21 圧倒的猛暑

 腹立たしくなる程の炎天下の中、俺は必死に学校へと歩を進めていた。

 暑い。暑い。とにかく暑い。暑すぎる。何かもう、暑いというか苦しい。シャツの下もかなり汗ばんでいて気持ち悪い。季節外れの蝉の声が煩わしい。

 今日は天気予報で八月並みの暑さだと聞いた。ちなみに今はまだ六月の上旬。マジで狂ってる。地球が俺たちを本気で殺しにかかってる。

 季節の移り変わりというのはとても早いもので、桜が咲き始めたと思ったらもう衣替えの季節だ。俺のイメージだと、ここからだんだんと少しずつ夏になっていくのだが、近年は俺ら人間のせいで季節がめちゃくちゃになってしまっているため、昨日まで春だったのに今日いきなり真夏、なんてこともよくある。まさに今日がそんな感じだ。学校はただでさえ面倒臭いのに、こういう日はさらに行きたくない。外へ出たくない。クーラーでキンキンに冷えた部屋に引きこもってネットサーフィンしてたい。


 今更そんなことを思案してもしょうがないので、とにかく一秒でも早くクーラーの効いた学校に着けるよう、なるべく早足で進む。

「……さん、……なめさん」

 ……ん? 後ろから何か聞こえるような……。

「要さん!!」

「うおっ!?」

 と思っていたら、後ろから突然、耳を劈くような大声が聞こえてきた。振り向いてみると、見慣れた親友の姿があった。

「何だ、冬樹かよ」

「はぁ~……いつになくぼーっとしてますね」

「こんな暑さなら、そりゃそうなるだろ……」

「マージやってらんないですよ~、ったく……。誰に許可取ってこんな暑いんですかぁ?」

 茹だるような暑さに毒づく冬樹。何か某コピペみたいなこと言ってた。冬樹のこういう姿、ゲーム中にはよく見られるが、それ以外のときにはほとんど見ない。相当苛立っているに違いない。


「……あれ? あそこにいるのは……」

 目線の先に、見覚えのある人影が二つ歩いていた。ゆっくりとしたスピードで歩いている二人は、俺らと同じちいサポ会のメンバー、唯奈と小春だった。近づいて話しかける。

「二人とも、おはよーございまーす」

「おはよ~……」

「……おはよう……」

 消えそうな声で挨拶を返す二人。やはりというべきか、二人もかなりくたびれている様子だ。特に唯奈は、こちらがつい目を疑ってしまう程やつれている。足元もどこかおぼつかないし、ほぼ瀕死状態だなこれは。

「二人とも大丈夫か? 歩くのもやっとって感じだけど」

「今日すっごい暑いしね~。でも私は平気だよ。見ればわかると思うけど、唯ちゃんの方が……」

 改めて唯奈の方を見る。完全に、目が生きている人間のそれではなかった。

「唯奈先輩、大丈夫……じゃないですよね」

「わかるよ唯奈。この暑さはだいぶ常軌を逸してるよな」

「……心配ありがとう、二人とも……」

 暑さを紛らわすかの如く、四人でだらだらと喋りつつ学校へ向かっていると、いつの間にか着いていた。校内へ入った瞬間、心地よい冷気が俺たちを包む。

「あ~気持ちいい……」

「要さん、おじさんみたいですよ~?」

「……ふぅ、やっぱり冷房効いてるね!」

「唯ちゃん、復活した~!」

 みんなHP回復してる。俺らはもちろん、他の奴らも同じだ。暑い中出歩くのは大嫌いだが、冷房の効いている室内に入る瞬間だけは大好きである。その為だけに外出していると言っても過言じゃない。こういう人意外と多いんじゃないか?


 冬樹たちと別れ、教室へ入る。隣の席には、いつも通り光が座っていた。

「おはよう光」

「はよ。今日は暑ぃな」

「本当だよ。朝でこれとか、昼はどうなっちゃうんだよ?」

「確か、最高気温は三十五度超えるとか言ってたな」

「うわぁ……マジかよ……」

 最悪な知らせを耳に入れてしまった。朝からガン萎えだ。もう既に萎えに萎えまくっているというのに。

 光の知らせはそれだけではなかった。

「あ、そうだ。雫先生がお前に話したいことがあるらしい」

「は? 何それ?」

 おいおい、俺が何したって言うんだよ。呼び出しくらうようなことした覚えなんかないぞ。

「さあな。そこまでは聞いてねぇけど、少し前に授業で作文書いたろ。それ関係じゃね」

「あぁ……」

 自分の思ったことをただただ書き殴っていた記憶しかない。誤字脱字もざっと確認しただけだ。ダメ出しか。


 光に促されるがまま、渋々雫先生のもとへ向かう。雫先生は、職員室(教室より涼しい)にいた。この人もすっかり夏の装いだ。

「要君、おはようございます」

「おはようございます。で、話っていうのは」

「光君から聞きましたか。話は、昨年書いていただいた作文についてなのですが」

 おぉ、光の予想的中して……いや、昨年? そんな前に書いたっけか? あ、でも、書いたわ。昨年と言っても、半年と少しくらいしか経ってない。あれもたぶん適当に書いた。それがどうしたんだろう。

