22 とある少年の逡巡と決断

 地獄のように暑かった日々も過ぎ、平年並みの気候に落ち着いた今日このごろ。俺はまだ、コンクールへの決心がつけずにいた。

 最近ようやく梅雨に入ったらしく、今日も外では雨が降り続いている。かんかん照りも嫌いだが、雨も雨であまり好きではない。髪うねるし、じめじめするし、低気圧で頭痛くなるし、とにかく、好きじゃない。こういう日は、何だか心も沈んでしまう。いや、俺の心が沈んでるから外も雨になるんじゃ? 関係ないか。普通に梅雨だからだな。うん。

 で、現在母さんは急用が入って家にいないので、俺一人だけ。いつもはこういうとき、ワンマンライブ的なことをしたり、リビングのテレビを陣取ってアニメ等を見たり、あとは……まぁ、色んなこと。といった感じなのだが、今日はひたすら自分の作文を読み返している。


 読み込めば読み込む程、何とも言えない複雑な気持ちになる。当時の俺はこんなことを考えてたんだなー、とか、ここの言い回しちょっと不自然じゃね? とか、先生たちはどうしてこれに感銘を受けたんだろう、とか。ほとんどがネガティブな感情だが、まぁ俺がネガティブなのは今に始まったことではないし、それ自体は仕方ないと思ってる。今更その性格矯正しろって言われても無理だよ。

 それはそれとして、一体いつになれば「出してもいいや」って気持ちになれるのか。正直、俺は今迷っている。ということは、出したい気持ちもあるにはあるんだろうが、その決着が、未だにつかない。俺の中にある二つの心情が試合をしていて、延長に延長を重ねているといった感じだ。そろそろ試合終了のホイッスルを鳴らせたい。

 自分のこういう優柔不断なところ、本当に嫌になる。ソシャゲへの課金に関しても最初はこんな感じ。マジで最初だけだけど。


 ソシャゲの話はどうでもいいんだよ。今考えるべきは作文についてだ。

 この作文を書いたのは一年生の頃。つまりちいサポ会のメンバーに選ばれるずっと前だ。あの頃は光ともまだどこか気まずかったし、冬樹くらいしか、胸を張って友達だと呼べる存在がいなかった。それが今や、俺の周りにはあんなに人がいる。そりゃ価値観の一つや二つ変わる。

 当時の俺は、確か丸くなりかけてたときだったな。それ以前、特に中学の頃なんかは色々あって荒れに荒れていた。「何もかもクソ」だとか「今日にでも死にたい」だとか「みんな消えちまえ」だとか、平気で考えていた。我ながら、よくそんなことが言えたなと思う。

 あの頃はとにかく人間不信だったが、冬樹と出会って、高校の先生やクラスメートたちと触れ合って、自分が思っていたより周りには信ずるに値する人間はいるということを知れた。

 この作文は、さしずめその時期に書いたものだろう。文脈からも読み取れる。「ひどい人間ばかりだと思っていたが、案外そうでもなかった。今まで自分が見ていた世界は、所詮小さな金魚鉢でしかなかった」なんて文が一番わかりやすい。恐らくこの表現は好きな漫画から引用したんだろうな。いい感じの例えが思いつかなかったから。

 てか、ところどころでかなり中二くさい文があるな。いや、年齢的には高二病と言った方が近いか? でもそれは今か。

 ぶっちゃけ、大して集中して考えていないので、気付いたらどうでもいいことを考えてしまっている。この癖は今も昔も変わっていない。直す気もあんまない。


 こんな風に、色々変わってゆく中でも変わらないものがある。これで言えば「結局のところ、生きる理由はわからない。そもそも、生きるって何なのか、死ぬって何なのか、それさえ未だにわからない」の部分。これを書いてからだいぶ時間が経っているものの、後者に関しては今なお答えは見つかっていない。だから、一生見つからないもんなんだと割り切っている。ただ、これだけは断言出来る。中学時代の俺は、生きているようで死んでいた。完全に生ける屍だった。

 一方、前者は一応答えらしきものが見つかった。生きる理由──強いて言うなら、それを見つけるため、なんだと思う。例えば俺は、オタク趣味という生きる理由を見つけ、そのために生きている。いや、趣味に生かされている、という言い方が正しいか。当時の俺も、この趣味はあったはずだが、それが生きる理由に結び付かなかったのか。昔の俺何考えてたかよくわかんねぇな。

 ん? ここ誤字ってんな。「息苦しい」なのに「生き苦しい」になって……待てよ? それともこれ、わざとか? わざとこの表記にした? まぁ「生き苦しい」でも意味通じるっちゃ通じるしな。実際、こんな感じのこと思ってた時期もあったし。じゃあわざとだな……たぶん。

 そいつは置いといて……コンクールどうすっかな~。さっきよりは『出そう』チームが若干優勢になってきたか? でも、試合はまだまだ平行線だな。五分五分ってとこか。早いとこ決着つかせて、好きなことしたい。もうこんなに頭を悩ませるのは真っ平ごめんだ。

 ……しょうがない、また一回読み返してみるか。超絶だるいけど、これも試合終了させるため……。


 ……っ、頭、痛ぇ……。クソ、無理しすぎたか。『無理しない』が座右の銘の俺らしくもない。休むかー……。

 キッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。飲み物か何かあった気がする……缶コーヒーか。出来ればエナドリの方がよかったんだけど、置いてないんじゃ仕方がない。ここはこいつで甘んじよう。まぁ、コーヒーも好きではあるが。

 無糖コーヒーが飲めるようになったのは、わりかし最近。光が飲めると言うので俺も飲んでみたら、意外といける味だった。小学生の頃にも背伸びして飲んでみたことがあったが、そのときはあまりに苦すぎて「これを好んで飲む奴なんかいるのか?」と疑問に思った。今や、俺がその「好んで飲む奴」だ。成長ってこういうことを言うんだな。

