4 始動
「遅れました!! すいません!!」
光がガラガラッと扉を開け、開口一番に叫んだ。
そしてその直後、扉の向こうから聞き慣れた低音ボイスが聞こえてきた。この声は……。
「ふふ、いいですよ。時間はたっぷりありますから。でも、一応理由は聞いておきますか。入ってきてください」
そう言われたので、俺たちは多目的ルーム内へと入った。
……やっぱり。俺と光のクラスの担任、
「えっと……理由になるかはわからないですけど、ちょっとみんなで話してたら、長くなってしまって……」
「おや、もうそこまで仲良くなったのですか。随分と盛り上がったのですね。素晴らしい」
「ど、どうも……」
「ですが皆さん、遅刻はなるべく減らしましょうね」
「「「はい」」」
「「「はい!」」」
「はい、では始めましょうか。お好きなところにお座りください」
雫先生は多くの生徒から愛されている。
芸能人顔負けのルックスと、モデル顔負けのスタイル。それに加えて、誰に対しても優しく真摯な性格と、紳士的な立ち振る舞い(駄洒落じゃない)ときたもんだ。これでモテない方がおかしい。
しかし、雫先生の人気はそういうカリスマ的な人気ではなく、上手く言えないが、どちらかというと芸人的な人気に近い感じがする。
その要因の一つとなっていると思われるのが、時々出てくる残念な部分だ。
確かにベースはとても大人びていて落ち着いた性格なのだが、授業中に虫が出た時、俺たち生徒を守りつつもめちゃくちゃビビってたり、何もないところで転んで足を捻ったり、さらに昼食が見かける度に焼きそばだったり、ところどころ「あれ? この人もしかして、俺らが思ってるより完璧超人じゃないんじゃないか?」なんて思えてくる場面がある。まぁそんな一面もイケメンなら長所に変わるが。
格好は、基本的に上下黒のスーツスタイルで、何故か常時白い手袋を着けている。何で手袋? 潔癖症なのか? と最初は疑問に思ったが、今となっては、ぶっちゃけ似合ってるし、どうでもよくなりつつある。
ちなみに余談だが、年齢の方は今年で二十九歳とのこと。本人はあまり触れて欲しくなさそうだった。
それはさておき、ちいサポ会のオリエンテーションが始まった。まずは俺たちの自己紹介から始まり、その後にちいサポ会の概要説明。と言っても、説明部分は大した内容ではなく、事前に聞かされた活動内容の簡単なおさらいなどだったし、割愛する。恐らく今回のオリエンテーションは、俺たちメンバーの初顔合わせが一番の目的なのだろう。
「説明はこれくらいで良いですかね。何か質問等ありましたら、手を挙げてください」
質問コーナーに入った。質問……と言われても、大して思いつかない。と思ってたら、秋人が手を挙げた。
「はいはーい! いいすかいいすか?」
「はい、一年生の小坂秋人君、でしたね。どうぞ」
「先生の好きな食べ物と嫌いな食べ物は?」
「あっ、それ私も気になる~!」
まさかの雫先生への質問だった。ちいサポ会関連のやつじゃなくてもいい……のか?
「先生への質問かよ……」
「そういうのは迷惑になっちゃうんじゃ……」
「ふふ、大丈夫ですよ。私だけ軽い自己紹介でしたからね」
さすが雫先生。生徒からの無茶振り(今回は無茶振りという程でもなかったが)にも即座に対応。これぞ大人の男だ。
「好きな食べ物は焼きそばですね」
「へー意外!」
「意外と庶民的なんですねー!」
一年組は口を揃えて意外だと言っているが、俺ら二年はさほど驚いてない。先述した通り、この人の昼は見かける度に焼きそばなのだ。最初はびっくりしたが、もう見慣れてしまった。毎日そうなんじゃないかとさえ思う。
「毎日食べても飽きません。実際食べてますしね」
あ、やっぱそうだったわ。
「焼きそばを生み出された方には本当に感謝してもしきれません。最後の晩餐ももちろん焼きそばを食べます」
「本当に好きなんだ~!」
嬉々として焼きそば愛を語る雫先生。ここまでくると逆に怖いわ。心なしか、みんな引いてる気がする。
「で、嫌いな食べ物は?」
「嫌いな食べ物、は……」
少し渋るような表情と仕草を見せた。言いにくい食べ物なのだろうか。
「……いえ、特には」
「本当ですか? めっちゃ眉間にしわ寄ってますけど」
「っ……皆さんの前で嘘は吐けませんね」
雫先生が渋々といった様子で言った言葉は、つい耳を疑いたくなるものだった。
「……ピーマンが、少し」
「なるほど、ピーマンが……え?」
「ピーマン!? え、めっちゃ意外!」
みんな驚いてる。それも無理はないよな、だってピーマンだぞ、ピーマン。今年二十九になる男がピーマン苦手って……え? 見た目とのギャップ凄すぎだろ。
「す、少しだけですよ? 少し苦手なだけで」
「まぁはいわかりましたよ……」
「ほ、他に質問ある方ー?」
本人もあまり掘り下げられたくなかったのか、小学生みたいな言い訳をかました後、かなり早めに切り上げた。
と、次は黒野さんが手を挙げた。
「あ、じゃあじゃあ、趣味とかあったら教えて欲しいです!」
趣味か。それは俺も少し気になる。
「チェスやオセロなどのボードゲームを嗜んでいますね。よく妻とやっています」
ボードゲームが趣味。こちらは俺のイメージ通りだった。
ちなみに、先程本人がさらっと言ったが、雫先生は既婚者である。奥さんの顔写真は一切見たことがないが、雫先生自身の顔面偏差値も半端ないので、奥さんもそれに釣り合うレベルの美人さんなのかなとか勝手に思っている。
「将棋もやってます?」
「やっていますね。光君も?」
「まぁ、はい。たまにですけど」
チェスをやってる雫先生、想像だが、すごく様になってる。本当、イケメンは何しても絵になるよな。もう全身ドブ塗れでも格好いいんじゃね?