「これを来月にあるコンクールに応募していただきたいのです」

 あー、なるほどなるほど、コンクールにね……。

「……え? ん? 今コンクールって言いました?」

「はい、そうですが」

「それって、俺の作文を、ですか?」

「そうですよ? そうでなければ、要君を呼び出したりしませんよ」

 そりゃそうだ。何言ってんだ俺は。

 ということは、俺の作品がコンクールに……信じられない。いや、今までもそういうことは何度かあったが、いずれもコンクール向けに丁寧に書いたやつだ。対して今回は、だるいからと大雑把に書いたものだ。去年のことなんて細かく覚えてないが、そうに違いない。


「ちなみに、何で俺のが良いと?」

「私が、要君の文章に感銘を受けましたので。他の先生方も仰っていましたよ。もちろん今年のも大変素晴らしかったですが」

「感銘……」

 んな大袈裟な。俺ん中じゃただの殴り書きだぞ。

「少なくとも、私はこれをコンクールに出すべきだと考えていますが……あまり乗り気ではなさそうですね」

「う」

 見抜かれてる……。

 何だか、暑さも忘れる程の大きなイベントに巻き込まれた気がする。こいつをどう処理すべきか。腹括ってコンクールに出すか? いやしかし……。

「……ちょっと、一旦持ち帰らせてもらえますか?」

「もちろん。時間はまだありますから、ゆっくりお考えください」

「あの、俺の原稿用紙って貰えます?」

「はい。どうぞ」

「ありがとうございます。じゃあ」

 俺の書いた文字列がびっしり詰まっている原稿用紙を貰うと、俺はそそくさとその場を後にした。


 教室へ戻るや否や、光に話しかける。

「お前の予想通り、作文のことだったよ。去年のだったけどな。コンクールに応募してほしいんだと」

「でも、それにしちゃあやけに浮かねぇ面してんじゃねぇの」

「はぁ……多くの人にこれが見られるって考えると、あんま素直に喜べないんだよな」

 俺の文章が雫先生たちのお眼鏡にかなったのは嬉しい。しかし、本気で書いたわけでもないものが評価されたのは正直悔しいし、複雑な気持ちだ。

「期限は来月まであんだろ? ならゆっくり考えりゃいい」

「わかってるよ。雫先生にも言われた。ちなみに光、お前はどう思う?」

「そう言われても、お前の文を知らねぇから何も言えねぇよ。一度見せてくれねぇと」

「はいはい。わかった」

 光に原稿用紙を渡す。原稿用紙を見て芋づる式に思い出した作文のテーマは、確かみんな共通で『人生』。なかなか重めだし、それから連想される事柄は人それぞれなので、もちろん書く文章も十人十色だ。