 缶を開け、久々にコーヒーを喉に通す。……うん、これもまた、エナドリとは違った良さがある。


 ……何か、腹減ってきたな。時計を見ると、もう昼だ。そろそろ食うか。母さんは「夕方に戻るから、お昼は家にあるもので適当に済まして」って言ってた。何があるかな~っと……おっ、カップ麺あるじゃん。しかも俺が好きなやつ。ラッキー、こいつにしよう。

 すぐさまケトルに水を注ぎ、沸かそうとする。沸くまでそこそこ時間かかるんだよな~。結構暇。新しい創作のアイデアでも……いやそれより優先して考えるべきことがあるだろ。だがしかし、今は休まねば……。

 などと考えを巡らせている内に、ケトルが音を鳴らした。お湯が沸いたようだ。ケトルを持って「三分間待ってやる」と呟きながら、お湯を入れる。俺は真面目なので、タイマーで三分間きっきり計る。この時間も暇。てか、準備とかがない分、こっちの方が暇。

 ぼーっとしていると、やがてタイマーが鳴った。それを止めて、カップ麺の蓋を開ける。箸を持ち、麺を啜っていく。しかし、出来立てなので普通に熱かった。「あっちぃ!!」とつい声を上げてしまった程だ。口の中で少しずつ冷ましながら、飲み込んでいく。……こりゃ美味い。カップ麺ばかり食うのはあまりよくないが、休日にこうしてのんびり食うってのもなかなか乙なもんだな。もし俺が一人暮らしを始めたら、毎日カップ麺かサンドイッチになってしまいそうだ。……栄養的には駄目ってわかってるんだけどね? ほんとだよ?

 ……あれ、頭痛治まった? いつの間にか。食って歯磨きしたら、作業に戻るか。


 あの作文読んでると、自然と昔を思い出すんだよな。嫌というわけではないが、何だか不思議な気分だ。あんだけ人嫌いだった俺が、人助けの活動をしている。本当、変わりすぎだ。昔の俺が見たら愕然とするだろう。

 最近は、毎日が矢のように過ぎ去っていく。昔はもっと、一日が長かったはずなのに。学校にもろくに行かず、特に何もせずだらだらと過ごしていた。一日が終わってまた新たな一日が始まるのが、堪らなく億劫だった。なのに今は、毎日が楽しい。嫌なことは相変わらずたくさんあるが、それでも何とかなると思える。


 とても楽しくて、充実している毎日──だから、怖い。俺みたいな人間が、こんなにも幸せでいいのか。明日にでも、これが壊されてしまうんじゃないか。もし、あいつがいきなり事故にあって、それで、最悪の事態になってしまったら。あの人が、俺と別れたあと、忽然と姿を消してしまったら。不安で不安で仕方ない。

 もしものことを考えたらキリがない。そうわかっているのに、暇さえあればうじうじ考えてしまう俺は──筋金入りの、甲斐性なしだ。

「……はは」

 思わず口から、力のない乾いた笑いが出て来た。誰か一緒に笑ってくれよ、こんな俺を。臆病すぎ、考えすぎだって。


 ……あーあ、くだらねぇ。やめやめ。こういうことを思い始めたら止まらない。早急に頭の中を切り替えなければ。

 とりあえず、食おう。全く箸が進んでいない。食ってる間は、何もかも忘れられる。麺も伸びちゃうしな。

 黙々と食う。頭を空っぽにするように。余計なことを考えないように。


 食い終わり、歯磨きも済ませ、自分の部屋に向かう。机には、原稿用紙が置いてある。

 この数枚ある原稿用紙は、過去から現在に至るまでの俺を、そっくりそのまま凝縮したものに思える。やたらと昔を思い出すのも、そのせいだろう。こいつを、どうすべきか。俺のことなんて何も知らない赤の他人が、これを読んだときどんな気持ちになるのか。

 他人の気持ちなんてわかりっこないが、一つだけわかる。冬樹たちや雫先生は、これを絶賛してくれた。冬樹以外は、昔の俺を知らない。にもかかわらず、みんな口を揃えて「コンクールに出した方がいい」と言ってくれた。それは、紛れもない事実だ。なら、それに応えない理由なんか──。


「……出すか」

 ──試合終了。何度も延長を重ねた末、最初は劣勢だった『出そう』チームの勝利で幕を下ろした。


 決着をつけた途端、重荷が取れたように、一気に身が軽くなった。モヤモヤしていた心も、すっきりした。何かを決めた瞬間はだいたいこんな気分になる。

 この判断が正しいのか、なんて今はどうでもいい。正しかったか間違っていたかは、未来の俺が決めることだ。未来の俺が「この判断は正しかった」と胸を張って言えるように努力する。それが、今の俺のすべきことだ。

 そう、頭ではわかっちゃいるが、なかなか実行に移せない俺である。どれだけ努力しようがどうにもならないことだってあるし。「なのに努力とか無駄じゃね?」と思ってしまう自分もいるし。矛盾しまくりだ。

「ははっ、全然かっこつかねー。俺らしいけど」

 これはただの偏見だが、人間って、常に相反する感情を飼っているよな。上手く言えないけど。


 さて、雫先生たちへの連絡は後でするとして、まずは……ネットだな! あとゲーム! 遊ぶしかない! 午前中悩みまくった反動からか、遊びたい欲が半端ない今。これに抗えるわけがないし、抗う理由もない。もう決めた。午後は遊び倒す!

 いつもこういう判断だけは早いんだよな、と、自分に対して苦笑いした。


 ふと、窓の外を見ると、あれだけ降っていた雨はすっかり止んでいて、雲の隙間から光が差し込んでいた。

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