれッ!」
メイヴァーチルがトドメの一撃を放つまでもなくハーゼルは地面に倒れびしゃりと血溜まりを作った。
「……哀れだね、たかが100年も生きられない……」
メイヴァーチルの身体に急速に死霊が集まって来た。今までの死黒掌でも有り得なかった程の夥しい数の死霊の群れ。ともすれば、メイヴァーチルのもたらした人間社会への"腐敗"それによって命を落とした者達の怨念かも知れない。
ハーゼルの左義手の魔術刻印は役目を終えたように消え行く明滅を繰り返している。
「うがッ!ぐがああああァ!!……この、ニンゲン風情がァあ!!」
最期の死黒掌。
メイヴァーチルの体が再生と破壊を繰り返しながら爆裂し続ける、そしてその均衡は破壊の方が優っていた。
空中まで弾き飛ばされ、彼女の美貌が爆裂し血と肉片の雨を散らす。飛び散った血や肉片も、血液の一滴に至るまで沸騰し爆発する。
彼女の肉体が熱量に耐え切れず、さらさらの灰に成り果てるまで凄まじい熱を伴う爆裂を繰り返した。
一方ハーゼルは血の海に沈んだままぴくりとも動かなかった。血溜まりに、死霊の怨念に焼き尽くされた灰が降り積もる。
冒険者ギルドは屍山血河と成り果て、血溜まりに灰が浮かぶ。そこに居た誰もが死に何もかもが失われた。
その光景は地獄が世に顕現したかのような凄惨極まりない有り様だったが、しかし一枚の絵画のように静謐だった。
血溜まりに沈むハーゼルの死に顔は、最期の安らぎに満ちていた。このところ降り頻っていた雨が止み始めていた。
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