 俺は今、自分の文章を光に読んでもらう為に原稿用紙を手渡した。とは言っても、今の時間じゃとても読み切ることは出来ない。

「サンキュ。今日中に返せるようにする」

「頼む」

 朝のチャイムが鳴り、教室は静まり返る。窓の外から聞こえる蝉の声と、窓辺から刺す強い日差しで、俺は久しぶりに夏を思い出した。


     ✴


 やっと午前の授業を終え、昼休み。食堂で、ちいサポ会の面子と昼食を摂りつつ談笑していた。

「な~んか今日の授業、いつもより長い気がするんですよね~」

「わかる~! 何でだろう、やっぱ暑いからかな?」

「ちょっと今日は暑すぎるよな~。俺、暑いのは得意な方なんだけど、これは死んじゃうよ~」

 心なしか溶けているように見える秋人。こいつも冬樹も、他の面子に比べてだいぶ疲弊しているが、何があったんだ。

 そう疑問に思っていたが、直後に冬樹から納得の理由を聞かされた。

「さっきの授業ほんと最悪で、体育だったんですよ~! しかも外!」

 唯奈たちが『えぇ……?』と、顔をしかめながら漏らす。

「体育は好きだけど、あれは堪えたなぁ~……」

 さすがの秋人も辟易している。このクソ暑い日に外で運動とか、想像しただけでうんざりするし、冬樹たちに心底同情した。


「午後から気温は更に上がるらしいぞ」

「え~!? これ以上!?」

「本当に死んじゃうかも……」

 信じ難いことに、まだ今日の予想最高気温は出ていないらしい。何と言うかもう、梅雨はどこ行った梅雨は。

「じゃあ、午前中に出来ただけマシってことなんですかね?」

「そう考えると、俺らちょっとラッキーかも?」

 笑い合う冬樹と秋人。確かに、気温が一番高いときに外での授業が重なったら最悪だ。炎天下の中の授業なんて、やってられない。

「本当、これから体育だって奴はご愁傷様としか言いようがないな」

 俺がぼやくと、光が隣から怪訝そうな視線を向けてきた。

「……? 何だよ?」

「お前、やっぱ忘れてたか。俺らのクラス、次の授業体育だぞ」

「……え?」


 光の一言に、慌ててスマホを取り出し今日の時間割を確認する。そこにはしっかりと『五時間目 : 体育』と書かれていた。信じたくなかったが、何度見ても同じだった。

「……マジ、か……」

「おかしいと思ったよ。朝、体操着持ってきてねぇように見えたから」

「……忘れてた、完全に」

 どうしよう、マジでやりたくない。憂鬱オブ憂鬱。出来ることならバックレたい。

 ……あ、でも待てよ? 俺今日体操着忘れたし、それを免罪符に……。

「……〝体操着忘れたことを言い訳にサボれる〟って考え方は無しですよ、要さん?」

 うん、しっかり見抜かれた。

「ばっ、バカお前! そんなこと考えてる、わけ……」

 ……みんなの視線が痛い。こいつらの前で嘘は通じない。正直に言わねば。

「……嘘だよ。がっつり考えてましたよ」

 俺が言ったあと、光は溜息を吐いて、マシンガンかの如く俺に説教を浴びせる。

「体操着を忘れたなら借りれるってお前も知ってんだろ。そんなサボりたい欲見え見えの言い訳通じねぇぞ。大体、お前は怠惰すぎんだよ……」


 それを聞かされるにつれ、何故だかだんだんムカついてきた。完全な逆ギレであろうことは自覚しているが、それにしてもムカつくことには変わりないので、光の説教を遮って言い返す。

「そこまで言うことないだろ!? それに、俺のどこが怠惰だって言うんだよ! こんな日に外出るなんて誰だって嫌だろ!?」

「サボろうって考えが出てくんのが怠惰だっつってんだよ! 俺だってこのクソ暑ぃときに外なんか出たくねぇよ、でも仕方ねぇだろ、授業なんだから!」

 悪くなりかけている空気を察した唯奈たちが、俺らを止める。

「ふ、二人とも喧嘩しないで! 落ち着いて!」

「そうそう、一旦深呼吸!」

「光ちゃん、今日ちょっとピリつきすぎじゃね?」

「要さんも、気持ちはわかりますけど、さすがに往生際が悪いですよ?」

 暑さのせいか、俺も光もやけに苛立っていた。先程の俺の主張も、今冷静に考えれば全くの詭弁だ。互いにクールダウンして謝罪する。

「……悪い、言い過ぎた」

「いや、俺もごめん。ムキになってた」


 無事仲直りしたところで、昼食に戻る。

「……今日の体育、何やんの?」

「ハンドボールって言ってたな。練習だけで、試合はやんねぇと思う」

「そうか……。ペアでのやつあったら組んでくれるか?」

「毎回組んでんだろ。今更確認とかいらねぇよ」

「はは、そだな」

 体育は相変わらず憂鬱だが、やるしかない。やるしかないんだよな。

「要さんにも、あの苦しみを味わってもらいますからね!」

「あぁ、味わわされる……」

「二人とも、先に言っとく! お疲れ!」

「今かよ、早ぇわ」

「言いたくなる気持ちもわかるけどね~。二人とも頑張って! そしてお疲れ様!」

「うん。でも、無理だけはしないでね」


 すっかりいつもの雰囲気が戻った。これが俺らだよな。

 と、どこからか、早い足音がこちらに近づいてきた。と思ったら、いつの間にか雫先生が傍にいた。

「あれ!? 雫先生!?」

「こんにちは……。えっと、あの、皆さんに……お話、がありまして……」

「まずは息整えましょう?」

 かなり息切れしている。そんな必死に俺らを探してたのか。そんなに急用なのか。

「先生、だいじょぶすか?」

「はい……。学生の頃は、これくらいどうということはなかったはずなんですが……嫌ですね、老いを感じてしまって」

「あ~わかります! 老いってふとした瞬間に感じますよね!」

「えっ、冬樹君もう!? 早くない!?」

 ちょっと待て待て。おっとー? 早くも話がズレてきてるぞー?