そんなこんなで、雫先生への質問コーナーが終わり、オリエンテーションも終わった。
「それでは、オリエンテーションを終わります。お疲れ様でした。皆さん気をつけてお帰りください」
「お疲れ様でしたー」
「お疲れ様でした!」
「お疲れっした」
「お疲れっす!」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でーす!」
みんな口々に挨拶をし、多目的ルームを後にする。
「はぁ……なんか疲れたわ……」
「まぁ確かに、色んなことが急に決まっちゃいましたもんねー。正直僕も、まだ思考が追いついてないというか……」
冬樹も疲れ切った様子だった。それとは対照的に、どこかキラキラしているのが秋人だ。
「でも俺、これからみんなとやっていけるって思うとすげーワクワクする! なんかソワソワして、落ち着けねーっつーか……あぁもう! 今からみんなで打ち上げ行こうぜ!!」
「あっ、それいいね! 賛成!!」
おぉ、なんてエネルギッシュなんだ……。若いっていいな。一つしか違わんけど。
そんな秋人たちを、光が追いかける。
「ちょっ……おい! 廊下は走んな! そして俺らの予定を勝手に決めんな! ……まぁ、それくらい付き合ってやるけどよ」
「秋人君たちは元気ですねー」
「本当だな……よくあんな大声出せる気力が残ってるよな」
と、黒野さんがこんな提案をしてきた。
「あ! そうだそうだ! みんな、これから一年近く一緒なんだし、名前で呼び合わない? 秋人君みたいに!」
「名前呼び?」
「そうそう! 仲良くってことでさ!」
なるほど、妙案だな。確かに一定の効果はあるかもしれない。名字呼びよりも名前呼びの方が仲良さそうだし。
……いや、待てよ?
「まさかそれって、俺たちも入ってる?」
「もちろん!」
おう……マジかい……。
「えーっと……小春、さん?」
「〝さん〟はいいよ~!」
女子を名前呼び捨て。女慣れしてない陰キャオタクな俺には、あまりにハードルが高すぎる。
「え~……悪いけど、慣れてからでも……」
「大丈夫だよ~、自分のペースで! 唯ちゃんと光ちゃんも、大丈夫?」
「おう」
「う、うん」
「ま、コミュ障キモオタの要さんには少ーし酷ですよね~」
「余計なお世話だ……」
というか、お前だって虚勢張ってるけど、十分その部類の奴だろ。本当は怖い癖に、それを悟られないよう常に笑顔でいようとする。時によって爆発寸前まで溜め込む場合があるので、無理はしないで欲しい。
「僕のこと、心配そうな顔してます」
「は? そ、そんなこと……」
「無理なんかしませんから、安心してください!」
「……おう」
だから、心の声を読むなって、お前は……。
なんてしばらく喋っていると、海川さ……唯奈がクスクスと笑いだした。
「ん? どうした?」
「あ、いや、大したことじゃないんだけど……何だか、すごく楽しいなぁって思って」
「……!」
楽しい──か。
正直俺は、この活動にちゃんと真剣に取り組めるのかさえわからない。楽しめるかどうか以前の問題だ。
不安なのはオリエンテーション前後で変わらないが……何故だか、何となく、こいつらと一緒なら、大丈夫な気がする。
騒いでいる秋人たちを遠目で見ながら、そんなことを考えた。
「……あぁ、そうだな」
「うん」
「なぁなぁ、どこ行くどこ行く? 何か打ち上げにいいとこある?」
「うーん、夕食もあるし、やっぱカフェとか喫茶店とかかなぁ。秋人君は何かある?」
「え、えーっと……ラーメン屋とか?」
「……それ、さすがに重すぎんだろ。俺はいけるけど」
「うん、ラーメンはちょっとなぁ……」
「だよなぁ……」
「つーかお前、言いだしっぺだろ。何も考えてねぇのかよ」
「うっ……」
「あはは! 二人って仲良しだね!」
「要さーん! 唯奈先輩! そんな遠くから見てないで、こっち来たらどうです?」
「そうだよー! 早く早く!」
「わかったっての。行こうぜ」
「ふふっ、うん」
後に俺は、知ることとなる。
想像よりも多くの人間が、何か抱えているということを。様々な人と関わり合い、触れ合うことの大切さを。
──そして、これが俺にとって、一生忘れられない青春物語の始まりであるということを。
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