 俺と同じことを思ったのか、光と唯奈が制す。

「お前ら、まずは先生の話聞け」

「それで、お話って何ですか?」


 雫先生は一度深呼吸をして、俺たちに告げた。それは俺たちにとってとても信じ難い……というか、信じたくない事実で……。

「……皆さん、心してお聞きください。会議室内のエアコンが壊れました」

『えぇっ!?』

 みんな、絶望と落胆を声と顔に出す。エアコンが壊れた……ということは、放課後の集まりはこの猛暑の中やらなければならないのか。嘘だろ……。

「今日中には直せそうですが、集まりの時間にはとても間に合いそうにないとのことで……」

「うわぁ……マジ最悪」

 つい零れた言葉。今日何度この言葉を言ったかわからない。みんなも「やば~……」「終わった……」「本当に死んじゃう……」などと、それぞれの思いの丈を口に出している。

「皆さんの気持ちは痛い程わかります。私も耐えられそうにありません。そこで、ご相談が」

「相談?」

 って、まさか……。

「今日の集まりですが、急遽中止ということに」

「そうですね、そうしましょう」

「要君、即答ですね」

 中止という単語が聞こえ、間髪を入れず答えた俺。夏場に冷房の効いてない部屋で作業なんて、それこそ冗談抜きで死んでしまう。俺の本能がそう言っている。

 みんなも同意見だったようで。

「さすがに今日エアコン無しはきついですよ~」

「うんうん、仕方ないけど、俺も中止派だなぁ」

「私も~。これ以上汗だくになるの嫌だもん」

「熱中症になるかもしんねぇしな」

「初夏ちゃんと美玲ちゃんにはどうやって伝えますか?」

「私が連絡しておきます。ご心配なく」

 こんな具合で、とんとん拍子に中止が決定した。よかった~……。


     ✴


 昼休みも終わった今、俺はグラウンドという名の地獄にいる。

 突っ立ってるだけ滝のように汗が流れ出てくる。何も動いてないはずなのに体温が上がっていくのを感じる。そんな嫌な暑さだ。

 ……喉が乾いた。俺は水筒を手に取って、冷えた麦茶を飲んだ。これだけでだいぶ回復出来る。

「そろそろ休憩するか」

 俺がそう言うと、光は呆れたように返した。

「お前、さすがに休みすぎだろ」

「いいじゃんか別に。先生だって、適宜休憩をって言ってたろ」

「にしてもだよ。二分に一回は休憩とってんぞ」

「ちょっとは大目に見てくれよ~。厳しいなぁ」

「……はぁ。少しだけだぞ。俺はまだ練習するから」

 この会話のあと、光は一人で練習に戻っていった。本当こいつ、なんだかんだで優しいんだよな。


 しっかしまぁ、マジで暑いな。今朝も思ったが、ここが地球とは思えない。地球はこのまま、どんどん暑くなってしまうのだろうか。地球がこうなってしまった責任は、この星に暮らす全人類にあるように思う。もちろん、俺にも。

 ……そういや、去年の今頃もこれくらい暑かったっけ。全く覚えていない。人間って不思議なもんで、春夏秋冬を何十回も繰り返しているのにも関わらず、それに飽きたなんて奴聞いたことないし、かく言う自分も飽きが来そうな気配なんかない。というか、忘れているんだろう。暑さも寒さも、何度も経験しているのに、経験した分だけ忘れている。変な奴らだよなぁ。そういうとこも嫌いじゃないけど。

 空を見上げてみる。青くて、雲一つない晴天。夏の空だけは好きなんだけどな~……。気温さえどうにかなってくれればいいのに。

「なんて願っても、どうにもならないか」


 やがて、光が練習から帰ってきて、俺の隣に座った。

「お疲れ」

「ん。やっぱ暑ぃな」

「な? こんな中運動なんかすべきじゃねーって」

「否定は出来ねぇ」

 光はスポーツドリンクをひと口飲み、続ける。

「でも、気持ちよくもあんだよな」

「……え? 何だよいきなり。ドM?」

「違ぇよ。上手く言えねぇけど、楽しいっつーか、清々しい気持ちになんだよ」

「なるほど……一生わかる気がしない」

「だろうな」

 運動が楽しい、気持ちいい、ね。ま、俺には一生わかんないだろうな。けれど……。

「……ちょっとだけ、触れてみてもいいか」

「お、休憩終わりか」

「ああ。このままだと先生からサボってると思われかねないしな」

「それはもう思われてんじゃねぇの」

「え」

「ふっ、冗談だよ」

「光……」

 俺がボールを手に立ち上がると、休憩に入ったばかりなはずの光も立ち上がった。

「いやいや、光は休んでろって」

「何言ってんだよ。お前が珍しく頑張ろうとしてんだ。俺も頑張らねぇとな」

「珍しく、は余計……だけど、うん、ありがとう」

 かくして、ペアでの練習を再開した俺たち。だったが、その後俺は突き指してしまった上に派手に転んで膝を擦り剥いてしまった(ジャージにも穴が空いた)ので、無事保健室送りとなった。ちくしょう、体育なんて大嫌いだ……。


     ✴


 長かった学校が終わり、途中まで一緒に下校していたちいサポ会の面子とも別れ、着々と帰路に就いている俺。もともと俺にとって帰宅は素晴らしいものだが、それを考慮しても、ここまで心踊る帰宅はあっただろうか。だって、クーラーの効いた部屋が俺のことを待ってるんだぜ? これを最高と言わずして何と言おうか。未だに外は暑いが、もう少ししたらこれも終わると考えれば余裕で辛抱出来る。

 そんなこんなで、もう俺たち家族の住むアパートに着いた。そして、ドアノブに手を掛け、自分の住処へと戻っていく……。

「たっだいま~!!」

「おかえりなさい、要。元気ね~」

 入った瞬間、気持ちいい冷気がこちらに流れてきたので、つい今年に入って一番でかい声の挨拶をしてしまった。それくらい、現在俺のテンションは最高潮に達している。ここは天国か?

 いや~しかし、本当に長い一日だった。苦しかった時間もあったけど、というかそれしかなかったけど、今じゃそれも、全部この時間の為にあったんじゃないかとさえ思える。大袈裟かもしれないが、何だか報われた気分だ。

「お疲れ様。今日は暑かったわね」

「うん。疲れたよ」

「アイス買ってきたから、あとで一緒に食べましょう」

「えっマジ!? ありがとう!」

 母さん、神~。この家庭に生まれてよかったわ。


「あら、指どうしたの?」

「あ、これはちょっと体育で怪我しちゃってさ。突き指、なのかな?」

「えっ!? 大丈夫!?」

「今は一応平気。しばらくは包帯巻いて、安静にしてなきゃ駄目みたいだけど。心配ありがと」

 利き手じゃない方の指だったことが不幸中の幸いだな。折れてなきゃいいけど。

 あっ、あのことも言わなきゃ。

「あと……そのとき転んだりもしちゃって、膝擦り剥いたんだよ。そんでジャージに穴空けちゃってさ。ごめん……」

「まぁ……。膝は大丈夫?」

「うん。こっちももう何ともない」

「そう……。ならよかった」

 母さんは安堵の声を零すと「ジャージはお母さんが縫っておくから、気にしないでいいのよ」と、俺に告げた。昔から、俺が怪我をすると母さんはやや過剰とも言える程心配してくれる。もとから献身的な性格だったらしい。


 一旦自分の部屋に入る。鞄の中を整理し、そこから作文を取り出す。

 光に読ませたあと、ちいサポ会の面子にも読んでもらったが、みんな口を揃えて「すごい!」「コンクールに出すべき」と言っていた。うーん、どうするべきかなぁ。コンクールは来月って言ってたっけ。一ヶ月で答えが出せるのか。全くわからん。今のうちに決めた方が良いのか。

 悶々としていると、スマホが鳴った。冬樹からのメッセージだった。『涼しい部屋で食べるアイス最高です!』という文章に、アイスの写真が添えられていた。

 アイス……そうだな。考えるのはアイス食ってからでいい。それで、無理せずゆっくり答えを出せばいい。時間はまだまだあるんだから。何なら、母さんにも読んでもらうか。少し恥ずかしいけど。冬樹には『いいね!』のスタンプを送っておこう。

 部屋着に着替え、リビングのキッチンに向かう。冷凍庫を開けると、カップアイスが入っていた。

「うわー、これ美味いやつじゃん!」

「要、このアイス好きでしょ? お母さんも、久しぶりに食べたくなって、買っちゃったの」

「母さんありがとう、一緒に食おう」

 アイスを手に取る。あぁ……キンッキンに冷えてやがる……!

 俺たち親子は、アイスと共に至福のひとときを過ごした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る